96 / 117
龍ノ94話「氾濫の竜、バハムート」
しおりを挟む平原のリカーネ上空。
雲の向こうで竜は待っていた。
嵐の災禍をその身に宿す竜の名はバハムート、ジークの世界でも有名過ぎるほどだ。
聖書では海の者であると書かれていたがどうやらこの世界では空の覇者であるようだ。ジークは雲の上に立つと刀を構える。
既に戦いは始まっている。
ジークは鋭い一刀で周囲の雲を切り払う。雲は散り散りとなり雨雲は四散し一時ではあるが晴れ間を作り出した。
そして空を泳ぐ竜の姿も目で捉えることができた。
赤紫の体表にポリプテルスの様な体型、顔はカサゴに似た厳つくゴツゴツとし、棘ひとつひとつが短剣の様に鋭利である。
竜と言うより、ちょうど魚類と爬虫類の中間とも捉えることが出来る。
蛇の縦長の瞳孔がジークを見つける。
暴風と共にバハムートの巨躯は風に押し上げられ瞬く間にジークの目と鼻の先にまで到達する。
一本一本が鋭く細く長い鋸状の牙がジークを砕こうとする。
難なくそれを躱すが、あの牙は一度刺されば肉を削り取ることが容易に想像できた。しかもあの細さであれば突き刺さるのも簡単だが、それ以上に刺さったところが途中で折れることで再生そのもの阻害させるだろう。牙は切れ込みが入り一度刺さればかえしの役割を果たし早々抜けないようになっている。
そんな牙がざっと見ても二百、いや三百はあるだろう。噛まれた時を想像するだけでも身の毛がよだつ。
大空の支配者であることは明白だった。
ジークは依然として大太刀を抜かない。先ほどの攻撃、避けはしたものの殺意は感じなかったからだ。
そっとバハムートの顔に手を伸ばす。蛇の様な目は落ち着いている。むしろ嬉しそうとも感じた。
無論、鋭い棘がジークの手をズタズタに引き裂くがそれでもバハムートの頭を撫でることを止めなかった。
十分ほど撫でた後、そっとバハムートは体をジークから遠ざける。
ジークは歯を食いしばり、無力さに打ちひしがれる。
バハムートは人間を殺したくは無いのだ。ナトライマグナに無理矢理従わされているのだ。
ジークは刀を抜く。バハムートの為に――。
バハムートは感謝していた。全身全霊を賭してもなお立ち向かってくれる者がこの時代にいたことに。
竜は人間では無いが、確かに生きている。
ジークはバハムートに憐憫を抱いた。
だからこそ、ここで鎖を断ち斬ることにした。
空は暴風が遊びから殺戮に色を変え、ジークの汚れを落としていた雨はジークの皮膚を裂き始める。
氾濫の竜バハムートとの戦いが始まる。
刃物のような風が鞭のようにしなり、ジークの足を寸断する。
寸でのところで竜殻を展開し、黒曜石の様な外殻がジークを覆う。多少動きは悪くなるが雨粒と風で死ぬよりはマシである。
大太刀を上段に構え、一気にバハムートとの距離を縮め渾身の龍神演武炎ノ型をぶつける。
しかし、分厚い空気の層がバハムートを守りそもそも刃が届かないのである。見えない壁がそこにあるかのように大太刀はピタリと動きを止めている。
そして風は圧縮され、ジークの方へ放たれる。その威力はジークの体幹を崩すほどである。
体勢を立て直そうとするが数十メートルも弾き飛ばされると思った瞬間、ジークは地面へと落下し始める。
息がままならず何が起こっているのかなんとか状況を確認する。ジークの体は巨大な水の塊が勢いよく落下し滝の様に流れ落ちているのである。
指一本も動かないまま、何千メートルも上空から一気に地面に叩き付けられた。
全身の骨は砕け衝撃が逃げられず筋肉はズタズタに断裂し皮膚はもはや爆発していると言うのが適当だ。眼球は弾け、頭蓋骨は粉砕し脳みそが液状になり地面に零れていた。
だがまだ心臓は動いていた。徐々に内臓は再生を始め、肉体は再構築されていく。
完全に再生するまで数週間の歳月が掛かるほどだった。
ジークは目を開けると、生きていることが不思議だった。それと同時にバハムートの力を畏怖した。
文字通り手も足も出なかった。
ファヴニールとの戦いで疲弊の色もあったが空しい言い訳にしかならない。
ジークは王城に戻り準備を万全にしようと考えた。それから立ち上がり足を動かそうとした。
ふと右手を見ると、一振りの大太刀が未だ刃が欠けること無く切っ先を鏡のようにあたりの風景を反射させている。
まだ折れていない。それがどういう意味かジークは直ぐに理解し、目を王城から空へ向け直す。
さっきまで充分眠っていた。これ以上は無い。
もう一度、雲の上へ登り立つ。
そして大太刀を上段に構える。
不屈、不退転、誓った想い、尊ぶべき仲間の顔を思い出し、ジークは目の色を深紅と黄金に変える。
竜脚は常に全力を解放する。
大太刀の握り方は教わった通りに、体の動かし方も教わった通りに。
そして刀身に宿す熱力は竜が持つ絶対強者の本能に従うように。
その熱は大気の水分を蒸発させ雲を焼き尽くす。
バハムートは水を纏い、更にその上から風の鎧を着込む。
咆哮と共にジークは距離を詰め、炎の一撃を放つ。
それは風の鎧に傷を付ける。切り抜いた刃を返し、下段から上段にバハムートの首を狙って切り上げる。
二撃で風の鎧を破壊すると、体表の水に刃が触れる。
その瞬間、炸裂音と衝撃がバハムートとジークの間で生まれる。蒸気が周囲を覆い爆風が両者を吹き飛ばした。
ジークは大太刀に目をやる。依然として刃こぼれはない。
地上の木々が小さく見える雲の上でジークは依然として健在である。大太刀を構え直し、目の前を悠々と泳ぐ彼の竜を見据える。
水を自在に操り、嵐を呼ぶ竜、その姿は竜と言うより魚と爬虫類だが漂わせる力は竜で間違いなかった。
バハムートは大きく口を開ける。何百とある鋭利で長い牙がその切れ味を知らしめるように。
ジークは、静かに、とても静かに息を整える。
風の音が消える。地上に降る雨雲たちはバハムートの元へ集まり始める。それに止まらず今まで感じていた湿気ですら今は砂漠のように乾ききっている。
バハムートは空に海を作り上げようとしていた。
呆気にとられていた瞬間、ジークは回避不能の攻撃を目の当たりすることになった。何が起こったかと言うと、膨大に膨れ上がった水の塊がバハムートの尾ひれの薙ぎ払いと共に津波となってジークに襲いかかったのだ。上にも下にも当然左右どこへ逃げても回避のしようがないほど広範囲に攻撃は広がる。
咄嗟に大太刀から熱気を放ち、龍神演武炎ノ型を展開するが、蝋燭の火で湯船を温めることが出来ないようにジークの炎は無に帰する。
衝撃に飲まれ、渦巻く波の中でジークは体を回し、天地が分からなくなり、もがき始める。無意識に上へ上へと手足で水を掻き分けるが急流がジークの行く手を阻む。もう呼吸は長くは持ちそうに無い。
酸欠状態が続き、徐々に視界が暗くなり始める。ジークは少しでも息が保つように全身の力を抜く。徐々に水の底へ沈み始める。そこでジークは水の流れは上層と下層で違うことに気付く。下層の方が流れが緩やかだった。
ジークは体を翻し、底に向って泳ぎ始める。死ぬか生きるかの瀬戸際で、なんとか水から顔を出すことに成功する。
全身が水から離れるとジークは水の下を進み、バハムートの視界から逃れる。
真下にたどり着くとジークは大太刀を逆手に持ち、左手で水を掻き分け始める。手を伸ばした先はバハムートの口である、そこにぐいっと手を突っ込み喉を掴む。そして刺さる牙を無視して水から引きずり出すとバハムートの眼球目掛けて大太刀を突き刺す。全身を使って地面へと休息落下しながら龍神演武炎ノ型を練り始める。
地面と激突する瞬間、水没した大地は焦土と化した。
刀は膨大な熱を帯び、周囲一帯の水は即座に蒸発し、膨張した体積が地面を駆け、衝撃波を領土に轟かせた。
バハムートは牙と外殻と骨を残し全て灰となっていた。
ジークは刀を鞘に収める。
降り立った大地を見渡す。かつて平原で背の低い緑が一面を覆い長閑だった場所は今、全てを洪水が流し去り、ジークが平原を焼いた。
ほんの数年前まであった景色は色褪せた思い出と成り果てていた。仕方が無いと言い訳は出来たが、それでもこの焦土の光景はジークとバハムートにとって気分の良いものではなかった。
バハムートの亡骸に手を置く。亡骸は崩れ去り、そして光となって消える。
彼の竜は何故戦わねばならなかったのだろう。少なくともこの竜は本来、もっと温厚で人間が好きで、わざわざ厄災を起こすようなことをするようには心底思えた。
ジークが討伐する十二の竜たちの正体をようやく理解した。竜達は全てナトライマグナが無理矢理使役したもので、その本懐に争いなど初めから無かったのだ。むしろその逆で、平和を重んじ、人と共に歩もうと寄り添って歩んだ者たちである。
おそらく呪いの類いによって無理矢理戦わされ、傷つけたくない者たちを傷つける羽目になったのだ。
そしてその呪いは一生解けるものではないと推測できた。少なくともジークが使役する立場ならそうしただろう。万が一でも解呪されでもしたら敵の戦力強化に繋がるからだ。それならいっそ殺してしまうか自分たちでも解くことが出来ないような処置を施すのが一番だからだ。
その上で、十二の竜たちの呵責と苦しみを救うとするなら、それは殺害しかない。
それ以外に方法はない。
奥歯を噛みしめ、激情で腸が煮えくりかえる思いだった。大太刀を握りしめ、ジークはアルスマグナが待つ王城へ向う。
あと十体、途方もないほど長い。
しかし、急がねばならない。
ジークの後ろは澄み渡るほど青々した空と天高く大地を照らす太陽が浮かんでいた。
それは六年振りの晴れであった。
氾濫の竜バハムート、討伐。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
断罪まであと10分、私は処刑台の上で「ライブ配信」を開始した〜前世インフルエンサーの悪役令嬢、支持率100%でクズ王子を逆処刑する〜
深渡 ケイ
ファンタジー
断罪まで、あと10分。
処刑台の上で跪く悪役令嬢スカーレットは、笑っていた。
なぜなら彼女は――
前世で“トップインフルエンサー”だったから。
処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。
空に展開された巨大モニターが、全世界同時ライブ配信を開始する。
タイトルは――
『断罪なう』。
王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。
すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、
国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。
そして宣言される、前代未聞のルール。
支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。
処刑台は舞台へ。
断罪はエンタメへ。
悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。
これは、
処刑されるはずだった悪役令嬢が、
“ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。
支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、
それとも――自由か。
バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します
namisan
ファンタジー
バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。
マイルズが10歳となった「洗礼式」の日。
その儀式の最中、領地で謎の疫病が発生したとの凶報が届く。
「呪いだ」「悪霊の仕業だ」と混乱する大人たち。
しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。
「父上、お待ちください。それは呪いではありませぬ。……対処法がわかります」
公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。
前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。
これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。
ずっとヤモリだと思ってた俺の相棒は実は最強の竜らしい
空色蜻蛉
ファンタジー
選ばれし竜の痣(竜紋)を持つ竜騎士が国の威信を掛けて戦う世界。
孤児の少年アサヒは、同じ孤児の仲間を集めて窃盗を繰り返して貧しい生活をしていた。
竜騎士なんて貧民の自分には関係の無いことだと思っていたアサヒに、ある日、転機が訪れる。
火傷の跡だと思っていたものが竜紋で、壁に住んでたヤモリが俺の竜?
いやいや、ないでしょ……。
【お知らせ】2018/2/27 完結しました。
◇空色蜻蛉の作品一覧はhttps://kakuyomu.jp/users/25tonbo/news/1177354054882823862をご覧ください。
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
御家騒動なんて真っ平ごめんです〜捨てられた双子の片割れは平凡な人生を歩みたい〜
伽羅
ファンタジー
【幼少期】
双子の弟に殺された…と思ったら、何故か赤ん坊に生まれ変わっていた。
ここはもしかして異世界か?
だが、そこでも双子だったため、後継者争いを懸念する親に孤児院の前に捨てられてしまう。
ようやく里親が見つかり、平和に暮らせると思っていたが…。
【学院期】
学院に通い出すとそこには双子の片割れのエドワード王子も通っていた。
周りに双子だとバレないように学院生活を送っていたが、何故かエドワード王子の影武者をする事になり…。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?
音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。
役に立たないから出ていけ?
わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます!
さようなら!
5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる