かっこうくんの閑古鳥食堂

よすが爽晴

文字の大きさ
1 / 1
0杯目

隠し味は雨の味

しおりを挟む
「さては、お腹がすいてますね」

 鈴を揺らしたような声は、誰だったのだろう。
 雨音に打ち消されかけたそれは、はっきりと私のところまで聞こえていた。ゆっくりと顔を上げると、エプロンを巻いた青年が傘を私に差し出しながら笑っている。
「雨に濡れて寒いと、暖かいものが恋しいですよね」
 知っている、そんな事わかっている。
 けどそれよりも、なんでこの人は私に、傘なんて。
「なんで、そんな」
「お店の前でなにかが倒れる音がして、それで心配になって外へ出たらあなたが……」
「おみせ、あっ!」
 我に返り目を動かすと、目の前には明かりがともった定食屋さん。私もしかして、この人のお店の前で転んだ?
「すみません、店の前で」
「大丈夫です、お客さんもいないので」
 あっけらかんと笑いながら話す彼は、本当に気にしていないのか傘を持っていない方の手を私に差し出してきた。
「残っていたお味噌汁なら、お出しできます」
 その言葉は、私への慈悲だったのか哀れみだったのか。
 そんな答えがわからない中でも、しっかりと伸ばされた手を握った私がいるのはずいぶんと図々しい話だと後々思えてしまう。さほど力は加えずに立ち上がらせてもらうと、そのまま店の中へと招き入れられる。がらんとした店内は優しい出汁の香りが漂っていて、ついこわばっていた身体から力が抜けていく。
「タオルはこれ、後は飲み物ですね」
「そんな、お構いなく」
「僕が、なにもしないのは嫌なんです。ゆっくりしてください」
 そんな事を言われると、なかなか無碍にする事はできない。
 小さく頷いて近くにあった椅子へ腰をおろす。
 淡い色合いで統一された店内は彼の趣味なのか、居心地はとても良い方だ。遠くから聞こえる音は、厨房で鍋を火にかけているのだろうと思った。私から見て背中を向けている彼を眺めていると、甘い味噌の香りも漂う。
「お待たせしました……ニンニクと生姜、どっちにします? 僕は元気になるニンニクがオススメです」
「お味噌汁に、ニンニク?」
「はい」
 想像した事もなかった組み合わせに、つい首をかしげた。生姜は聞くが、ニンニクはあまり聞かない。あいにくデートする相手もいないなんてどうでもいい事を考えながら、小さく頷く。
「じゃあ、ニンニクで」
「わかりました」
 あらかじめ用意してあったらしく、器に盛られたニンニクがお味噌汁に沈んでいく。ゆらゆら揺れて、溶けて消えていってしまう。その様子を見ていたところに強めの刺激的な香りが私の鼻腔をくすぐって、それだけで人間の食欲を突くにはじゅうぶんすぎた。
 クウと、腹の虫が暴れたのはほとんど同時の話。
「……あ、えっとこれは」
「ふふ、ずいぶん可愛かったですね」
「笑わないでください!」
 恥ずかしい穴があったら入りたい!
 耳まで熱くなっているのを必死に隠しながら、私は置かれていたお味噌汁に手を伸ばす。
 ぐっと、熱いのも忘れて喉に流し込んだ。甘い白味噌仕立てに浮いたお麩やわかめ、下の方には玉ねぎも沈んでいる。早い話が、家庭的。そしてそこに入れられたニンニクが唯一無二の味を生み出していた。
 美味しいと言えばもちろんで、ニンニクは味噌の邪魔をしているわけじゃない。緩やかに、私の中に溶け込むように全部まとめて落ちていく。ゆっくりと、心まで溶かしていくような感覚だった。
「……あたた、かい」
「ちゃんと暖め直したので」
「そうじゃな、違う、んん、違くはないけど」
 もう、感情はぐちゃぐちゃだった。
 仕事でミスをしてしまったのも、友人と仲違いした事も。疲れると大好きなものは見えなくなって、どんどん雪だるまのように丸くなり沈んだ感情は質量を増していく。おぼつかない足取りでしかなかったそれは気づけば知らない小路に私を運んでいて、ぽうと灯った店のあかりにつられた虫のようだ。
 そのはずなのにこの人は、私に優しくする。
 こんな虫のように誘われた私にも、傘をさしてくれた。
 ほろりと、ポロリと一雫。
 落ちてしまえば呆気なくて、それは止まる事を知らない。彼もそれに気づいたのか、あの、と優しく私の背中に手を回してくれる。撫でるような触り方は暖かくて、それすらも涙の理由になってしまいそうだった。
「すみません、なんか涙が」
「……泣くのって、生きてる証なんですよ」
 じっと、彼の瞳と視線がぶつかる。
「泣くのもお味噌汁が美味しいって思えるのも、生きている証です……」
 疲れたなんて、可愛い言葉ではない。
 けれどもしんどいなんて、生きるのもいっぱいかと聞かれるとそこまでではない。言葉にするのは難しい、綱渡りのような精神のライン。
 例えば、少し前に彼氏と別れた事。
 例えば、仕事であるマーケティングで顧客の気持ちが汲み取れなかった事。
 例えば、好きだったはずのご飯の味が思い出せないくらい疲れているのだと自覚した事。
 なにもかもが固まっていたはずの感情は、彼の声で揺らされて溶けていく。
「だからもっと、たくさん泣いてください」
 何年ぶりかの涙は、青年――かっこうくんの前で情けなく流した初めての涙は、今までのどんな涙よりも大粒で暖かいものだった。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

月弥総合病院

御月様(旧名 僕君☽☽‪︎)
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。 また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。 (小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

BL 男達の性事情

蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。 漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。 漁師の仕事は多岐にわたる。 例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。 陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、 多彩だ。 漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。 漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。 養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。 陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。 漁業の種類と言われる仕事がある。 漁師の仕事だ。 仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。 沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。 日本の漁師の多くがこの形態なのだ。 沖合(近海)漁業という仕事もある。 沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。 遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。 内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。 漁師の働き方は、さまざま。 漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。 出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。 休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。 個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。 漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。 専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。 資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。 漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。 食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。 地域との連携も必要である。 沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。 この物語の主人公は極楽翔太。18歳。 翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。 もう一人の主人公は木下英二。28歳。 地元で料理旅館を経営するオーナー。 翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。 この物語の始まりである。 この物語はフィクションです。 この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。

俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。

true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。 それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。 これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。 日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。 彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。 ※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。 ※内部進行完結済みです。毎日連載です。

ヤンデレにデレてみた

果桃しろくろ
恋愛
母が、ヤンデレな義父と再婚した。 もれなく、ヤンデレな義弟がついてきた。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

今日の授業は保健体育

にのみや朱乃
恋愛
(性的描写あり) 僕は家庭教師として、高校三年生のユキの家に行った。 その日はちょうどユキ以外には誰もいなかった。 ユキは勉強したくない、科目を変えようと言う。ユキが提案した科目とは。

処理中です...