灰燼戦記

天緒amao

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花の章

知らない土地のあなた

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 秋空や
 欠けた心に花の降る



 大きく風が吹き上げた。引っ張られてさらさらと草が揺れる。小高い丘の先には海岸が広がっている、からすの国ではあまり見ない地形の場所だ。夕暮れという時間でも無いが、もう少し経てばこの時間帯でももう少し暗いのであろう。
地名はたしかフォルテフィアだったか、ここは良い。潮風混じりの優しい風は、涼しいのに暖かみがあって素敵だ。我が国にはこんな場所はない。あっても、俺が心を休められるような場所など元々ない。…自分を知る者のいない外国とは、何とも心が休まる場所だ。旅行というのは斯様かようなまでに魅力的なものだったのか。
 煙草を一本取り出して、火を………
「誰?」
………つけようとした所で、少し下ったところに座っている女性に気が付いた。たおやかな金色の髪、海のような澄んだ青の瞳、真っ白な肌。都市部でもここまで淡い色の儚げな容姿の人は見かけなかったが、この国の人だろうか?

「あぁ…良かった、貴方、王宮の者ではないですわね?…その妙な服、素敵ですわ。どこで見繕ったものですの?」
 ふわっと立ち上がってこちらに近づいた彼女。
「ど…どこなんでしょう。この国ではないことは確かですが。」
「あら、外国の方?」
 顔を覗き込まれた。その瞳は俺を映して輝いた。またふわりと風が吹いて、仄かに優しい香りが漂った。香水でもつけているのだろうか。帝都にいる時に嗅いだような、きつい香料の匂いではない。柑橘類のような。でも、ライムや檸檬よりも可愛げのある。
「私はシャルルロッテ。シャルルロッテ・リルヘルムと申します」
「リルヘルム……、あなたが王女様ですか」
 言いながら煙草をしまい直した。…シャルルロッテ。資料で目にしたその名は、ロゼリアの王女。もしも俺に敵対するような行動をとれば、……俺が消さなければならないかもしれない。どうか、無知でいて、もしくは、知らないふりを……。

「貴方、もしかしてお父様に雇われてきた人?」
「は……はあ、いえ、異国からに参りました、牡丹と申します。」
 拍子抜けしてしまった。警戒するでも、否定するでもなく……、というより、“お父様に雇われて”……もしかして、城から抜け出してきたとでも言うのだろうか。そんなまさか。そんな不用心なことがあるか?
「まぁ、旅行者の方でしたのね!ぜひゆっくりしていってくだいまし。いつまで滞在なさるご予定ですの?」
「あと、三ヶ月ほど。」
「随分長いですわね。長期休みをロゼリアで?嬉しゅうございますわ!」
 俺が返すと、彼女は嬉々として観光を進めてきた。絶景から、美食から、芸術から土産まで、全てが揃う国なのだという。ロゼリアはその気候や土地柄から観光業が栄えているらしいことなど、様々なことを教えてくれた。…少し、心が痛んだ。

「それで、オーレノルムというのが芸能の街で………あ、…事故があった手前、お勧めはできないかもしれませんわね…」
「…事故?」
 聞き返すと、オーレノルムで爆発事故が起きたのだと言う。今度の建国祭のために用意した花火や火薬類を貯蔵していたところ、何かしらの火気類が持ち込まれ暴発…傷を負った者はいるらしいが、死者は出ていないとのこと。
「…なにか?」
「あ、いえ……五日ほど前まで、その辺りにいたので…」
 何か気付かれていないだろうか。我ながら安い嘘だとは思ったが、彼女は信じたらしい。
「まあ、すんでのところで逃れたのね。貴方が無事で何よりですわ。」
 ほっとしたような表情を浮かべた彼女が輝いて見えたのは、きっと俺が穢らわしいからだと思う。

 …恐らく、決して持ち上げるために言った言葉ではない。世辞と言うより、日常会話の類。心でぼんやりと思っていたのと、疲れていたのが重なって、口から出てしまっただけなのだと思う。彼女を喜ばせようなどとは思っていなかった。だが、口から溢れた。

「…お綺麗ですね。」
「え……あぁ、私ですか?…嬉しいですわ、自分ではそうは思えませんけれど……。」
 王女は少し淋しそうに笑った。俺がなぜかと聞き返すと、また少し淋しそうに微笑みながら返した。
「…この髪も目も肌も、父にも母にも似ていなくて……。体が弱いがゆえ、これまであまり外に出ることもできなくて、肌が青白いのです。髪も、お父様の明るい茶色の髪とも、お母様のワイン色の髪とも似つかず…、……この青い目も、病人のようで…あまり好きではありません。お母様の優しい桃色の瞳が羨ましかったのです。」
 ロゼリアでは知らないが、少なくともからすの国の価値観では、淡い色合いの女性は好まれている。そして彼女の顔立ち、相当美形な部類であろうが、贅沢だと言うのは野暮に思われた。
「貴方は私と真反対で、美しいですわね。健康的な肌、宝石のような赤い瞳、濡羽色の髪……羨ましい限りです。」
 俺を美化しすぎだ。日に焼けた暗い肌、赤い目、くすんで艶のない、ただ黒いだけの髪。この人の理想の外見は、白くはない肌、濃い色の瞳、艶のあってやはり濃い色の髪。そうなのだろう。…俺の目からしても、彼女の理想は贅沢である。親に似たいと言う考えはわからなくもないが、彼女ほどの外見でまだ何かを願うのは、些か狡いようには感じる。

「あなたは他人の良いところを見るのがお上手なだけです。王女の瞳も髪も素敵ですよ。あの海と太陽と同じ色をしている」
 俺は視線を海岸の方へ移す。波の凪いだ静かな水面は、確かに彼女の瞳と同じ色をしていた。そして夏の終わりの高く晴れた空を照らす太陽も、確かに彼女の髪と同じ色をしていた。
 宝石というなら俺よりも王女の方だ。…俺の目は濁っている。汚いものを見続けて、生み出し続けて、見ないふりをし続けた俺の瞳よりも、絶対に彼女の瞳の方が美しい。視線を戻すと、その瞳は陽の光をきらきらと反射していた。宝石には明るくないが、喩えるならばサファイアかそこらだろうか。でももう少し水色や緑に近い色な気がする。
「…嬉しいですが、その…じっと見つめられると、恥ずかしいのですが……」
「あ、す、すみません」
 気づけば彼女の顔は少し紅潮していた。白いその肌が少し熱っぽく見えて、さっきどこかの土産屋で見た陶器人形のような愛らしさを感じた。

「あら…貴方、髪にも赤が…」
 ふと気が付いたらしい。俺が顔を背けたからだろうか。俺から見て右側の髪が一束、こめかみ辺りから赤いのだ。赤いというより、
「これは、染めたわけではなく…色が抜けているんです。私の家系は日に透かすと髪が赤く見えるものが多く、偶然…このような赤に。」
そうだ、色が抜けているだけ。くろがね家は赤毛の一族で、何代も途切れることなく赤っぽい黒の髪の者が多い。姉も、三人の弟のうち二人もみな赤み掛かった黒。
 俺の髪は一束だけ色が抜けている。一応と医者にも行ったが、ストレスであろうとのこと。生きていくのに何ら問題はないらしい。ただ、色が抜けてからは珍しいからかさらに街で騒がれるようになった。面倒ではある。
「素敵ですわ。」
「…いえ、どうでしょう。…我が国は夜の方が長いので。」
「それなら、この国にいる間は、貴方の髪がさらに綺麗に赤く見えるのね。もっと素敵ですわ。ここは世界一昼の長い国ですもの。」
 また髪が水面のように躍った。夕日の光を受けて輝いている。それが何故か、さらにこの景色を魅力的に見せているような気がしてならなかった。

 ざあっと風が吹き抜けた。
「そういえば、何故ここ…フォルテフィアへ?栄えている都市なら他にいくらでもあるでしょうに。」
 彼女は不思議そうに首を傾げた。俺が観光で来たのだと思っているからだろう。
「長閑で静かな、落ち着いた場所に来たかったんです。…旅行というのは何も、市街地ばかりが目当てではないのですよ。」
勿論建前だが、俺がこの場所を気に入ったのは本当のことだ。自分を知る人がいない所というのは、どんな場所にいるよりも心が休まる。その上、この絶景だ。気持ちを鎮めるのにはとても良い。
「そうでしたのね、ならここを選んで正解ですわ。」
 王女が立ち上がり、数歩前に出る。
「見てください、向こうです。海岸の方。」
 彼女は遠く、少しずつ沈みゆく太陽を見ていた。それは、からすの国で見るような、燃え盛るような真っ赤な夕日ではなく、優しくどこまでも広がっていくかのような、暖かな黄色い夕日だった。

 …自然に、滲み出るように、綺麗と口から言葉が出た。振り返って満足そうに笑った彼女の顔が思ったよりも近く、また彼女は赤面した。

 少ししか喋っていないが、分かったこと。
 …彼女は純粋、いや、純真無垢そのものだ。きっと一欠片の醜さも持っていないのだろう。その彼女が羨ましい。輝いている。俺が持ち得ないものを全部持っている。彼女が、羨ましい。
 ふと脳に走ったノイズだったのであろうが、俺はこの考えに取り憑かれてしまった。…『その彼女に善人として知って貰えば、彼女の中だけでも俺は、普通の人間になれるのではないか。』
 …なんて下卑た考えなのだろう。彼女と違うのはそういう所だというのに、何故気が付いても辞められないのか。
「また、お会いしたいです。なりませんか」
「いいえ、勿論ですわ。私もお話をするのは大好きですの!」
 嬉しそうに微笑んだ彼女。
「…来週も、もう少し早い時間からここへ来ます。…シャルルロッテ王女にお時間がございましたら、来て頂けると嬉しいです。」
「ええ。…私の名前、長くて呼びにくいでしょう?シャルでいいんですのよ。またお会いできるかはさておき、貴方の記憶にお邪魔させて頂けること…嬉しく思いますわ。」
 彼女は両手を広げ、体をふわりと沈めて礼をした。これが、ロゼリア王国流の挨拶なのだろうか。
「……詩的な方だ。」
「…変だったかしら?」
 彼女が右手で髪を耳にかける。また優しい香りが舞った。
「いいえ、素敵です。」
 俺たちはくすっと少しだけ笑い合って、それから解散した。



 俺が向かうのは、ロゼリア王国の王都とは逆方面……隣の国、ベルタ王国だ。中に入ろうと関所を目指す。と、外周を警備していたベルタの兵士の一人が馬を貸してくれた。ここからでは少し歩くらしい。
 馬に乗る前に、真っ白な軍服の上を脱ぎ、抱える。万が一にもロゼリアの民に見られては最悪だ。
 それから暫く馬を歩かせていると、門が見えてきた。ベルタ側が運営している関所だ。大きい門の代わりに、ひと一人が通れるくらいの小さめの門で通された。馬はそこで預かってもらえるらしい。

 …憂鬱だ。これから俺は、『くろがね牡丹ぼたん大尉たいい』に戻らなければならない。




 建築に於いて、木という素材は暖かみを感じさせるものらしい。
 ここは違う。壁や柱が木で造られているというのに、どこまでも冷たい。無機質。何故こんなにもわびしいのだろうと、不思議に思うくらいにだ。
 廊下を歩けば、たまにギイと音が鳴る。それは嫌いではない。

 二階分階段を登って突き当たりを右に、そしてそれからさらに突き当たりまで歩き、その扉を開く。するとそこが会議場だ。普段はあまり使うことはないが、今回は報告会とこれからの方針についての会議を兼ねるのでこの部屋を使うらしい。
 にしても、本当にあの場所を使う必要はあるのだろうか。こちら側…西方制圧部せいほうせいあつぶには、あまり発言力のある将校はいない。楓…藍染少佐と、俺と、あとは誰だろう。今回も形だけの薄っぺらい会議になるのだろうな。退屈だ。俺でなくてもいいのに。誰か、俺より昇進してはくれないか。
 そんなことを考えていると、まず自分の部屋についた。上着を着直し、刀をげる。特に新しく持っていくものはないだろう。部屋を出てもう一階分階段を登る。
 彼女は、本当に綺麗な方だったな。何にも穢されていない、真っ新なキャンバスのような。…もし俺が穢してしまったらどうしよう。何も知らない彼女を、踏み躙るようなことをしてしまったら………。

 来週もまただなんて口走ってしまったが、彼女は本当に来てくれるのだろうか。彼女がもし、何も知らないふりをしているだけだったら。俺は『裏切られた』と悲しむのだろうか。先に騙そうとしたのは俺の方なのにか。…彼女と、また会ってみたい。この気持ちまで嘘にされると思うと、少しだけ淋しかった。

「…シャルルロッテ王女、か。」
「なに?今なんてった?」
 軽快な声に少し驚く。気づけば俺は会議場の中に着いていた。
「鐵牡丹、ただいま帰還致しました。」
 慌てて敬礼をする。
「おかえり、牡丹。」
 言いながら俺の肩を抱いたのは、明るい茶色で短めの癖毛をした、四角い縁の眼鏡の俺より背の高い男。藍染あいぜんかえで。俺の幼馴染であり、上官でもある。
「藍染少佐、せめてくろがね大尉とお呼びください。…一回本気で上にシメられた方がいいぞ、お前…」
 (他に誰もいないにしても)公衆の面前では馴れ馴れしくするなと再三言い聞かせているというのに、なぜコイツはいつまで経ってもこんな為体ていたらくなのだろう。
「酷ぇ~、幼馴染なのにぃ、仲良しなのにぃ。」
 肩を組まれたままぐらぐらと揺すられる。無理やり剥がそうとしてみるも、楓の方が力が強くそれも叶わない。楓は将校の中で一番の自由人だ。しかしそれでも、西方制圧部では一番強い。上に立つ者としての自覚やら責任やらは一切感じていないようだが、下手に実力があるので上も無碍にできないのであろう。
西方制圧部こっちには弱い奴しか来ないしさあ……これから戦争だってのに、ほーんと馬鹿だよなぁお上さんがたは。」
「…その発言は庇えないから辞めろ」

「ほう、そうか。その命、余程軽いものと見える。このすめらぎ合歓ねむが貰い受けても良いのだぞ」
 驚いて振り向くと、天野春・天野姫の二人を引き連れた皇大佐がそこにいた。その佇まいと異国の血を思わせる薄氷のような風貌は、美しさと恐怖を感じさせる。
 俗に皇一派と呼ばれる、圧倒的な強さと美しさを重んじる将校達。俺はそれが大の苦手だ。からすの国の美徳そのもののような皇一派の軍人達とは価値観が合わない。自らを心の底から正義と信じている。眩しくて愚かしい。…苦手だ。…ところで、何故ここにいるのだろう。皇大佐は本部にいるはずなのだが。
「何故ここに。私共は本部にいると聞いておりましたので、歓迎の用意は何も…」
 なあ、という意味を込めて楓の方を向くと、楓はうんうんと頷いていた。
「今回は要らん。…それよりも、私のことは合歓様と呼べと言っただろう。皇よりも合歓の方が美しい。」
「そうは言われましてもぉ…合歓様とかなんかヤだし…」
「どうされたのですか。あなたが本部からわざわざ来るということは、何か通達があるのでしょう。」
「勘が良いな。」
 俺が言ったところで、皇大佐はふっと笑った。

「今回のローゼンテ侵攻だが、開戦時期を早めろとのお達しだ。」
 ローゼンテ。そこは、ロゼリア王国の王都。
 今回俺たちがベルタ王国の駐屯所に移籍されたのは、ロゼリア王国占領のためだ。こちらに有利な貿易をさせるためだか、土地を得るためだか、植民地化するためだか…理由は忘れた。考えたって無駄なことだ。話し合いに応じなかったため、武力行使で言うことを聞かせるとのこと。まったく、野蛮がすぎる。この国が(形だけの、だが)世界連盟に名を連ねることができているのは、もはや奇跡だとも言えよう。
「…正気ですか。」
「あり得ない!そもそも相手国の隣こんなところに極秘で基地作るなんてのも前代未聞だってのに……まぁた開戦時期を早めろだって?ほんっと、何考えてんだ上層部は…」
 そうだ、端的に言って有り得ない。そもそも、オーレノルム占領だって時期を早めに早めてこの間終わったばかりだというのに、王都の侵攻も早めろと言うのか。
「文句や反抗は美しくないな。私に聞かれて良いのか?それは。」
 大佐が控えめに楓を制した。
「…にしても、正気の沙汰とは思えません。我々は夜間を想定した戦闘訓練を受けています。夜の短いこの国では戦いにくいというのもありますし、その上開戦を早めろとは。軍人を大勢死なせたいとしか思えませんね。」
 楓の意見は真っ当だ。珍しく共感できる。…が、それを大佐の前でそのまま言う奴がいるか。
「…言いたいことは分かる。今回は私も疑問に思うところは多々あった。…が、『ベルタに極秘の軍事施設を建てたことが公になったらどうする?』…おおかた上は、そんなことを心配しているのだろうよ。」
「…具体的な開戦予定日は、いつ頃になるんです。」
 俺がそう言った所で、楓も観念したのか渋々話を聞く姿勢をとった。ピシッと立て、皇大佐の前だぞ、と言うのは憚られた。
「三ヶ月と二週間後。11月の24日あたりだ。」
 …三ヶ月と二週間。一見それは長く聞こえるかもしれないが、きっと信じられないほど短いのだろう。そして問題は、その間ロゼリアの民達と少なからず喋ることがあるという懸念だ。駐屯所はベルタにあるが、そこは信じられないほどの田舎で、買い物に出かけるならロゼリアのユースレピアの方が近い。さらに、将校クラスは『事前調査』という名目でローゼンテに出向かなければならない。全てが憂鬱でしかたがない。はぁ、と小さく溜息を吐く。
「まあ、そんなに顔を歪めるものじゃない。美しくないぞ。」
 どうせ醜い俺のことだ。構ってもらう必要もない。
「良いことを教えてやろう。おい」
 大佐が呼びかけると、後ろに控えていた天野少尉達が隣の部屋に繋がる扉に近寄っていった。誰か呼んでいるのか?誰を。姉か弟達の誰かか?そんなことを考えているうちに通されたのは、許婚のあおいだった。

「何故連れてきた!」
 俺が噛み付くと、すかさず春少尉が返した。
「合歓様の気遣いです。戦場でストレスが溜まるだろうからと。」
 ストレスが溜まるだろうからと、他人の許婚を勝手に連れてくるだと?…ふざけている。彼女が危険に晒される不安の方がストレスに決まっているのに。
「軍人の許婚が万が一敵国にでも捕まってみろ、拷問・人質・捕虜、何をされるか分からないだろうが!!」
「覚悟の上でございます。…皇様から話はお聞き致しました。」
 柔らかながらも覚悟の籠った声だった。それに少し気圧されて、俺は根負けしてしまった。

 皇大佐が出て行った。俺は今までベッドが二つある部屋を一人で使っていたが、今日からは向かい側のベッドも埋まるらしい。次いで、俺には何も無しかよと毒付きながら楓も出て行った。
 彼女は、月島つきしまあおい。一応、俺の許婚だ。と言っても、俺たちは仮初の許婚で、信頼しあってはいるが愛し合ってはいない。ただ、お互いの利益のために共にいる。そういう関係だ。彼女はとても頭が良く、他人に恋をしたことがないのだと言う。それなのに、自分を下げてでも俺を立ててくれる。楓に言い寄られているらしいが(許婚だと言っているのに、アイツ馬鹿なのか?)、一切断っているらしい。
 容姿端麗、才色兼備、女性を賛辞するような言葉を全て着こなすことができる。一言で言えば、完璧な女性というのが似合うだろう。とにかく、そんな女性だ。
「何も、無理して来なくても。私達は許婚ということにはなっていますが…、あなたが私に尽くす必要はないと決めたでしょう?」
 慌てて葵に駆け寄る。
「…いえ、そこに愛がなくとも、仮にも同居人ですので。多方面への許諾に思いの外時間をとってしまいましたが………改めて、牡丹さまのサポートは葵のお仕事でございます」
 にこ、と笑った彼女。迷惑をかけっぱなしで申し訳なかったが、ここまで来てもらった以上頼らせて貰うしかない。
「そうですか。何か辛いことがあったらすぐに言ってください、私も同居人として、あなたに無理を強いるつもりはない」
 俺がそう言って笑うと、彼女もまた笑い返した。

 さて、俺はこれから、ユースタフル占領の計画を考えなければならない。…ああ、戦に一切の関係のない、善人になりたい。
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