果てなき牙は血に溺れる

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焔の回想

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 炎が世界を覆っていた。

 赤く、熱く、容赦なく。まるで生きているかのように、貪欲に地平を喰らい尽くす。

 柱が焼け落ち、壁は崩れ、天井から火の粉が降り注ぐ。炎は祈りの言葉を呑み込み、神の偶像を溶かし、千年の祈りを灰に変えていく。人々の逃げ惑う足音が崩壊する建造物と共に鳴り渡った。

 だが、【私】は動かない。動けない。

 何故なら――この炎は、私自身だから。

 私の怒りが、炎になった。
 絶望は渦となり、愛すら燃え上がった。

「ヴァルナ……!」

 誰かが、私の名を呼んだ。
 もう誰にも呼ばれることがない真名を。
 今は失われた、神としての名を。 

 瓦礫が割れ、その音に合わせ、一歩また一歩、重い足を引き摺って近づいてくる。
 彼の声に惹かれるように、ゆらりと振り向いた瞬間、空が裂けるような音と共に、青白い稲光が炎を貫く。

 裁きの雷。兄神リュゼルの、怒りの証。

 猛火の向こうに一人の男が立っていた。
 濡羽色の髪。鋭い眼光。彫りの深い、厳しい顔立ち。そして、手には稲妻と同様に青白く輝く一筋の槍。

「ルヴィアンの子よ……」

 私は繰り返される時の中で、呼び慣れてしまった男の名を口にした。
 代々、雷神の血を継ぎ、私を討つために生まれてきた、救世の一族。
「……これで、何度目になる」
 男――ルヴィアンの当主は、静かに問うた。その声に怒りはなく淡々と言葉を並べる。
 男は哀れな獣でも見るように静かに目を細めた。
「数えることなど、とうにやめた」
 思い巡らせても、脳裏に浮かぶものは全て凄惨な最期ばかり。皆、私を憎悪し、躊躇いもなく私を穿つ。
 遠い昔こそ、人の身に堕とされた苦しみ故に、己の意志で国ごと焼き払ったこともあったが、今はもう違う。
 繰り返される「人間」としての命と身に宿る「炎神」の本能。我が身を害する痴れ者は一片たりとも残さず灰にせしめんと掌から焔が立ちのぼる。
 その一方で矮小な身体は震え、掌から赤黒い火が吹き出すたびに喉の奥が鋭く疼き、生命力を求めて人間の血を欲す。先ほど潤した喉は早くも渇き、糧となる新たな贄を求めていた。
「ならば」
 男が槍を構える。ゆっくりと呼吸を整え、その双眸は寸分も揺らぐことなく私を見据えた。その眼差しは赦しのように痛く突き刺さる。
 
「此度の生で終わらせてやる」

 男の低い声が炎の轟音を貫いて届いた。
 雷光が槍の穂先に集い始め、まるで雷神の意志そのものが宿ったかのように輝き始めた。雷光は渦を巻きながら収束していき、やがて槍の切っ先に凝縮した。その光は周囲の炎すら飲み込むほどに眩く、見つめていると目が焼けそうなほどだった。
 
 あぁ、今度こそ終わらせてもらえる。
 静かに目を閉じると、瞼の裏に焼き付いた紅蓮の獣が咆哮を轟かせる。いや、この獣に焼かれる世界が悲鳴を上げているのだろうか。
 焼けるような熱が肌を舐めまわしても、不思議と痛みは感じられない。己が「人間」ではないことを証明するように、炎が全身を駆け巡る。
 全てが燃え崩れていく中で、私の心だけが凪いでいた。
 
「父上!」

 突如、まだ幼さを残した声が響いた。
 目を開くと、炎の向こうから小さな人影が飛び込んでくるのが見えた。視界が揺らめくなか、その姿が徐々に鮮明になっていく。短く刈り込まれた黒い髪、額に汗が張り付き、顔立ちは目前の男――ルヴィアンの当主に似て、彫りが深く鼻筋が通った顔をしていた。頬に幼さが残り、唇は引き結ばれ顎は震えている。
「父上、お待ちください!」
 少年騎士は槍を構える男の前に立ち塞がった。背丈は男の胸ほどしかないが、震えながらも真っ直ぐに男を見据えていた。
「退け、テオドア」
 男が冷たく言い放つ。 
「これは我が一族の宿命だ。お前に背負わせるわけにはいかん」
 宿命――何代にも渡り、受け継がれる終わりなき殺戮。
 仮初の安寧を得る為だけに、ヴォロスという悪鬼を屠ることを強いられてきた咎を背負う一族。
「しかし、父上!」
 テオドアと呼ばれた少年騎士は男に食い下がる。
「復活するかもしれないのに、どうして父上が――」
 
 その瞬間、私の内から迫り上がる炎が爆ぜた。
 
 炎神としての本能が「死」を感知し、全力で抵抗し始めた。声にならない声が喉から漏れ、周囲から赤黒い炎が龍のように渦を巻いて噴き出す。私の意志に反して全てを呑み込もうと少年騎士を襲いかかった。
 
「テオドア!」

 男が少年を――我が子を突き飛ばした。

 一人の父親となった男は構えていた槍を放り出して息子に向かって駆け寄ると、息子の身体を逞しい両腕で掴んで力任せに炎の外へと突き飛ばした。息子の体は宙を舞い、炎の壁を越え、崩れかけた壁の向こうへ転がり、鈍い音を立てる。

 父を思う息子の声が聞こえたが、もう時すでに遅く、ルヴィアンの当主は炎の中に取り残された。彼は素早く身を翻して放り出した槍を掴み直し、躊躇うことなく槍を擲つ。紫電を纏った槍が炎の壁を裂いて飛来し、青白い光の軌跡が赤黒い炎を切り裂いた。雷神の裁きの如く、槍の穂先が私の胸を貫いた。
 心臓を貫かれる痛みだけではなく、槍に宿る雷神の力が私の内側で暴れる。身体の内側から肉が焦げ、血が沸騰し、全てが灰になろうとしている。同時に死の冷たさが四肢から忍び寄り、命が砂時計の砂のように流れ出しているようだった。もはや感覚が崩壊し、痛いのか熱いのか冷たいのかも分からず、視界の何もかもが色を失っていき、全てが黒く染まった。程なくして、肉体が霧散し全身がただの炎に還っていく。その最中、聞き慣れた低く暖かい声が耳に響いた。

「……すまない。お前を終わらせてやれなかった」

 その言葉の意味をすぐに理解した。
 彼は知っている。この殺し方では私は終われず、数年後はたまた数十年後に再びヴォロスは生まれ、どこかで誰かの体を借りてこの悲劇を繰り返すことを。その終わらせ方を知りながらも、【私】でいられる時間が先に尽きてしまったが故に、息子を守るため分が悪い賭けに出たのだ。

 父を想う引き裂かれた叫び声が遠くから聞こえる。少年の喉から絞り出された悲痛な叫び。

 いつか、あの少年に殺される予感と共に私の意識は闇に沈んだ。
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