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カナ

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 私が風音さんと出会ったのは、今から五年前。魔物がいないか森の中を巡回中に、魔物に襲われているところを偶然発見した。
 
 当時の風音さんは、今よりも幼くて、可愛らしい顔をしていた。

「まあ私としては、今の大人っぽくなった風音さんの顔立ちの方が好みなんですけどね」

 私が風音さんと初めて会ったとき、私は彼の事をあまり心地よく思っていなかった。

 何せ彼は魔物から命を助けてあげたにも関わらず、いきなり私に殴りかかってきたのだ。

「あの時は、流石におどきましたよ……」

 いくら何でも命を助けてくれた人間を襲うなんて、明らかに常識の範疇を超えている。

 しかも彼の動きは明らかに素人同然で、よけるのは造作もなく、反撃もまた容易かった。

「とは言っても反撃は、しなかったのだけれどね」

 相手がおかしなことをしている自覚は、あるし、普段の私なら容赦なく、風音さんの事をぼこぼこにしていただろう。

 そうしなかったのは、彼の瞳が原因だ。

 彼の瞳には、底知れぬ怒りとそれと同じくらいの哀しみが、感じ取れたのだ。

 私は、今までその様な瞳を見た事は無く、そんな彼の瞳に魅入られ、私の認識はすぐさま改められた。

 勿論ここでいう魅入られたは、惚れたとかそういうのではなく、興味的な意味合いでだが、今思えばあの瞳魅入られていなければ、私が風音さんに惚れることもなかったのかもしれない。

 閑話休題。そこから私は、彼に何があったのか尋ね続けたが彼からの回答は、それはもう酷く冷たい物で、ひっきりなしに私の事を罵倒してきた。

 その事に腹が立たなかったと言えば嘘になるが、それよりも私は、彼の瞳の奥にある悲しさの原因を知りたかった。

 そんな折だった。が現れたのは……

ーー風音君

 彼女ののたったその一言で、あれほど暴れ狂っていた風音さんの動きが止まった。

 私は、その余りの変わり身の早さに度肝を抜かれたが、それよりも驚いたのは、風音さんの瞳の奥で燻っていた怒りの炎がなりを潜め、跡形も消え、その瞳にあるのは、困惑と心配の色が浮かびあがっていた。

 今でこそそれが彼が、少女の事を愛していらからこそそうしたのだとわかるが、当時の私には、全く理解できなかった。

 私は昔から人の持つ愛情、人が人を好きになるという感情に非常に疎く、自分がモテているという自覚が全くなかった。

「私がエルフで、人を好きになったことがないのも原因だろうが、それにしたって酷いよね……」

 エルフは、一生に一度しか恋をしないが、それはそれだけその気持ちを重要にしているということで、愛がどういうもので、どれほど尊い物なのか親から散々言い聞かされてきた。

「そうであるはずなのに、どうしてあそこまで鈍くなるかなぁ……」

 自分のことながら恥ずかしいし、詩音さんをもう少し見習うべきだと思う。

 詩音さんは、私のこれまで見てきた人の中で最も愛情深く、優しい人だ。

 彼女は、本当に誰に対しても優しくて、それでいて本気で相手の事を考えており、人の感情にとてもよく気が付く人で、それでいてシャイな物だから男性からの人気は、すごかった。

 まがい物の優しさを振りまいていては、相手を傷つけ続ける私とは、大違いで、そんな優しさを持つ彼女にも私は、興味をひかれ、私は二人の面倒を見てあげることにし、それは今も尚続いている。

 その過程で気が付いたのが、詩音さんは、風音さんの事を病的に愛していて、それを数値にしようものならば明らかに振り切れており、それは風音さんも同様。

 二人は会話がなくとも、目を見るだけで気持ちを通じ合っていた。

「風音さんと詩音さんって本当にお似合いですよね……」

 本当に二人はお似合いで、互いが互いの事を本当に思いあっている。私は、彼らと一緒にいるうちに彼らが、真に互いが、互いの事を思いあっているのを見せられてきた。

 初めは、そんな思い合い、通じ合っている二人に嫉妬し、羨み、私もそうなりたいと思い、二人に対して私を知ってもらおうと必死にアピールしたものだ。

「でも私のそんな思いは、全く通じなかった」

 いつまで経っても二人の信頼関係に追いつけるビジョンが見えなかった。

 それほどにまで二人は特別で、信じあっていて、私を孤独にさせた。

 まるで自分一人が、仲間じゃないそんな疎外感を私は、常日頃感じるようになっていた。

 詩音さんは、そんな私に気が付いていたようだが、何も声をかけてはくれなかった。

 声をかけてくれたのは、風音さんだった。初めこそ私を襲ってきた風音さんだが、この頃にはかなり丸くなっており、あの時の事を深く後悔している様子だった。

 彼は、その後悔の念からなのか私の事をずっと気にかけてくれていた。

 体調は悪くないかだとか、何か手伝うことはあるかとか、そんな言葉をいつもかけてくれた。

 私の体調の変化にも敏感で、風邪を引いた時は、私の事を不器用ながらも一生懸命看病してくれた。

 その度合いは、詩音さんへ向けるものよりは、劣っているもののそれでもとても深かった。

 それがいけなかった。私の心は、その頃には既に風音さんに惹かれつつあって、詩音さんはそれに私よりも早く気が付いていたのだ。

 詩音さんは、そこから露骨に私と距離を取るようになった。私としてはその事を悲しく思ったが、彼女の気持ちを考えれば当然のことだった。

 何せ好きな男が自分以外の女性の為に、動いているのだ。それを心地よく思うわけがない。

 それに彼女は、この頃既に妊娠しており、心の状態もいつにもまして不安定だった。

 日に日に大きくなっていく詩音さんのお腹、それを見て幸せそうな顔を浮かべる風音さんの表情に私の胸は、締め付けられ、気分が悪くなって、悲しくなった。

 その時私は初めて自分が、恋に落ちているのだと知った。

 大事な物は、失って初めて気が付くという言葉があるが、その言葉は、全く持ってその通りで、私は、この時になってようやく自身の気持ちに気が付いた。

 私は、彼と生活を共にしていく過程で、彼の献身に、努力に、そして一途さに心が惹かれた。

 彼は、本当に何時も一生懸命で、私に下げたくもない頭を下げて教えを乞うて、仕事も探して、友人も作って、次第に成長していった。

 その成長過程を隣でまざまざと見せられて、魅せられて、私の心は、彼によって完全に陥落させられた。

 私がその気持ちに築いたのは、皮肉にも彼と知り合って一年後のこと。気が付いた時には、既に時遅く、二人は結婚して、子供もいて、私の心は、醜く荒んでいった。

 一人の時間は、どうやれば彼の心を奪えるか考え、その過程で詩音さんを亡き者にしようかとも考えた。

 でもできなかった。その様な事をすれば風音さんが哀しむことを知っていたから。

 彼の哀しむ顔は、見たくない。でも自分の気持ちを抑えることもできなくて、いつ自身が暴走してしまうのか、気が気でなかった。

 だからあれから私は、詩音さんに会いに行くことを止め、彼と一歩引いた距離で接するようにしていた。

 それでもたまに私の中の欲望が出てきて、体を勝手に使って、そのたびに風音さんに迷惑をかけ、風音さんは、次第に私に冷たい対応をするようになった。

 それが悲しくなかったかと言えば悲しいが、それと同時に心の奥底で私の事を意識して、そうしてくれているのだと思うと嬉して、そんな思考しかできない自分の事を堪らなく哀れで、狭小で、弱い存在だと思い知らされた。

「私は、多分壊れているのだろう」

 愛に狂い、壊れていく同胞を私は、よく知っている。

 初めはそんな彼らの事を心の中で、馬鹿にしていたが、今となっては愛に狂う彼らの気持ちが、よく分かるし、この衝動に身を任せてもいいと思っている。

「本当に風音さんはずるい……」

 あのような言葉を言われてしまっては、ますます私の心は、風音さんを求めてしまうではないか。

 現に私の心臓は、先程からずっと鼓動がやまず、胸の奥がときめきっぱなしだ。

「それにしてもあの風音さんが、あんな事言ってくれるとは、思いませんでしたよ」

 あの時の真剣な表情の風音さんを思い出すだけで、私の頬が緩み、体が熱い。

「風音さん。貴方は私が守ります。に……ね」
 
 ここにはいない彼の事を思いながら私は、そう静かにつぶやき、明日の作戦なんとしてでも風音さんを守り、成功させると私は、固く誓った。 
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