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第一章 アーウェン幼少期
少年は謝罪を受ける ②
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いつもならロフェナかカラが義父の部屋へ連れて行ってくれるのだが、今日は領地へ一緒に帰る警護兵のひとりが案内してくれることになった。
ついいつもの癖でアーウェンがおずおずと先に進もうとしていた警護兵の左手に触れると、驚いた顔で見下ろされ、ついではち切れんばかりの笑顔になって、ぎゅっと力強く握り返してくれる。
「うわぁ…俺、第三部隊の第二班、サミュス・ロイフォンって言います!どうぞ『サミュ』って呼んで下さい!いやぁ…嬉しいなぁ。そっかぁ……アーウェン様のご案内役になると、こうやって手を繋いでいいんですね!」
「あ……はい……あの……」
「はい?」
かなりご機嫌な感じでスキップでもし始めそうな勢いの警護兵──サミュに向かって、アーウェンが問いかけた。
「……ほ、本当は、こうやって手を握っちゃ……いけないの……?」
「あっはっはっ!」
サミュは躊躇うアーウェンの顔を見ることなく、豪快に笑う。
「そんなぁ!アーウェン様とこうやって手を繋げるなんて、部下としてとっても光栄ですよ!王都にいたら、絶対副大隊長が率先してアーウェン様を抱っこしにいっちまいますからね。これは『役得』ってやつですよ!」
「やく……と、く……?」
「『良い目を見る』ってことです。はい、もう着いちましたね。伯爵邸ならもっと廊下が長いのに……」
そう言うと優しく手を放し、サミュは目の前の扉を開いて部屋へ入るようにと促す。
「……サミュ…は、一緒に来ないの?」
「はい。さすがに執事さんのようにこん中までは行けません。大丈夫ですよ、ほら、大隊長もロフェナさんもいらっしゃるでしょう?」
言われて室内に顔を向けると、ターランド伯爵邸にあるのよりは幾分見劣りがするものの、重厚なソファとテーブルが置かれ、窓を背にして扉の方を向く位置には義父が、そしてその背後にはロフェナが立っている。
そして丸めた大きな背中は──
「ああ、来たね。入りなさい、アーウェン」
「は、はい…父様……」
その声にビクッと背中の主は肩を震わせたが、こちらを振り返らない。
「まったく………」
呆れたようにターランド伯爵が溜め息をつくと、また大きな肩が揺れたが、やはり顔を上げない。
アーウェンが恐る恐るもう一歩部屋の中に進むと、静かに扉が閉まって、サミュの代わりにロフェナがアーウェンを義父の傍へと導いてくれる。
それが昨日の夜会ったログラスおじさんだと何となくわかっていたが、どうしてこうもわかりやすく落ち込んでいるのかがわからない。
「さあ、お客様にご挨拶しなさい」
「あ…はい。えぇと……」
アーウェンが男爵家にいた頃は通いの家政婦以外には『他人』に会ったことがなく、家人であれ彼女であれ、アーウェンに『挨拶』をしてくれる人なぞひとりもいなかった。
『ふん、いたのか』
『ああ、アーウェン、僕にお茶と…いつもの物をお盆に乗せて、部屋まで持ってきて』
『ア…アーウェン……おは……い、いえ、何でもないわ……』
『まぁ、邪魔だねぇ!そんなとこにボッとしてないで、旦那様と奥様と坊ちゃまの汚れもんを洗いな!シミひとつ残ってたら晩のスープはただのお湯にしてやるからね?さあ、働きな!』
それぞれがそう言って朝から晩まで何かしら用事を言い付けた。
誰もアーウェンに『おはよう』も『こんにちは』も『こんばんは』も『ごきげんよう』も言わなかったし、それよりも各々『大事なこと』を優先して、アーウェンはたまたま目に入ったというぐあいにしか扱ってもらえなかった。
もちろんそれが異常だったと、今でもアーウェンはあまり思っていない。
逆にターランド伯爵邸で過ごす毎日で、邸にいる皆が『こんにちは!お元気ですか?アーウェン様』とニコニコ笑いながら話しかけてくれる方が、アーウェンにとっては違和感を覚えてしまうぐらいである。
さすがにロフェナやカラは毎朝毎晩の挨拶をしてくれるし、そう挨拶するものだと教えてくれたから『そうしているだけ』だが、どうしてログラスおじさんにもあいさつしなければいけないのかと戸惑っていた。
「え…ぇと……あ!あの……お、おはようございます!ログナスおじさん!」
「………え?」
「え?」
『よくいらっしゃいました』とか『ごきげんよう』とか、もしくは『ターランド伯爵子息アーウェンです』という挨拶を聞くはずだと思っていたログナスはキョトンとした顔をアーウェンに向け、『朝に会ったから』という理由で教えられたとおりに挨拶したはずなのに違う反応をされたアーウェンもキョトンとその髭クマの顔を見つめる。
「………ック…ブッ……ブアーッハッハッハッハッハァ!」
堪えきれずラウドが大笑いすると、アーウェンとログナスは身体の大小があれど、ふたりは苦しそうに腹を抱えるターランド伯爵を呆然と眺めた。
しかもその後ろに戻ったロフェナも顔を背け、細かく肩を震わせている。
「あ……あの……隊長、殿……?」
「とう…さま…?……ロ、ロフェナも……あの……ぼ、く……ま、まちがえ……」
何か恥ずかしいことをしてしまったのかと、アーウェンが思わず涙ぐみ始めると、慌ててラウドは抱き締めて慰める。
初めてラウドの執務室でケーキを口にした時に目を輝かせた時から、本当は情緒の豊かな子だと思っていたが、本当に赤ん坊のようによく泣く子だとアーウェンの頭を撫でながらそう思った。
いや──本当はこうやって泣くのが赤ん坊にとって必要な感情の発露だったというのに、それを奪ったサウラス男爵家の者たちに怒りを持つ。
ラウドはじわじわと涙を溜めるアーウェンを疎ましくは思わず、逆に嫡男であるリグレに構ってやれなかった後悔を、こうしてやり直す機会を嬉しく思って、子供らしいその艶やかな髪を撫で続けた。
ついいつもの癖でアーウェンがおずおずと先に進もうとしていた警護兵の左手に触れると、驚いた顔で見下ろされ、ついではち切れんばかりの笑顔になって、ぎゅっと力強く握り返してくれる。
「うわぁ…俺、第三部隊の第二班、サミュス・ロイフォンって言います!どうぞ『サミュ』って呼んで下さい!いやぁ…嬉しいなぁ。そっかぁ……アーウェン様のご案内役になると、こうやって手を繋いでいいんですね!」
「あ……はい……あの……」
「はい?」
かなりご機嫌な感じでスキップでもし始めそうな勢いの警護兵──サミュに向かって、アーウェンが問いかけた。
「……ほ、本当は、こうやって手を握っちゃ……いけないの……?」
「あっはっはっ!」
サミュは躊躇うアーウェンの顔を見ることなく、豪快に笑う。
「そんなぁ!アーウェン様とこうやって手を繋げるなんて、部下としてとっても光栄ですよ!王都にいたら、絶対副大隊長が率先してアーウェン様を抱っこしにいっちまいますからね。これは『役得』ってやつですよ!」
「やく……と、く……?」
「『良い目を見る』ってことです。はい、もう着いちましたね。伯爵邸ならもっと廊下が長いのに……」
そう言うと優しく手を放し、サミュは目の前の扉を開いて部屋へ入るようにと促す。
「……サミュ…は、一緒に来ないの?」
「はい。さすがに執事さんのようにこん中までは行けません。大丈夫ですよ、ほら、大隊長もロフェナさんもいらっしゃるでしょう?」
言われて室内に顔を向けると、ターランド伯爵邸にあるのよりは幾分見劣りがするものの、重厚なソファとテーブルが置かれ、窓を背にして扉の方を向く位置には義父が、そしてその背後にはロフェナが立っている。
そして丸めた大きな背中は──
「ああ、来たね。入りなさい、アーウェン」
「は、はい…父様……」
その声にビクッと背中の主は肩を震わせたが、こちらを振り返らない。
「まったく………」
呆れたようにターランド伯爵が溜め息をつくと、また大きな肩が揺れたが、やはり顔を上げない。
アーウェンが恐る恐るもう一歩部屋の中に進むと、静かに扉が閉まって、サミュの代わりにロフェナがアーウェンを義父の傍へと導いてくれる。
それが昨日の夜会ったログラスおじさんだと何となくわかっていたが、どうしてこうもわかりやすく落ち込んでいるのかがわからない。
「さあ、お客様にご挨拶しなさい」
「あ…はい。えぇと……」
アーウェンが男爵家にいた頃は通いの家政婦以外には『他人』に会ったことがなく、家人であれ彼女であれ、アーウェンに『挨拶』をしてくれる人なぞひとりもいなかった。
『ふん、いたのか』
『ああ、アーウェン、僕にお茶と…いつもの物をお盆に乗せて、部屋まで持ってきて』
『ア…アーウェン……おは……い、いえ、何でもないわ……』
『まぁ、邪魔だねぇ!そんなとこにボッとしてないで、旦那様と奥様と坊ちゃまの汚れもんを洗いな!シミひとつ残ってたら晩のスープはただのお湯にしてやるからね?さあ、働きな!』
それぞれがそう言って朝から晩まで何かしら用事を言い付けた。
誰もアーウェンに『おはよう』も『こんにちは』も『こんばんは』も『ごきげんよう』も言わなかったし、それよりも各々『大事なこと』を優先して、アーウェンはたまたま目に入ったというぐあいにしか扱ってもらえなかった。
もちろんそれが異常だったと、今でもアーウェンはあまり思っていない。
逆にターランド伯爵邸で過ごす毎日で、邸にいる皆が『こんにちは!お元気ですか?アーウェン様』とニコニコ笑いながら話しかけてくれる方が、アーウェンにとっては違和感を覚えてしまうぐらいである。
さすがにロフェナやカラは毎朝毎晩の挨拶をしてくれるし、そう挨拶するものだと教えてくれたから『そうしているだけ』だが、どうしてログラスおじさんにもあいさつしなければいけないのかと戸惑っていた。
「え…ぇと……あ!あの……お、おはようございます!ログナスおじさん!」
「………え?」
「え?」
『よくいらっしゃいました』とか『ごきげんよう』とか、もしくは『ターランド伯爵子息アーウェンです』という挨拶を聞くはずだと思っていたログナスはキョトンとした顔をアーウェンに向け、『朝に会ったから』という理由で教えられたとおりに挨拶したはずなのに違う反応をされたアーウェンもキョトンとその髭クマの顔を見つめる。
「………ック…ブッ……ブアーッハッハッハッハッハァ!」
堪えきれずラウドが大笑いすると、アーウェンとログナスは身体の大小があれど、ふたりは苦しそうに腹を抱えるターランド伯爵を呆然と眺めた。
しかもその後ろに戻ったロフェナも顔を背け、細かく肩を震わせている。
「あ……あの……隊長、殿……?」
「とう…さま…?……ロ、ロフェナも……あの……ぼ、く……ま、まちがえ……」
何か恥ずかしいことをしてしまったのかと、アーウェンが思わず涙ぐみ始めると、慌ててラウドは抱き締めて慰める。
初めてラウドの執務室でケーキを口にした時に目を輝かせた時から、本当は情緒の豊かな子だと思っていたが、本当に赤ん坊のようによく泣く子だとアーウェンの頭を撫でながらそう思った。
いや──本当はこうやって泣くのが赤ん坊にとって必要な感情の発露だったというのに、それを奪ったサウラス男爵家の者たちに怒りを持つ。
ラウドはじわじわと涙を溜めるアーウェンを疎ましくは思わず、逆に嫡男であるリグレに構ってやれなかった後悔を、こうしてやり直す機会を嬉しく思って、子供らしいその艶やかな髪を撫で続けた。
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