ウリッジ

愛摘姫

文字の大きさ
34 / 52
第八章  神殿へ

フレアの決意

しおりを挟む
遠く山の上にかかる雲が青白く光っているのが見える。
今夜は、満月だというのに、雲が一面に空を隠してしまった。
出立の儀がある日は、必ず満月と決まっている。
遠く、山の奥の儀式の神殿まで歩いていくものたちへの手向けなのだと教わったことがある。
夜通し歩き通す中で、満月の光が、前途を照らしてくれるようにと、フレアも祈りをこめていた。
しかし、今宵は、雨こそ降らないが、雲がかかって、ついぞ足元を照らす月の光は見えなかった。

窓辺に座ったまま、うつろな気持ちに背をむけていた。
今まで、寝食をともにしてきた分身である弟が、山で成人を迎える。
昔から山へ憧れを持っていたルウアにとって、堂々と正面から山へはいることができるこの儀式は、何にもかえがたい喜びだろう。

昨夜のお別れの晩に、自分が山への思慕があることを打ち明けた。
そして、それを弟にもひた隠しにしてきたのは、自分にとってこの生まれた家が、いるべき場所であり、ここを離れることなど考えたくなかったのだった。
自分に流れているツムギの血がそうさせるのか、山の意思がルウアだけでなく自分のことも呼んでいるのか、それも錯覚なのかわからなかったが、
生まれて初めてルウアのいない夜を過ごそうとしたときに、ふいに忘れがたい想いが湧き上がってきた。

それは、遠く昔にいた頃の記憶かもしれない。
それとも、誰か別のものの忘れていた記憶かもしれない。

一人の女性が、山を歩いている光景が浮かんできた。
それは、月光に照らされた丘の上を、自分と一匹の獣と歩いている。
その光景をみたときに、「山にいた頃の自分」というものを突如思い出した。

まるで、片割れのような、その体験を自分もしているかのような、ありありとした感覚。
山の風、木々が歌う夜風。

「わたし、山にいたことがあるみたい」

フレアは否定できない想いにとらわれた。
女性は、山に入ることができない。山の神が嫉妬するからと聞いたことがある。
母も、山に入ったことがない。そして、この先も、男のみが入ることができる禁域の山。

そこを歩いているのは、自分なのだろうか。そうかもしれない。
入ったことのない山にこれほど惹かれて、何かを置き忘れてきてしまったような心の奥にあるおぼつかない感覚。
もし生まれる前に、山で暮らしていたことがあるのだとしたら、私は山へ行かなければならない。

一度湧いた想いは取り去ることができなかった。まるで泉が一度湧いてしまうと、それをなかった頃のようには消せないのと同じだった。
この家にいて家事や縫い物をして母の手伝いをすることが自分の務めだと言い聞かせて、山への想いをルウアのそれの下で、必死に押し隠してきた。
けれど、昨晩ルウアに話してから、そして今も、ルウアがいなくなり初めて一人になった晩に、自分がこの世でなすべきことが何かということを感じ始めていた。

双子は、遠く離れていても想いを同じにすることがあるという。小さい頃から同じものが好きで、同じ気持ちを味わうことも多かったが、二卵性のためにか、少し似ていないところもあった。
しかし、今は、ルウアのことをとても近くに感じていた。
彼が、危険を犯しても、ツムギに何を言われても山へ入る意思は変わらなかった。自分がこの世で生きていく運命を見つめ、それを誰のせいにもしない決意があった。
私は、自分の運命を、この家、母にあずけていただけなんだわ。

子供が親の元から飛びたつ日というのは、少しずつはぐくまれるものではなく、意外にも、突如として起こることがある。

フレアは、明日着る予定だった成人の儀の晴れ着をみつめながら、母に謝った。

別れの手紙を母に書きながら、涙がこぼれた。
それは、二度と母をみることができないだろうという、予感がそうさせていた。
山の夜は冷える。まるで知っているかのように、腰巻と、厚手のコートと二重になっているズボンをはき、腰ベルトには、ナイフをさした。
とうの粉から作ったパンと何日か持つように少量の食料をバッグに入れ、水筒に水を入れたリュックを背負った。
金色の髪を後ろでに一本にしばり、コートの襟をたてた。厚手の長靴をはき、家を出る際に、奥の部屋を一度みた。
家は、静まり返り、母は起きた様子がなかった。
満月の見えない空が、静かな夜の気配をかもしだし、人のいない道を山へと向かう少女の姿をも隠してくれていた。


入り口の戸板の音が閉まると、母はゆっくり目をあけた。
奥の部屋から、フレアが起きている音を感じていた。
彼女が、ある決意をもったことが、母の心臓の音に静かに響いてきた。

「二人とも行ってしまった。ミゼルよ。どうかあの子たちをお守りください」

母は、静かに夜の闇へと祈った。





第九章へとつづく
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね

竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。 元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、 王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。 代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。 父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。 カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。 その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。 ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。 「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」 そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。 もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。 

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

老聖女の政略結婚

那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。 六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。 しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。 相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。 子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。 穏やかな余生か、嵐の老後か―― 四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

女神に頼まれましたけど

実川えむ
ファンタジー
雷が光る中、催される、卒業パーティー。 その主役の一人である王太子が、肩までのストレートの金髪をかきあげながら、鼻を鳴らして見下ろす。 「リザベーテ、私、オーガスタス・グリフィン・ロウセルは、貴様との婚約を破棄すっ……!?」 ドンガラガッシャーン! 「ひぃぃっ!?」 情けない叫びとともに、婚約破棄劇場は始まった。 ※王道の『婚約破棄』モノが書きたかった…… ※ざまぁ要素は後日談にする予定……

処理中です...