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1章

-2- 【異世界転生者の憂鬱】

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 「アレってジオか?」
 「嘘だろ?あれが……ジオ?」
 「ジオくん、何があったの?」
 消え入りそうな小声で生徒達が呟く。

 ジオはこの世界で初めて召喚されたニンゲンだ。
 そんな事だから、この世界でもかなり優遇されていたと聞く。今や彼のことを知らない者はいない。
 そんな、生活にも友達にも困ってなさそうな人が……どうしてあんな事になってしまっているのか?

 だってつい数日前に、友達に囲まれて幸せそうに談笑する彼を見たばかりだ。それが昨日のたった1日でここまで鬱憤が溜まったなんて事は……なかなか考えづらい。


 廊下の彼は今も立ち止まってずっとこちらを見続けている。
 さながら理性を失った獣のような形相だ。少しでも誰かが動けば喰われるという了解は、雰囲気に乗って教室内に周知されきっていた。しかし、このままだれも動かず睨み合っているだけでは、こちらが押し負けるのも時間の問題となる。

 ここからどうしようか……と、恐らくこの中のみんなが考えていたであろう頃、1人の男子生徒が席を立った。


 「よォ~ジオ!なんか、元気なさそうじゃん?」

 先程までビビりまくっていたその彼は、口元をにへらと曲げると気さくに手を振ってジオの方に近寄っていく。
 彼は確か、よくジオの近くにいたメンバーの一人だ。


 一方ジオの方は……全く彼を見ようとしない。教室の中に焦点を当てたまま、動かない。
 「そんな堅苦しい顔すんなって!辛いことあんなら……俺が聞いてやるからさ!」
 男子生徒はついにジオの真正面まで来た。どれだけ怖くても、恐ろしくても絶対笑顔を絶やさない。そんな決意すら感じる。

 「だってほら……俺ら友達だろっ?」
 ぽん、とジオの肩の上に手が置かれる──と、ジオの視線が男子生徒の方を向いた。やっとジオが反応を示したからか、教室中の生徒も安心した顔をしてい

 ガッ

 ……
 …………
 何が?
 何に、安心していたんだろう?


 今の彼はもう、普段の彼ではない。それはみんな嫌なほど分かっていたはずなのに。


 「──うわあああっっ!!!」
 彼は男子生徒の髪を左手で掴み、持ち上げている。男子生徒はあまりの痛さにもがいて脱出を試みているが、そんなことは許されないようだ。

 「あぐ、いだいっ……あたま、がっっ……」
 「……」
 髪を掴まれて自身の体を持ち上げられるだけでも計り知れない痛さだろう。それがずっと続くとなると……もう目も当てられない。
 当のジオは全く怯む様子もなく、男子生徒を掴んでいない右手を出した。

 手の上には……あの、真っ黒な魔法弾。肌がピリピリしてきて、ジオ自身の魔力も段々強くなっていくのが分かる。
 その魔法弾をゆっくりゆっくり、男子生徒に近づけていく。
 「がっ……や、やめろよ……俺が何したってんだあ゛っ……」
 問答無用で魔法弾を近づけていき、魔法弾は男子生徒と接触するスレスレだ。


 「う、うわああああっっっ!!」
 男子生徒がジオの顔を殴った。一瞬怯んだその隙に、みんなの元へ一目散に逃げ出していく。
 「逃げろぉぉおおおっっっ!!」
 その絶叫に先程まで時が止まったように静かだった教室内は一瞬でパニックの渦に陥った。
 叫び出す者、どこかに電話をかける者、窓から飛び降りる者、ベランダの非常階段から逃げ出す者、机の下に隠れる者……行動はバラバラだが、みんなが考えることは同じ。

 生き残りたい、ただその一心だけだ。


 私もみんなに合わせて非常階段から外に逃げ出した。外には既にたくさんの生徒や先生が居合わせており、まだ状況を把握している人は少ないようだ。
 しかし、ジオのいる校舎……恐ろしいほど動きがない。

 嵐の前の静けさというか……妙すぎるほど静かだ。





 ──暫くして、あまりにも動きがないので先生達も集まって今後の方針についての話し合いを始めた。周りの生徒も「もう帰ってやろうかな~」とか余裕をこいている。彼はあのまま気でも失ったのだろうか?
 そうしてみんながジオ以外のことを考えだした、その時だった。





 「─────ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!」
 「何!?」
 咆哮が轟いた瞬間、校舎の真ん中が吹っ飛んだ。ブチ抜かれた。
 何があった?何があった?
 ふと見上げると、校舎に空いた穴の中心には、一つの人影。その周りには、それを守護するかのように回る無数のガラス片や、えぐり取られた地面の一部。その姿はさながら木星と、木星の輪のようである。
 一瞬アレが何なのかわからなかったが、良く考えればわかる事だった。
 “アレ”がジオ=ヴァイスだということ。


 「フーーッ、フーーーーーッ……」
 今はただ、彼の苦しそうな声だけが聞こえる。
 『み、みんな逃げろっ!殺されるぞ!!』
 『おい待て、逃げるな!それじゃ街にまで影響が出てしまう!』
 『馬鹿言うな!このまま立ち往生してればみんなまとめて──』
 『被害を最小限に抑えるためなんだ!!……何でも良い、ここにいるヤツら全員、”アレ”に向かって攻撃を仕掛けろ!!』
 バラついていた指示の中に光った、誰かの号令に鼓舞されるように、さっきまであたふたしていた生徒全員が一斉にジオの方を向く。
 「総員、放てーーーーっっ!!!」
 「「おーーーっっ!!!!」」
 掛け声と同時に繰り出される炎、水、氷、雷などの様々な攻撃魔法。みんなそれぞれが得意属性の攻撃魔法をしかけている。
 ジオの声が聞こえるその球体に一気に直撃した攻撃魔法は一斉にぶつかり大きな爆風を挙げる。爆風のせいで周りは見えなくなるが、それでもなお攻撃が止むことは無い。
 その規模数百人。全校生徒から魔術のプロである先生の力を結束して生み出した魔法の威力は強大で、恐らく山一つくらいは軽く吹き飛ばせるような威力はあるのではないか。
 普通の人であればあれば即死だろうと思う。


 本当に彼は死ぬしかないのか?そんな事が、脳裏をよぎる。
 ──分かっている。あんな強大な魔力を抱えたやつなんて真っ先に殺すべきだ。
 でもどうしても、引っかかることがある。

 彼はあれだけの攻撃を受けているにも関わらず、未だずっとあの場から動かない。さっきのブラックホールみたいなので攻撃魔法を吸収しているのかとも考えたが、爆風が巻き上がっていることから、間違いなく直撃している。時々爆風の間からゆらっと見える人影が、全てを物語っている。
 いくら彼が強大な魔力を孕んでいるとはいえ、避けもせずずっと真正面から攻撃を受け続けるか?いくら無敵であろうが、無意味に立ち止まるか……?
 絶対、何かあると思った。


かつてジオと仲良く談笑していたあの男子生徒も、ジオに片思いをしてたあの女の子も、彼は優秀な生徒であるとジオを褒めたたえていたあの先生も。
 今はみんな、まるでバケモノを見るような目でアレを睨みつけ、攻撃を浴びせている。
 「死ね!死ねっ!!」
 「早く出ていけよ!!」
 「このバケモンが!!」
 あの様子だと彼が危ないんじゃないかとか、彼は何らかの事故でああなっているだけじゃないかとか、そんな事を気にする声はない。そう考えて攻撃をやめるよう指示する生徒もいない。
 攻撃が始まってから既に3分程度。今もなお勢いは衰えることを知らず、猛攻は続いている。
 この3分間、彼は全く動いている様子がないのに。
 みんなにとってアレはただ危ない奴、怖い奴、自分を殺そうとした奴だという認識なのだ。動き出す前に殺してしまおう。そう考えるのは当たり前だ。
 殺らなきゃ殺られる、それは私でも十分理解している。その考えに友人も恋人も関係ないのだろう。
 もしかして。

 彼は「一人」ではなかったが……
 「独り」だったのか?





 「攻撃、やめ!!!」
 攻撃が始まってからから──だいたい10分。その間、彼に猛攻撃が浴びせられていた。彼は相変わらず動くの様子がなく、目線を下にしたまま、まだ校舎に空いた穴に突っ立っていた。
 周りに浮いていた地面片やガラス片は守護という役目を果たしたかのように量が格段に減っており、彼自身の身体の至る所からも血が出ている。それでもなお、魔力が衰退する様子はない。
 「なんだアイツは……?だいぶ傷は負わせたが……全く動かないし」
 「もしかして力を貯めているのかもしれない、まだ叩くか?」
 「その方が良いわ。危ないもの」
 「だがしかし……」
 あぁ、このままでは……彼はまた、あの魔法弾の雨を浴びることになるのか。
 ここからでは遠く、表情はあまり読み取れないが……
 さぞかし痛いことだろう。痛くないはずがない。
 一対数百人。今まで仲の良かった人達に散々叩かれ、普通でいられるはずがないのだ。


 その時ふと、彼と仲良くなりたいと思った。

 強盗犯や誘拐犯と仲良くなりたくなることがあるという。名前はストックホルム症候群と言ったか。
 これは、そういう心理なのかもしれない。本物の気持ちではないのかもしれない。この事件が収束したら冷めてしまうものかもしれない。
 でも……
 それで良いと思った。今は真っ直ぐに、彼を救いたいと思う。彼からは、私と似た何かを感じるのだ。
 こうして動かない原因も、なんとなく分かった気がする。

 「行こう」
 そう頭で考えた時には、既に足があちらを向いていた。





 さて、無計画で動いてしまったが……どうやって彼のいる所に上がろうか?
 そう考えた時、力なく彼の周りを回る幾つかの地面片の塊が見えた。
 魔法は使えないけれど、ジャンプ力には自信がある。剣士だからね、魔法使いの彼らはこんなことできない。それにさっきのカカシの上にも乗れたのだ。あの程度なら多分、行ける。
 少し遠い所から助走をつけ、思い切り地面を踏み込んだ。
 ぽんっと身体が跳ねる感覚がして、肩にGがかかる。何度体験してもこの感覚は好きだ。
 あの生徒たちが結論を出すまでに決着をつけないと、今度こそ彼は死んでしまう。一つ一つの行動が命取りだ。
 「ほっ!……っと」
 1つの地面片に足をつけると、ふわふわした様子もなく、浮いている地面とは思えないほど安定して着地できた。それほど彼の魔力は強大だということか。
 「よっ!はっ!えいっ!……」
 続けて地面片に乗り継ぐ。彼の元に近づくにつれて表情が垣間見えてきた。


 肩で息をしている彼の傷はより明瞭になった。目の色は白目の部分が黒く染まって、その禍々しい目からは真透明の涙が絶え間なく零れ落ちる。
 ……辛そうだ。
 何が起きているのかは分からないが、彼が辛いと感じている今ならまだ話が通じるかもしれない。
 話が通じてくれれば……傷つけなくても済む。


 そしてついに──ジオの目の前まで来ることができた。





 「ジオさん」
 「なっ……!?」
 今までこちらに気づいていなかったのか、突然目の前に降り立った私の顔を見て、酷く驚いた様子である。下にいる生徒達もザワついている。
 「……頑張って抑えてるね、その力」
 「な……ぜ?」
 「友達だった人たちを……よっぽど傷つけたくないのね」
 「……」
 辛そうな顔でこちらを見るその目は細まり、涙の量が増す。
 「でも今は、そんな彼らが裏切って自分を攻撃してきてる」
 「そ、れは」
 彼はこの力を抑えるあまり喋るのもやっとのようで、途切れ途切れに話す。
 「俺、この前……友達らに街に出かけようと誘われて。俺は……待ち合わせの場所で待ってた。そしたら……」
 「……」
 「背後から殴られた。何発も何発も。俺はそれで気を、失って……気づいたら……変な研究所にいて」
 「(研究所……?)」
 言われてみれば……この世界に存在するニンゲンは今のところジオだけ。そんな未知の種族を、研究したがらない研究者がいるだろうか。
 それなら、誘拐されたとしても納得がいく。
 「それで、俺は手足が拘束されてて、服は全部剥がされて!白衣の知らんジジイ共が何人もいて!!目の前には札束を受け取る友人たちの姿があって!!!それで俺は」
 「もういい!!」
 「っ……!」
 雪崩のように喋り通す彼に一喝する。彼は目を見開きながらも、ギッと歯を食いしばって黙った。
 胸糞悪い。こんな事が許されるわけがない。
 「私は、君が今なぜこんな力を持ってしまっているのか知らない。これがどういう状況なのかも」
 「……」
 「そんなに憎い彼ら、どうして傷つけたくないの?」
 単純に疑問だった。普通ならこんな奴ら許さないし、これほど強大な力を持ったのなら徹底的に叩きのめしたいと思うだろう。
 「……アイツらは」


 「アイツらは、たった一瞬だけでも……
 俺を”友達”だと思ってくれたから」

 あぁ、聞くんじゃなかったなぁ。
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