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1章

-6- 【人間とエルフ、旅路に就く】

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あの日、ジオの暴走を止めて、会話を交わしてから五日が経った。

 「何か分かったら……いや、何も分からなくても連絡する」
 そう言った彼からは、私の魔法に関する連絡は愚か、何の連絡も来ない。

 魔力暴走を起こして校舎をぶっ壊したジオの処分は、彼の成績の優秀さが幸いし、なんとか停学で済んだのだという。
 彼は処分が下ったその日のうちに学生寮を出ていったらしく、私がジオの部屋に様子を見に行った時には、もう既にいなかった。

 そしてまた、私にいつも通りの日常が戻ってきた。
 ただ一つ、日常から変わったことといえば──。
 「よぉ、ソフィア!」「この前はお疲れ様!」「お前すごかったぜっ!」

 「あ、あぁ……うん」
 私に全く興味がなかった人達が、やたら私に構うようになったことくらいかな……。
 「……」
 だからって、私自身には特に変わったとこなんてない。腕だって動くし、足だって早く走れる。
 でも……なんでだろう。


 私の脳だけは、早く彼が帰ってこないかなと考えて止まなかった。
 そのせいで、私の目はあるはずのない彼の影を探すようになり、私の耳はいつでも彼の声を聞き取れるように構えるようになってしまった。

 彼が私の魔法が使えないことに関する情報を握っているかもしれないから?
 それは、違うな。

 ── 「私たち二人で、私たちだけの”普通”を作ってみない?」──

 ……我ながら、アホだなと思う。
 今でも、あの出任せのような提案を、彼が本当に考えてくれていると思っているのだ。
 ……自分でも分かっている、本当に愚かだ。

 でも、あの時の私は本気だった。
 この人なら言える、言っても大丈夫。
 きっと、彼に気を許していた。あの短時間で?と思われるかもしれないが……。

 自らひとりであることを選んで”一人”になった私と、周りに友人がいても”独り”だった彼。

 そこに、私と似たものを感じたのだ。
 その一瞬に賭けた。それだけのことだ。


 ……だいたい、人なんてこの世にいくらでもいるし!土地を変えればもっといい人くらい見つかる!たった一人のために、こんなに悩むことはないはずだ!
 これからは、また前を向いて歩いていくよ。

 教室の窓の外で木に止まっていた白い小鳥が、群れから離れて一羽だけで飛んでいくのが見えた。

~~~~~~~~~~

 「ん、ん~!」
 両手を上にして、思い切り背伸びをする。
 この背伸びは、開放感を表す背伸びだっ!
 「……今週の授業、全部終わったー!」
 そう、今日が終われば、明日からは数日間の休みに入るのだ。
 この嬉しさ、生きる者なら誰でも理解できるだろう。
 「さて、休みの間……何しよっかな」
 せっせと授業に使った荷物をカバンに詰め、教室内の誰よりも早く外に出た。

 すでに、空は黄と紺をぐるっと混ぜたような色に染まり始めていた。急に走ってしまったので、ひとまず一息つくために息を吐く。
 と、私の息は外との温度差に耐えられずに真っ白な水蒸気となって空気に散っていく。

 「いつもより空が綺麗に見えるなぁ」
 それは、明日から休日だからなのだろうか。
 それとも──。

~~~~~~~~~~

 学校から少し小走りすること五分くらい。
 高台を階段で上がると、目の前に巨大な建物がぬっと現れる。

 これは学生寮。私達ネルセンス戦術学院の生徒が暮らす建物だ。

 この学生寮は木造で、学生一人に一つの部屋が与えられるほど背の高い建物だ。何せ生徒のほぼ全員、数十人~数百人くらいが暮らしているという。この国で一二を争うレベルの超高層学生寮だと誇れる。
 しかし、この学生寮は常に魔力による補強が成されているので、ちょっとやそっとのことで崩れることもないが、その分建物自体を直す必要がないので、基本設備はボロボロだ。

 だから、こうしてちょっと床を踏むだけでギシッと危ない音が鳴る。でも補強のおかげで床はきしまない。
 という、不気味な体験ができる。
 ……できなくていいよそんな体験!


 魔力で動くエレベーターに乗って、自分の部屋のあるフロアを指定する。
 「……一〇一階」
 と、エレベーターはあっという間に指定したフロアに辿り着いてしまった。また不思議なことに、この間Gは一切感じない。
 廊下に繋がるロビーに出ると、既に何人かの生徒は寮に戻ってきていた。みんな、廊下を歩いたりロビーで談笑したりと思い思いの時間を過ごしている。

 中には、宙にふわふわ浮いた……さながらホログラムのような四角い画面と会話をしている人もいる。
 あれも魔法の一種で、ああしてテレビ電話のように遠くの友人と会話を楽しむものだ。

 それについては、特殊な魔道具である「魔道通信機」を使うことで、一応私も使える。……が、元々魔力が皆無な私では、この魔道通信機だけの魔力に頼ることになるので約二分間ほど使うのが限界だ。その後は五時間程のクールタイムに入る。
 こんな感じで、ほぼ使い物にならない。

 彼にはこの通信機のアドレスを教えているのだが……。結局、この有様だった。


 こんな風に、この世界はどこもかしこも魔法に頼りきりで成り立っている。
 この世界から突然魔法が消えたらどうなるんだろう?きっと、生き物から小さな道具まで、そのほとんどは朽ちて消えてしまうだろう。

 そんな魔法依存の世界なのに、私だけは魔法が使えない。
 こうして周りを見ていると、どうしても「なぜ私だけ」という気持ちが湧いてきてしまう。
 もし私に魔法が使えたら、あんなことができた、こんなことができたと空想は膨らむばかりなのだ。

 せめてみんなと同じ、「普通の生活」ができれば。
 それ以上のことは、何も望まないのにな。

~~~~~~~~~~

 左右にたくさんのドアがある廊下を延々と歩いていって、右側のマホガニー色のドアに手をかける。ドアは重い音を立てながら開いて、見慣れた空間が現れる。

 一人用の小さなソファに、それに釣り合わない家族用サイズの机。
 壁には、とあるおとぎ話に出てくる剣と盾のレプリカがかけてある。
 そのおとぎ話に出てくる勇者は、この剣と盾でたくさんのモンスターをなぎ倒していったらしい。最後には、種族が違うことで周りに結ばれることを喜ばれなかったお姫様と駆け落ちしたのだという。私はこのお話が大好きだ。
 剣が実用化されなくなった今の世界だからこそ、このおとぎ話が心の支えになっている。
 私もこの勇者みたいに勇敢に戦いたいなって、自分を奮い立たせてくれるのだ。


 ……さて、部屋に帰ったので今日もやるか!
 と、いつものソファに思い切り体重をかけて座る。手には私の愛用するいつもの長剣とボロ布。
 「この時間が一番癒されるんだよね~!」

 こうしていつものように私は、黒と金の輝く長剣を磨いていた。


 「……ん?」
 長剣を磨き始めてから数分程たっただろうか、窓から変な音がすることに気づいた。
 何かがぶつかるというか、小石が窓に当たって鳴るような音だ。が、ここは学生寮の一〇一階。下から投げ込まれていたとしてもここまで届くはずはない。
 さらに不思議なことに、この音はずっと鳴り続けている。
 「なんか、変な音……風かな?」
 風で窓額縁がきしむようになったのだろうか?これだけボロな寮だからありえる話だ。

 しかし、万が一窓の外に危ないモンスターがいたらいけないからと、一応片手に剣を持っておく。
 窓の方に近づいていくにつれ、あの小石がぶつかるような音も大きくなっていく。
 あまりに不気味だが、ここまできたらもう開けるしかない。
 「……よし」
 意を決して、外開きの窓をぐっと手で押して、思い切り窓を開ける。
 「えいっ!」


 「おい!お前!!ソフィアっ……」
 「うわっ!…」
 「!!」

 窓を開けた瞬間に聞こえた大声に驚き、思わずしりもちをついてしまった。向こうも突然開いた窓に少し驚いていたようだ。
 開けっぴろげの窓からは秋にも冬にもなりきれない冷たい風が入ってくる。
 ……待った、この声聞き覚えがある。
 「ジオ、さん?」

 そこには、月夜に照らされて箒にまたがって浮く、彼の姿があった。


 「……あぁ、そうだ!やっと気づいたか!!」
 一瞬間が空いて返事が返ってきた。彼は肩で息をしながらこちらを睨みつける。
 「ど、どうしたの?何か連絡が……」
 「早く、行くぞ!」
 「はい!?」
 わざわざ連絡せずに来る理由、切羽詰まった様子、どこかに連れて行こうとする…。まるで意味が分からない!
 「ちょっと待って、どういう……行くって!?」
 困惑する私を見て、彼は渋い顔をして眉間を指で押える。そしてため息混じりに、もう一度私を見た。

 「お前も!『俺と同じことになるかもしれない』んだよっ!!」

 ジオと同じこと……それってつまり。
 「魔力暴走……?」
 「【学者】?……とか何とか、よく分からん話を俺のジジイがしてるんだ、もしかしたらお前もそうかもしれないって!すぐに呼んでこいって!!」

 ……まさか。そんなこと、私がなるはずが無い。
 だって、私は暴走するための魔力すら持っていないのだから、まさか。
 「でも、私魔力なんて持ってないし……」
 「っ……俺にも分からないんだ。頼むよ、俺と一緒に来てくれ」
 彼は一瞬目を細めてためらったかのように見えたが、すぐに持ち直し、さっきより弱めの勢いで頼み込んでくる。
 「わ、かった」
 もしかしたら私の魔力についての話に進展があったのかと期待したが──どうやら、なにか別の事情がありそうだ。

 「ほら、手」
 彼の大きな手が、私の方に向けて差し出される。
 彼の事情は全く分からないし、怪しかったり気になる部分も多いが──。
 「……はい」
 「……!よし、引っ張るぞっ」

 少なくとも、今のこの状況よりは楽しいのかなと、退屈な今を生きる私はそう思った。
 ……むしろ、もしこれが誘拐なのだとしたら、ここで死んでおくのも悪くないなとまで考えていた。

 何も変わらない日々、辛い日々。これ以上普通に生きていてもなにも変わらない。
 どうせそんな感じなら、ちょっとだけ面白そうな方に動いてみたっていいんじゃないかな。


 私が彼の手を取ると、彼が引っ張ってくれたことにより身体が窓から抜き出される。
 「うわっ……とと」
 そうしてなんとか箒にまたがったが……何せ一度も箒を操作したことがないので、ホバリングしているだけでも不安定極まりない。
 「スピード出すぞ、しっかり捕まっとけよ」
 「捕まるって、どこに!?」
 「あぁもう……俺の腰にでも腕回しとけ!」
 「わ、分かったっ」
 そう言われて、彼の腰に手を回す。
 何だか少し恥ずかしい……。いや、今はそんなこと考えている場合ではないのだが!
 「到着まで、四時間ほどかかるぞ」
 「はっ、四時間!?」
 また到着までとんでもない時間がかかるものだ!魔法でどうにかしてもこれが限界なのか。
 「長くなって悪い。どうしても辛くなったら言ってくれ」
 「……分かった」
 「よし」
 彼は私の返事に被せるように、箒に魔力を与えてエンジンをかける。

 「それじゃ、行くぞ」
 「うん」
 箒の穂先からばびゅんっとキラキラしたものが飛び出す。と同時に箒は加速を始め、あっという間に速度が安定した。一本に束ねた髪がばさばさとなびく。結構な速さだ。
 「……おい、大丈夫か?」
 「だ、大丈夫っ」

 午後七時、空には既に星々が輝き始めている。
 その横を、二つの影が駆け抜けていった。
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