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スワンプマンとゲンガーの話
神様へ
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水嵩が増した激流の中に、彼女は迷わず身を投げた。
貴方は、その手を掴めなかった。激流に流された子供を見た時、貴方にはそれが間に合わないど理解出来たのだろう。あるいは、手を伸ばしてもいなかったのか。
その頼れる背が動いた時には、もう既に遅い事を分かった筈だ。
もっと理由があったかもしれない。理由は無かったのかもしれない。
少なくとも。
貴方は何も言葉に出来ず、何も出来なかった。
彼女の小さな背が子供を庇う様に彼方へと流された時にも、貴方はその場を動く事は無かった。
奇跡のように助かる事は無いと知っていたはずだ。
世の中が思う理想と現実の間には、明確な差がある。貴方はそれを知っていた。だからこそ、貴方は現実を貫いた。貴方は現実主義者である。理想に憧れても、理想を得ようとはしない。
枯葉の用に沈んで流されていく背を見た時も、これ以上の犠牲を増やさないために最善を貫いた結果、合理的な結末の元、貴方の日常の一端は簡単に事切れただろう。
其処には悪意なんてある訳がない。貴方は貴方なりの最善を尽くした。
貴方には現実を貫く権利がある、義務がある。そして、理想を語る権利はない。
その日、確かに貴方の隣人は居なくなったのだから。
貴方は冷酷な人間だ。
それでも。
貴方は非情な人間ではない。
数年後。
あなたの携帯が、代り映えしない音を鳴らした。
湖に沈んだ町。そんな言葉が実在するのがこの街だ。
面積の四分の一を失った活火山のせいで、今でも町は水底に埋もれている。
時折見える鳥居の姿が、湖の底に沈んだ広大な街の面影を残している。
時には、誰も知らぬ墓石さえも見えるそうだ。
毎年雪に埋もれる為に、ウインタースポーツが事欠かさない外周の中にその図書館は存在した。外観は赤レンガ色の洋式な建物であるが、その実体は古くから存在する街の図書館。
そこでは、書類の束が分厚い背表紙の古本が年代を問わず並んでいた。個室の様な名目上の図書室は存在する癖に、ため込まれ碌に管理されていない雑多な本達が場所を問わず群生している。
それは管理の域を超えて廊下にさえ侵食する程だ。
紙片とデジタル媒体の優位性は同居しない。雑多で目まぐるしいこの領域は心地よさを提供してくれる。例えば、スマホは情報を簡潔にまとめるが、図書館は情報に満ちている。
目の端から端までありとあらゆるスマホでは映せない背表紙から連想される膨大な情報は、代り映えない日常の一端を塗りつぶす程度には刺激になるだろう。
しかし、その膨大な情報は管理の面ではとても面倒だ。国や県の財産として管理されているのはともかくとして、故人で管理できる量を超えている物は、ハッキリ言ってどうしようもない。数にして三万を優に超える蔵書を個人の手で管理するには、とても気の滅入る作業になるのは間違いないだろう。
「捨てた方が早いと思うんですけどね?」
「こらっ。アオさんや」
非暴力の精神を持っていても、人は叩かれる。
軽量な冊子が頭を跳ねたのでそちらを見れば、この屋敷の持ち主がこちらを見ていた。
主の名前は赤城遥。
画家として著名な赤城家の一人娘であり、自身も音楽活動に勤しむ秀才だ。
ここ、赤城家の別荘兼アトリエにはありとあらゆる絵に関しての参考資料や、祖父の趣味であった古今東西の小説が集っている。図書館と誇っていい程の規模であり、実際に町内の人間も足を運ぶ場所だ。
そう言った場所だからこそ、図書館としても利用される。それが50年も続けば、立派な文化になるようで、代々赤城家の誰かが司書として活動を担っていると聞く。
非力ないち高校生である俺には無縁の話なのだが、バイトという言葉と昔からのよしみで誘われ。激流に流された結果、司書として労働を満喫する事になった。
「何でしょうか?アカさんよ」
「これもすごい資料なんですから、ゴミだなんて言わないでください」
「いや、言っていないんですが?」
「捨てるって言ったでしょ?言っているようなもんです」
頬を膨らませるアカさんに、何時もの如く素っ気ない態度をとる。
他人の物を捨てる度量がある訳でも無い。実際に出来る訳も無い冗談を言っても、信用も信頼も足りないからか真面目にとらえられてしまう。真に受けている訳でもあるまいに。
「捨てる事が出来ないと、整理整頓にはならないのでは?」
実際、子の中には貴重な古本がいくつかあるようだ。
盗みなどを考えない信頼性だけで成り立っているこの図書館は、彼女が言う通り"すごい"のだろう。時折ニュースに名を連ねる様な著名人の本や、資料などが保存されたこの場所は一人の人間では作れない価値があるのだろう。
そんな事を思っていると、不意にスマホが音を鳴らした。
マナーモードにするのを忘れていたと今更気付き、ジト目でこちらを見る管理人さんから目を逸らす。すまなそうにその場を離れ、図書館外で画面を操作すれば、聞き覚えのある後輩の声。
『先輩、今暇ですか?』
「お仕事を」
『何で電話してるんですか?サボりですか?』
理不尽溢れる返答だ。電話を切られてもしょうがない。
鳴りやまない通知を切れば、先程の上司が仕事に励むように手を引く訳だ。主な仕事は書籍の管理と掃除。借りたければ電話番号と名前。借りたい書籍の題名を記入すればだれでも借りる事が出来る。
この由緒正しい図書館の致命的欠陥は、職員の数だけに留まらない。管理する図書館事態も年季の入った建物である為に所々軋む音が絶えない。廊下を歩いている人間がいる事を直ぐに分かる防犯装置と言えば聞こえがいいが、床板を踏み抜いてケガをしてしまわないかという思いの方が勝る。
この図書館は善意が前提なのだ。
其処に悪意を考えていない。
「踏み抜かないでくださいね?」
「それは戦争かな?宣戦布告かな?」
「いや、普通に心配しているだけですよ。それよりもアカさん。向こうの棚は終わったんですか?」
先程信頼で成り立っていると言ったが、それは管理が適当であるという意味ではない。こうして定期的に書跡を確認し、丁寧に並べ替え、時には本棚の環境整備に力を注ぐことは信頼を確認する作業でもある。貴重な品が無くなっていないかを見極めるのも、信頼の持続を行う上での活動だ。
無償で続いている電灯が破られていないのは、そいった影の努力を怠らない赤城家の努力の賜物なのだろう。
「うん、今日も異常は無し。次は紫陽花の棚から清掃するから、掃除道具一式お願いね?」
「進捗はどんな感じですか?」
「__あそこはねぇ。ちょっとヤバいかも」
紫陽花の棚。
それは渡り廊下へと続く通路に設置された本棚の総称であり、余りにも雑多な置かれ方をされている事から倉庫のような扱いをされている区画である。街の歴史を記した巻物やら資料やらが雑多に段ボールに詰められ、保管というには嘆かわしく放置されている空間だ。
以前隣町の図書館から寄贈の依頼をされた際に大部分を引き取ってもらったとは言え、未だに現役の倉庫として活躍されている。
彼女は独特なネーミングセンスで区画を区別するが、その名を聞いただけで疲れが出そうな程、掃除のし甲斐がある場所だ。
「やっぱり、段ボール10箱ぐらい捨てましょうよ。せめて、寄贈してください」
整頓という意味では、寄贈も相違ない筈だ。
だが、その提案にもアカさんが難色を示した様子を見せる。捨てるのがもったいない程の文献が含まれているのなら、他の図書館に寄贈した方が世のため本の為だというのに。
「__でもね。殆どの文献って、この街の話だからね」
「大体なんでこんなにあるんですか?いっつも思うんですけど」
多大に収められた書籍の数も異様だが、それを収めるこの別荘も別荘というには充実していない設備だ。
「私の祖父が集めたものが7割。古くから赤城家に伝わる書物が2割。皆さんの寄贈は0.5割」
「残りの0.5割は?」
今にも破けそうな古本を手に取り、表紙をなぞる。
どれだけ年月を掛け粗悪に扱えば、こんな姿になるだろうか?これも又、寄付で送られた物の一つと考えたとしても、物は選ぶべきだろう。
「神様からの寄贈だよ」
「__はぁ」
まさか熱烈な信徒だとは思うまい。
説得を諦めた俺は、その言葉に嘆息を吐き作業へと戻る。溢れている書籍たちにはラベルが張っており、それを見て現存するか、品質に問題はないかなどを見極める。
品質に難ありとされたものは知り合いの古書を扱っている男に預け、油を取ったり復元したりと元の状態へ戻すようにするそうだ。その腕は折り紙付きだが、性格に多少の難がある。
「信じていない様だね?」
「まあ、神様に出会った事ありませんのでね」
淡々と本を選別し、戸棚に溜まったゴミを拭く。
来客の足も減り閑散とした田舎の図書館は、勉学の為に足しげもなく通う学生や常連の他には見事に寂しい空間だ。本質的に静かなのも相まって、閉館時間が過ぎた今頃も、その異様な寂しさが霧散する事は無い。
彼女は神様を敬愛している様だが、そんなモノがいるというのなら非情な選択は全て喜劇になる筈だ。
「アオさんや、神様はいますよ?八百万と言うではないですか?」
「何ですか?それ。一人に一神様がいるとでも言うのでしょうか?家電みたいですね」
「__似たようなものですよ。大体」
八百万の神様は、きっと誰かを捨てている。
「私にとっての神様は決まっていますけど、君の神様は誰になるんでしょうね?」
唯、それが比喩表現で強い憧れを意味するのなら。
俺が焼け付く程に"期待した"のは、貴方だって俺には言えない。
俺。青木緑の憧れは赤城遥だ。
曰く。
現実は理想に焦がれる。
「誰でもないですよ。居ませんから」
「本当?」
「本当です」
六時を過ぎた夏の盛り。
異様に五月蠅い蝉時雨が窓辺から聞こえるが、優秀な冷房が夏を感じさせない。厚みのある書籍を抱きながら、彼女は司書室へと足を運ぶ。
その日最後に手を取った本を読む事が彼女の日課となっているようで、俺もそれに習い、隣の比較的新しい手記を手に取った。手記からは、何処かで嗅いだことがある匂いが漂った。
「君は真面目だから、神様なんていなくても大丈夫だとは思うけどね」
夕刻には日は青々としていて。
それでも、夜の暗さが表れ始めている。
何時も通りの日常は過ぎ、きっと明日も変わらなく続くのだろう。
そんな哀愁を漂わせていた、その時。
俺のスマホが、代り映えしない音を鳴らした。
貴方は、その手を掴めなかった。激流に流された子供を見た時、貴方にはそれが間に合わないど理解出来たのだろう。あるいは、手を伸ばしてもいなかったのか。
その頼れる背が動いた時には、もう既に遅い事を分かった筈だ。
もっと理由があったかもしれない。理由は無かったのかもしれない。
少なくとも。
貴方は何も言葉に出来ず、何も出来なかった。
彼女の小さな背が子供を庇う様に彼方へと流された時にも、貴方はその場を動く事は無かった。
奇跡のように助かる事は無いと知っていたはずだ。
世の中が思う理想と現実の間には、明確な差がある。貴方はそれを知っていた。だからこそ、貴方は現実を貫いた。貴方は現実主義者である。理想に憧れても、理想を得ようとはしない。
枯葉の用に沈んで流されていく背を見た時も、これ以上の犠牲を増やさないために最善を貫いた結果、合理的な結末の元、貴方の日常の一端は簡単に事切れただろう。
其処には悪意なんてある訳がない。貴方は貴方なりの最善を尽くした。
貴方には現実を貫く権利がある、義務がある。そして、理想を語る権利はない。
その日、確かに貴方の隣人は居なくなったのだから。
貴方は冷酷な人間だ。
それでも。
貴方は非情な人間ではない。
数年後。
あなたの携帯が、代り映えしない音を鳴らした。
湖に沈んだ町。そんな言葉が実在するのがこの街だ。
面積の四分の一を失った活火山のせいで、今でも町は水底に埋もれている。
時折見える鳥居の姿が、湖の底に沈んだ広大な街の面影を残している。
時には、誰も知らぬ墓石さえも見えるそうだ。
毎年雪に埋もれる為に、ウインタースポーツが事欠かさない外周の中にその図書館は存在した。外観は赤レンガ色の洋式な建物であるが、その実体は古くから存在する街の図書館。
そこでは、書類の束が分厚い背表紙の古本が年代を問わず並んでいた。個室の様な名目上の図書室は存在する癖に、ため込まれ碌に管理されていない雑多な本達が場所を問わず群生している。
それは管理の域を超えて廊下にさえ侵食する程だ。
紙片とデジタル媒体の優位性は同居しない。雑多で目まぐるしいこの領域は心地よさを提供してくれる。例えば、スマホは情報を簡潔にまとめるが、図書館は情報に満ちている。
目の端から端までありとあらゆるスマホでは映せない背表紙から連想される膨大な情報は、代り映えない日常の一端を塗りつぶす程度には刺激になるだろう。
しかし、その膨大な情報は管理の面ではとても面倒だ。国や県の財産として管理されているのはともかくとして、故人で管理できる量を超えている物は、ハッキリ言ってどうしようもない。数にして三万を優に超える蔵書を個人の手で管理するには、とても気の滅入る作業になるのは間違いないだろう。
「捨てた方が早いと思うんですけどね?」
「こらっ。アオさんや」
非暴力の精神を持っていても、人は叩かれる。
軽量な冊子が頭を跳ねたのでそちらを見れば、この屋敷の持ち主がこちらを見ていた。
主の名前は赤城遥。
画家として著名な赤城家の一人娘であり、自身も音楽活動に勤しむ秀才だ。
ここ、赤城家の別荘兼アトリエにはありとあらゆる絵に関しての参考資料や、祖父の趣味であった古今東西の小説が集っている。図書館と誇っていい程の規模であり、実際に町内の人間も足を運ぶ場所だ。
そう言った場所だからこそ、図書館としても利用される。それが50年も続けば、立派な文化になるようで、代々赤城家の誰かが司書として活動を担っていると聞く。
非力ないち高校生である俺には無縁の話なのだが、バイトという言葉と昔からのよしみで誘われ。激流に流された結果、司書として労働を満喫する事になった。
「何でしょうか?アカさんよ」
「これもすごい資料なんですから、ゴミだなんて言わないでください」
「いや、言っていないんですが?」
「捨てるって言ったでしょ?言っているようなもんです」
頬を膨らませるアカさんに、何時もの如く素っ気ない態度をとる。
他人の物を捨てる度量がある訳でも無い。実際に出来る訳も無い冗談を言っても、信用も信頼も足りないからか真面目にとらえられてしまう。真に受けている訳でもあるまいに。
「捨てる事が出来ないと、整理整頓にはならないのでは?」
実際、子の中には貴重な古本がいくつかあるようだ。
盗みなどを考えない信頼性だけで成り立っているこの図書館は、彼女が言う通り"すごい"のだろう。時折ニュースに名を連ねる様な著名人の本や、資料などが保存されたこの場所は一人の人間では作れない価値があるのだろう。
そんな事を思っていると、不意にスマホが音を鳴らした。
マナーモードにするのを忘れていたと今更気付き、ジト目でこちらを見る管理人さんから目を逸らす。すまなそうにその場を離れ、図書館外で画面を操作すれば、聞き覚えのある後輩の声。
『先輩、今暇ですか?』
「お仕事を」
『何で電話してるんですか?サボりですか?』
理不尽溢れる返答だ。電話を切られてもしょうがない。
鳴りやまない通知を切れば、先程の上司が仕事に励むように手を引く訳だ。主な仕事は書籍の管理と掃除。借りたければ電話番号と名前。借りたい書籍の題名を記入すればだれでも借りる事が出来る。
この由緒正しい図書館の致命的欠陥は、職員の数だけに留まらない。管理する図書館事態も年季の入った建物である為に所々軋む音が絶えない。廊下を歩いている人間がいる事を直ぐに分かる防犯装置と言えば聞こえがいいが、床板を踏み抜いてケガをしてしまわないかという思いの方が勝る。
この図書館は善意が前提なのだ。
其処に悪意を考えていない。
「踏み抜かないでくださいね?」
「それは戦争かな?宣戦布告かな?」
「いや、普通に心配しているだけですよ。それよりもアカさん。向こうの棚は終わったんですか?」
先程信頼で成り立っていると言ったが、それは管理が適当であるという意味ではない。こうして定期的に書跡を確認し、丁寧に並べ替え、時には本棚の環境整備に力を注ぐことは信頼を確認する作業でもある。貴重な品が無くなっていないかを見極めるのも、信頼の持続を行う上での活動だ。
無償で続いている電灯が破られていないのは、そいった影の努力を怠らない赤城家の努力の賜物なのだろう。
「うん、今日も異常は無し。次は紫陽花の棚から清掃するから、掃除道具一式お願いね?」
「進捗はどんな感じですか?」
「__あそこはねぇ。ちょっとヤバいかも」
紫陽花の棚。
それは渡り廊下へと続く通路に設置された本棚の総称であり、余りにも雑多な置かれ方をされている事から倉庫のような扱いをされている区画である。街の歴史を記した巻物やら資料やらが雑多に段ボールに詰められ、保管というには嘆かわしく放置されている空間だ。
以前隣町の図書館から寄贈の依頼をされた際に大部分を引き取ってもらったとは言え、未だに現役の倉庫として活躍されている。
彼女は独特なネーミングセンスで区画を区別するが、その名を聞いただけで疲れが出そうな程、掃除のし甲斐がある場所だ。
「やっぱり、段ボール10箱ぐらい捨てましょうよ。せめて、寄贈してください」
整頓という意味では、寄贈も相違ない筈だ。
だが、その提案にもアカさんが難色を示した様子を見せる。捨てるのがもったいない程の文献が含まれているのなら、他の図書館に寄贈した方が世のため本の為だというのに。
「__でもね。殆どの文献って、この街の話だからね」
「大体なんでこんなにあるんですか?いっつも思うんですけど」
多大に収められた書籍の数も異様だが、それを収めるこの別荘も別荘というには充実していない設備だ。
「私の祖父が集めたものが7割。古くから赤城家に伝わる書物が2割。皆さんの寄贈は0.5割」
「残りの0.5割は?」
今にも破けそうな古本を手に取り、表紙をなぞる。
どれだけ年月を掛け粗悪に扱えば、こんな姿になるだろうか?これも又、寄付で送られた物の一つと考えたとしても、物は選ぶべきだろう。
「神様からの寄贈だよ」
「__はぁ」
まさか熱烈な信徒だとは思うまい。
説得を諦めた俺は、その言葉に嘆息を吐き作業へと戻る。溢れている書籍たちにはラベルが張っており、それを見て現存するか、品質に問題はないかなどを見極める。
品質に難ありとされたものは知り合いの古書を扱っている男に預け、油を取ったり復元したりと元の状態へ戻すようにするそうだ。その腕は折り紙付きだが、性格に多少の難がある。
「信じていない様だね?」
「まあ、神様に出会った事ありませんのでね」
淡々と本を選別し、戸棚に溜まったゴミを拭く。
来客の足も減り閑散とした田舎の図書館は、勉学の為に足しげもなく通う学生や常連の他には見事に寂しい空間だ。本質的に静かなのも相まって、閉館時間が過ぎた今頃も、その異様な寂しさが霧散する事は無い。
彼女は神様を敬愛している様だが、そんなモノがいるというのなら非情な選択は全て喜劇になる筈だ。
「アオさんや、神様はいますよ?八百万と言うではないですか?」
「何ですか?それ。一人に一神様がいるとでも言うのでしょうか?家電みたいですね」
「__似たようなものですよ。大体」
八百万の神様は、きっと誰かを捨てている。
「私にとっての神様は決まっていますけど、君の神様は誰になるんでしょうね?」
唯、それが比喩表現で強い憧れを意味するのなら。
俺が焼け付く程に"期待した"のは、貴方だって俺には言えない。
俺。青木緑の憧れは赤城遥だ。
曰く。
現実は理想に焦がれる。
「誰でもないですよ。居ませんから」
「本当?」
「本当です」
六時を過ぎた夏の盛り。
異様に五月蠅い蝉時雨が窓辺から聞こえるが、優秀な冷房が夏を感じさせない。厚みのある書籍を抱きながら、彼女は司書室へと足を運ぶ。
その日最後に手を取った本を読む事が彼女の日課となっているようで、俺もそれに習い、隣の比較的新しい手記を手に取った。手記からは、何処かで嗅いだことがある匂いが漂った。
「君は真面目だから、神様なんていなくても大丈夫だとは思うけどね」
夕刻には日は青々としていて。
それでも、夜の暗さが表れ始めている。
何時も通りの日常は過ぎ、きっと明日も変わらなく続くのだろう。
そんな哀愁を漂わせていた、その時。
俺のスマホが、代り映えしない音を鳴らした。
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