水性探偵とスワンプマン

四季の二乗

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スワンプマンとゲンガーの話

偽物の合理主義者

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 一言、二言。下らない話を付け加えて電話を切った。

 元は別荘として建てられたせいか、周りの建築物もそういったのが多く、一つ細道を進むと湖の外周に出る。
 サイクリングロードを兼ねた県道沿いには、土産店やらボート乗り場などが点々と置かれていた。その中の一つ。観光用の船が運航する駐車場に一人知り合いの背が見えた。
 待ち人は来たようで、実に変わらない屈託の笑みを浮かべた彼女は、何時も見かけるサイクリングウエアではない出で立ちで片手を振る。

 初夏が終わり、本格的な夏へと入るというのに夏らしい暑さを感じさせないこの町は避暑地としても優秀であり、年間多くの観光客で賑わう。夏休み期間という事もあり、お盆休みほどではないが県外ナンバーが連なる。
 自慢のロードバイクに寄り掛かりながら彼女は不真面目を装っていた。

 東上スズリ。自称不真面な人間だ。

「あ、先輩じゃないですかー。奇遇ですね」
「__さようなら?」
「開口一番の言葉じゃないでしょ?」
「お疲れ様です?」
「挨拶の種類じゃないですよ。__ったくもう。先輩は真面目ですね」

 先程の着信事件の犯人であるスズリは、悪びれも無く答える。
 彼女は小学校から高校まで、一度も逸れる事無く続いた後輩の一人だ。辺境の学校である為か、同学年との付き合いと同じくらいに後輩にも付き合いがある。
 故に、この応答も日常会話の如く繰り返してきた。手例文に満足が行ったのか、彼女は愛用のロードバイクを引きながら近づく。

「今の言葉のどこが真面目なんだよ」
「そう言って律儀にボケてくれるところとかですよ。私に合わせてくれる先輩なんて。私はとっても幸福な後輩ですね」

 パラノイアでも、そうわざとらしくはならないだろう。
 部活に興じる暇も無い程、バイト生活に勤しんでいる俺と同じように、東上スズリも自身の趣味の為に部活動へ所属していない。時折暇があれば地方の大会に参加し、ロードバイクで優秀な成績を収めている事は聞き及んでいるが、それは本人曰く趣味の範疇の様だ。
 青春の時間を独りでに消費しているのはあまり好ましくない事だろうが、同じ様に夏の期間をバイトに明け暮れている身である故に、深くは語れなかった。

「不真面目を信条としているお前だって、不真面目に真面目だろ?」
「其処まで行くとゲシュタルトが崩壊しそうですけど、まあそういう事にしましょうか?」

 彼女は常に不真面目を自称している。
 だが、不真面目な人間が趣味を続ける事が出来るのかは疑問に残る。一人暮らしの彼女は、生活力に対しても問題はない。部活動を行わないのも、続けているバイトと趣味の両立の為だ。
 一般論の不真面目な人間ではないだろう。
 
「で?先輩は、今日もバイトですか?」
「そう言うお前はサイクリングか?」
「日課ですからね、止められないモノです」
「__ちょっと待て、お前もしかしてスマホ……」

 先程、鬼のように着信と連絡を連ねた際の状況を尋ねれば、彼女は焦ったかのように答える。

「いやいや、きちんと止まってから返信しましたよ。不真面目と交通違反は別ベクトルですよ?」
「……で、構ってチャンよ。一緒に帰る訳か?」
「ついでにどうですか?って感じですね」

 その足は既に帰路へと向かっているというのに、わざわざ聞く事はあるまいが。
 日照りはそれほど強くはないとはいえ、流しと称し三十キロのコースを普段から走り回っていたらしい。膨大な距離を漕いでいるというのに、汗の類が見られないのはさすがと言うべきか。
 サイクリングウエアだろうが、体操着だろうが動きやすい服装は此処欠かさないだろう。
 __まあ、そんな距離を走って汗の一つも見えないのはさすがと言うべきだ。

 先日の事故で壊れてしまった愛車の代わりに、徒歩移動となった俺は、揚々とロードバイクを押す後輩の横で世間話に興じる。
 サイクリング中に音楽を嗜むのが後輩の趣味の様で、アーティストの話から始まり最近の曲についても話題は広がっていく。いくら人通りが少ないからと言って、サイクリング中に音楽を聴くのは推奨されない。なんてやんわりつと伝えれば、後輩は悪びれもなく”無罪です”と唇に人差し指を当てた。
 
 車道側を歩くのは彼女の日課であり、湖側を歩こうとはしない。
 それを彼女は、水辺が苦手だというあいまいな言葉ではぐらかす。

「最近お気にのバンドがですね。これが又、過激なバンドでして。すごく汚いヘイトスピーチばっかり語るんですよ。でも彼ら、デビューしたらそんな言葉使わないで小奇麗になってまして。
 あのエネルギッシュな感じが好きだったのに、先輩はもったいないと思いませんか?」
「それこそ規制とか厳しいからだろうな」
「人の本心は大抵汚いものです。それを心情として吐き出した言葉は、果たして悪でしょうか?表現の自由に違反していると私は思いますね」

 爽やかで活発的な後輩は、少し言いにくそうに答えた。

「単にテレビで出せるような、健全な物じゃないからだろ?」
「はは、確かに。あんなもの全国放送で映せるわけはないですよね」

 そう流す彼女は、何処か納得はしていないらしい。

「その汚れた言葉が、私を生かしているのに」

 その表情とは程遠い言葉が聞こえた。
 そのか細い聲が、妙に本心に見えた。

 だけども、それを追求するほど無粋にはなれなかった。

「その点、紫式の曲はいいですよね。とても心に刺さります。デビューの後、少し挫折したって聞きましたけど、絵師が付いてから変わりましたよね?良い意味で」

 紫式部を模したそのアーティストは、純和風ながら夏の情景を思い描く曲を次々と出し、今では世界でも名の知れた作曲家となった。様々な歌い手がカバーし、時の人としてテレビに出る事は無かったモノの今でもその影響力は熱心なファンに刻まれている。

 青々しい湖を横切りながらの話としては、そんな曲が似合うだろう。

「ああ、知ってるよ」
「ちなみに、先輩はどの曲が好きですか?」
「セカンドアルバムの、右から四番目」

 その絵師が付いてからの彼女の曲調は、まるで水を得た魚の如く鮮やかで心に焼き付く程の色味を帯びた。
 代表的な曲はセカンドアルバムに焼き付けられた車と少女の一枚絵で、独特な印象と妙に鼓動を早くするような快活な曲は根強いファンも多い。

「暴走車の上で歌っている絵の奴ですよね?私も好きです、アレ」
「疾走している感じが溜まらないんだよな。歌詞もいい」
「まさに、紫色を体現しているような曲ですよね?」

 スズは自身のスマホを取り出すと、几帳面に束ねたイヤフォンをスマホに指し片方を此方に差し出す。画面には男たちの姿と、どうにもそういった曲らしい英単語が連なっていた。

「で、件の曲なんですけど。先輩聞きます?」
「週刊誌に取られたりしないよな?」
「こんな田舎のどこに週刊誌が居るんですか?大体、私は有名人ではありませんよ?」
「それもそうだ」

 その日焼けした手から受け取り、自分の耳にかける。
 アップテンポの曲調と共に、これまたR18の罵詈雑言が飛び交う素敵な音楽が耳を刺激した。横で楽しそうに夢中になる彼女には悪いが、これはお子様には聞かせられない内容だろう。
 そもそも、前提として言うのなら。

「__いや、これ女性が聞く曲ではないのでは?」
「罵詈雑言キレッキレなんですよね。とってもエグイ」

 そういう彼女は、実に楽しそうだ。

「お前が楽しいんなら、何も言わんがさ」

 外周を進み、簡素な住宅街が見えてきた頃。
 観光客御用達のレストランが並ぶ通りを進みながら、何気ない会話を続ける。
 少し外れた場所には件の湖があるが、大抵は行き交う車の騒音と観光客たちの声が支配している。




 その時、水面から音が聞こえた。

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