ナキ症候群

四季の二乗

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 蝉の声が、とにかく響くような日だった。
 西日が今でも停滞する時間に、呼び出された俺は熱さに悪態をつきながら階段を登り切る。左を見れば長く続く廊下に、更に溜息を溢しながらその扉を開けた。

 この時期だからと百物語に興じようと誘いを受けたのは、唐突の話だった。
 夏も本場を迎えれば、涼しさに魅入られるのが人間の性だと”その知り合い”は熱弁を重ね、飽きる事のないその口調に根気が負けてしまったというのが正しいだろう。
 廃墟探索や曰く付き探索よりは健全だと、そんな場所にでも行きそうな性格である事を知っている俺は、それが住居侵入の類ではない事に安堵はしつつも、その性質上時間をかなり浪費する百物語を、何も夏休みだというのに学校で行うとする知り合いの正気を疑いたくなった。
 だが、彼女の興味関心を浪費するには、何かしら付き合う必要がある。
 何時もは手綱を握る飼い主は家族旅行の最中であり、要は暇を持て余している為の行動らしい。

 構う人間がいない間を潰すような、そんなお遊びだ。

 雰囲気作りの一端で、火災警報が鳴りかねない蝋燭の代わりの電気蝋燭を彼女は押す。
 離された怪談は、背筋が凍る事も不気味な後味で苦い思いをすることも無い。

 怪談と言うには割り切れない、風習の一つだった。

「それは、怖い話と言えるのか?」
「怖いじゃないですか。こういう風習があるという事は、事例もあったって事ですよ」
「……大概、噂の範疇で収まる駄作だな」

 __その面から見れば、それは邪気を払うというには似つかわしくない。
 地域信仰において変わった儀礼はいくつか知っているが、その話には怪談話でいう危険性が欠如しているように見えた。
 こういった怪談話では、何か儀式の手違いが起きてしまい何々が不幸に起こった。それが結末になるのが一般的だろう。しかして、それは風習があるという話であり、怪談ではない。

 普段の日常会話の一端であれば噂話と流せても、怪談話という体裁では不合格と言わざる負えない。
 それにしても、__まあ、何だ。

「固定しているって感じだな」
「固定?」
「違うな。すまん、忘れてくれ」

 つい洩れた言葉だったもので、相応しくない意味合いになってしまった。

「大概そういった札って言うのは、邪気を払うだとか、魔除けとかの方が一般的だろう」
「確かに、この場合の札の役割は様々ですね」
「幸運を呼ぶお守りとも違う、なんとも言えない民族宗教だな。ホラーというには危害がない。話を聞いていると、そういった不幸話には思えん。__何と言うか、類を見ないな」
「独創性には優れているとは思いませんか?」

 例えば、人に伝える方法は二種類しかない。
 手を使う、もしくは口を開く。
 耳を傾ける、目を凝らす。
 これらは伝わる方法であり、理解の為の一端だ。
 五感の全ては人を理解する機能として利用されるが、我々の主な行動においてその全てが利用されることはまずない。人は視覚を、次に聴覚を多用する。

 頭を叩く。もしくは、頭で叩く。
 掌で伝える。もしくは、掌から伝わる。

 感覚は、伝え伝わるだろう。

「これで百回目です。さて、何が起こるんでしょうか?」
「と言うと?」

 驚いたというよりも、純粋な気分だった。
 視聴覚室では、方々に並べられたパソコンを守る為の厚手のカーテンが形だけの夜を作っている。電気蝋燭も、雰囲気作りの意味合いとしてはその陰湿な暗さに似合っていた。 
 百回目。怪談。
 そのワードは、確かに百物語を想像させる。実際、俺の頭の中ではそれが浮かんだし今回の趣旨はそうである筈だ。長針が12を指し、短針は6を指す。夕暮れと言うには、夏の西日は山の影に隠れようとしない。
 彼女が語ったそれが怪談になり得るかは置いとく。怪談を誘った矢昏やぐれが初めに語ったのは、先程の話である。
 無論、俺は怪談を語っていない。

「百物語を知っていますか?」

 百物語。
 所謂、百の怪談を語れば奇怪な化け物が現れるソレだ。
 その怪談の種類には制限も線引きはないようで、彼女の様な少し不思議な怪談未満でさえも含まれる様だ。まあ、この場合誰が線引きをするかと言えば矢昏に他ならない。

「所謂度胸試しだな」
「まあ、そうですね。百本の蝋燭を消したら怪異が現れるとかの其れです」

 だが、百物語は文字通り百のタイトルが必要である。
 タイトルは、7歳の際に特別な催しを行る村。不可思議ではあるにせよ、怪談と言うには少し弱いだろう。

「確か本来だと三部屋必要じゃなかったか?」

 それに、百物語をするのなら少し味気ない。
 雰囲気だけ。というには用意した電灯の蝋燭も黒いカーテンから零れる日の光ももったいない。
 学校でするには様々な事情でこういった時間帯でしか出来ないというのは分かるが。それにしても場所は選ぶべきだろうと思う。

 百物語をするなら、和室の方が似合っているだろう。

「ええ。本来は。ですが二部屋でも可能ですよ?」
「__準備室の事を言っているのか?」 
 
 視聴覚室がある四階には、美術室の他に兼用で使用される準備室と呼ばれる教室がある。
 本来予備用の射影機などを補完する為の倉庫のような扱いの、要は物置小屋のような存在だ。
 教職員が活用するような場所ではないモノの、壁際に備えてあるテーブルはエアコンの関係もあって夏場の熱を避ける様に利用する物好きの教員が活用していた。
 だが、本来の意図である倉庫としての積載面積は侮れない程度にある。
 その物好きは一か月ほど姿を見ていない。

「準備室の中に、蝋燭を置いたんですよ。九十九本までは消してあるので、残りの一本をお願いしたいのです」
「怪談を語った奴がやるべきだろ?こういうのは」
「何か起きたら嫌じゃないですか。つべこべ言わず、消してきてください。ああ、それと先輩。印様には気を付けて」

 印様と言えば、この辺りに噂される神様のような存在だ。
 二メートル以上の巨体をしており、歪に発達した二つの巨大な腕を持つと言われている。そして何より特徴的なのは、その頭部だ。
 肥大化したトンカチのような形状であり、口も目も見られない。

 印様は、呪う神様だ。
 印様に呪われた人間は、その歪に発達した二本の手で捕まりその頭部で頭を潰される。まるで杭を打つかの如く、鉄を打つ音だけが周囲に響くその姿は、異様と言って差し支えないだろう。
 だからこそ、人に呪われるような事をせぬようこの辺りの子供は親から叩き込まれている。

 その痕は印になるだろうか?

「この状況で誰を呪えってんだよ。お前をか?」
「先輩、そう言うのしつこそうじゃないですか」

 見送る矢昏の、やる気のない片腕を横目に隣へと向かう。
 境界を跨いだ時、猛烈に得体のしれない臭いが鼻を襲った。

 何かアルコールに似たその香りは、部屋全体を覆いつくしていた。
 そして、部屋の中だがこれもまた異様だ。

 あり得なかった。
 数十を超える蝋燭が、テーブルの上を占拠していた。視聴覚室の隣であるこの準備室は普段の授業でも数える程しか使用しない。この時間帯、教師が常駐する場所でも無いし、文化部が使用する事は無い。
 だが、この異様な光景は本来本や資料を置く筈のそれ等さえ侵食し、大小さまざまな蝋燭が芯を燃やした後だけを残し佇んでいた。不思議なのは、そのどれもが床へと接触していなかった。まるでそういうルールに元図いているかのように、それ等は全て腰以上の高さの場所に詰められていた。
 煌々と一つの蝋燭だけが揺らいでいる。その光があまりにも眩しく思えたので、手で磨り潰すように火を掴んだ。

 熱。痛み。思った程度には感じない。
 視覚が異様さを肯定し、聴覚は正常だと答える。

「どうでした?」
「気味が悪い」

 何かがおかしい。
 西日は未だに沈んでいる筈がないというのに、教室の闇は先程よりも色濃い。

「私はね、先輩。百物語は降霊術の一種だと思うのです」

 俺は初めて、違和感を理解した。

「百を語り終え、真の闇が訪れた時魑魅魍魎が現れる。幽霊を呼び出す儀式において、一番重要なのは何だと思いますか?」
「知らん」
「明確に何に祟られるか。ですよ。祟られる具体性が必要なんです。
 具体性を持たない怪異は存在しません。幽霊でさえも、対外の特徴はあるでしょう?曰く、半身がなかったり、体の一部が欠損してたり。あるいは、透けていたり」

 それは雰囲気の一片であり、正確に言うのなら矢昏の言葉の違和感だ。
 矢昏とは同郷ではく、友人の知人といった形で知り合った。彼女と俺は同い年の筈だ。
 先輩後輩の関係ではもちろんなく、先輩と呼ばれる筋合いも無い。だというのに、彼女は俺を先輩として接しておいる。それに、とは言えないかもしれないが。ただ、にこやかにこちらを見る彼女はまるで……。

 ……まるで、あの消された九十九本の続きをしようとしている様にしか思えなくて。

「ですが先輩。普通こういうのって、私達に身近な何かが優先されると思いませんか?正確には、この土地由来の物。さらに正確にいえば、想像に難くないモノが優先されると思うんですよ。
 具体的な何かではなく、想像できる何かであるべきです。
 火の無いところに煙は立たないんです。だけど、灯がある所に煙は立ちます。
 そして私の会話は具体性を以て、先輩の脳裏に焼き付いていると思うんです」

 捉え軋み焼き。
 首を振り打ち続ける。万力を込めて固定し、平坦になるまで歪曲する。
 陥没した頭皮が伝え、軋む音が伝わる。
 
 コツンコツンと。音は響く。
 それは骨のようで、杭を打つ音に似ている。

「この周辺には、印様という噂話があります」

 印様というのは、先程も言ったような二メートルを超える化け物である。

「俺は誰も呪った事は無い」
「そうでしょうね。先輩は清廉潔白です。それでも、その手にはすでに焼き印を押されているのだから」

 俺は、自分自身の手の平を見た。
 先程蝋燭を包み込んだ片腕は、爛れる代わりに、水泡の代わりに赤黒い字となっている。それはまるで人の手が握った様な。掌を掴まれたような特徴的な焼き印となっていた。
 印様は、焼き印が刻まれた人間を殺すという。

 まるで、その痕が証の様に。

「次は、貴方が呪って下さい」


 耳元で、何かが聞こえた。
 平らになれば楽になるだろうに。
 
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