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私二十歳
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中三の弟が家出した。
私たちきょうだいの中で、この事件があるまで一番の問題児は私だった。例の不登校事件の後も暫く反抗期が続き、その後もいわゆる普通のハイティーン時代は過ごさなかった。高校は行かず、付き合った男に合わせた生活を続けた。家は出なかったが、夜遅くに帰宅し、他の家族が出掛けてから外出した。優等生を続けていた妹は私を軽蔑し、完全に見下しているような気がしていた。
「志郎が帰ってこない。携帯はうちにある。何か知ってる?」
男と居る時に母親から電話がきた。「何ようるせーな」と喧嘩腰で受けたが、本題をきいて気持ちが切り替わる。とりあえず探してみる、と母親に返した。中学生は夏休みの時期だった。
最近は自分のことばかりで、弟とは関わりがなかった。弟はどんな子だったのだろうか。部活はバレー部。バスケに行かなかったのを、私はひそかに喜んだのを覚えている。しかしよく覚えているのは、まだ小学校低学年の頃の、ゲームをしたり、ブロックをしたりして楽しそうにしている弟だった。「ねぇニサ見て」と、上手くできたブロックの作品を見せてきた。中学生の兄に遊んで欲しくて、でも構ってもらえなくて寂しそうにしていた弟。でも友達には「俺は中学生の兄ちゃんがいるんだ」と嬉しそうに自慢していた弟。家族みんなに愛されていた弟。
とりあえず弟と年の近いきょうだいのいる友達に連絡を取った。何人目かでヒットした友達の弟の結仁という子と電話で話した。バレー部で一緒だったという。
「引退してからはあんま関わりなかったですけど、別に不良っぽいところもないし、いじめられたりもしてなかったと思います」
「志郎と仲の良かった子たちにも話ききたい。連絡先教えて」
「夏期講習とかは行ってました? そーゆーとこじゃないと、夏休みはもう部活もないし、同級生とは合わないんすよね。まぁ当たってみます」
夏期講習。そうか、弟は受験生だった。
私は一旦帰宅し、翌日は朝から家族や結仁が教えてくれた友達に話を聞いた。弟は帰ってこなかった。
キャリアウーマンである母親も、この日ばかりは会社を休み全力で弟を探した。久しぶりに母親を見たが、オバサンになったんだなと感じた。五十になるはずだった。
夕方になっても音沙汰がなくて、母親も私も疲れ果てたところに、結仁からラインがきた。
「志郎、いました。ニサさんにだけ会うって」
私は母親に秘密にするべきか迷ったが、画面を見せた。中学生とは、親を疎ましく思う年齢だが、数いるきょうだいの中で私を選んでくれたことは素直に嬉しかった。
母親は「よろしくね」と、久しぶりに私を頼りにしてくれた。赤ちゃんの時に、よく泣いている弟を任せてくれたことを思い出す。キャリアウーマンの母親は威圧的で叱る時もそれはもう恐ろしく、権力で押さえつけている感じが拭えないタイプだったので、私に一任するとは意外だった。
私は結仁に言われたファストフード店に出向いた。夜の繁華街で、中三の弟がこんな所にいるというのは心配なようなよくある話のような、複雑な気持ちになった。
弟はキャップを深くかぶり、ストローで何かを飲んでいて全く表情が解らなかった。なんて話しかけたらいいのだろう。どうしたのと訊いて、どうしたのか話してくれるとは思わなかった。
「心配したよ」
って、連日帰りが遅かった私が言うなって感じだけど。
「元気なの?」
弟は微かに頷いた。私の方は見てくれなかった。なんだか大きくなったんだな、と感じた。自分も中三の時は、消化できない色々なことがあって、答えも出ないのに色々悩んでいた。何があるのかはわからないが、弟には今問題がきっとあるのだ。
「帰ってくるの? お母さん、このままだったら捜索願い出すところだよ」
「……ちょっとしたら、帰る」
「ちょっとっていつよ。だいたい安全なところにいるわけ?」
「安全。夏休みのうちには、帰る。夏期講習は、今のとこから勝手に行ってるから」
「携帯持ってなさいよ。GPSかけないから」
私は家から持ってきた弟のスマホを渡した。
「……光佳は、大学どこ第一志望にしたの」
弟は急に妹の話を始めた。そうか、受験生繋がりで、色々話していたのかもしれない。
「ごめん、わかんないや。私、光佳に敵視されてるから」
「光佳は医者になりたいんだよ」
「そうなの? そんなに出来る子だっけ?」
知っていた。妹は明るくて可愛くて、更に勉強も出来て真面目だった。
「光佳が医者になれたら、俺もなれる気がするから、頑張ってって伝えて」
私の知らない世界の話をしている。指名されてここに来たのに、寂しかった。
「帰ったら自分で伝えなさい」
弟は思ったより早く、それから数日後に帰宅した。その後暫くして、弟の彼女が癌で死んだことを聞いた。年上の、私と同じ年の子と、付き合っていたそうだ。弟は、妹と同じこの辺りでは一番の進学校を目指して受験勉強を続けた。
勉強しよう。私も。あっという間に死んでしまう。自分で何かを掴もう。
私は今まで興味がなかった色々な職業についてリサーチを開始し、行けそうな学校や予備校のパンフレットを閲覧するようになった。吐き気がしていた。妊娠検査薬で陽性が出て、一週間になる。相手の男は、私の他にも女がいると思う。そして私もそいつ以外に男がいた。
やめよう。こういうの。私の妹や弟は、医者を目指して勉強してる。私も、何かを目指して勉強しよう。
私たちきょうだいの中で、この事件があるまで一番の問題児は私だった。例の不登校事件の後も暫く反抗期が続き、その後もいわゆる普通のハイティーン時代は過ごさなかった。高校は行かず、付き合った男に合わせた生活を続けた。家は出なかったが、夜遅くに帰宅し、他の家族が出掛けてから外出した。優等生を続けていた妹は私を軽蔑し、完全に見下しているような気がしていた。
「志郎が帰ってこない。携帯はうちにある。何か知ってる?」
男と居る時に母親から電話がきた。「何ようるせーな」と喧嘩腰で受けたが、本題をきいて気持ちが切り替わる。とりあえず探してみる、と母親に返した。中学生は夏休みの時期だった。
最近は自分のことばかりで、弟とは関わりがなかった。弟はどんな子だったのだろうか。部活はバレー部。バスケに行かなかったのを、私はひそかに喜んだのを覚えている。しかしよく覚えているのは、まだ小学校低学年の頃の、ゲームをしたり、ブロックをしたりして楽しそうにしている弟だった。「ねぇニサ見て」と、上手くできたブロックの作品を見せてきた。中学生の兄に遊んで欲しくて、でも構ってもらえなくて寂しそうにしていた弟。でも友達には「俺は中学生の兄ちゃんがいるんだ」と嬉しそうに自慢していた弟。家族みんなに愛されていた弟。
とりあえず弟と年の近いきょうだいのいる友達に連絡を取った。何人目かでヒットした友達の弟の結仁という子と電話で話した。バレー部で一緒だったという。
「引退してからはあんま関わりなかったですけど、別に不良っぽいところもないし、いじめられたりもしてなかったと思います」
「志郎と仲の良かった子たちにも話ききたい。連絡先教えて」
「夏期講習とかは行ってました? そーゆーとこじゃないと、夏休みはもう部活もないし、同級生とは合わないんすよね。まぁ当たってみます」
夏期講習。そうか、弟は受験生だった。
私は一旦帰宅し、翌日は朝から家族や結仁が教えてくれた友達に話を聞いた。弟は帰ってこなかった。
キャリアウーマンである母親も、この日ばかりは会社を休み全力で弟を探した。久しぶりに母親を見たが、オバサンになったんだなと感じた。五十になるはずだった。
夕方になっても音沙汰がなくて、母親も私も疲れ果てたところに、結仁からラインがきた。
「志郎、いました。ニサさんにだけ会うって」
私は母親に秘密にするべきか迷ったが、画面を見せた。中学生とは、親を疎ましく思う年齢だが、数いるきょうだいの中で私を選んでくれたことは素直に嬉しかった。
母親は「よろしくね」と、久しぶりに私を頼りにしてくれた。赤ちゃんの時に、よく泣いている弟を任せてくれたことを思い出す。キャリアウーマンの母親は威圧的で叱る時もそれはもう恐ろしく、権力で押さえつけている感じが拭えないタイプだったので、私に一任するとは意外だった。
私は結仁に言われたファストフード店に出向いた。夜の繁華街で、中三の弟がこんな所にいるというのは心配なようなよくある話のような、複雑な気持ちになった。
弟はキャップを深くかぶり、ストローで何かを飲んでいて全く表情が解らなかった。なんて話しかけたらいいのだろう。どうしたのと訊いて、どうしたのか話してくれるとは思わなかった。
「心配したよ」
って、連日帰りが遅かった私が言うなって感じだけど。
「元気なの?」
弟は微かに頷いた。私の方は見てくれなかった。なんだか大きくなったんだな、と感じた。自分も中三の時は、消化できない色々なことがあって、答えも出ないのに色々悩んでいた。何があるのかはわからないが、弟には今問題がきっとあるのだ。
「帰ってくるの? お母さん、このままだったら捜索願い出すところだよ」
「……ちょっとしたら、帰る」
「ちょっとっていつよ。だいたい安全なところにいるわけ?」
「安全。夏休みのうちには、帰る。夏期講習は、今のとこから勝手に行ってるから」
「携帯持ってなさいよ。GPSかけないから」
私は家から持ってきた弟のスマホを渡した。
「……光佳は、大学どこ第一志望にしたの」
弟は急に妹の話を始めた。そうか、受験生繋がりで、色々話していたのかもしれない。
「ごめん、わかんないや。私、光佳に敵視されてるから」
「光佳は医者になりたいんだよ」
「そうなの? そんなに出来る子だっけ?」
知っていた。妹は明るくて可愛くて、更に勉強も出来て真面目だった。
「光佳が医者になれたら、俺もなれる気がするから、頑張ってって伝えて」
私の知らない世界の話をしている。指名されてここに来たのに、寂しかった。
「帰ったら自分で伝えなさい」
弟は思ったより早く、それから数日後に帰宅した。その後暫くして、弟の彼女が癌で死んだことを聞いた。年上の、私と同じ年の子と、付き合っていたそうだ。弟は、妹と同じこの辺りでは一番の進学校を目指して受験勉強を続けた。
勉強しよう。私も。あっという間に死んでしまう。自分で何かを掴もう。
私は今まで興味がなかった色々な職業についてリサーチを開始し、行けそうな学校や予備校のパンフレットを閲覧するようになった。吐き気がしていた。妊娠検査薬で陽性が出て、一週間になる。相手の男は、私の他にも女がいると思う。そして私もそいつ以外に男がいた。
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