僕は観客として

沢麻

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僕は観客として

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 出社すると、朝の打ち合わせがある。工場は一応二十四時間稼働しているが、八割は朝から夕方までの勤務なので、この間にどっとパート従業員が出勤してくる。 打ち合わせを終えた社員はとっとと工場内へ消えていき、野地は昨日の日報をファイルに閉じるとしばしコーヒーを飲んでトゥードゥーリストを眺め、九時半を回る頃に工場内へ出向く。工場の社員は工員ではない野地に何も要求しない。たまに機械の不具合があると報告してくるので、見て直せるものは直すし、無理ならメーカーに電話をするくらいで、野地は悠々と過ごせるのだった。
 三ノ宮さんはあれから二号店に転勤したようだ。本社にいたときに、一番職場環境が悪いのが二号店、一番いいのが三号店と言われ、三号店を勧められた。しかしあれで環境がいいとは思えない。川島君はイエスマンで優しいだけが取り柄、店長としての器はないように思えるし、三ノ宮さんは想像を絶する恐ろしさ。パート従業員のキャラが濃く主婦が多いのも野地には辛かった。
 川島君と三ノ宮さんは、随分野地のことで水面下の争いをしていたようだ。でも野地は、それを傍観するにとどめた。どうやったって上が決定するものだから、そこに参戦するのは時間と労力とメンタルの無駄なのである。本人の同意なしに転勤を決めてはいけないので、野地が本社籍を希望すればそのままになることもわかっている。結果、こんないいところに移動になることができた。これも全て、川島君と三ノ宮さんが野地のために戦ってくれたからだ。自分は戦わずして勝利を勝ち取る、この方法を覚えてしまうと地道なことなどできなくなる。
 野地は仕事が嫌いなのだ。ゆっくりと時間に追われることなく、日曜大工をしたりスポーツを観戦したり、生き物の世話をしたりするのが好きだ。栄養バランスを加味してメニューを考えるのも好きだった。栄養素とカロリーをパズルのようにはめていき、ぴったりいいものが完成した時の喜びは計り知れない。しかし、会社には就業時間というものがあり、その中で決められた数をやることはまたストレスであるのだった。
 今は何もストレスがない。弁当のメニューを考える必要はないので、今日の夕飯のメニューを考える。栄養素とカロリーの他に子供たちの好みという条件も加わり、なかなか難解なパズルだ。
 あとにした三号店のことは、もう何も思い出すことはなかった。野地は観客として、三号店という劇場に出向いていただけ。必要ない叱咤を受けたこともあったが、もう忘れた。
 そうだ、ハンバーグだ。大豆でかさましして、ソースを濃厚に。これで今日は決まりだ。
 野地はゆっくりと立ち上がると、巡回の準備をゆっくりと始めた。
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