時代小説の愉しみ

相良武有

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第三話 錺簪師

⑦辰次は仕事を確保する為に昔の兄弟子をも訪ね歩いた

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 元請を廻るだけでなく、辰次は仕事を確保する為に、独り立ちした昔の兄弟子をも訪ね歩いた。だが、下請仕事くらいなら貰えるだろうと期待した兄弟子の一人には、思いの外、厳しく対応された。商売の敵は一人でも少ないに越したことは無い、そういう思いがその態度に見え隠れした。
 仕事を呉れないのがはっきり解かった訳だから、辰次は一刻も早く立ち去りたかったが、兄弟子の話はねちねちと未だ続いていた。辰次の気持は次第に腹立たしくなった。
「お前ぇはなぁ、儂から見ると少し功を焦ったなぁ。独り立ちしたって商いと言うものはそう簡単に上手く行くものじゃ無ぇ。ただ創っているのとは訳が違うんだ。大通りに大きな店を構えたらしいが、それを聞いた時、儂はぴんと来たね、それは駄目だな、そんなに甘いものじゃ無かろうに、とな」
兄弟子は哀れむような視線を辰次に向けた。然し、哀れんでも仕事を呉れる心算など毛頭無いことは次第に蔑むようになる言葉の気配で解かった。
説教はもう要らねぇよ、と辰次は思ったが、兄弟子には亀甲堂で仕事を教えて貰った恩があった。それに仕事を貰いに来た弱みもあって柔らかい微笑で受け止めた。
「仰る通りです。あっしが世間を甘く見て弾き返されたんです。未だ未だ青二才だったと言うことです」
「そうだわ、な」
兄弟子は肉の薄い顔に嬉しそうな表情を浮かべた。辰次が素直に己の非を認めたのが、そういう表情に繋がったのかも知れなかった。
「お前ぇに説教をする心算は無ぇが、商いはそう容易いものじゃ無ぇ。最初は我慢に我慢、辛抱に辛抱、これに尽きるんだよ、な」
「へい、ご尤もです」
「お前ぇは腕は良い、否、良過ぎるほどだ。だが、自惚れが有る、奢っちゃいけねえんだ」
「・・・・・」
兄弟子は辰次の非を滑らかな口調で責め続けた。
「お前ぇは惜しいことに、我が道を行くというやつで素直さに欠けている。儂に言わせれば、独り立ちして店を構えるには十年早ぇぜ。親方の娘婿の件が有ったにしろ、何故もう四、五年ほど亀甲堂で辛抱しなかったんだ?男の意地や誇りで飯が食えるほど独り立ちは容易くはねえんだよ、そんなものは驕りと言うものだ」
兄弟子は亀甲堂で十年の年季奉公を務め、その後四年余りの修行を積んで、自分で店を構えた男である。辰次が弟子入りした時には既に古参の職人頭で、仕事の差配や新入りの指導に当たっていた。実直でコツコツと仕事に励む勤勉さで亀次郎親方には便利だったろうが、辰次にはそれほど腕が良いとは思えなかった。新しいものを生み出すたくらみや想い着きに欠けているのが最大の欠点で、それは誂え物を創るには致命的だ、と辰次は思っていた。あれでよく親方の片腕が務まったものだ・・・。そういう兄弟子から見れば才気走って閃きや趣向の豊かな辰次は小癪に障るものだったのかも知れなかった。
兄弟子が辰次に投げかける言葉には、そういう人間が吐き出す毒気が含まれていた。
辰次は、幾ら仕事が欲しかったとは言え兄弟子を頼って来たのは間違いだった、と臍を噛んだ。
「ま、これを機会に商いというものをじっくりと学ぶことだな、辰次」
「へい、そうする心算です」
言いたいことを言って、さすがに少し気が咎めたのか、兄弟子は、何処か他を世話して欲しいなら取次状を書いてやろうか、と言った、が、辰次は丁重に断って外に出た。店の外に出ると地面に向かってペッっと唾を吐いた。
取次状は喉から手が出るほど欲しかったが、あれだけの御託を並べられた後では頼む気にはなれなかった。それに、書いて貰ったところで、見ず知らずの相手では結果は同じだろうとも思った。恥をかくだけだ!辰次は辛うじて矜持を保った。
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