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第5話 雨の再会
③テレビのキャスターをしている奈緒美は記憶に有るよりはずっと美貌だった
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レストランの仄暗い灯の下で見る奈緒美は記憶に有るよりはずっと美貌だった。
瓜実顔に感じの良い小さめの唇。間隔の開いた円らな黒い瞳。微笑むと出来る片笑窪は整った顔立ちを際立たせている。その美貌に毅は己の心の始末が悪いほどに見惚れた。
無論、その美貌はジャーナリストとしての奈緒美に幸いしたが、反面、彼女の足を引っ張るものでもあった。年配の記者や老練な編集者には、これほどの美人が記者としての実力を具えているとは信じられなかったのである。奈緒美は自らの美貌に打ち克つ為に、同僚たちの何倍も働かなければならなかった。東京で一緒に暮らしていた頃、彼女は毅に語ったものである。
「早く歳を取って老け顔になりたいわ。そうすれば、誰もが皆、私の実力を容姿と切り離して評価してくれるだろうから」
今、テーブル越しに奈緒美を見つめながら、そういう日は決して来ないだろう、と毅は思った。
「京都も変わったわねぇ。以前と比べて、何だか、何方を観ても外国人ばかりだわ」
「否、その外人観光客を当て込んで、万事、金銭が掛かるようになった、と言った方が正確だな」
「今、取材班を組んで観光都市京都のこれまでとは違う新しい魅力を取材しているところなの。この番組一本の取材で二ヶ月分のギャラを使い切りそうだわ」
「以前、観光と芸能の仕事だけはしたくない、と言ったことがあったよな」
「まだ若かったのよ、あの頃は」
奈緒美は続けて言った。
「あなただって、ファッション写真だけは撮りたくない、って言っていたじゃないの」
「あれは喰う為に仕方なくやったことだ。でも、もう三年前に止めたよ」
「知っているわ。名の知れたあなたが何かの雑誌で語っているのを読んだから。あなたの為にはその方が良かった、と喜んでいたのよ、わたし」
気まずい瞬間が生まれた。奈緒美はどう続けて良いのか迷っているようだった。
毅は他人行儀な口調で言った。
「俺の身を案じてくれて有難う、ってそう言えば良いのかな、こういう場合」
可能な限り簡潔な言葉を探し出そうとでもするかのように、奈緒美はスプーンでコーヒーを掻き混ぜた。
「戦争や戦場や戦闘員や・・・地震や原発や・・・惨禍の人々やその土地を・・・報道する・・・それがあなたの生き方なのね」
毅は微笑を浮かべた。
「ああ、それが俺の生き方だよ。危険な場所に身を置いて、埃まみれ、塵塗れ、泥まみれになっている」
奈緒美は小さく笑った。
毅はつづけた。
「君だってそうだったじゃないか。然も、あんなに有能だった。あの当時の君くらい有能な記者はそうザラには居なかったぜ」
毅は眼を逸らして他の客を眺め、目に留まったウエイターを呼び止めてコーヒーのお代わりを頼んだ。
「記者の仕事って好きだったなぁ、わたし」
「今だってその気になれば出来るじゃないか」
奈緒美はまた話題を替えた。
「ねえ、シリアや中東や戦争のこと、話して」
毅は話し出した。
直向きに此方を見詰める癖が彼女にはまだ残っているようだった。それは、今この瞬間、彼女の為に存在するのはこの自分だけだ、と思わせるくらいだった。以前はそうして見詰められるのが好きだったが、今、毅は当惑していた。
彼は優しい口調で言った。
「君も中東や戦争を取材すれば良いのに。絶対興奮すると思うよ。何と言ったってアメリカ同時多発テロ以来の大変動なんだから」
「そりゃ私も行きたいわ」
「今からでも遅くはないぜ。行って来れば良いのに」
「駄目なのよ。上の連中が・・・」
奈緒美は後の言葉を吞み込んだ。一瞬何処か遠くを見るような眼をしたが、また現実に戻って、自分の今の仕事を説明し始めた。
ニュース番組のキャスターをしている彼女は、毎日スタジオに座って、テレプロンプターの掲げるニュースを読まなければならない。
「遠く離れて自分たちとは直接関わりの無い激動する中東のニュースなどに、一般の日本人はあまり興味を持っていないようなの。破壊された街や家、転がる死体、惨たらしい戦場、そんな悍ましいものを見たくないのよ、平和な日本人は。旅やファッションやグルメやお笑いのような毒にも薬にもならないものが観たいのよ、きっと。そんなものは中東関係のニュースには決して登場しないからね。だから、この京都に派遣されたってわけ」
「此処だったら、その毒にも薬にもならないものが一杯在るってことか・・・外国人を始め観光客だらけで生粋の京都人が殆ど居ない、気品も風情も情緒も地に落ちたこの京都に何を観ようって言うんだ?」
「ええ。でも、替わりに観光客の落とすお金が溢れるほどに入って来るじゃない。お金には関心が有るんですもの、視聴者は」
毅は笑った。
低く笑いながら、同時に、アフガニスタンの戦地で危険に晒されながらも必死に抵抗した時の奈緒美を思い出していた。あの時、奈緒美は泣き叫びながら残ろうとしたのだった、絶対に最後まで見届けるんだ、と言って。あの時の取材では、それこそ数え切れないくらいの死体や惨たらしい惨禍を目撃したのだが・・・
毅は言った。
「でも、なんとか中東に行ってみるべきだよ。行かないとこの先の歴史的瞬間を見逃すことになるかも知れないぞ」
「わたしはこの侭、あなたを見逃す方が辛いの」
「今更、そんなことは言わないでくれよ。俺は歳を取り過ぎたよ。そう言うゲームはもう出来ないよ」
「ゲームとは違うと思うけど、これは」
「否、違わないよ。ただ、あの時、俺たちは別々のルールでゲームをしていたんだな、きっと」
長い沈黙が続いた。
他の客の話声が聞こえて来る。カップがカチンと皿に触れる音も、幾つかの言葉の切れ端も、愉しげに笑いだす声も、聞こえて来る。
低い声で奈緒美が言った。
「悪かったわ、ご免なさい、毅さん。此処に来たらあなたを怒らせることだけはしたくない、と思っていたの・・・真実に私、もう随分前からあなたに逢いたかったのよ」
それには答えず毅は勘定を頼んだ。
絶品のフレンチと芳醇な白ワインの後に、蕩ける甘味デザートと香しい渋苦のコーヒーを飲食して、二人は立ち上がった。
勘定は毅がカードで支払った。
外に出乍ら、彼は囁いた。
「俺も会いたかったよ、君に」
瓜実顔に感じの良い小さめの唇。間隔の開いた円らな黒い瞳。微笑むと出来る片笑窪は整った顔立ちを際立たせている。その美貌に毅は己の心の始末が悪いほどに見惚れた。
無論、その美貌はジャーナリストとしての奈緒美に幸いしたが、反面、彼女の足を引っ張るものでもあった。年配の記者や老練な編集者には、これほどの美人が記者としての実力を具えているとは信じられなかったのである。奈緒美は自らの美貌に打ち克つ為に、同僚たちの何倍も働かなければならなかった。東京で一緒に暮らしていた頃、彼女は毅に語ったものである。
「早く歳を取って老け顔になりたいわ。そうすれば、誰もが皆、私の実力を容姿と切り離して評価してくれるだろうから」
今、テーブル越しに奈緒美を見つめながら、そういう日は決して来ないだろう、と毅は思った。
「京都も変わったわねぇ。以前と比べて、何だか、何方を観ても外国人ばかりだわ」
「否、その外人観光客を当て込んで、万事、金銭が掛かるようになった、と言った方が正確だな」
「今、取材班を組んで観光都市京都のこれまでとは違う新しい魅力を取材しているところなの。この番組一本の取材で二ヶ月分のギャラを使い切りそうだわ」
「以前、観光と芸能の仕事だけはしたくない、と言ったことがあったよな」
「まだ若かったのよ、あの頃は」
奈緒美は続けて言った。
「あなただって、ファッション写真だけは撮りたくない、って言っていたじゃないの」
「あれは喰う為に仕方なくやったことだ。でも、もう三年前に止めたよ」
「知っているわ。名の知れたあなたが何かの雑誌で語っているのを読んだから。あなたの為にはその方が良かった、と喜んでいたのよ、わたし」
気まずい瞬間が生まれた。奈緒美はどう続けて良いのか迷っているようだった。
毅は他人行儀な口調で言った。
「俺の身を案じてくれて有難う、ってそう言えば良いのかな、こういう場合」
可能な限り簡潔な言葉を探し出そうとでもするかのように、奈緒美はスプーンでコーヒーを掻き混ぜた。
「戦争や戦場や戦闘員や・・・地震や原発や・・・惨禍の人々やその土地を・・・報道する・・・それがあなたの生き方なのね」
毅は微笑を浮かべた。
「ああ、それが俺の生き方だよ。危険な場所に身を置いて、埃まみれ、塵塗れ、泥まみれになっている」
奈緒美は小さく笑った。
毅はつづけた。
「君だってそうだったじゃないか。然も、あんなに有能だった。あの当時の君くらい有能な記者はそうザラには居なかったぜ」
毅は眼を逸らして他の客を眺め、目に留まったウエイターを呼び止めてコーヒーのお代わりを頼んだ。
「記者の仕事って好きだったなぁ、わたし」
「今だってその気になれば出来るじゃないか」
奈緒美はまた話題を替えた。
「ねえ、シリアや中東や戦争のこと、話して」
毅は話し出した。
直向きに此方を見詰める癖が彼女にはまだ残っているようだった。それは、今この瞬間、彼女の為に存在するのはこの自分だけだ、と思わせるくらいだった。以前はそうして見詰められるのが好きだったが、今、毅は当惑していた。
彼は優しい口調で言った。
「君も中東や戦争を取材すれば良いのに。絶対興奮すると思うよ。何と言ったってアメリカ同時多発テロ以来の大変動なんだから」
「そりゃ私も行きたいわ」
「今からでも遅くはないぜ。行って来れば良いのに」
「駄目なのよ。上の連中が・・・」
奈緒美は後の言葉を吞み込んだ。一瞬何処か遠くを見るような眼をしたが、また現実に戻って、自分の今の仕事を説明し始めた。
ニュース番組のキャスターをしている彼女は、毎日スタジオに座って、テレプロンプターの掲げるニュースを読まなければならない。
「遠く離れて自分たちとは直接関わりの無い激動する中東のニュースなどに、一般の日本人はあまり興味を持っていないようなの。破壊された街や家、転がる死体、惨たらしい戦場、そんな悍ましいものを見たくないのよ、平和な日本人は。旅やファッションやグルメやお笑いのような毒にも薬にもならないものが観たいのよ、きっと。そんなものは中東関係のニュースには決して登場しないからね。だから、この京都に派遣されたってわけ」
「此処だったら、その毒にも薬にもならないものが一杯在るってことか・・・外国人を始め観光客だらけで生粋の京都人が殆ど居ない、気品も風情も情緒も地に落ちたこの京都に何を観ようって言うんだ?」
「ええ。でも、替わりに観光客の落とすお金が溢れるほどに入って来るじゃない。お金には関心が有るんですもの、視聴者は」
毅は笑った。
低く笑いながら、同時に、アフガニスタンの戦地で危険に晒されながらも必死に抵抗した時の奈緒美を思い出していた。あの時、奈緒美は泣き叫びながら残ろうとしたのだった、絶対に最後まで見届けるんだ、と言って。あの時の取材では、それこそ数え切れないくらいの死体や惨たらしい惨禍を目撃したのだが・・・
毅は言った。
「でも、なんとか中東に行ってみるべきだよ。行かないとこの先の歴史的瞬間を見逃すことになるかも知れないぞ」
「わたしはこの侭、あなたを見逃す方が辛いの」
「今更、そんなことは言わないでくれよ。俺は歳を取り過ぎたよ。そう言うゲームはもう出来ないよ」
「ゲームとは違うと思うけど、これは」
「否、違わないよ。ただ、あの時、俺たちは別々のルールでゲームをしていたんだな、きっと」
長い沈黙が続いた。
他の客の話声が聞こえて来る。カップがカチンと皿に触れる音も、幾つかの言葉の切れ端も、愉しげに笑いだす声も、聞こえて来る。
低い声で奈緒美が言った。
「悪かったわ、ご免なさい、毅さん。此処に来たらあなたを怒らせることだけはしたくない、と思っていたの・・・真実に私、もう随分前からあなたに逢いたかったのよ」
それには答えず毅は勘定を頼んだ。
絶品のフレンチと芳醇な白ワインの後に、蕩ける甘味デザートと香しい渋苦のコーヒーを飲食して、二人は立ち上がった。
勘定は毅がカードで支払った。
外に出乍ら、彼は囁いた。
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