人生の時の瞬

相良武有

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第9話 回り道

③瑠美、墓参の霊園で手塚純一と再会する

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 今日は彼岸の中日、朝から花曇りである。薄い雲の上にぼんやりと日が透けて見えながら、空は一面に曇っていた。が、空気は暖かい。もう先日のように、冷たい北風が吹くことはないだろう、と瑠美は思った。
 墓参りを済ませて霊園を出た瑠美は、霊園への丘の中腹にある駐車場までの遊歩道をゆっくりと歩いた。細い遊歩道は、曲がりくねった川に沿って頂上の霊園まで続き、下方は大きな橋の袂に下りて行っているようだった。
道の左側の山の斜面から一ヶ所、道に覆い被さるように花が枝垂れているのが見える。薄い紅色の花は、もしかしたら桜かと思われたが、桜が咲くには少し早い気もした。瑠美は紅梅の残りかもしれないと思った。
 薄日の温かさと、遠くに見える花に誘われて、瑠美は川沿いに延びる道を駐車場へと下って行った。急いで戻る必要はない。眼下には濃い緑色を移した清流がゆっくりと流れていたし、反対側を見上げれば雑木の斜面がかなりの高さにまで聳えて樹木が風に微かにそよいでいた。人影も無く静かな道だった。小鳥の声が洩れてくる。
あっ、やっぱり桜だった・・・!道から丘の斜面に少し上がったところに太い桜の木が生えていた。木は少し傾いて、傘のように道の上に枝を広げていた。花弁の薄い山桜だったが、その下に立つと、薄紅色の花が一面に頭上を覆って、まるで別世界に入った感じがした。花は漸く三分咲きほどで未だ蕾の方が多かった。
霊園へ上って行く時にはまるで気付かなかった。清楚な花から微かに芳香が漂っている。
見上げているうちに、瑠美は一枝欲しくなった。折り取って持ち帰り壷に活けたらきっと美しいことであろう。民家の庭に咲いている花ではないから、一枝くらい持ち帰っても叱られることは無いのではないか・・・
そう思いながら頭上の枝に手を伸ばした。ところが枝は想像以上に高い位置にあって僅かに届かない。瑠美は爪先立ってみたが届かなかった。少し場所を変え低い枝を目掛けて再度爪先立ってみる。
そうして花に心を奪われている間に、彼女は胸にしこっている日頃の煩いを忘れていた。指先に触れた枝があった、が、僅かに掴めない。瑠美は少しよろめいた。
 その時、不意に男の声がした。
「取ってやろうか」
あまり突然だったので瑠美は吃驚して軽く声をあげた。
声の主は微笑っていた。
「手塚さん!」
瑠美は眼を見張った。
いつの間にか、瑠美が花を折るのに夢中になっている間に、駐車場から出て来て道を上がって来たらしかった。
手塚はそんな瑠美の様子など構わずに、無造作に頭上の枝を掴んだ。
「こんなもので良いかな?」
瑠美が頷くのを見て、びしりと一枝を折った。
渡された花を胸に抱いた時、彼女は漸く驚きから覚めて礼を言った。そして、顔に血が上るのを感じた。
上気した瑠美の顔を、手塚は微笑を含んだ眼でじっと見た。
「随分久し振りだな。それに、こんな所で君に会うなんて将に奇遇だな」

 手塚純一は兄真一の親しい友人だった。
今から十年前、ジャズフェスティバルの会場で兄から紹介されたのが最初の出逢いだった。コンサートが終わってロビーへ出た処で三人はばったり出くわした。
「手塚じゃないか」
「やあ、君も来ていたのか」
早速に兄が瑠美を手塚に引き合わせた。
「こいつ、俺の妹で瑠美って言うんだ。此方、悪友の手塚君」
「初めまして、太田瑠美と申します。宜しくお願い致します」
瑠美は深く腰を折って頭を下げた。
「手塚です、此方こそ、宜しく」
彼は軽く微笑んで会釈した。
「折角逢ったんだから、上に在るカフェでコーヒーでも飲まないか?」
「うん、良いね、そうしよう」
三人は会館の三階に在るカフェテラスへ入って行った。
早速に兄たちは、今聞いて来たばかりのクラシック演奏について、意見を交わし始めた。
「クラシックは壮大で神々しく人間臭くて、それでいて恰好良いんだな」
「メロディーが美しく、リズムが生き生きとして、夫々の楽器が響き合うのが音楽だろう。メロディーは自身の姿、リズムは鼓動、響き合うハーモニーは人と人とが共存する為に最も大切なもの、音楽とはそういうものだと思うよ」
二人のクラシック談義は尽きることを知らないようであった。
 
 真一が大学を卒業して直ぐに東京へ赴任した後、瑠美は手塚を兄のように慕った。
兄の友人と言う気安さもあって、顔を合わせた時にはお茶を喫んだり、食事を共にすることも間々あった。長身の爽やかなビジネスマンに成長した手塚に対して、十九歳の瑠美は淡い恋心を抱き、秘めた初恋の人となったのである。
 大学卒業後、手塚は大手商社の営業部に入社したが、二十四歳の三年目にニューヨーク支店に転勤となった。彼は高校時代に父親を亡くして、母ひとり子ひとりの暮らしであったので、今更ながらの身知らぬ外国での生活を厭った母親の気持ちを汲んで、単身ニューヨークへ旅立って行った。瑠美と手塚の胸には互いを愛しむ仄かな恋の思いが在りはしたが、ビジネスマン駆け出しの新人と二十一歳の女子大生では将来の結婚を誓い合える状況では無かった。大勢の同僚や上司らに見送られて旅立つ手塚を、瑠美は空港ロビーの柱の陰でひっそりと見送った。もうこれっ切りあの人には逢えないんじゃないか・・・そう思った瑠美の胸の中を悲しみの涙が泳いだ。瑠美は慌てて化粧室へ駆け込み、人目を忍んで咽び泣いた。
 爾来、二人は今日まで疎遠になっていた。
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