人生の時の瞬

相良武有

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第9話 回り道

②ああ、やられた、上手く乗せられた、弄ばれた・・・

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 結局二人はその週末の土曜日に、街一番のグランドホテルで落ち合い最上階のフレンチ・レストランで食事を共にした。
岡田はやたらとジョークや駄洒落を連発して、瑠美の気持を解そうとした。
やがて二人は何時の間にか身の上話をもし始めていた。
「結婚は、未だしてないよな」
「ええ、結婚どころか恋人も居ないわ」
岡田は、信じられん、という表情を顔一杯に表した。
「あなたは、結婚しているわね」
答は無論、イエス、だった。
彼はワインを一口啜り乍ら続けた。
「でもなぁ、今の女房との暮らしにはもう我慢出来ないんだ」
「じゃ、何故、今も奥さんと一緒に居るの?」
「それが自分にも良く解らないんだ」
それから彼は又、駄洒落を三つばかり続けて、話の矛先を変えた。
どれもが陳腐なジョークであったが、岡田が九州訛りの妙なイントネーションで愉快そうに話したので、瑠美も結構可笑しくなってつい笑ってしまった。
その晩、岡田は瑠美を家の戸口まで送り届け、お休み、と言って帰って行った。
瑠美は、岡田と逢うのはもう是っ切りにしよう、と思った。
 ところが、翌日から岡田は毎日のように、花やミッキー・マウスの絵や小さなスカーフなど何か新しい細々としたプレゼントを持って郵便配達にやって来た。そして口を開けばあの九州訛りの妙なイントネーションで駄洒落とジョークを連発した。
そして、次の日曜日には一緒にラブストーリー映画を観に出かけた。
翌週の日曜日には岡田が瑠美の手を握った。
その次の週には接吻を交わした。
気が付けば、瑠美は駄洒落を連発する九州訛りの郵便配達夫に恋して居り、配達夫は瑠美にぞっこん惚れていたのだった。
或る日、岡田が真剣な眼差しで瑠美に言った。
「少しでも君の近くに居たいから、女房と別居して、君の家の近所にアパートかマンションを借りるよ」
瑠美は返事を躊躇った。
「少し休暇を取ることは出来ないか?」
「どうして?」
「一緒に旅行に出かけよう。女房には出張だって言うからさ」

 二人は伊豆から箱根を旅することにした。
「真実は君を九州に連れて行きたいんだが、女房の親類や知人に出会うとヤバイし、彼等は俺が女房を嫌いになった理由は解らないだろうからな」
「でも、どうして奥さんが嫌いになったの?」
「幾らジョークを言ってもちっとも笑わないんだ、あいつは」
伊豆・箱根の旅は素晴らしかった。
二人は毎晩、露天風呂で心身を癒し、美食に堪能して至福の時間を過ごした。
そして、最後の夜に岡田が瑠美に求婚した。真剣そのものの表情だった。
「女房とは別れるから、二人で幸せに暮らそう、な」
旅から帰って来た週末に、瑠美は彼に返答した。
「真実に奥さんと離婚出来たら結婚しても良いわ」
岡田は満面に笑みを浮かべて自宅へ帰って行った。
「今日こそは女房と話をつけるからな。明日には吉報を持って来るよ」

 だが、翌日、彼はやって来なかった。
その代わりに、中学一年生くらいの女の子がじっと瑠美の家を眺めていた。彼女は家の周りを一周して、暫くすると居なくなった。
次の日の月曜日には、新顔の配達夫が回って来た。
瑠美は彼を呼び止めて訊ねた。
「ねえ、岡田さんはどうしたの?」
返事は攣れなかった。
「岡田さん?そんな人、知りませんよ」
火曜日になっても岡田はやはり姿を現さなかった。
そして、水曜日になって、瑠美宛てに手紙が届いた。
「もう君には逢えない。何もかもがとんでもない間違いだった。俺はもう歳を取り過ぎていて、新しいスタートを切るのはとても無理だ。実は君との関係を娘に見つかってしまったんだ。娘がさんざん泣き喚くものだから、君とはもう二度と逢わないと約束せざるを得なかった。郵便局には転勤を申し出た。もう二度と君を煩わせるようなことはしないよ。色々と迷惑をかけて、ごめん」
瑠美は思った。
ああ、やられた、上手く乗せられた、誑かされた、弄ばれた、別に信じた訳じゃないけれど、憎い!あん畜生!
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