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⑭セレブの愛
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それは広岡慎一がニューヨーク支社に勤めて二年目の、アメリカ独立記念日のことだった。
支社長が徐に彼に命じた。
「今日はこれから、この街の名士が集うパーティーに出席する。君も後学の為に一緒に来給え」
支社長専用のベンツに乗り込んでマンハッタンから北へ一時間ほど走ると、美しい邸宅や歴史的建造物が建ち並ぶ古き良きアメリカの面影が残るハドソン渓谷沿いの町「スリーピーホロウ」に到着した。
門を潜って玄関へ、と思いきや、邸宅は見えなかった。緑の綺麗なゴルフコースと遠くにプレイハウスが現れ、丘の上までくねくね上って行くと漸く屋敷が見えて来た。正面にはハドソン渓谷を見下ろすように噴水と彫刻がド~ンと構えて在った。
パーティーの行われている大きな部屋へ入って行くと、大勢の人が居た。支社長たちは直ぐに知り合い客と握手をしたりハグをし合ったりして談笑し始めた。慎一は暫く彼らの傍でその様子を窺っていたが、やがて、奥の方に見えるダイニング・バーへ向かって歩き出した。
バーにも数多くの先客が居た。慎一は行き交ったウエイターに声を掛けてシャンパンをワングラス頼んだ。彼は立ったまま、運ばれて来たグラスを飲み干した。
バーを後にした真一は庭へ出て見た。隣の建物はカジノのようだった。
中へ入るとルーレットやゲームテーブル、スロットマシーンやゲームマシンなどが在り、奥にはビリヤードの台も在った。慎一は学生時代に少し手掛けた懐かしさを思い起こして、立て掛けて在ったキューの一本に手を触れた。
「其処で何をなさっているの?」
不意に背後から声を掛けられてハッと愕き、振り返った彼の視線の先に一人の若い女性が立っていた。
「済みません、勝手に入ってしまって・・・」
彼女は優しく微笑みを湛えて近付いて来た。
胸元の大きく開いた白いロングドレスが流れるように揺れた。
ブロンドの髪が肩先まで垂れ、蒼い眼には底深い光が宿って居た。
「あなたも、お見えになったお客様のお一人でしょうけど、退屈なさっていたようね」
「いえ、僕は別に・・・」
「いいのよ、私も、良い加減、うんざりしているのだから」
慎一が、それでは、と頭を下げて部屋を出ようとすると、彼女が呼び止めるように言った。
「あなた、日本の方のようね。商社の方とお見受けしましたけど、お名前は何とおっしゃるのかしら?」
「えっ?・・・いや、申し遅れました・・・」
彼は胸ポケットから名刺を取り出して手渡した。無論、英語で書かれた名刺だった。
受け取った彼女はゆっくりと確かめるように名前を口に出して読んだ。
「ヒロオカ シンイチさん?」
「そうです。宜しくお願い致します」
「私はキャサリン・スチュアートよ、宜しくね」
向けた笑顔がチャーミングだった。歳の頃は慎一と同じくらいか、一つ二つ上のようだった。
その時、打ち上げ花火の炸裂音が高々と聞こえて来た。
「あっ、花火が始まるわ、行きましょう」
キャサリンはそう言って、何気無い風に、慎一の腕に自分の腕を絡めた。
花火は裏庭で打ち上げられた。行く途中で彼女が説明するように話した。
「独立記念日には全米各地で花火大会が催されるけれど、その中でも最も規模が大きいのは、此処ニューヨークで開催される花火大会なの。この花火大会では凡そ四万発の花火が打ち上げられ、それをマンハッタンの夜景と共に楽しむことが出来るのよ」
「その打ち上げ花火をこの屋敷の庭で観賞出来るなんてまるで夢のような話ですね」
慎一は感嘆仕切りの感想を述べた。
裏庭への道すがら、キャサリンが慎一の顔を覗き込むようにして言った。
「明日の晩、ディナーをご一緒して頂けないかしら?」
「えっ?」
慎一には思いも寄らぬ言葉だった。彼女が何を言っているのかよく判らなかった。だが、キャサリンの顔に微笑みは無かった。彼女は真剣そのものの表情をしていた。
「然し、僕たちは今、知り合ったばかりだし・・・」
「わたし、あなたのことをもっとよく知りたいの」
彼女はじい~っと慎一の貌を凝視した。
暫くしてから、慎一が答えた。
「解りました。お供しましょう」
翌日、キャサリンが案内したのは、何と、寿司店だった。
店内は寿司カウンターと和室の個室と小さなテーブルが数台の、和が感じられる造りになっていて、慎一はまるで日本に居るかのような錯覚を覚えた。
「此処は三十五年以上も続いているニューヨークきっての極上のお寿司屋さんなの。数々のお魚は全て日本から直接仕入れていてとても新鮮なのよ。どう?美味しい?」
慎一が握られた寿司の一貫を頬張ると、ネタとシャリが一緒になった旨味が口の中一杯に拡がった。
「ベリー・グッド!」
彼は親指を立てて微笑んだ。キャサリンが満足そうに頷いた。
二人の会話は弾んだ。キャサリンは慎一のことをあれこれと知りたがった。
日本の何処に住んで居るの?両親はどんな人なの?兄弟や姉妹は居るの?信仰はやっぱり仏教なの?学校は何処を出たの?専門は何なの?どんな仕事をしているの?毎日の生活は愉しい?などなど・・・
慎一はキャサリンのことをそれほど訊ねなかった。彼女は富豪の次女だった。兄も弟も居た。住んで居る世界が余りにも違い過ぎた。生まれが違う、育ちが違う、環境が違う、身分が違う、価値観が違う。聞いてどうなるものでもなかった。彼は自分の“分”をわきまえて居た。
キャサリンはそんな慎一に惹かれた。ビジネスマンとしての矜持を保ち、富豪の娘に諂ったりお愛想をしたりすることは一切しない、その爽やかさに魅せられた。彼女の周りにちやほやと寄り集まって来る男たちとは異質であったし、邪心の無い男と接するのは初めてに等しかった。
キャサリンは積極的で行動的だった。自分から何の衒いも無く週末には慎一をデートに誘い、ディナーを共にして、自ら慎一への愛を告白した。
それは知り合って一カ月後の、週末の夜のことだった。
「わたし、シンイチと、もっと深く愛し合いたいの」
彼女はそう言って、その夜、彼を実家の別荘に誘った。
マンハッタンから車で二時間も走ると、ニューヨーク郊外のロングアイランドにあるハンプトンに着いた。慎一は夜の車窓から眺めるだけでそのスケールの大きさに圧倒された。
「此処は“東のハリウッド”と呼ばれているの。ニューヨークは今、バケーション・シーズンの真っ盛りで、週末ごとにリゾートへ出かける人や、纏めて休みを一月近くも取って旅行へ出かける人も居る。七月から九月の間はマンハッタンからニューヨーカーが居なくなる時期なのよ」
キャサリンの別荘も巨大だった。オーシャン・ビューのデッキが付いて居る部屋が二十室以上も在った。慎一は眼を見張った。
一年に数カ月しか利用しない別荘なのにこの規模なのか?・・・
シャワーを浴びて浴室から出て来たキャサリンが直ぐに唇を重ねて来た。その唇は熱かった。激しいキスを繰り返しながら彼女は言った。
「アイ・ラブ・ユー」「アイ・ラブ・ユー」
翌朝、人気のレストランでパンケーキの朝食を堪能した二人は、その後、ビーチへ向かった。真っ白い砂浜が遠く遥かまで拡がっていた。
午後は乗馬やポロのイベントを愉しみ、夜は連日催されるチャリティ・パーティーに出かけた。
「ハンプトンはニューヨーク社交界にとっての避暑地なの。この街を包み込むエレガントな雰囲気は、ソーシャライツと呼ばれる財界の著名人たちが挙って好むからこそ生まれるのよ」
夏の季節が終わって別荘を締めると、程無くクリスマスが終わってニュー・イヤーになり、やがて、寒い雪の季節となった。慎一にとってはニューヨークで迎える二度目の冬だった。
空気が乾燥していて「寒い」と言うよりは「痛い」と言う感じだった。三月になってもニューヨークは寒かった。最低気温は氷点下を記録し雪も降った。
そんな矢先だった。慎一に日本への帰任が発令された。
彼は二年振りに帰国することに思い惑った。何よりもキャサリンとの別離が彼の心を重くした。
キャサリンはじっと慎一の眼を覗き込みながら問いかけた。
「何か、心配事が有るみたいね、シンイチ」
柔らかい穏やかな口調であった。
「うん・・・」
彼女は何も言わずに慎一をじっと見つめて、続きを待った。
慎一は深く息を吸い込んだ。
「実は・・・」
彼は後に続く告別の言葉を少しでも和らげようと間を置いた。
「今度、日本へ帰ることになったんだ、本社勤務を命じられたよ」
「あっ、そう・・・」
キャサリンはそれっ切り押し黙って俯いた。それから、彼の視線を避けるように身体を回して、くるりと背を向けた。彼女の滑らかな肩の線が一瞬、震えた。此方に振り向いた口元も微かにヒクついていた。彼女は慎一の方を見ようとしなかった。
不意に、キャサリンが言った。
「私のお腹にシンイチの赤ちゃんが居るの」
「えっ?何だって?」
彼には衝撃の言葉だった。暫く次の言葉が継げなかった。
「そう。私が一番愛したシンイチの子供が、私のお腹の中に居るの」
彼は、どう応えて良いのか惑って、キャサリンの貌をじっと見詰めた。
「わたし、産むの、シンイチの子を」
「産む?」
「そう。私はシンイチから宝物を貰ったの。これは私の宝よ。だから、私は産むの」
「然し、僕は・・・」
慎一が何か言おうとすると、キャサリンが人差指を口の前に立てて遮った。
「何も言わなくて良いの。私は独りでこの宝物を産み出し、そして、大きく育てるの。でも、認知だけはしてやってね、父無し児では、後々、可哀相だからね」
「然し・・・」
「子供が大きくなったら、あなたの父は遠い日出ずる東の国に居るわ、って教えるの」
「・・・・・」
「良いの。最愛のシンイチの子供を私が独り占めするの、これは私の宝物よ。それが私の幸せなの。私はウジウジしないの、もう決めたの。だから、この話はこれでお終いよ」
キャサリンの態度は潔く小気味良かった。
慎一は答えようも無く、唯、彼女の貌をじっと見詰め続けた。
支社長が徐に彼に命じた。
「今日はこれから、この街の名士が集うパーティーに出席する。君も後学の為に一緒に来給え」
支社長専用のベンツに乗り込んでマンハッタンから北へ一時間ほど走ると、美しい邸宅や歴史的建造物が建ち並ぶ古き良きアメリカの面影が残るハドソン渓谷沿いの町「スリーピーホロウ」に到着した。
門を潜って玄関へ、と思いきや、邸宅は見えなかった。緑の綺麗なゴルフコースと遠くにプレイハウスが現れ、丘の上までくねくね上って行くと漸く屋敷が見えて来た。正面にはハドソン渓谷を見下ろすように噴水と彫刻がド~ンと構えて在った。
パーティーの行われている大きな部屋へ入って行くと、大勢の人が居た。支社長たちは直ぐに知り合い客と握手をしたりハグをし合ったりして談笑し始めた。慎一は暫く彼らの傍でその様子を窺っていたが、やがて、奥の方に見えるダイニング・バーへ向かって歩き出した。
バーにも数多くの先客が居た。慎一は行き交ったウエイターに声を掛けてシャンパンをワングラス頼んだ。彼は立ったまま、運ばれて来たグラスを飲み干した。
バーを後にした真一は庭へ出て見た。隣の建物はカジノのようだった。
中へ入るとルーレットやゲームテーブル、スロットマシーンやゲームマシンなどが在り、奥にはビリヤードの台も在った。慎一は学生時代に少し手掛けた懐かしさを思い起こして、立て掛けて在ったキューの一本に手を触れた。
「其処で何をなさっているの?」
不意に背後から声を掛けられてハッと愕き、振り返った彼の視線の先に一人の若い女性が立っていた。
「済みません、勝手に入ってしまって・・・」
彼女は優しく微笑みを湛えて近付いて来た。
胸元の大きく開いた白いロングドレスが流れるように揺れた。
ブロンドの髪が肩先まで垂れ、蒼い眼には底深い光が宿って居た。
「あなたも、お見えになったお客様のお一人でしょうけど、退屈なさっていたようね」
「いえ、僕は別に・・・」
「いいのよ、私も、良い加減、うんざりしているのだから」
慎一が、それでは、と頭を下げて部屋を出ようとすると、彼女が呼び止めるように言った。
「あなた、日本の方のようね。商社の方とお見受けしましたけど、お名前は何とおっしゃるのかしら?」
「えっ?・・・いや、申し遅れました・・・」
彼は胸ポケットから名刺を取り出して手渡した。無論、英語で書かれた名刺だった。
受け取った彼女はゆっくりと確かめるように名前を口に出して読んだ。
「ヒロオカ シンイチさん?」
「そうです。宜しくお願い致します」
「私はキャサリン・スチュアートよ、宜しくね」
向けた笑顔がチャーミングだった。歳の頃は慎一と同じくらいか、一つ二つ上のようだった。
その時、打ち上げ花火の炸裂音が高々と聞こえて来た。
「あっ、花火が始まるわ、行きましょう」
キャサリンはそう言って、何気無い風に、慎一の腕に自分の腕を絡めた。
花火は裏庭で打ち上げられた。行く途中で彼女が説明するように話した。
「独立記念日には全米各地で花火大会が催されるけれど、その中でも最も規模が大きいのは、此処ニューヨークで開催される花火大会なの。この花火大会では凡そ四万発の花火が打ち上げられ、それをマンハッタンの夜景と共に楽しむことが出来るのよ」
「その打ち上げ花火をこの屋敷の庭で観賞出来るなんてまるで夢のような話ですね」
慎一は感嘆仕切りの感想を述べた。
裏庭への道すがら、キャサリンが慎一の顔を覗き込むようにして言った。
「明日の晩、ディナーをご一緒して頂けないかしら?」
「えっ?」
慎一には思いも寄らぬ言葉だった。彼女が何を言っているのかよく判らなかった。だが、キャサリンの顔に微笑みは無かった。彼女は真剣そのものの表情をしていた。
「然し、僕たちは今、知り合ったばかりだし・・・」
「わたし、あなたのことをもっとよく知りたいの」
彼女はじい~っと慎一の貌を凝視した。
暫くしてから、慎一が答えた。
「解りました。お供しましょう」
翌日、キャサリンが案内したのは、何と、寿司店だった。
店内は寿司カウンターと和室の個室と小さなテーブルが数台の、和が感じられる造りになっていて、慎一はまるで日本に居るかのような錯覚を覚えた。
「此処は三十五年以上も続いているニューヨークきっての極上のお寿司屋さんなの。数々のお魚は全て日本から直接仕入れていてとても新鮮なのよ。どう?美味しい?」
慎一が握られた寿司の一貫を頬張ると、ネタとシャリが一緒になった旨味が口の中一杯に拡がった。
「ベリー・グッド!」
彼は親指を立てて微笑んだ。キャサリンが満足そうに頷いた。
二人の会話は弾んだ。キャサリンは慎一のことをあれこれと知りたがった。
日本の何処に住んで居るの?両親はどんな人なの?兄弟や姉妹は居るの?信仰はやっぱり仏教なの?学校は何処を出たの?専門は何なの?どんな仕事をしているの?毎日の生活は愉しい?などなど・・・
慎一はキャサリンのことをそれほど訊ねなかった。彼女は富豪の次女だった。兄も弟も居た。住んで居る世界が余りにも違い過ぎた。生まれが違う、育ちが違う、環境が違う、身分が違う、価値観が違う。聞いてどうなるものでもなかった。彼は自分の“分”をわきまえて居た。
キャサリンはそんな慎一に惹かれた。ビジネスマンとしての矜持を保ち、富豪の娘に諂ったりお愛想をしたりすることは一切しない、その爽やかさに魅せられた。彼女の周りにちやほやと寄り集まって来る男たちとは異質であったし、邪心の無い男と接するのは初めてに等しかった。
キャサリンは積極的で行動的だった。自分から何の衒いも無く週末には慎一をデートに誘い、ディナーを共にして、自ら慎一への愛を告白した。
それは知り合って一カ月後の、週末の夜のことだった。
「わたし、シンイチと、もっと深く愛し合いたいの」
彼女はそう言って、その夜、彼を実家の別荘に誘った。
マンハッタンから車で二時間も走ると、ニューヨーク郊外のロングアイランドにあるハンプトンに着いた。慎一は夜の車窓から眺めるだけでそのスケールの大きさに圧倒された。
「此処は“東のハリウッド”と呼ばれているの。ニューヨークは今、バケーション・シーズンの真っ盛りで、週末ごとにリゾートへ出かける人や、纏めて休みを一月近くも取って旅行へ出かける人も居る。七月から九月の間はマンハッタンからニューヨーカーが居なくなる時期なのよ」
キャサリンの別荘も巨大だった。オーシャン・ビューのデッキが付いて居る部屋が二十室以上も在った。慎一は眼を見張った。
一年に数カ月しか利用しない別荘なのにこの規模なのか?・・・
シャワーを浴びて浴室から出て来たキャサリンが直ぐに唇を重ねて来た。その唇は熱かった。激しいキスを繰り返しながら彼女は言った。
「アイ・ラブ・ユー」「アイ・ラブ・ユー」
翌朝、人気のレストランでパンケーキの朝食を堪能した二人は、その後、ビーチへ向かった。真っ白い砂浜が遠く遥かまで拡がっていた。
午後は乗馬やポロのイベントを愉しみ、夜は連日催されるチャリティ・パーティーに出かけた。
「ハンプトンはニューヨーク社交界にとっての避暑地なの。この街を包み込むエレガントな雰囲気は、ソーシャライツと呼ばれる財界の著名人たちが挙って好むからこそ生まれるのよ」
夏の季節が終わって別荘を締めると、程無くクリスマスが終わってニュー・イヤーになり、やがて、寒い雪の季節となった。慎一にとってはニューヨークで迎える二度目の冬だった。
空気が乾燥していて「寒い」と言うよりは「痛い」と言う感じだった。三月になってもニューヨークは寒かった。最低気温は氷点下を記録し雪も降った。
そんな矢先だった。慎一に日本への帰任が発令された。
彼は二年振りに帰国することに思い惑った。何よりもキャサリンとの別離が彼の心を重くした。
キャサリンはじっと慎一の眼を覗き込みながら問いかけた。
「何か、心配事が有るみたいね、シンイチ」
柔らかい穏やかな口調であった。
「うん・・・」
彼女は何も言わずに慎一をじっと見つめて、続きを待った。
慎一は深く息を吸い込んだ。
「実は・・・」
彼は後に続く告別の言葉を少しでも和らげようと間を置いた。
「今度、日本へ帰ることになったんだ、本社勤務を命じられたよ」
「あっ、そう・・・」
キャサリンはそれっ切り押し黙って俯いた。それから、彼の視線を避けるように身体を回して、くるりと背を向けた。彼女の滑らかな肩の線が一瞬、震えた。此方に振り向いた口元も微かにヒクついていた。彼女は慎一の方を見ようとしなかった。
不意に、キャサリンが言った。
「私のお腹にシンイチの赤ちゃんが居るの」
「えっ?何だって?」
彼には衝撃の言葉だった。暫く次の言葉が継げなかった。
「そう。私が一番愛したシンイチの子供が、私のお腹の中に居るの」
彼は、どう応えて良いのか惑って、キャサリンの貌をじっと見詰めた。
「わたし、産むの、シンイチの子を」
「産む?」
「そう。私はシンイチから宝物を貰ったの。これは私の宝よ。だから、私は産むの」
「然し、僕は・・・」
慎一が何か言おうとすると、キャサリンが人差指を口の前に立てて遮った。
「何も言わなくて良いの。私は独りでこの宝物を産み出し、そして、大きく育てるの。でも、認知だけはしてやってね、父無し児では、後々、可哀相だからね」
「然し・・・」
「子供が大きくなったら、あなたの父は遠い日出ずる東の国に居るわ、って教えるの」
「・・・・・」
「良いの。最愛のシンイチの子供を私が独り占めするの、これは私の宝物よ。それが私の幸せなの。私はウジウジしないの、もう決めたの。だから、この話はこれでお終いよ」
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