クラブ「純」のカウンターから

相良武有

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第四章 常連客、大木の殉愛死

①「大木さんが先ほど、亡くなったの」

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 霙交じりの寒い冷たい二月の夜だった。
午前零時を回ってクラブ「純」を出た嶋木は、強い風に吹かれてコートの襟を立て、肩を窄めて家路を急いだ。川沿いの道を西に向かって歩き、交差する通りを左折しようとして、川に架かる橋の袂で黒いものが蹲っているのを眼にした。常連客の大木だった。欄干を背に両足を前に投げ出して、ぐったりともたれかかっていた。嶋木が屈みこんで両腕を掴み、ぐいっと引き起こした時、どんより曇った鈍色の眼が開かれ、泣いているのが見て取れた。
「大丈夫ですか、大木さん?」
嶋木は声をかけた。
「ああ、ああ。構わんでくれよ」
声はくぐもって擦れている。眼も据わっていた。
「さあ、行きましょう。家まで送りますよ」
「放っといてくれよ」
「こんなところに居たら凍え死んじゃいますよ、大木さん」
「放っといてくれと言ってるんだよ!」
今まで聞いたことの無いぞんざいな言い方だった。
だが、嶋木が抱え起こすと逆らわずに立ち上がった。が、ぐらっと前につんのめり、深く息を吸い込んで又、ぐらっとつんのめって橋の欄干に手をついた。泥酔していた。それに苦渋と疲労に打ちひしがれてもいた。
 タクシーを止めて、半ば押し込むようにして乗せたが、住んでいる場所を尋ねてもむっつりと押し黙って教えない。運転手は下呂でも吐かれるのではないかと気が気でない様子である。嶋木は、何かあったら自分が責任を持って始末するからと、車をスタートさせた。
大木がくぐもった声で呟いた。
「メインストリートを真っ直ぐ西に走って最初の私鉄駅の前で降ろしてくれ」
タクシーは霙で濡れた深夜の街路を疾走した。
西に走って私鉄駅に到達した処で、二人は車を降りた。大木はちらっと嶋木を見やってから、ふらふらと歩いて行こうとする。それから、肩越しに振り向いて、近くの駅前マンションの戸口に立った。
「嶋木君」
さっと正面に向き直って彼は言った。
「構わんでくれと言ったのが聞こえなかったのか?」
「いや、聞こえましたよ」
「じゃ、放っといてくれよ!」
その後暫く、大木はクラブ「純」に姿を見せなかった。
 
 大木が再び「純」に姿を現したのはそれから一カ月後の夜だった。
丁度、サラリーマンの人事異動の時期で、歓送会帰りの二次会の連中で「純」は満員だった。ドアを開けた大木は混んでいる店内をぐるっと見回した後、丁度折よく空いたカウンター席の一番奥に腰かけた。島木が正面の鏡に眼をやると、その鏡の中で、彼の眼が嶋木をじっと見つめていた。
店内には、惜別の歌が流れていた。
暫く間を置いて、客が注文した水割りを二、三杯作ってから、嶋木は大木の傍に近寄って行った。
「この前の晩のことですけど、あなたをタクシーで送って行った時、何か気に触ることをしたのだったら謝りますよ」
彼はさっと嶋木の方を向いた。黒い眼の中で、赤い炎が光っていた。
「嶋木君。あんた、親切そうな小賢しい顔をしているが」
彼は言った。
「自分が何をしたのか解っているのかね?」
「ええ、解っているつもりですが」
嶋木が答えると、彼は言った。
「あんたはね、私の領分を侵したんだよ。小賢しい親切そうな顔をして、私の世界に土足で踏み込んで来たんだよ」
 大木は気を昂ぶらせていた。彼はそれっきり、ぷいと顔を背けてしまった。
止む無く、嶋木も彼に背を向けて元の立ち位置へ戻った。
嶋木は、考えてみれば、大木の言う通りかも知れないと思った。
俺は親切心という安っぽい同情から大木に関ったのであり、そのお返しに大木は、俺の余計なお世話の青臭い感傷にグサッと切り込んだのである。
余計なことをしてしまったかも、な・・・
 嶋木がふと顔を上げると大木の姿が見当たらなかった。と同時に、彼の座っていた辺りに人の輪が出来て、周囲が騒々しくなった。
近寄った嶋木の眼の下で大木が倒れていた。
「大木さん、大丈夫ですか?大木さん!」
直ぐに救急車が呼ばれて病院に運ばれた。居合わせた常連客の一人が同乗して行った。
 
 その日の深夜に嶋木の携帯電話が鳴った。純子ママからであった。
「大木さんが先ほど、亡くなったの」
「えっ?」
「救急車で病院に着いた後、程無くして、心筋梗塞で息を引取ったの」
「・・・・・」
「遺体は、今夜は病院の安置所に留め置かれるわ。でも、家族や親戚に連絡しなければならないので、明日の朝、大木さんのマンションへ一緒に行って欲しいのだけど・・・」
「解りました。同行します」
嶋木は、肝心なところではぐらかされたという思いと大木が急死したショックとで驚愕し、愕然とした。大木に対しては改めて言いたいこと、聞きたいことが有ったし、彼についてもっと知りたいことも有ったのにと、嶋木は無念の思いを噛み締めた。
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