クラブ「純」のカウンターから

相良武有

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第十章 春よ、早く来い!

⑤嶋木、ライブハウスを任される

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 それから岡林は思いもしなかったことを嶋木に言った。
「なあ、譲二」
嶋木は、はいっ、という面差しで岡林の顔を窺った。アルバイトで働き始めてから十年間、岡林はいつも嶋木のことを姓で呼ばずに、譲二、と呼んで来た。それだけ可愛がってくれたのだった。
「此処のあのライブハウスだけどな、あれ、お前がやってくれないか?」
「えっ、俺が、いえ、私が、あのライブハウスを経営するんですか?」
「うん。一寸大がかりな店だったので一年余りの間、自分でやって来たが、漸く軌道にも乗って来た。だから今後はお前にやって貰いたいんだが、どうだ、やってくれないかね?それとも、こんな田舎町へ流れ落ちるのは嫌か?」
「然し、やったこともないし、上手く行くかどうかも判らないし・・・」
「店を作ることを考えた時から、お前にやって貰いたいと思って居たんだ。この話は純子ママも承知してくれている。お前を手放すのは心許無い、と渋ったんだが、俺が説得した、それが譲二の為だ、と言って、な」
「はあ、有難うございます」
「お前もいつまでも死んだ妻子のことをくよくよ考えて、落ち沈んでいても仕方ないだろう。死んだ二人も成仏出来ないし浮かばれもせんぞ。思い切って川を渡ってみたらどうだ、うん?」
「・・・・・」
「お前ももうこの道に入って十年だ、そろそろ自分の好きにやれる店を持っても良いんじゃないか、な」
 顔を覗き込むようにして、岡林に熱心に説諭された嶋木の心は少し動いた。それは、二日間、震災のモニュメントに一緒に参加して、被災者の絶大な哀しみと苦しみを垣間見た嶋木の心が緩く解け始めた所為かも知れなかった。嶋木の脳裏に奈美の笑顔が朧に浮かんだ。笑顔が浮かぶのは、奈美が死んだ後、初めてのことだった。やってみたら、と奈美が言っているように嶋木には思えた。嶋木の頬も微かに緩んだ。
 三人が肩を並べて歩いて行く道の先には、空気は冷たく肌寒くはあったが、冬の陽射しが薄く光っていた。
早く春が来ると良いのに、と純子ママが言った。

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