翻る社旗の下で

相良武有

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序章

第1話 四月一日、新入社員たちは入社式に臨んでいた

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 四月一日午前十時、新入社員たちは本社で行われた入社式に臨んでいた。
開会宣言に続いて、大卒新入社員百五十余名の名前が五十音順に一人ずつ呼ばれ、代表者に採用辞令が交付された。
社長の訓示の後、担当役員の紹介があり、全員揃っての記念撮影が行われて、入社式は滞りなく終了した。新人達は誰もが皆、一様に眦を上げ緊張した表情を顔に浮かべ、頬を高潮させて、新たな決意を胸に式に参列していた。

 会社が用意した昼食を摂った後、大講堂から大研修室に移動して、午後一番から早速に三ヶ月間の新人総合研修が始まった。
 冒頭に教育課長が熱く語りかけた。
「今の時代はパーソナリティの時代と言われています。他者と同じであっては駄目で、独自性、特異性、独創性即ち個性が無くては生き残れません。又、時代は今、グローバリーゼーションという大きな潮流の中で、構造改革の真っ只中です。社会構造の改革、経済構造の改革が時代の要請です。規制を緩和し保護を撤廃して自由競争をより促進し、自由闊達な競争社会、競争経済を構築しようということです。自由競争は「競走」ではなく、「競争」であり将に「戦い」であります。「戦い」の結果は言うまでも無く「優勝劣敗、弱肉強食」が帰結です。敗れれば消滅する、埋没してしまう訳です。この生き残りを賭けたサバイバル戦に会社も皆さんも、何が何でも勝ち抜かなければなりません。そして、この個性の時代にも成長発展して行く為には、「自主・自発・自立」と「挑戦・革新」の気風が不可欠です。この「自主・自発・自立と挑戦・革新」の気風で個性を育み磨くことこそ、皆さんに取っての最大課題であると、先ずは最初に、認識して下さい」
 それから、会社の経営理念、経営ビジョン、経営戦略、中長期経営計画、業績評価制度、人材育成制度、資格職能制度等々が次々と説明され、新人たちが理解する間も無く、入れ替わり立ち代り担当課長が研修会場に表われて熱弁を振るった。
更には就業規則を初め、労働協約、業務分掌規定、稟議規定、給与規定、出張規定、社宅規定、小集団活動規定等々夥しい数の社規社則が併せて説明された。
 この研修で新人たちが徹底して教え込まれたのは、ビジネスマンやOLの基本ともいうべき礼儀礼節と時間厳守と5Sの三本柱であった。
「礼儀礼節と言っても堅苦しく考える必要はありません。一番の基本は挨拶の励行です。人間は嫌いな相手には積極的に挨拶をしませんよね。挨拶をキチンとするということは相手を受け容れる気持ちの表れなのです。毎日顔を合わせて仕事をする職場で、挨拶も満足に交し合わなければ、良い人間関係など築ける訳が有りませんし、コミュニケーションが良くなる筈が有りません。職場の中で働く人間にとって一番大切なのは綺麗な挨拶が出来ることです。挨拶などと馬鹿にしてはいけません。他人同士が毎日何時間も顔をつき合わせて仕事をするのですから、お互いに気持ち良く働けるように気を配るのは人間としての第一の心掛けですね。だから、これから毎日、大きな声で明るく元気良く挨拶を交わし合って下さい」
そして「おはようございます」「有難うございます」「失礼します」「済みません」が「挨拶のオアシス」だと講師は締め括った。
挨拶はコミュニケーションの基であり、コミュニケーションの良くない職場で業績が上がる訳が無い、ということであった。
「次に、皆さんは、これからはもっと時間と言うものに敏感にならなければいけません。学生時代の時間感覚では駄目ですよ。ビジネスは時間との戦いであり時間そのものです。仕事を始める時間、仕事を仕上げる時間、打ち合わせや会議の時間、人と会う時間、締切りや納期などなど、時間をコントロール出来ない人にビジネスはマスター出来ません。時間にルーズな人はそれだけで能力が無いと見做されます。この変化の激しい時代に、どんなに手間隙を掛けても良いという仕事など、現実にはありません。そうです、時間厳守とスピードはビジネスマンの絶対条件なのです。」
ぐずぐずと始めるな、時間厳守。行動五分前には所定の場所で仕事の準備と心の準備を整えて待機せよ!これが「五分前の精神」だと教えられた。
「皆さん、巧緻よりも拙速、と言う言葉をご存知ですか?初めから間違いの無い完璧な仕事をしようとすると、取り掛かるまでの準備や段取りに時間がかかり、腰が重くなります。あれは良いか、この点は問題無いかと確認することが多くなってなかなかエンジンがかかりません。概ね仕事というものは、やっている内に次々と新たな問題が発生して来るものです。それを解決する為には、走りながら考える力が求められます。情報とデータに間違いの無いことが確認出来たら、後はスピードが優先します。限られた時間の中で、合格レベルの仕事を完遂すること、それが、仕事が出来る人の重要な条件の一つなのです」
時間を制する者がビジネスに勝つ、一日二十四時間、皆平等、活かすも殺すも俺たち次第か、と新人達は理解した。
「先ず、今日のことは今日終わらせて下さい。明日に持ち越してはいけません。そして、明日の準備や段取りも今日終えておくことです。朝一番から準備しているなどというのは話になりません。そして、歩く時は何時でも何処でもさっさと早足で歩く。のらのら歩きやだらだら歩きは禁物です。ポケットに手を入れて歩くなどはもっての外です。こういうことが出来なければ時間感覚を鋭敏にすることは出来ません」
動作や行動は何事によらず迅速に機敏に・・・か。
 5Sとは整理・整頓・清潔・清掃・躾のことだった。
整理とは、要る物と要らない物を分けること。整頓とは、要らない物を捨て、要る物は区分けして置く場所を設定し、誰が見ても判るように表示すること。清潔とは、常に機械や器具工具、作業衣などを綺麗にしておくこと。清掃とは、機械周りや天井、床、棚、電燈などを掃除すること。
「整理、整頓、清潔、清掃を習慣化するまで、職場に定着するまで「し続ける」ことが「躾」であり、これが一番大事なのです。5S無くして仕事の向上はありません。5Sの目的はムダの発見とそれを取り除くことにあります。5Sを行うと如何に無駄が多いかが見えて来ます。物のムダ、場所のムダ、時間のムダ、作業のムダ、等々が実に良く見えて来ます。
不要な物が狭い場所に保管されていますと、探すムダ、移動するムダ、積み替えるムダなどが発生します。だから全員で取り組まなければいけないのですね。即ち5Sとはコストを削減し利益を生み出す活動なのです。皆さん、五百万円の経常利益を生み出すには一億円の売上げが必要なことはご存知ですね。経常利益率五パーセントは上場企業の平均利益率です。簡単ではないことがお解りですね」
新人達は、そんなものなのか、という顔付きで話を聞いていた。
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