我ら同級生たち

相良武有

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第二話 女子プロ野球選手、由香

③由香、運命のコーチと出逢う

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 由香は高校に進学した時にソフトボールに転向した。
希望した高校の野球部に、女だから、と言う理由だけで門前払いを食わされ、思い切ってソフトボールへ転身したのだった。
ソフトボール部の監督から入部を強く働きかけられたのが契機だった。
「君の野球のレベルは相当に高いと僕は思っている。是非、うちのソフトボール部でその技量を存分に発揮してくれないか」
入部直後から頭角を現した由香は、中心選手として国体に出場するなどソフトボールの世界でも活躍し始めた。ソフトボールの投法は下手投げだったので、野球のオーバースローしか知らなかった由香は、打撃のセンスを買われて一塁手として活躍した。
「地元の高校に凄い選手が居るよ!」
 高校三年間での活躍が認知されて大学にスカウトされた由香は短期大学部に入ってソフトボールを続けた。此処でも直ぐにレギュラーとして定着し、その年の大学ソフトボール選手権で三位に入賞する大きな原動力となった。
 由香が短大の二年生になった時、女子の硬式野球世界大会に出場する代表選考が行われた。
女子野球ワールドカップは国際野球連盟が主催する女子による国別対抗野球の国際大会で、二〇〇四年に始まり二年に一度行われているものであった。
由香もノミネートされたが、結果は補欠合格にしかならなかった。五年間、野球から遠ざかっていたハンディは大きかった。ただ、代表チームの練習には参加出来たので、投手を希望していた由香は久し振りに全力投球のピッチングをして快い汗を流した。
やっぱりソフトボールと野球じゃ全然違うなあ・・・由香の偽らざる実感だった。
 この代表チームの練習で由香は後の運命に大きく関わる二人の人間と遭遇した。
一人はその世界大会で大活躍をした大野恵理選手であり、もう一人は九州神聖学園女子硬式野球部に入ったばかりの十六歳で日本代表のセレクションに合格した中田沙織だった。
 由香の投球練習を見た大野選手が声をかけた。
「あなたの直球は伸びも在るし切れも良い。球も速い。今は未だ荒削りの真っ直ぐとスライダーだけのようだけど、カーブをマスターして縦の変化を加えれば飛躍的にピッチングの幅が拡がるわよ。それに、もう少し筋力をつけ肩を鍛えれば、もっと重くて威力の有る球が投げられる。どう?卒業したら一緒に硬式野球をやらない?」
 短大を卒業する時、幾つもの実業団から誘いの話が舞い込んだし、オリンピックと言う大きな目標も無くは無かったが、然し、由香はあの時誘ってくれた大野選手と一緒に女子硬式野球のクラブチームでプレイする途を選択した。
由香はどうしても野球が忘れられなかった。
代表チームでの練習が由香に野球への情熱を甦らせていた。由香は結局、どこの実業団のチームにも入らずにアルバイトで生計を立て乍ら硬式野球をするという道を選んだ。いつまで続けられるか、どこまで続くか自分でも解らなかったが、兎に角、納得するまで、身体が動かなくなるまで大好きな野球を続けよう、と心に決めた。
尊敬する先輩と一緒に野球が出来ることを大いに喜んだ由香はそれから野球一筋の生活に没頭して行った。なけなしの金を叩いてジムに通い、筋力トレーニングで身体を作り直したし、肩を強く鍛える為に砲丸投げにも取り組んだ。高校から短大での五年間、野球のピッチングを殆どやって来なかった由香は、野球のオーバースローに肩や腕や肘を馴染ませるのは大変だった。五年もの間のギャップを埋めるのは並大抵ではなかった。
 由香は、晴れた日には河川敷で、雨が降れば電車の高架下で、陽が落ちてボールが見えなくなるまで必死で夢中で投球練習に励んだ。野球への情熱だけで生きているようなものだった。
練習場所に使った河川敷は誰が見ても酷い処だった。
一番隅っこの、直ぐ傍に葦が茂っているような凡そ野球の練習など想像もつかないような場所だった。硬球を使う為に周囲へ配慮しなければならなかったので、あまり人の近づかない端っこの場所を選ぶしかなかった。地面の整備など為されていない場所だったので石ころや水溜りに脚を取られながらチームメイトたちは練習した。野球をするには最悪の条件下であったが、メンバー達は誰もが心の底から躍動していた。ノックの一球一球に全員で大きな声をかけ合い、皆、笑顔が弾けて嬉しそうだった。
 由香は雑草がぼうぼうと生えたただの地面で投球練習を行った。一日百球の投げ込みを自分に課して応急設えのガタガタのマウンドで一球一球真剣に投げ、ミットに弾ける乾いた音を嬉々として聞いた。由香は情熱の儘に青春の一瞬一瞬を燃やした。自分でやると決めたことに迷いは無かった。
 だが、二年後の国際女子野球ワールドカップで日本は金メダルに輝いたが、由香も大野恵理もその代表表選手の候補にさえ選ばれなかった。二人とも全国の無数の無名選手たちの中に埋没してしまっていた。従って、中田沙織を初め代表チームの選手たちは、由香の大きく進化したピッチングをその眼で直に確かめる機会を無くしてしまった。
私は野球が真からとことん好きなんだ、それだけで良いんだ!由香は改めて自分にそう言い聞かせた。
 更に一年近くが経った或る日、由香は大野恵理から一人の人物に会うことを勧められた。
「どういう人ですか、その人?」
「まあ、逢ってみれば分かるわよ、私も同席するから、さ」
訪れた会社はそれほど遠くはなかった。通された応接室に現れたのは、壮年と言うには未だ未だ若い青年社長だった。
「大野さんの処で硬式野球をやって居られるそうですね」
「はい、短大卒業後はスポーツクラブやベースボールスクールでインストラクターのアルバイトをしながら、大野先輩と一緒に野球をやっています」
「野球は、趣味に、なるのでしょうか?」
「・・・・・」
「・・・・・」
「そうですね、世間的に言うと、そうですね」
「小宮さんならソフトボールで良い就職先が在ったでしょうに・・・」
「ソフトボールも好きでしたが・・・ピッチャーでなかったこともあって、野球程の情熱は感じませんでした」
「なるほど」
「私は小学生の高学年から野球を始めたのですが、高校に上がる時、女子は駄目だ、と受け容れて貰えませんでした。私の周りには女子が野球をやれる環境が無かったのです。だから、しぶしぶソフトボールに転向したんです」
「やっぱり環境は大きいですね」
「はい」
「今でも、晴れた日には河川敷の隅っこで、雨の日には高架下で、練習していると聞きましたけど、何処かのグラウンドを借りたりはしないのですか?」
「チームのメンバーの殆どがアルバイトで生活していますので、試合以外にグラウンドを借りる余裕が無いんです。でも、野球がしたくて自分から選んだ生活ですので・・・石ころと雑草と水溜りだらけの河川敷も、硬いコンクリートと車の轟音が響く高架下も、場所が在るだけで有難いと思っています」
傍から大野恵理が話を引き継いだ。
「でも、河川敷ではボールが川に飛び込まないように気を使うわよね」
「そうですね、ボールは貴重だから・・・」
「今どき、道具は在って当たり前、グラウンドも在って当たり前、そう思っている人が多いのに・・・なかなか大変ですね」
「何時も雑草の中で野球をやっているので、知らない内に雑草魂が身に付いたのかも知れませんね」
冗談半分にそう言って由香は口元に手をやった。
「其処まで苦労して野球を続ける理由って何ですか?」
「そうですね。好きだから・・・それだけでしょうか」
「失礼ですけど、今の生活は何年くらいになるのですか?」
「野球への情熱が捨て切れず、趣味と言う形ででも続けたいと思って・・・気づけばもう三年になります」
そこで、大野恵理が身を乗り出して聞き質した。
「あのぉ、女子プロ野球リーグを作るって伺ったのですけど、真実でしょうか?」
「えっ、女子プロ野球ですか?真実ですか?」
由香が素っ頓狂な声を上げた。
「ええ、その心算ですが」
「もう準備は大分進んでいるのでしょうか?」
「はい、スーパーバイザーもアドバイザーもリーグの代表も既に内定しましたから、後もう少しだと思います」
「真実に信じて良いんでしょうか!」
由香は純粋な情熱に燃えた眼差しで真剣に問いかけた。
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