京都慕情

相良武有

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第四話 幼なじみ

④二人のディナーが始まった

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「六時から予約の沢木ですが」
入口を入って案内を乞うた沢木を若いボーイが予約席へと案内した。駅前に在るグランドホテルの最上階、十四階の回転展望フレンチレストランは、ディナーを始める格好の時間とあって、少し混雑していた。
 彼は今日、久し振りに逢った恵子と此処で夕食を共にする約束を昼に取り交わした。
恵子は東京の国立大学経営学部を卒業して六年、公認会計士の資格を取って今は都内の有名な監査法人に在籍している。仕事が忙しいと言ってもう三年以上も実家に帰って来ていない。
 展望レストランから見渡す二月上旬の街は、午後六時ともなれば、既に暮れなずんでいる。昼間の氷雨はもう止んでいた。雨上がりのネオンが遠く潤んだように煌めく繁華街、煌々と電灯が輝く駅ビルの窓やホーム、仄かにライトアップされた近くの寺の五重塔、はるか遠くに連なる黒々とした山並みの稜線等々が一望された。
「いらっしゃいませ」
店員の声に迎えられて、恵子が入って来た。
昼間とは打って変わって華やかな衣装である。手に携えられた水色のトレンチコート、パンタロンのパンツは黒色であったが、スーツは薄いベージュ色で、濃い茶色のブーツに良く似合っている。首には白いネッカチーフが巻かれていた。
ウエイトレスに案内されて沢木の席の方へやって来た恵子は「お待たせしちゃって、ご免なさい」と歯切れ良く言って、沢木が指差した丸テーブルの、夜景がよく見渡せる斜め横の席に腰を下ろした。
 ウエイトレスが飲み物の注文を取りに来た。料理の方は既にフレンチ懐石コースを予約してある。恵子は白ワインを注文し、沢木も同じものを頼んだ。
最初に運ばれて来た食前酒で二人は先ず、グラスを合わせた。
「乾杯!」
「ああ、美味しい」
恵子の表情が少し緩んで、窓の外の夜景に眼を上げた。
街の夜景をゆっくり眺めるなんて久し振りだなぁ、という感慨が彼女の顔に表れる。
 ワインとオードブルがテーブルに運ばれて来て、二人のディナーが始まった。
この前、二人で食事をしたのは何日のことだったか、随分長い時間が経った気がする、と沢木は改めて思った。
中年女性数人のグループが、白粉と香水の匂いをぷんぷんさせ、楽しそうに談笑しながら、二人の傍らを通り過ぎた。長い黒髪の長身の女性、丸顔の笑顔が華やかな栗毛の女性、雌牛並みのバストをした五十年輩の女性、頭の帽子から足元の靴までを黒と茶色のツートンカラーに纏めている女性等々が、賑やかに奥の席へと入って行った。
「お恵も後二十年もすれば、あんな風なおばさんになるのだろうかね?」
「私はあんな風にはならないわ。私は輝きを失わない為に自分を磨いて来たし、これからも磨き続けるわよ。ひたむきに打ち込んで没頭し、自分を高めることが出来る何かを持っていないと、オーラは出ないわ」
「それが仕事であっても良いということか?」
「そうね。仕事はそれに携わる人の人間を造るわ。仕事は人間修養の道場みたいなものよ。際限無く深く、奥行きも広くて、必死に立向かわないと必ずしっぺ返しが来る。挑んで行く姿勢や闘う心や諦めない粘り強さ、或いは、成功の高揚感や失敗の挫折感、立ち上がる不屈の精神、その他、人が生きて行く上で強靭に身につけていかなければならないものが一杯詰まっているのが仕事なのよ」
沢木は、恵子の有無を言わせぬ断定的な話し振りに、少し戸惑った。恵子には似つかわしくない物言いだと思った。
「勿論、エステや美容などで外面を磨くことも怠り無くやっているわよ」
恵子はやや砕けた口調で付け足した。
 だが、ワインを飲み、オマール海老のローストや和牛フィレのグリエ、野生青首鴨等のコース料理を賞味し、新鮮な魚介類と瑞々しい野菜のハーモニーを楽しみながらも、二人の会話は余り弾まなかった。先程の物言いといい、又、淋しそうで何処と無く辛そうな表情が垣間見える恵子の様子に、沢木は心を砕き、通り一遍の世間話しか口に出来なかった。が、やはり気懸かりは頭から離れず、とうとう訊ねざるを得ない気持になった。
「お恵、どうしたんだ?何で今頃、中途半端なこんな時期に帰って来たんだ?」
沢木はたずねた。
「別に、どうもしないわよ。来月から企業の本決算業務で忙しくなるから、一寸、英気を養いに帰って来ただけよ」
「何か気懸かりなことでも有るんじゃないのか?」
今はそういう話はしたくないの、とでも言いたげに恵子は軽く手を振って、和牛ステーキにナイフを入れた。
店内がかなり混み合って来た。キャリアウーマンタイプの若い女性達、中年の夫婦連れ、男女入り混じったビジネスマンとOLの一団等々が、空いていた予約席をどんどん埋めていった。
「こんな高価で瀟洒なフレンチレストランをディナーに使う若い人達も居るんだな」
「何言っているのよ。私達も未だ若いのよ。それに、何だかんだと言っても日本は豊かな時代になっているのよね」
「豊かな時代か。派遣切りや正社員のリストラで巷には失業者がゴロゴロしているのになあ。あっ、そうだ。派遣で思い出したが、主婦向けの派遣というのが有って注目を集めているそうじゃないか、経理の仕事に特化したものも有るらしいが、知っているか?」
「ええ。うちの事務所でも経理専門の派遣業務をやっているわ。登録者は三十五歳から四十歳くらいが中心で、主婦が九割を占めている。結婚、出産、子育てが一段落して、嘗ての経理の経歴を生かしてまた働こうということよね」
「企業の派遣労働への需要は根強いし、コストダウンの為に経理事務を外注する企業も増えているからな」
「家庭や自分の予定を上手く調整して働けるのが派遣の魅力だし、また、経理の経験だけでなくビジネスマナーの基礎が出来ているので、即戦力としても期待出来るのが強みなのよね」
「主婦らが専門知識を生かして働ける特化型派遣は、経理だけでなく、例えば、保育士なども含めて、新しいビジネスモデルとして、人手不足に悩む企業から今後益々期待されるだろうな」
 仕事の話になると恵子は饒舌になり、少し気持ちも和らぐようであった。
「耕ちゃんも良く知っているように、今の時代は個性の時代なのよね。特異性、独自性、独創性が無いと生き残れない。これは何も人だけに限ったことではなく商品にも同じことが言えると思うの。しかもビジュアルが3Dで飛び出す時代だからパッケージングやデザインもとても重要な意味を持つ。勿論、商品の価値が高いことが基本だけれども、パッケージやデザインも大いに付加価値を高めるのね」
「そうだな。資本力で安価な商品を投入出来る大手は兎も角、そうでない場合は、価格とは別の価値や方法で顧客に訴える必要が有るからな」
「私のお客さんで、商品の包装に戦国武将の家紋を入れて旗指物風に仕立てて、武家ブランドとして販売している処があるのよ。三百種類くらいの家紋が女性歴史ファンの心を擽ってヒット商品に成長しているの」
「ヒット商品というのは、見た目よりも発想の転換や市場調査などの、商品化の過程に学ぶ点が多々有るんだな。商品の外観だけでなく、ピーアールや価値を演出するデザインマーケティングが大事だと思うんだ」
「デザインを糸口に商品の魅力を描き直す作業は、今まで気づかなかった本来の価値や可能性を引き出すからね」
気持が解れて来て、ややリラックスした恵子は、更に話を続けた。
「耕ちゃんね、日本に千年以上の歴史を持つ会社が何社有るか、知っている?」
「さあ、解らないよ。見当も付かん」
「或るリサーチ会社の調査によると、全国に八社有るそうよ。近畿に六社で、あとは関東と東北に一社ずつ有るんだって。創業以来千年を超えて生き残ってきた企業には、身の丈に合った経営や従業員重視といった日本型経営の長所が多く見られると、分析されているわ」
さすが公認会計士だな、お恵ももう独り立ちした立派なキャリアウーマンだ、と沢木は改めて感心した。
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