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第一話 許されざる軽はずみ
④三カ月後、二人は京都と富山の中間に在る福井市で逢うことにした
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三カ月後、二人は逢えない毎日にどうしても我慢が出来なくなった。靖彦も光子もとうとうメールと電話だけでは辛抱し切れなくなって、京都と富山の中間に在る福井市で会うことにした。然し、未だ結婚していない二人は光子をホテルに泊まらせることには抵抗感があった。止む無く二人は日帰りで会うことにせざるを得なかった。
福井駅の改札の前で靖彦は身を乗り出すようにして光子を出迎えた。
靖彦の姿を認めた光子は駆けるようにして改札を抜け、彼の前に息を弾ませて立った。靖彦の胸にひしと縋り付きたい思いを辛うじて堪えた光子と、がばと抱き締めたい思いを無理にも押さえ込んだ靖彦の二人は、暫くの間、互いをじっと見つめ合って動かなかった。
やがて、光子が靖彦の腕に手を回して二人はバス停の方へ歩き出した。光子が靖彦と腕を組むのはこれが初めてだった。歩きながら靖彦が光子の顔を覗き込んで訊ねた。
「どうだ、元気だったか?」
「うん・・・でも、淋しかった」
「そうか・・・」
「あなたは?元気だった?」
靖彦は強がって答えた。
「ああ、俺は元気だった。忙しくて寂しがっている暇なんて無かったよ」
光子は少しふくれ面をした。靖彦にも自分と同じように、淋しかった、と言って欲しかった。
二人は福井駅東口から「永平寺ライナー」と言う直行バスに乗って永平寺の門前へ向かった。福井の街は、行き交う人も車の往来も京都に比べれば格段に少なく、静かでのんびりしていたし、穏やかで和む雰囲気でもあった。
三十分ほどバスに揺られて永平寺門前に着いた時には時刻は正午近くになっていたので、二人は拝観の前に昼食を摂ることにした。
入ったのは門前に在る永平寺蕎麦の店で、地元名物の「木葉寿司」と「永平寺蕎麦」を注文した。
料理を運んで来た中年の女店員が説明してくれた。
「美味しい木葉寿司の命はお米です。この越前コシヒカリを育てているのは浄法寺山の清流で、その山水によって生きたお米が出来るんです。具の鱒は厳選された北海道産を使用し、各家庭で栽培されているアブラ桐の葉で包んで、一晩押して置いて、出来上がります。保存料は一切使用しておりませんので、手作りならではの独特の風味と香りをお愉しみ頂けます。どうぞごゆっくりご賞味下さい」
一口頬張って光子は顔をほころばせた。
「グウよ、グウ!」
それに、手を汚さずに食べられるように、アブラ桐の葉を畳んで、包み方にも工夫が凝らされていた。まるで、良心の塊、と言うような寿司だった。
「永平寺蕎麦」は挽きぐるみで色が黒く、噛み応えのある太い麺だった。麺の上にかけられている白い自然薯のとろろとの黒白コントラストが食欲をそそった。
髪を後ろに掻き上げ乍ら蕎麦を啜る光子の可愛い姿を見て、靖彦の胸にはじい~ンと込み上げて来るものが有った。二人は笑顔を見交わしながら愉しい昼食を摂った。
食事の後、二人は永平寺の山門を潜って拝観を申し出た。
永平寺は道元禅師によって開創された日本曹洞宗の第一道場で、出家参禅の道場である。現在も約二百人の修行僧がその修行生活に励んでおり、全国一万五千余りの末寺の大本山である永平寺には、参拝に訪れる数多くの信者のための施設も整えられている。
七十棟余りの諸堂の中で中心となっているのが七堂伽藍と呼ばれる禅宗建築の七つの堂宇であった。山門、仏殿、法堂、僧堂、庫院、浴室、東司の七つである。
靖彦が薀蓄を披露した。
「この七堂の配置は座禅姿を模していると言われているんだよ。因みに、僧堂、浴室、東司は三黙道場と言って、私語が禁止されているんだって」
「東司って言うのは何なのかしら?」
「トイレのことだよ」
「へえ~、そうなんだ」
二人が次に入ったのは宝物殿だった。道元禅師直筆の国宝「普勘座禅儀」を初め重要文化財や書、絵画、書籍、器物など永平寺に伝わる宝物数千点や古文書など貴重な収蔵品が展示されていた。
「ねえねえ、これ凄いじゃない!内容まで自由に閲覧して良いんだって」
光子が目を丸くして驚いた。
二人が最も驚いたのは長い回廊がピカピカに磨かれていることだった。
日々の生活の全てが修行である、という教えによって毎日磨かれているので、寺内に在る無数の階段や廊下はいつもピカピカなのであるということだった。日々の掃除は「動の座禅」とも呼ばれていた。
境内の諸堂には木を彫った見事な彫刻が点在していたし、「大庫院」と言う台所の前には巨大なすりこぎが掲げられていた。長さ四メートル、胴回り一メートルだと言う。食事作法そのものが仏業であると言う教えの表れだった。このすりこぎを三回撫でると女性は料理が、男性はご機嫌取りが上手くなるとのことだった。
光子は、ご機嫌取りが上手くなる、と聞いてクスクスと笑った。
「傘松閣」と言う部屋の天井には一面に二百三十枚もの絵が埋め込まれていた。鯉を二枚、唐獅子を二枚、リスを一枚、計五枚の絵を見つけると願いが叶うと言われているもので、靖彦も光子も懸命に見つけようと捜したが、何処に在るのかさっぱり判らなかった。
嘗て参道であったと言われる川沿いの道を上って行くと、「龍門」の碑に続いて立派な杉の木が立っていた。その中に「夫婦杉」と呼ばれる根元が一つになった二本の杉が在った。参詣者はその一心同体の姿を眺める度に夫婦の仲を確認するのだと言う。靖彦も光子も自分たちの将来を思いやってじい~っとそれを見上げた。
永平寺から小川に沿って登って行くと、自由に撞ける寂照の鐘や道元禅師の幼い頃を型取った稚髪像などが立つ「寂光苑」が在ったし、其処から更に奥へ進むと一際荘厳な雰囲気の場所に出た。立ち並んでいたのは道元禅師と歴代禅師の墓だった。
二人は粛然と敬虔な思いに駆られて静かに合掌した。
帰りがけにお土産として、光子は「身代わり大師」と言う身に降りかかる災いを代わりに受けてくれると言われる小さな人形と永平寺蕎麦を買ったし、靖彦は酒の肴用に「精進しぐれ」を買い求めた。しぐれ煮と言っても肉や貝ではなく、永平寺の精進料理として知られてきた生麩の佃煮だった。
厳粛な気持ちになって生命を洗われた二人は又、「永平寺ライナー」に乗って福井市内へ戻った。
福井駅の改札の前で靖彦は身を乗り出すようにして光子を出迎えた。
靖彦の姿を認めた光子は駆けるようにして改札を抜け、彼の前に息を弾ませて立った。靖彦の胸にひしと縋り付きたい思いを辛うじて堪えた光子と、がばと抱き締めたい思いを無理にも押さえ込んだ靖彦の二人は、暫くの間、互いをじっと見つめ合って動かなかった。
やがて、光子が靖彦の腕に手を回して二人はバス停の方へ歩き出した。光子が靖彦と腕を組むのはこれが初めてだった。歩きながら靖彦が光子の顔を覗き込んで訊ねた。
「どうだ、元気だったか?」
「うん・・・でも、淋しかった」
「そうか・・・」
「あなたは?元気だった?」
靖彦は強がって答えた。
「ああ、俺は元気だった。忙しくて寂しがっている暇なんて無かったよ」
光子は少しふくれ面をした。靖彦にも自分と同じように、淋しかった、と言って欲しかった。
二人は福井駅東口から「永平寺ライナー」と言う直行バスに乗って永平寺の門前へ向かった。福井の街は、行き交う人も車の往来も京都に比べれば格段に少なく、静かでのんびりしていたし、穏やかで和む雰囲気でもあった。
三十分ほどバスに揺られて永平寺門前に着いた時には時刻は正午近くになっていたので、二人は拝観の前に昼食を摂ることにした。
入ったのは門前に在る永平寺蕎麦の店で、地元名物の「木葉寿司」と「永平寺蕎麦」を注文した。
料理を運んで来た中年の女店員が説明してくれた。
「美味しい木葉寿司の命はお米です。この越前コシヒカリを育てているのは浄法寺山の清流で、その山水によって生きたお米が出来るんです。具の鱒は厳選された北海道産を使用し、各家庭で栽培されているアブラ桐の葉で包んで、一晩押して置いて、出来上がります。保存料は一切使用しておりませんので、手作りならではの独特の風味と香りをお愉しみ頂けます。どうぞごゆっくりご賞味下さい」
一口頬張って光子は顔をほころばせた。
「グウよ、グウ!」
それに、手を汚さずに食べられるように、アブラ桐の葉を畳んで、包み方にも工夫が凝らされていた。まるで、良心の塊、と言うような寿司だった。
「永平寺蕎麦」は挽きぐるみで色が黒く、噛み応えのある太い麺だった。麺の上にかけられている白い自然薯のとろろとの黒白コントラストが食欲をそそった。
髪を後ろに掻き上げ乍ら蕎麦を啜る光子の可愛い姿を見て、靖彦の胸にはじい~ンと込み上げて来るものが有った。二人は笑顔を見交わしながら愉しい昼食を摂った。
食事の後、二人は永平寺の山門を潜って拝観を申し出た。
永平寺は道元禅師によって開創された日本曹洞宗の第一道場で、出家参禅の道場である。現在も約二百人の修行僧がその修行生活に励んでおり、全国一万五千余りの末寺の大本山である永平寺には、参拝に訪れる数多くの信者のための施設も整えられている。
七十棟余りの諸堂の中で中心となっているのが七堂伽藍と呼ばれる禅宗建築の七つの堂宇であった。山門、仏殿、法堂、僧堂、庫院、浴室、東司の七つである。
靖彦が薀蓄を披露した。
「この七堂の配置は座禅姿を模していると言われているんだよ。因みに、僧堂、浴室、東司は三黙道場と言って、私語が禁止されているんだって」
「東司って言うのは何なのかしら?」
「トイレのことだよ」
「へえ~、そうなんだ」
二人が次に入ったのは宝物殿だった。道元禅師直筆の国宝「普勘座禅儀」を初め重要文化財や書、絵画、書籍、器物など永平寺に伝わる宝物数千点や古文書など貴重な収蔵品が展示されていた。
「ねえねえ、これ凄いじゃない!内容まで自由に閲覧して良いんだって」
光子が目を丸くして驚いた。
二人が最も驚いたのは長い回廊がピカピカに磨かれていることだった。
日々の生活の全てが修行である、という教えによって毎日磨かれているので、寺内に在る無数の階段や廊下はいつもピカピカなのであるということだった。日々の掃除は「動の座禅」とも呼ばれていた。
境内の諸堂には木を彫った見事な彫刻が点在していたし、「大庫院」と言う台所の前には巨大なすりこぎが掲げられていた。長さ四メートル、胴回り一メートルだと言う。食事作法そのものが仏業であると言う教えの表れだった。このすりこぎを三回撫でると女性は料理が、男性はご機嫌取りが上手くなるとのことだった。
光子は、ご機嫌取りが上手くなる、と聞いてクスクスと笑った。
「傘松閣」と言う部屋の天井には一面に二百三十枚もの絵が埋め込まれていた。鯉を二枚、唐獅子を二枚、リスを一枚、計五枚の絵を見つけると願いが叶うと言われているもので、靖彦も光子も懸命に見つけようと捜したが、何処に在るのかさっぱり判らなかった。
嘗て参道であったと言われる川沿いの道を上って行くと、「龍門」の碑に続いて立派な杉の木が立っていた。その中に「夫婦杉」と呼ばれる根元が一つになった二本の杉が在った。参詣者はその一心同体の姿を眺める度に夫婦の仲を確認するのだと言う。靖彦も光子も自分たちの将来を思いやってじい~っとそれを見上げた。
永平寺から小川に沿って登って行くと、自由に撞ける寂照の鐘や道元禅師の幼い頃を型取った稚髪像などが立つ「寂光苑」が在ったし、其処から更に奥へ進むと一際荘厳な雰囲気の場所に出た。立ち並んでいたのは道元禅師と歴代禅師の墓だった。
二人は粛然と敬虔な思いに駆られて静かに合掌した。
帰りがけにお土産として、光子は「身代わり大師」と言う身に降りかかる災いを代わりに受けてくれると言われる小さな人形と永平寺蕎麦を買ったし、靖彦は酒の肴用に「精進しぐれ」を買い求めた。しぐれ煮と言っても肉や貝ではなく、永平寺の精進料理として知られてきた生麩の佃煮だった。
厳粛な気持ちになって生命を洗われた二人は又、「永平寺ライナー」に乗って福井市内へ戻った。
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