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第三話 愛の虚妄
①画学生の麗華、美術編集者の沢本と知り合う
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新藤麗華が沢本英彦と知り合ったのは、四年前、美術大学の画学生だった二十二歳の時だった。その頃、麗華は、印象画や抽象画などと言う枠に収まらずに自由な絵画を描き且つ鑑賞するサークルに入っていた。その月例会の後の流れ二次会で入ったバーに沢本は居た。ドアを開けて入るなり、「おう!」「やあ!」という風に軽く手を挙げて、サークルを指導している美大助教の岡田と握手を交わし合ったのが沢本だった。彼に連れは居なかった。極く自然に彼は麗華たち学生三人と岡田の席に合流した。
沢本は画集や美術雑誌を刊行している出版社の編集者だった。画家の岡田と旧知なのは当然のことだったが、麗華にとってはそれまでに出逢った男性たちとは凡そ異なるタイプに見えた。顔立ちが柔和で、躰つきも細作りだった。歳は三十代半ばで、服装の好みは渋く、然も頗る上質なものを身に着けていた。岡田は陽気に喋りまくったが、沢本は物静かで、にこやかに話を聴いて、時たま、気の利いた言葉を挟む。若い麗華には沢本がこの上なく洗練されているように思えた。こういう男は麗華の周りには見当たらなかった。彼女は一目で沢本に夢中になるほどに惹かれた。
沢本も麗華の気持を見通していた。彼は初対面の翌日にはもう麗華を食事に誘ったのである。沢本がコニャックを、麗華がバーボンを舐めながら、二人は話し合った。
麗華が言った。
「私はあの“京都河原町画廊”に架かっている絵よりも“京都美術館”に並んでいる絵の方がずっと好きだわ」
「なるほど・・・」
彼女は更に続けて言った。
「わたし、デミアン・ハーストやジャスパー・ジョーンズの作品が好きだし、ゲルハルト・リヒターも大好きなの。それに、日本の村上隆も好きだわ」
沢本は“何必館・京都現代美術館”のことを話したが、彼女はその美術館のことは聞いたことも無いと言った。
「じゃ、明日にでもその美術館に連れて行って上げようか?」
「有難う、良いわねぇ、嬉しいわ!」
明くる日の午後、沢本が青いスカイラインに麗華を乗せて東山祇園町の「何必館・京都現代美術館」へ赴き、それから二人の交流が始まった。
「“何必館”ってどういう意味なのかしら?」
麗華が最初に素朴な質問をした。
「それはね、“何ぞ必ずしも”と常に定説を疑い、真に価値あるものを自ら探りあてようとする自由な精神に基づいて名付けられたんだよ」
「観ることをより感じることが出来る美術館、っていう訳ね」
地上五階から地下一階まで、日本画家の村上華岳、洋画家・山口薫、美術工芸の分野で幅広く活躍した北大路魯山人を中心に、近代・現代の作家による国内外の絵画、工芸品、写真などが幅広く展示されていた。
特別展は「現代風景画の指標、浅田鷹司」が開催されていた。
「浅田は京都生まれの京都育ちで、僕の母校である芸術大学で日本画を学び、三十三歳で東京に居を移した。その後は東京を拠点に、日本の名所旧跡を描いた作品を発表し続けたんだ」
「それじゃ、あなたの大先輩、って訳なの?」
「そうだな。彼はこう語っているんだ。対象の風景との間には一期一会の対決のひと時がある。ある風景が私の風景となるかならないか、心が通い合えると感じた時、ただ眼の前の景色に過ぎなかった存在が私を釘付けにし、私の風景となる、ってね」
「風景の奥に在る日本人の自然観や美意識や宗教観、或は、自然の持つ普遍的な美しさ、そう言ったものを作品制作を通じて再確認し、風景画の指標と言える作品を数多く遺したと言うことなのかしら」
画家を目指す麗華は流石に感受性も洞察力も鋭かった。沢本は彼女の敏感さと頭脳の明晰さに改めて気付かされた。
自身の故郷である京都を愛し、五十八歳の若さで亡くなるまで、精力的に描き続けた洛中洛外の風景が、日本三景の屏風を初め、スケッチを含む凡そ四十点の浅田作品が展示されていた。
美術館を出た後、沢本は車を四条花見小路の駐車場に入れ、麗華を和風ディナーに誘った。
店の入口の前で麗華が先ず感嘆の声を挙げた。
「うわ~、凄くお洒落な雰囲気の店構えね。京都ならでは、だわ」
案内されたテーブルに着くと、秋の季節を感じるすすきの飾りと兎の折り紙が置いて在った。麗華が何気無く兎の折り紙を開くと、それは八寸の説明書きだった。
「こういう細かい演出って真実に素敵ねぇ」
提供されたのは和食とフレンチを融合させた華やかな料理だった。伝統的な京料理にフランス料理の遊び心とエッセンスを加えた鮮やかなオリジナル料理で芸術品さながらのクオリティだった。
麗華は一皿一皿運ばれて来る毎に感嘆の声を挙げ、芳醇な白ワインを愉しみながら高コスバの雅なディナーを堪能した。
沢本はそれからも毎日、画廊を覗き、演奏会に出かけて、彼女を連れ歩いた。
彼は音楽にも造詣が深かった。麗華も絵が好きなのと同じ様に音楽にも関心は大きかった。
「わたしは特にクラシックが好きなの」
沢本と一緒に聞くシンフォニーは美しく聞こえたし、音楽は麗華の恋心の伴奏にもなった。
沢本は画集や美術雑誌を刊行している出版社の編集者だった。画家の岡田と旧知なのは当然のことだったが、麗華にとってはそれまでに出逢った男性たちとは凡そ異なるタイプに見えた。顔立ちが柔和で、躰つきも細作りだった。歳は三十代半ばで、服装の好みは渋く、然も頗る上質なものを身に着けていた。岡田は陽気に喋りまくったが、沢本は物静かで、にこやかに話を聴いて、時たま、気の利いた言葉を挟む。若い麗華には沢本がこの上なく洗練されているように思えた。こういう男は麗華の周りには見当たらなかった。彼女は一目で沢本に夢中になるほどに惹かれた。
沢本も麗華の気持を見通していた。彼は初対面の翌日にはもう麗華を食事に誘ったのである。沢本がコニャックを、麗華がバーボンを舐めながら、二人は話し合った。
麗華が言った。
「私はあの“京都河原町画廊”に架かっている絵よりも“京都美術館”に並んでいる絵の方がずっと好きだわ」
「なるほど・・・」
彼女は更に続けて言った。
「わたし、デミアン・ハーストやジャスパー・ジョーンズの作品が好きだし、ゲルハルト・リヒターも大好きなの。それに、日本の村上隆も好きだわ」
沢本は“何必館・京都現代美術館”のことを話したが、彼女はその美術館のことは聞いたことも無いと言った。
「じゃ、明日にでもその美術館に連れて行って上げようか?」
「有難う、良いわねぇ、嬉しいわ!」
明くる日の午後、沢本が青いスカイラインに麗華を乗せて東山祇園町の「何必館・京都現代美術館」へ赴き、それから二人の交流が始まった。
「“何必館”ってどういう意味なのかしら?」
麗華が最初に素朴な質問をした。
「それはね、“何ぞ必ずしも”と常に定説を疑い、真に価値あるものを自ら探りあてようとする自由な精神に基づいて名付けられたんだよ」
「観ることをより感じることが出来る美術館、っていう訳ね」
地上五階から地下一階まで、日本画家の村上華岳、洋画家・山口薫、美術工芸の分野で幅広く活躍した北大路魯山人を中心に、近代・現代の作家による国内外の絵画、工芸品、写真などが幅広く展示されていた。
特別展は「現代風景画の指標、浅田鷹司」が開催されていた。
「浅田は京都生まれの京都育ちで、僕の母校である芸術大学で日本画を学び、三十三歳で東京に居を移した。その後は東京を拠点に、日本の名所旧跡を描いた作品を発表し続けたんだ」
「それじゃ、あなたの大先輩、って訳なの?」
「そうだな。彼はこう語っているんだ。対象の風景との間には一期一会の対決のひと時がある。ある風景が私の風景となるかならないか、心が通い合えると感じた時、ただ眼の前の景色に過ぎなかった存在が私を釘付けにし、私の風景となる、ってね」
「風景の奥に在る日本人の自然観や美意識や宗教観、或は、自然の持つ普遍的な美しさ、そう言ったものを作品制作を通じて再確認し、風景画の指標と言える作品を数多く遺したと言うことなのかしら」
画家を目指す麗華は流石に感受性も洞察力も鋭かった。沢本は彼女の敏感さと頭脳の明晰さに改めて気付かされた。
自身の故郷である京都を愛し、五十八歳の若さで亡くなるまで、精力的に描き続けた洛中洛外の風景が、日本三景の屏風を初め、スケッチを含む凡そ四十点の浅田作品が展示されていた。
美術館を出た後、沢本は車を四条花見小路の駐車場に入れ、麗華を和風ディナーに誘った。
店の入口の前で麗華が先ず感嘆の声を挙げた。
「うわ~、凄くお洒落な雰囲気の店構えね。京都ならでは、だわ」
案内されたテーブルに着くと、秋の季節を感じるすすきの飾りと兎の折り紙が置いて在った。麗華が何気無く兎の折り紙を開くと、それは八寸の説明書きだった。
「こういう細かい演出って真実に素敵ねぇ」
提供されたのは和食とフレンチを融合させた華やかな料理だった。伝統的な京料理にフランス料理の遊び心とエッセンスを加えた鮮やかなオリジナル料理で芸術品さながらのクオリティだった。
麗華は一皿一皿運ばれて来る毎に感嘆の声を挙げ、芳醇な白ワインを愉しみながら高コスバの雅なディナーを堪能した。
沢本はそれからも毎日、画廊を覗き、演奏会に出かけて、彼女を連れ歩いた。
彼は音楽にも造詣が深かった。麗華も絵が好きなのと同じ様に音楽にも関心は大きかった。
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