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第四話 思わぬ躓き
②凜乃、女性誌編集者の水谷と会う
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三カ月後、凜乃は京都で人気の女性誌「輝くミセス」社の編集室に緊張の面持ちで座っていた。
暫くして、別室から一人の男が慌しく出て来て、一直線に凜乃の方へやって来た。
「野中さんですね。水谷です」
凜乃は直ぐに立ち上がって腰を折った。
「お電話を戴きまして・・・」
「お呼びだてしたり、お待たせしたりして、申し訳ありません。さあ、どうぞ、お掛け下さい」
凜乃は元の椅子に腰を下ろした。
「読者投稿による“ティータイム欄”は僕が担当して居まして、ね」
「それじゃ、送られて来る原稿をお一人でお読みになるんですか?」
水谷はそれには直接答えずに、机上に在る「輝くミセス」を手に取って、ページをパラパラと捲りながら言った。
「いやあ、あなたが投稿された“主人の眼鏡”は面白かったなぁ」
「採用して頂いて有難うございました」
凜乃は深く頭を下げた。
「筆者の文章の息遣いが感じられるところが魅力ですね。それに、所帯臭さの無いところが新鮮ですよ」
「いえ、とても駄目ですわ。ただ思うことを独り言みたいに書くだけですから・・・」
「思ったことを素直に書く、ということが大切なんですよ。ちょっと読んでみますね」
水谷はそう言って、凜乃の投稿した内容を読み始めた。
夫の眼鏡をかけてみる。思ったより重く、手で支えなければ忽ち鼻先までずり落ちる。何も見えない。無理に見定めようとすると、頭が痛くなる。夫婦の生活でも、案外知っている心算でも、何も知らずに済んでいることが多いのかも知れない。そう思うと、急に、毎日平気で何気無く一緒に暮らしている夫がとんでもない妖怪かもしれないと思って不気味になる・・・
「着想がユニークなんだな。新婚時代が漸く過ぎた夫婦生活のニュアンスが素直に伝わって来ます。夫との間にふと隙間風を感じた妻の心の襞と言ったものが・・・いや、これは失礼・・・」
凜乃は顔を赤らめて俯いた。
「あのぉ・・・それで、私に何か?」
「そうでした、失礼しました。実は、わざわざお越し願ったのは、今度、マンションや団地の生活を特集する号を発行しようということになりましてね。あなたにも参加して頂ければ、と思って・・・」
「参加と言いますと?」
「難しいことでは無いんです。座談会に出て頂いて、ルポ形式のものを書いて欲しいんです」
「さあ~・・・」
凜乃は上気した頬に片手を宛てた。
「でも、私なんかに、何故?」
「失礼ながら、あなたを良い意味での団地夫人と見た訳です」
「でも、私、実のところ、マンション生活は嫌いなんです」
「其処が私共の狙いなんですよ」
その時、小柄な男がせかせかと傍を通り掛かった。
「あっ、編集長、此方が例の・・・」
男は凜乃をチラッと見やって忙し気に言った。
「ああ、竹本です、宜しく、宜しく・・・」
そう言って足早に去って行った。凜乃は会釈する間も無かった。
「あなたの観察力を評価してのお願いなんです。先ほども編集長が、是非頼んでくれ、と言っていました」
「困ったわ・・・」
「あの、失礼ですが、ご主人のお仕事は?」
「電気機器の会社に勤めています」
「お子さんは?」
「未だ、居りませんわ」
「そうですか。それじゃ単調過ぎるでしょう、毎日が?」
「・・・・・」
「ご主人も喜ばれると思いますよ、妻が適当なアルバイトを持つことは・・・。あなたの美容の為にも良いんじゃないですかねえ」
その時、少し離れた所から、二人の様子をじっと窺がっている一人の女性が居ることに凜乃は気づいた。
暫くして、別室から一人の男が慌しく出て来て、一直線に凜乃の方へやって来た。
「野中さんですね。水谷です」
凜乃は直ぐに立ち上がって腰を折った。
「お電話を戴きまして・・・」
「お呼びだてしたり、お待たせしたりして、申し訳ありません。さあ、どうぞ、お掛け下さい」
凜乃は元の椅子に腰を下ろした。
「読者投稿による“ティータイム欄”は僕が担当して居まして、ね」
「それじゃ、送られて来る原稿をお一人でお読みになるんですか?」
水谷はそれには直接答えずに、机上に在る「輝くミセス」を手に取って、ページをパラパラと捲りながら言った。
「いやあ、あなたが投稿された“主人の眼鏡”は面白かったなぁ」
「採用して頂いて有難うございました」
凜乃は深く頭を下げた。
「筆者の文章の息遣いが感じられるところが魅力ですね。それに、所帯臭さの無いところが新鮮ですよ」
「いえ、とても駄目ですわ。ただ思うことを独り言みたいに書くだけですから・・・」
「思ったことを素直に書く、ということが大切なんですよ。ちょっと読んでみますね」
水谷はそう言って、凜乃の投稿した内容を読み始めた。
夫の眼鏡をかけてみる。思ったより重く、手で支えなければ忽ち鼻先までずり落ちる。何も見えない。無理に見定めようとすると、頭が痛くなる。夫婦の生活でも、案外知っている心算でも、何も知らずに済んでいることが多いのかも知れない。そう思うと、急に、毎日平気で何気無く一緒に暮らしている夫がとんでもない妖怪かもしれないと思って不気味になる・・・
「着想がユニークなんだな。新婚時代が漸く過ぎた夫婦生活のニュアンスが素直に伝わって来ます。夫との間にふと隙間風を感じた妻の心の襞と言ったものが・・・いや、これは失礼・・・」
凜乃は顔を赤らめて俯いた。
「あのぉ・・・それで、私に何か?」
「そうでした、失礼しました。実は、わざわざお越し願ったのは、今度、マンションや団地の生活を特集する号を発行しようということになりましてね。あなたにも参加して頂ければ、と思って・・・」
「参加と言いますと?」
「難しいことでは無いんです。座談会に出て頂いて、ルポ形式のものを書いて欲しいんです」
「さあ~・・・」
凜乃は上気した頬に片手を宛てた。
「でも、私なんかに、何故?」
「失礼ながら、あなたを良い意味での団地夫人と見た訳です」
「でも、私、実のところ、マンション生活は嫌いなんです」
「其処が私共の狙いなんですよ」
その時、小柄な男がせかせかと傍を通り掛かった。
「あっ、編集長、此方が例の・・・」
男は凜乃をチラッと見やって忙し気に言った。
「ああ、竹本です、宜しく、宜しく・・・」
そう言って足早に去って行った。凜乃は会釈する間も無かった。
「あなたの観察力を評価してのお願いなんです。先ほども編集長が、是非頼んでくれ、と言っていました」
「困ったわ・・・」
「あの、失礼ですが、ご主人のお仕事は?」
「電気機器の会社に勤めています」
「お子さんは?」
「未だ、居りませんわ」
「そうですか。それじゃ単調過ぎるでしょう、毎日が?」
「・・・・・」
「ご主人も喜ばれると思いますよ、妻が適当なアルバイトを持つことは・・・。あなたの美容の為にも良いんじゃないですかねえ」
その時、少し離れた所から、二人の様子をじっと窺がっている一人の女性が居ることに凜乃は気づいた。
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