『綾音 ―光の裏側―』

友利奈緒

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第一章 王者の妹

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 兄が全国王者になった日から、世界は少しだけ音を変えた。

 朝のニュース番組。
 スポーツ紙の一面。
 通学路のコンビニの前に貼られたポスター。

 そこにいるのは、トロフィーを掲げる兄の姿だった。

 ――全国大会優勝。新時代の王。

 画面の中の兄は、私の知っている顔と少し違って見えた。

 強くて、眩しくて、遠い。

 

 学校に着くと、昇降口で足が止まった。

「あ、いた!」

「綾音ちゃん!」

 一瞬で囲まれる。

「お兄さんって家でもあんなに強気なの?」
「サインもらえない?」
「今度テレビ出るんでしょ?」

 笑顔を作る。

「うん、でも家では普通だよ」

 嘘じゃない。
 本当に普通だ。

 夜中までカードを触って、カップ麺をすすって、机で寝落ちする。

 だけど――

 それを言っても、誰も納得しない。

 みんなが知りたいのは“王者”の兄だ。

 “兄の妹”としての私。

 

 昼休み、スマホが震える。

 SNSの通知が止まらない。

〈王者の妹かわいい〉
〈兄妹でプロ入りある?〉
〈フェンリルが動くらしい〉

 その名前に、指が止まった。

 フェンリル。

 兄の因縁のスポンサー企業。
 十年前、黒崎を縛った会社。

 今は制度改革を掲げているけれど、
 その中心にいるのはあの男――

 **神堂レオ**

 兄と死闘を繰り広げた王者。

 私の画面にも、優勝直後に並んで握手をする二人の写真が流れてくる。

 王と挑戦者。

 完璧な一枚。

 でも。

 あの日、兄の手は少し震えていた。

 私は知っている。

 

 放課後。

 校門を出たところで、視線を感じた。

 黒いスーツ。

 フェンリルのロゴピン。

 胸が跳ねる。

「綾音さんですね」

 丁寧な声。

「少しだけ、お話を」

 喉が乾く。

 逃げたいのに、足が動かない。

 

 近くのカフェ。

 窓際の席。

 男は名刺を差し出した。

 フェンリル育成部門・マネージャー。

 つまり――スカウト。

「率直に言います」

 男は穏やかに微笑む。

「あなたに可能性を感じています」

「……私に?」

「ええ。王者の妹、というだけではありません」

 その一言に、少しだけ救われる。

「先日の大会後、配信のカメラが何度もあなたを抜いていました。視聴者の反応が良い」

 数字。

 データ。

 市場価値。

 頭の奥が冷える。

「妹としてではなく、プレイヤーとして育成したい」

 本当に?

 それとも。

 “妹”という物語込みで?

 カップの氷が溶ける音がやけに大きい。

「まだ契約ではありません。興味があれば――」

 差し出された封筒。

 白くて、軽くて、妙に重い。

 

 帰り道、夕焼けがやけに赤かった。

 兄はもう家にいるだろう。

 練習をしているはずだ。

 王者なのに、あの人は止まらない。

 

 家のドアを開けると、カードをシャッフルする音。

「おかえり」

 振り向く兄は、テレビの中よりずっと普通だ。

 髪は寝ぐせ、部屋は散らかり放題。

 安心する。

 でも同時に、胸がぎゅっとなる。

 私はこの人の何なんだろう。

 守られる存在?

 応援するだけの存在?

「どうした、元気ないな」

 兄が言う。

 優しい声。

 その優しさが、時々苦しい。

「……なんでもない」

 嘘をついた。

 封筒は鞄の奥で沈んでいる。

 

 夜、自室。

 机の上にカードを並べる。

 小さい頃、兄の隣で覚えたゲーム。

 勝てなくても楽しかった。

 でも。

 いつからだろう。

 負けるのが悔しくなったのは。

 “王者の妹”と呼ばれるたび、胸がざらつくようになったのは。

 鏡を見る。

 そこにいるのは、ただの高校生。

 王者でも、スターでもない。

 私は、私で勝てるだろうか。

 

 スマホが震える。

 知らない番号からのメッセージ。

〈近日、神堂レオ選手とお会いできる機会があります。正式なお話を〉

 息が止まる。

 **神堂レオ**

 画面の向こうの王が、現実に近づいてくる。

 兄は越えた。

 でも私は?

 隣に立つのか。

 利用されるのか。

 それとも。

 自分の道を選ぶのか。

 

 カードを一枚、手に取る。

 兄とは違うテーマ。

 守りを重ねるデッキ。

 地味で、派手さはない。

 でも、嫌いじゃない。

「……隣じゃなくて」

 小さく呟く。

「私として、勝ちたい」

 窓の外。

 遠くで救急車のサイレンが鳴っていた。

 王者の妹の物語は、まだ誰も知らない。

 そして、私自身も――

 まだ知らない。

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