僕に名前をください

鈴原りんと

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Name2:Flower

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 クレープを食べ終わった僕らは、植物園の入り口付近にある小さな売店へ向かった。造花で彩られた店の棚は、並ぶ商品をさらに魅力的に輝かせている。微かに鼻腔をくすぐるのは、甘ったるい花の香りだ。

「何を買うの?」
「秘密!名無しくんは少しだけ待っててね」

 人差し指を口元に当て、碓氷さんは悪戯っ子みたいに笑った。

「あまり遠くへは行かないようにね。それから、迷子にならないように」
「子供じゃないからそれくらい大丈夫だよ……!」

 少しだけムッとした顔で碓氷さんはそう言うと、軽やかな足取りで店の奥へと消えていった。買うものを見られたくないのか、彼女は僕に付いてきてほしくないような口ぶりだった。仕方がないから、適当に商品を見て時間を潰すことにする。
 正直、陳列された商品は、だいたいが子供向けのものや女性が好きそうな物ばかりでつまらない。押すと音が鳴る植物園のマスコットキャラクターのキーホルダーや、花のピアス、植物のシールなど。どれも僕の興味を惹く物ではなかった。

 ……こんな物の、何が良いのだろう。

 でも、その中で一つだけ興味が持てる物があった。それは、ひらがなで名前が彫られたキーホルダーだ。銀色のプレートに名前が刻まれ、付属されている透明の珠の中に花が埋め込まれている。これこそ、小学生くらいの子が喜びそうなものだ。皆、あの大量に並んだキーホルダーの中から、自らの名前や愛称が刻まれた物を探すのだろう。少しだけ、それが羨ましい気がした。

 僕には、あそこから探し当てる名前すらないのだ。

「お待たせ、名無しくん」

 僕がキーホルダーを見つめていると、背後から澄んだ声が僕を呼んだ。

「早かったね。欲しい物は買えた?」
「うん。はい、これあげる」

 訊ねると、碓氷さんは花柄の小さな袋を手渡してきた。

「僕に?」
「そう、名無しくんに。お世話になってるからさ」

 僕はその袋を見つめて目をぱちくりさせる。まさか、彼女が買いたかったのは、僕へのお土産だったのだろうか。彼女の真意がよく分からなくて、僕は珍しく動揺していた。

「開けてもいい?」
「もちろん。気に入ってくれるといいんだけど……」

 了承を得て、僕はそっと袋を開封する。少しだけ、その時に手が震えていたことに気づいて情けなくなった。
 中には小さな何かが入っていた。袋を傾けて掌の上に取り出すと、それはクローバーのキーホルダーだった。グリーンとライトグリーンの石で構成された四葉の中央には、周囲の緑色とはまた違うオリーブグリーンの小さな石が埋め込まれている。それらと同じく紐に通された銀色の小さなプレートには、『August』と書かれていた。

「……どうかな?」

 碓氷さんが少しだけ不安そうな声で訊ねてくる。

 すぐには返事が出来なかった。形容しがたい嬉しさに似た感情が心の中に渦巻いている。こういう時、どんな顔をしたらいいのだろう。
 僕には、それが分からないし知らない。
 でも、どうしようもなく熱くて痺れるようなこれは、紛れもなく『嬉しい』という感情なのだろう。

「……ありがとう、とても嬉しいよ。気に入った」

 何とか言葉を紡ぎ、キーホルダーを大事に握る。そうすれば、胸の辺りが仄かに温かくなった。

 初めて人から貰ったプレゼントだった。たかが植物園の土産屋に売っているキーホルダーなのに、何故こうも温かい気持ちになるのだろうか。欲しかったものが与えられたと、僕の脳が勘違いを起こしたのか。それとも、これをくれたのが彼女だったからなのか。
 ……その答えは、全然分からない。

「ちなみに、私とお揃いなんだよ」

 そう言いながら、碓氷さんはクローバーのキーホルダーを取り出した。彼女のキーホルダーには、中央にバイオレットブルーの石が埋め込まれている。銀色のプレートには、『December』と刻まれていた。

「その情報はいらなかったなぁ」
「えぇ!?」
「冗談だよ。いいじゃん、お揃い」
「……恋人、だもんね」

 からかってやれば、碓氷さんは照れくさそうに微笑んだ。
 初めて碓氷さんの口から、恋人であることをしっかり聞いたような気がする。今日のことで、少しは自信がついたのか、彼女は一段と成長したように感じられた。

「そういえば碓氷さん、門限とかはないの?病院って、そういうの厳しそうだけど」

 ふと腕時計を見た僕が何気なく尋ねてみれば、碓氷さんはサッと顔を青くさせて目を泳がせた。仮にも彼女は余命僅かの重病人。特別な許可を得て外出をしているらしいから、そう長く外で活動することを許されてはいないだろう。

「忘れてたって顔だね」
「う、うん……そろそろ帰らないとマズイかなぁ」

 碓氷さんが苦笑しながらキーホルダーを鞄にしまった。

「少し早いけど帰ろうか」
「ごめんね……」

 眉を下げた碓氷さんに「大丈夫だよ」と声をかけ、自然と手を繋ぐ。少しだけ冷えた彼女の手が、控えめに僕の手を握り返した。
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