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Name2:Flower
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行きと同じバスに揺られ、病院近くのバス停で降車する。最寄りのバス停とはいえ、病院までは少し距離があり、まだしばらく歩かなければならない。今日はほぼ一日歩き回っていたから少し疲労感が足に溜まっているが、僕たちはのんびりと夕焼けに染まる街をのんびりと歩いた。
今日一日で、碓氷さんとはいろいろな話をした。そのせいか、話題が尽きてしまって今はあまり会話がない。沈黙が続くと、何とか会話を続けようと必死になっていた碓氷さんも、疲れてしまったのか沈黙を破ることはなかった。
なんとなくこの沈黙が気まずく感じられて、僕はふと碓氷さんの顔を見た。僕はその顔を見て眉を顰める。笑顔の印象が強い彼女の顔から、完全に笑顔が消えている。そのうえ、顔から少し血の気が引いているような気さえした。
「碓氷さん、顔色悪いけど……」
立ち止まって、碓氷さんの顔を覗き込む。色のない瞳がこちらを向いた。
「少し……、疲れただけだから大丈夫」
へらりと笑ってそう答えるが、明らかに体調が悪そうに見えた。
長い時間連れまわしすぎたかもしれない。あまりに彼女が明るく元気なものだから、余命宣告を受けた重病の患者だということを忘れてしまっていた。
もし、今日の外出で病状が悪化してしまうようなことがあったら。そんな嫌な予感が脳裏を掠めた。
その時、碓氷さんの体がぐらりと傾いた。咄嗟に僕は抱きとめて、彼女を支える。
「ご、めん……」
「大丈夫?少し休もうか?」
「だい、じょうぶ……少し眩暈がするだけだから……」
力のない声音が返ってくる。病的に白い手で顔を覆いながら、碓氷さんは必死に眩暈に抗っているように見えた。手の隙間から見える彼女の表情は、ひどく険しくて額にはじっとりと汗が滲んでいた。
「……吐きそう?」
「ううん、それは大丈夫そう……ちょっと目が回ったというか……気持ち悪い……」
焦点の合わない目が細められる。かろうじて自分の力で立ってはいるが、このまま放っておけば、彼女は今にも倒れてしまいそうだった。
「碓氷さん、おぶっていくから乗って」
彼女に背を向けてしゃがみ、僕は言う。
「え、でも……」
「その様子じゃ立っているのも限界でしょ。いいから」
「……ごめんね」
少しだけ捲し立てるように言えば、彼女はすんなりと僕の背に体重を預けた。
碓氷さんを背負って立ち上がる。彼女は、驚くほど軽かった。まるで、彼女の中身だけが全てどこかへ行ってしまったみたいに。背に乗るこの重さが、碓氷さんの命の重さを示しているようで、なんとなく嫌な気分になった。
碓氷さんを背負って数分歩くと、市立病院が見えてきた。夕方だからか、あまり周辺に人が居なかった。
病院の入り口に着いたことが分かったのか、碓氷さんが消えそうな声で「ここでいいよ」と言った。心配だが、一度碓氷さんを下ろす。
「最後の最後にごめんね……ありがとう」
多少ふらついてはいたが、先程よりは幾分か顔色が良くなっているように思う。しかし、その無理やり押し出されたような笑顔が辛そうで、正直見ていられなかった。
「どういたしまして。病室まで送ろうか?」
「ううん、ここまでで大丈夫」
「……そう。気を付けてね。今日は早く寝なよ?」
子供にでも言い聞かせるように言えば、碓氷さんは柔らかい表情で頷いた。
「……明日が、最終日なんだよね?」
病院内へ向かおうと背を向けた碓氷さんが、しっとりとした声音で言う。夕暮れ時の風が、彼女の服を揺らした。
「そうだね。明日は学校に行く約束だったけど、行けそう?」
「たぶん。何としてでも行くよ」
「分かった。じゃあ、七時半頃に迎えに行くね」
「ありがとう」
振り返った碓氷さんの顔は、夕焼けの橙に照らされて少しだけ切なそうに見えた。
「じゃあ、また明日」
「うん、また明日ね名無しくん!」
オレンジが降り注ぐ病院前で、手を振ってそう笑いあった。
『また明日』と言葉を交わすのは、今日が最後だ。明日には、『またね』が『さよなら』に変わるだろう。やっと恋人になるという面倒な依頼が終わる。
それなのに、どことなく心に隙間が出来たように感じるのは何故だろうか。碓氷さんとの恋人ごっこを、案外自分も楽しんでいたとでも言うのだろうか。
そんなわけない。僕が誰かのために必死になるなんてありえないから。
そう言い聞かせるのに、今日一日を振りかえってみれば、柄にもなく外出を楽しんでいた自分がいたような気がする。一日どこかへ出かけて面倒だとか嫌だとか、ここまで明確に感じなかったのは初めてかもしれない。
あぁ、どうしよう。
何もかも分からなくなってきたな。
ふと僕はポケットにしまっていたクローバーのキーホルダーを取り出した。銀色のプレートとクローバーの飾りが触れ合って、小さな音を立てて揺れる。
それを夕焼けに翳せば、鈍い橙色を纏って光輝を放つ。
そのキーホルダーは、小さいのにとても重く感じられた。
今日一日で、碓氷さんとはいろいろな話をした。そのせいか、話題が尽きてしまって今はあまり会話がない。沈黙が続くと、何とか会話を続けようと必死になっていた碓氷さんも、疲れてしまったのか沈黙を破ることはなかった。
なんとなくこの沈黙が気まずく感じられて、僕はふと碓氷さんの顔を見た。僕はその顔を見て眉を顰める。笑顔の印象が強い彼女の顔から、完全に笑顔が消えている。そのうえ、顔から少し血の気が引いているような気さえした。
「碓氷さん、顔色悪いけど……」
立ち止まって、碓氷さんの顔を覗き込む。色のない瞳がこちらを向いた。
「少し……、疲れただけだから大丈夫」
へらりと笑ってそう答えるが、明らかに体調が悪そうに見えた。
長い時間連れまわしすぎたかもしれない。あまりに彼女が明るく元気なものだから、余命宣告を受けた重病の患者だということを忘れてしまっていた。
もし、今日の外出で病状が悪化してしまうようなことがあったら。そんな嫌な予感が脳裏を掠めた。
その時、碓氷さんの体がぐらりと傾いた。咄嗟に僕は抱きとめて、彼女を支える。
「ご、めん……」
「大丈夫?少し休もうか?」
「だい、じょうぶ……少し眩暈がするだけだから……」
力のない声音が返ってくる。病的に白い手で顔を覆いながら、碓氷さんは必死に眩暈に抗っているように見えた。手の隙間から見える彼女の表情は、ひどく険しくて額にはじっとりと汗が滲んでいた。
「……吐きそう?」
「ううん、それは大丈夫そう……ちょっと目が回ったというか……気持ち悪い……」
焦点の合わない目が細められる。かろうじて自分の力で立ってはいるが、このまま放っておけば、彼女は今にも倒れてしまいそうだった。
「碓氷さん、おぶっていくから乗って」
彼女に背を向けてしゃがみ、僕は言う。
「え、でも……」
「その様子じゃ立っているのも限界でしょ。いいから」
「……ごめんね」
少しだけ捲し立てるように言えば、彼女はすんなりと僕の背に体重を預けた。
碓氷さんを背負って立ち上がる。彼女は、驚くほど軽かった。まるで、彼女の中身だけが全てどこかへ行ってしまったみたいに。背に乗るこの重さが、碓氷さんの命の重さを示しているようで、なんとなく嫌な気分になった。
碓氷さんを背負って数分歩くと、市立病院が見えてきた。夕方だからか、あまり周辺に人が居なかった。
病院の入り口に着いたことが分かったのか、碓氷さんが消えそうな声で「ここでいいよ」と言った。心配だが、一度碓氷さんを下ろす。
「最後の最後にごめんね……ありがとう」
多少ふらついてはいたが、先程よりは幾分か顔色が良くなっているように思う。しかし、その無理やり押し出されたような笑顔が辛そうで、正直見ていられなかった。
「どういたしまして。病室まで送ろうか?」
「ううん、ここまでで大丈夫」
「……そう。気を付けてね。今日は早く寝なよ?」
子供にでも言い聞かせるように言えば、碓氷さんは柔らかい表情で頷いた。
「……明日が、最終日なんだよね?」
病院内へ向かおうと背を向けた碓氷さんが、しっとりとした声音で言う。夕暮れ時の風が、彼女の服を揺らした。
「そうだね。明日は学校に行く約束だったけど、行けそう?」
「たぶん。何としてでも行くよ」
「分かった。じゃあ、七時半頃に迎えに行くね」
「ありがとう」
振り返った碓氷さんの顔は、夕焼けの橙に照らされて少しだけ切なそうに見えた。
「じゃあ、また明日」
「うん、また明日ね名無しくん!」
オレンジが降り注ぐ病院前で、手を振ってそう笑いあった。
『また明日』と言葉を交わすのは、今日が最後だ。明日には、『またね』が『さよなら』に変わるだろう。やっと恋人になるという面倒な依頼が終わる。
それなのに、どことなく心に隙間が出来たように感じるのは何故だろうか。碓氷さんとの恋人ごっこを、案外自分も楽しんでいたとでも言うのだろうか。
そんなわけない。僕が誰かのために必死になるなんてありえないから。
そう言い聞かせるのに、今日一日を振りかえってみれば、柄にもなく外出を楽しんでいた自分がいたような気がする。一日どこかへ出かけて面倒だとか嫌だとか、ここまで明確に感じなかったのは初めてかもしれない。
あぁ、どうしよう。
何もかも分からなくなってきたな。
ふと僕はポケットにしまっていたクローバーのキーホルダーを取り出した。銀色のプレートとクローバーの飾りが触れ合って、小さな音を立てて揺れる。
それを夕焼けに翳せば、鈍い橙色を纏って光輝を放つ。
そのキーホルダーは、小さいのにとても重く感じられた。
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