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想い出に残らないもの 2
しおりを挟む帰宅後、イリエはいつも通りの準備をして彼を待った。誕生日の話は耳に入っていただろうが、たまたま今日来るつもりだったのかもしれないし、調子に乗らないように自分に言い聞かせるが、それでも今夜一緒に居られることに自然と頬が緩む。
程なくしてフェリウスが訪れた。
最近ではスープは必ず、時々食事も共にしてくれるようになった。それが何よりも嬉しくて幸せで。性交で触れ合い気持ち良くなることも勿論だが、また違った穏やかな嬉しさがあった。
今夜の食事はスペアリブの甘辛煮とトマトクリームスープだ。
相変わらず綺麗な所作で食べるフェリウスはとても素敵で格好良い。器用に動く彼の節くれだった長い指が好きだ。
コーヒーを出しイリエが洗い物を終えると、おもむろにフェリウスが問いかけてきた。
「何か欲しいものある?」
「はい?」
「誕生日」
突然の単語にイリエは驚いて固まってしまった。まさか彼の口からそんな言葉が聞けるとは思わなかったからだ。
「何その顔」
「い、いえ」
「いつもご馳走になってるし、そのお礼」
「え、でも…」
「要らないの?」
欲しいもの。
それはひとつだけだ。
『もの』ではない。
『フェリウス』だ。
イリエの望みは一つだけ。
でも絶対に叶わないもの。
「…いえ、その心遣いだけで十分です」
「こっちだけっていうのも心苦しい」
「…」
口から思わず漏れ出そうになってしまう。
でもそれを言ったらこの関係は終わってしまう。
イリエは震える吐息を整える。
そして無意識に下を向いていた顔を上げて大好きな人を見て微笑む。
「では…レオダッドさんお薦めの美味しい菓子店のお菓子が欲しいです」
「…菓子?」
フェリウスはそんなもので良いのかとでもいう風に僅かに首を傾げた。
「はい。実は甘いものに目がなくて。レオダッドさんがここの店のこのお菓子は一番なんだという一品を贈りものとして望んでも構いませんか?」
貴方が一番欲しいだなんて言わないから。
貴方しか欲しくないなんて言わないから。
「わかった。安い女だな」
「ふふ。楽しみが増えました」
イリエにとってフェリウスが行動を起こしてくれたこと、今夜来てくれたことが何よりの贈りものなのだ。
それにイリエにはもう一つ絶対的な決まり事があった。
それは想い出に残るものを絶対に残さないことだ。
いつ終わりが来るか、いつ番が現れるかわからない状態で想い出の品々が増えるなんてとてもではないが堪えられないからだ。
それなら始めからそんなものは要らない。
自分の首を締めることは絶対にしない。
その日の性交は一度だけだったが、とても長い一回であった。フェリウスの口づけと手の動きに翻弄され続けながら、燻るような熱が溜まり身悶えた。ようやく欲しいものが与えられたイリエは挿入されただけで身体中の痙攣と共に達してしまうほど、それまでが長かったのだ。
一度だけなのに、あまりに濃厚過ぎて気絶するように眠ってしまったイリエだが、さらさらと髪を撫でられ耳元で「おめでとう」と囁かれた嬉しい『夢』に涙が零れそうになった。
***************************
イリエは仕事が休みの日、少なくなった洗体用の石鹸を買いに王都商店街の石鹸屋に来ていた。
(彼は多分無香料を使っていると思うのよね…そりゃそうか。もしいつもと違う香りをしていたら周りから何を言われるかわからないもの)
イリエはいつも自分が使っている桃を主体としたフルーティーな香りの石鹸を買い物かごに入れた。これは香りが強すぎず、保湿効果も高く気に入っている。
他に良い物があるか店内を見ていると、急に後ろから話しかけられた。
「へえ、イリエちゃんはその石鹸を使っているんだね」
「!」
驚いて振り向くとそこには軍服姿のイアンが一人で立っていた。
「驚かせちゃった?ごめんね」
「いえ、お仕事お疲れ様です」
「うん。仕事が一息ついてさ。ちょうど家の石鹸が無くなってるの思い出して買いにきたんだ」
「そうなんですね」
イリエは視線を戻して石鹸が並んでいる方を順に見ていく。そのままフェードアウトしようと思っていたのだが、何故かイアンは一緒についてくる。
イアンがイリエ達の関係を知っているか否かはわからないが、下手に関わってボロを出すのはごめんだった。
「あ、これフェリウスのご愛用のやつだ」
「え」
イリエは思わずイアンの言葉に反応してその石鹸を見てしまった。それはハーブのティーツリーの石鹸だった。針葉樹と柑橘系を組み合わせたような爽快感のあるものらしい。
くすくすと笑うイアンに、早速ボロを出したイリエは内心歯噛みする。やはり聞いているか気づいているようだ。それでもこれ以上知られないように、いつもの接客モードで迎える。
「なかなかしぶといなぁ」
「ふふ、何のことでしょう」
例えどんな状況になろうともイリエはフェリウス本人から言われない限りは止めるつもりも漏らすつもりもないのだ。
「ほら、僕は彼の親友で同僚なんだよ」
「いつも一緒に食堂に来てくださってますね」
「僕と仲良くなっておけば何か良い情報が入ると思わない?」
これはイリエを誂っているのか、それとも試しているのか。
イリエは自己満足と自己保身をかけ合わせるような、卑怯な人間ではあるが、守ると自ら口に出したことは何が何でも守る。それがせめてもの相手への誠意でありイリエの意地でもある。
だからこそけじめとして想い出に残るものも貰わないし絶対に残さないのだ。
一つ瞬いたイリエはイアンに向き直り、にこりと微笑んだ。
「ピーフォック様が何を仰りたいのか皆目見当がつきませんが、もしそのようなことがあると仮定するなら」
イリエは接客仕事をする上で、どんな状況でも臨機応変に対応できる術を鍛えさせてもらっている。それは仕事上必要なことであり、時には自分を守る壁にもなるからだ。
「私ならば本人の口から直接聞くまでは何一つ他人に明かすことはしません。相手の方の状況始め全てを踏まえた上で、絶対に困らすことは万が一にもしたくはないのです」
イアンが目を丸くする。
「自分の願望を優先させる為に、塵ほどにも相手に不安要素を与えたくないのです。他の誰でもなく、本人からの言葉にしか私は左右されたくありません」
イリエ達の関係に対して何を思おうが自由だが、それを彼が望んでいることならば、どんなに辛くても喜んで応じよう。どんなに苦しくても颯爽と行動に移そう。
それが身勝手な欲望で巻き込んだイリエなりの誠意なのだ。
イリエは唖然とするイアンにぺこりとお辞儀だけして会計を済ませて外に出た。後日フェリウスが使用している石鹸を買いにいく日程を考えながら。
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