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レオダッド侯爵家 3
しおりを挟む昼より少し前、イリエとフェリウスは番縁と番消しの薬の申請に共に王宮を訪れた。
女性が服用する番消しの薬は男性と少し勝手が違い、濃い七色の薬だ。番絆以外で首元に噛みつかれたとしても、獣人特有の紋印が現れることはない。それを可能にさせるのが番縁と共に申請する番消しの薬となる。
女嫌いで有名だったフェリウスが自ら率先してイリエと手を繋ぎ、時折愛おしそうな表情を見せる姿に周りはある意味混沌としていたのだが当の本人は気にも留めず、イリエは今までのフェリウスからかけ離れた対応と甘い表情に驚きと羞恥が勝って他に意識を向ける状態ではない。
「おや。フェリウスですか。こんな所で会うとは珍しい」
申請受付場所に赴くとそこには受付の人以外にもう一人背の高い男性がいて、受付の後ろの棚から書類を探していたようで、こちらに気づくとフェリウスに話しかけてきた。どうやら知り合いのようでフェリウスは小さく溜息を吐いた。
「…リグリアーノ」
「久しいですね」
リグリアーノと呼ばれた男性は透き通るような真っ直ぐな長い白銀髪で毛先はエメラルド色だ。鮮やかなマゼンタ色の瞳がゆっくりと細められた。
「先日受付から番消しの薬を申請したと聞いた時はまさかと思いましたが、本当だったのですね」
「だから何」
「いえ、唯一を決めたことを純粋にお祝いしようと思っただけですよ」
「どうだか」
そう言って微笑むリグリアーノの瞳はとても鮮やかで美しいが、何を考えているのかわからない不思議な眼差しだ。
「紹介してください」
「無理」
「相変わらずつれない」
フェリウスの邪険な扱いに慣れたような様子のリグリアーノは次にイリエに視線を移した。
「初めまして。リグリアーノと申します。フェリウスとは学友で同い年だったんですよ」
「初めまして。イリエと申します」
フェリウスとはまた系統の違う見目麗しい容貌だが、フェリウスの態度からして嫌悪している風には見えなかったので、イリエは無難に挨拶を返した。
「小柄で素敵な方ですね。人族は皆そうなのでしょうか」
「いえ、私が標準よりも小さい方なのだと思います。…背を伸ばす為に頑張ってミルクを飲んだ時期もありましたが…微々たるも願いは叶えられず…」
「ぶっ」
昔は何とか背が伸びないかと奮闘しては撃沈したことを思い出し、知らぬ間に鬱屈とした表情で下を向いていたイリエだが、遠慮のない噴き出す声に顔を上げると、麗しい微笑みのリグリアーノだけが視界に入る。
空耳かなと思い首を傾げると、繋いでいた手を放しイリエの後方から抱きつくように覆い被さってきたフェリウスが耳元で囁く。
「見た目に騙されるな。こいつは悪辣だ」
「っ…そ、そうなのですか?」
「根っからだな。耳弱すぎ」
「ち、近いです…!息が…!」
「うん?」
「おやおや。酷い言われようですね」
後ろから回されたフェリウスの腕に触れながらも耳に直接届く掠れた低音にイリエはひゃっと声を出しそうになり耐えながら頬を染めて抗議するが、フェリウスはお構いなしにもっと近づけようとするので、イリエは思わず耳を塞いで睨む。
そんなイリエの様子にフェリウスが蕩ける表情をみせるので、今度は鼻も押さえたくなるという連鎖に陥った。
「鼻と片耳…もう片方が空いてるな」
「手は二本しかないんです…!」
「知ってる知ってる」
「っぐ、…し、申請!」
「んー…ふっ」
「っ…!」
イリエの耳に息を吹きかけていちゃついているフェリウスにリグリアーノ始め、受付周辺が呆然としているが、イリエは耳と鼻の守りに必死で全く気づかない。
「――――おもしれー…何だこれ。イアンに聞いちゃお」
「余計な詮索するな。―――イリエ?」
「し、ん、せ、い…!」
何やらこそこそ話している二人の声は最早イリエにはどうでもよく、何とかフェリウスにここへ来た目的を強調する。
「うん。そうだった」
そう言いながら顔を傾けてちゅっと唇を啄んできたフェリウスに、もうイリエは顔を真っ赤にするしかなくなる。そしてその顔を見てフェリウスがとろりと甘い表情をして、イリエはまた鼻を押さえるというエンドレスになるのだ。
「ぶふっ――――――さて、申請は番縁と、イリエ嬢の番消しの薬でよろしいですか?」
「ああ。早くしろ」
「はいはい。では薬を用意しますので、こちらに記入をよろしくお願いします」
再度噴き出す音が聞こえようがリグリア―ノがいつの間にか受付に代わり対応していようが、今のイリエには最早どうでもよく、わなわなとフェリウスを睨みながらも少し震える手で記入し、それを後ろから覆ったままでフェリウスが時折耳元で話し続けるのだから堪らない。
ここまで人は変わるのかと思いながらも何とか書き終えたが、それを教えてくれたのは意外にも薬を持ってきてくれたリグリア―ノだった。
「……はい。書類に不備はないですね。ではこちらが女性用の番消しの薬となります。服薬してから効力が完全に効くまでには一日半ほどかかります」
「ありがとうございます」
イリエが小さな袋を受け取ろうと手を伸ばすと、渡しながらリグリア―ノが少しだけ顔を前に出して小さな声で教えてくれた。
「黒豹は有能な者が多いですが、人への関心が薄く干渉されることを厭い、扱いづらい種族です。ですが唯一と決めた相手には己のことを遥か上の棚に上げて干渉し徹底的に囲い、全てを自分がしないと気が済まないという重く暑苦しい部分があります。夜は特に気をつけてくださいね?」
種族の習性というものを伝えられたイリエは何故リグリア―ノがそんなに詳しいのかと不思議に思ったが、尋ねる前に後ろから囲われていたフェリウスに向きを強制的に変えられ歩きだされたことによって聞けなくなってしまった。
申請場所から出た後は流石にフェリウスも離れて、再度イリエの手を取り歩き出した。
王宮内から出た所で飲み物を買ってきたフェリウスにお礼を言いながら、イリエは番消しの薬を飲み物で流し込む。
「家まで我慢出来ずにごめん」
「いえ、私も早く安心したい気持ちがあるので」
イリエは人族の為気付かないしフェリウスに安心してもらうことでイリエも安心できる。
「そう言えば、先ほどのご学友の方はとても博識なのですね。他種族のことにとても詳しかったです」
「ああ、…あいつは研究馬鹿王子だから」
「…ん?」
「ん?」
「王子、ですか?」
「うん。リグリア―ノ・バロアス。第三王子ってやつ」
「――――ぇ」
そう言われてみれば昔の授業でそんな名前を聞いたような気がしないでもないが、王族と関わるとは微塵にも思っていなかったイリエとしては、殆ど記憶から薄れていたようだった。
「気にするな。外見は麗しく見えるみたいだが中身が醜悪だ。イアンは親友だが、あいつは悪友だな」
「…そうなんですね」
知らずとは言えもう対面してしまったし、悪でも友人なのだと今更驚いても仕方ないのでイリエも気にしないように切り替えた。
「イリエ、落ち着いたら食堂に行くのでも良い?」
「はい。いつでも良いです。連絡を入れてもらえたので」
「うん。番消しが効くまで安心できない。店主達には無事捕獲したって伝えてある」
「ふふ。捕獲されました」
こうして冗談交じりの会話もできるなんて思わなかったイリエは、本当にこれは夢でなく現実なのだと噛み締めながら、フェリウスと手を繋いだまま散歩がてら街並みをのんびり歩いて帰路に着いた。
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