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番外編:坊ちゃま黒豹と無自覚子栗鼠のとある一日 6
しおりを挟む抱っこ散歩を経てようやく歩けるようになったイリエの手をしっかりと繋ぎながら、二人はタルカル食堂に顔を出した。少し久々に会うダンジとマリーや常連客達と話すが、何故か客の一部の人達がどんよりモードなことにイリエは首を傾げる。
そして彼らを何故か凄みのある表情で見ているフェリウスに、ダンジは「面構えが変わったな。まあ合格点ギリギリだ」と言われ、マリーからは「そんな顔も出来るんだねぇ。良い雄になったね」と何故か褒められている。
二人でチェリーパイを食べ、帰り際にダンジから「そう言えば、さっき珍しくお前さんとこの父親が来たぞ。執事を連れて」と言われ、フェリウスの視線が鋭くなる場面があった。マリーからは「面白い話を聞いたんだよ。詳しく決まったらまた来ておくれ!」とも言われ、何のことか分からないイリエは取り敢えず頷いた。
「また食堂で働きたい?」
そろそろ日も暮れ始め帰り道を手を繋ぎながら歩いていると、不意にフェリウスがそんなことを聞いてきた。
「食堂ですか?」
「うん。…今日暗部部隊屋で皆に接客しているイリエは、…とても楽しそうに見えたから」
掠れた僅かに不安そうな声にイリエは立ち止まってフェリウスを見上げる。
表情は変わらないが不安というよりも恐れに近いように感じた。
勿論楽しかったタルカル食堂での生活と経験はかけがえのないものだ。働きたくないかと言われれば働きたいと答える。
それでも。
「働いていた時は勿論楽しかったです。何より一番の幸運な出来事はあそこで働いていたからフェリウスさんに出逢えたのです」
「!」
「今の私の最優先はフェリウスさんで、他には何も変えられないのです。フェリウスさんが僅かにでも懸念するようなことをしたくないのが今の私が望む一番したいことですね!」
そう言った直後イリエはフェリウスに抱き締められていた。
「…ごめん。心狭くて。でもこういうこと今までに無くてどうコントロールすれば良いか…任務とか、他は余裕なのに…イリエに関してだけはどうしても出来ない」
そう言いながら頭に顔を埋めるフェリウスがイリエは愛おしくて仕方ない。
「でも今日一番嬉しかったことは差し入れを提供している時でなく、同僚の皆さんがフェリウスさんとのことを祝福してくれたことでした」
「っ…」
「それが知れただけで私は今とても幸せで、デートも出来たことで更に幸せいっぱいでした!」
その後は喜び過ぎたフェリウスによってイリエは邸宅まで抱っこされ、すりすり頬ずりされながら帰ったのだった。
その晩の夕食では軽いいざこざが勃発していた。
「―――であった時、物凄い勢いで坊ちゃまが部屋に飛び込み、イリエ様を拉致され私共に捨て台詞を吐いてから立ち去りました」
「良く言う負け犬の遠吠えというやつだな」
「何でだよ―――覚えているだろうな」
「ん?レリィの『今日もご苦労だったな』の一言で全部リセットされてるよ」
「何でだよ」
「その後休憩所の一番奥で不貞腐れた坊ちゃまに対し慈愛の笑みで対応していたイリエ様でした」
「じ、慈愛の笑みというよりニヤニ――」
「その顔を私もみたいぞ、イリエ」
「見せるか」
「石鹸屋では後ろから覆うように抱き着かれていた坊ちゃまをイリエ様は健気にも気張って背負っておられ――」
「悶えるイリエがそろそろ見たくなるな」
「見せるか」
「そんな坊ちゃまですが、元凶令嬢への対応は素晴らしく、目の前でイリエ様に口付けをし見せつけておりました」
「でかした、愚息。そこだけは褒めてやる。あとのことは任せておけ。令嬢の後始ま――」
「レリィ、昔の癖ですぐ仕留めなくていいから。せめて順を追おうね」
「どこから見ていたんだ!」
「気配を探れないとは坊ちゃまもまだまだですな」
「良くやった、蛇。約束の葡萄酒はお前のものだ」
「恐悦至極」
「酒で動いたのか!」
今夜もレオダッド侯爵家の食卓は賑やかである。
フェリウスが湯を浴びて部屋に戻ると、先に湯を浴びたイリエが寝台にうつ伏せで今日買ったムスキーサボンの石鹸を握ったまま眠ってしまっていた。
二人が好んで決めた石鹸なのだと、まるで大粒の宝石を手に入れたかのようにキラキラした表情で見ていたイリエだが、フェリウスを待っている間に久々に朝から動きっぱなしで疲れたのだろう。
いつもならそのまま寝かせるフェリウスだが、今夜はそうもいかない。
カルロの提案もフェリウスの為で動いてくれたことはわかっているし、フェリウスの同僚達だから色々してくれたこともわかっている。
それでもフェリウスは狭量であるし、短時間の接触とはいえ暗部の奴らの中にはイリエに好意を寄せているものは居た。奴らが何かすることはないと分かってはいても嫌なものは嫌なのだ。
石鹸屋に居た店員の一人もそうだったし、これみよがしに見せつけた。何なら食堂で落ち込んでいた奴に関してはイアン情報から完全に狙っていたことも分かっている。
即ちフェリウスは無自覚で無邪気なイリエは悪くないと理解していても若干…どころではないほど一日通して嫉妬でどろどろのぐちゃぐちゃな思いをした。即ちそれを昇華しないと到底眠ることなど不可能だ。
身勝手とわかってはいるが、フェリウスはイリエに自分が最愛なのだとこれでもかと教え込みたい。いつもだが。
湿った髪を布で拭いていたフェリウスはそっとイリエの手から石鹸を取り、サイドテーブルに置いた。
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