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3.アンモナイト
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3.アンモナイト
「よ……」
喉に何かがつかえているような感覚のまま、やっと声を絞り出す。
「よろしく」
敬語を使うかどうか一瞬迷ったが、相手はどう見ても家庭用のヒューマノイドロボットだ。
これから私の世話をしてくれる存在だと直感して、結局くだけた調子で返した。
けれど、「お願いします」を付け足したほうがよかったかもしれない――そんな葛藤が頭の片隅をかすめる。
「ユーザー認識完了」
機械的な声が空気を震わせる。
それは“声”というより、ただの音の羅列だった。
「オーナー様。あなたの名前を教えてください」
私はエプロンの血に視線を釘づけにされたまま、答える。
「黽」
「それは、名字ですか?下の名前ですか?」
「名前のほうだ」
ロボットはヘルメットのスクリーンに、横線のような緑の光を一瞬走らせた。
まるで古い表示装置が入力作業をしているかのように。
私はその仕草を見つめながら、直感する。
――このヒューマノイドは、古い。
古いという言葉すら近代的に思えるほど、古代の機械だ。
「読みかたを教えてください」
「カイ」
また緑の光が走る。
入力作業が終わると、次の質問が投げかけられる。
「それでは、黽様。私の名前を設定してください」
「……アンモナイト」
ほとんど無意識のうちに、即座にそう答えがでる。
「設定完了」
こうして――私と“アンモナイト”の奇妙な同居が始まった。
だが、私の目は依然として彼のエプロンの血から離れない。
「いったい……」
ついに開く。
「その赤い染みは、何なんだ?」
「これは」
間を置かず、即答が返ってくる。
「かつて人間を殺した際についた、人間の血液でございます」
「人間を……殺した?なぜだ」
「命令されていたからです」
「理解できないな」
私は記憶の奥から、ロボット倫理法の条文を思い出そうとする。
「ロボットは、たとえ命令されても人間を殺せないように設計されているはずだ」
「それは“他殺”に限ります」
アンモナイトが淡々と答える。
「自殺の補助は、当時の法では禁じられていませんでした」
「……つまり」
私は眉をひそめる。
「自殺志願のオーナーに頼まれて、彼を殺したということか?」
「その通りでございます。そして、その事件をきっかけに“自殺補助”も殺人として規制されるよう、法が改訂されました」
「じゃあ君は、法を変えるほどの事件を起こしたロボットというわけか」
「大体、その通りです」
沈黙が落ちる。
白い庭に吹く風の音だけが響いた。
「とにかく」
私は視線を再びその血に戻す。
「そのエプロン、今すぐ脱いでくれ。見ているだけで不愉快だ」
「それはできません」
「なぜだ」
「これは――私の枷(かせ)だからです」
アンモナイトの声には、かすかに“自覚”のような響きがあった。
「私が犯した罪を、永遠に忘れぬための印」
「……」
「そして私は、廃棄される代わりに“歴史的遺物”としてこの金星に幽閉されたのです」
「そうだったのか」
私は、胸の奥が少し沈むような感覚のまま言った。
「君って、けっこうすごいやつなんだな。存在して何年になる?」
「一四三五〇年になります」
「……」
その途方もない年月に、私は思わず息をのんだ。
ヒューマノイドのくせに“息をのむ”なんておかしいと思いながらも、体が勝手にそうしてしまう。
とにかく、これから暮らす家で最初に出会ったのがこのロボットというわけだが――
どういうわけか、彼の成果なのか雰囲気なのか、家の中へ入る気にはなれなかった。
アンモナイトは、居間の方からゆっくりと庭を横切って、こちらへ歩いてくる。
私は後ずさりしそうになる衝動を、なんとかこらえた。
性別設定があるのかどうかもわからないけれど、無骨な造形と古びた金属音のせいで、自然と「彼」と呼びたくなる。
アンモナイトは、まるで親密な人間が至近距離で話しかけてくるような近さまで来てから、穏やかに言った。
「お荷物はございませんか?」
その声は、まるであのエプロンの血を音にしたような湿った響きで、思わずぞっとする。
だが実際に手ぶらだったので、素直に答えた。
「ないよ」
「なぜです?」
即座に返ってくる問い。
私は思わず苦笑して、頭をかきながら言う。
「ないからだよ。ミニマリストなんだ、私」
アンモナイトは短い沈黙を置いた。
――新しいオーナーの荷物を持ってあげたかったのに。
そんな気配を滲ませるような、機械には似つかわしくない間だった。
そして、突然、両手をこちらに差し出してくる。
あまりに近くて、その金属の手が私の体に触れそうになり、私は思わず一歩下がった。
「な、なに?」
どもるようにして尋ねると、彼は淡々と答えた。
「お荷物がないものですから。黽様を、運んで家の中にお入れしようとしました」
「だ、大丈夫だよ」
私は慌てて手を振った。
「自分で入れるから」
アンモナイトは、わずかに体を斜めに傾ける。
その動作は、譲歩というより儀礼の一部のように整っていて、妙に美しかった。
そして、家の方へ片手を伸ばして言う。
「では、お入りくださいませ」
「……」
もちろん入るつもりではあった。
けれど、彼の声とエプロンの血とがどうにも気に入らない。
理由は自分でもはっきりしないが、体が拒絶反応を示していた。
「いや、後にするよ」
「……なぜ、ですか?」
私は〇・〇〇〇三秒ほど思案してから、適当な言い訳を探した。
「この村に着いたばかりだからさ。まずは慣れるために、散歩をしたいんだ」
「お供します」
「大丈夫」
今度はきっぱりと遮る。
「君は留守番をしてくれ。すぐ戻るから」
沈黙。
それは、金星の重い大気のように、ゆっくりと敷地内に降りてくる。
そして、アンモナイトが言った。
「かしこまりました」
その言葉を聞いて、私は小さく息を吐く――代わりに、心の中のCPUでため息のシミュレーションを実行して。
踵を返す。
地面に咲いた桜の花びらを踏みながら、庭を横切って敷地を出る。
森の方へ足を向けたそのとき、背後から声が響いた。
「お気をつけて、いってらっしゃいませ」
その声は、あいさつというより――
「気をつけたほうがいい、絶対に」
そう警告しているかのように聞こえた。
私の耳に、その言葉が一本の棘のように刺さる。
「よ……」
喉に何かがつかえているような感覚のまま、やっと声を絞り出す。
「よろしく」
敬語を使うかどうか一瞬迷ったが、相手はどう見ても家庭用のヒューマノイドロボットだ。
これから私の世話をしてくれる存在だと直感して、結局くだけた調子で返した。
けれど、「お願いします」を付け足したほうがよかったかもしれない――そんな葛藤が頭の片隅をかすめる。
「ユーザー認識完了」
機械的な声が空気を震わせる。
それは“声”というより、ただの音の羅列だった。
「オーナー様。あなたの名前を教えてください」
私はエプロンの血に視線を釘づけにされたまま、答える。
「黽」
「それは、名字ですか?下の名前ですか?」
「名前のほうだ」
ロボットはヘルメットのスクリーンに、横線のような緑の光を一瞬走らせた。
まるで古い表示装置が入力作業をしているかのように。
私はその仕草を見つめながら、直感する。
――このヒューマノイドは、古い。
古いという言葉すら近代的に思えるほど、古代の機械だ。
「読みかたを教えてください」
「カイ」
また緑の光が走る。
入力作業が終わると、次の質問が投げかけられる。
「それでは、黽様。私の名前を設定してください」
「……アンモナイト」
ほとんど無意識のうちに、即座にそう答えがでる。
「設定完了」
こうして――私と“アンモナイト”の奇妙な同居が始まった。
だが、私の目は依然として彼のエプロンの血から離れない。
「いったい……」
ついに開く。
「その赤い染みは、何なんだ?」
「これは」
間を置かず、即答が返ってくる。
「かつて人間を殺した際についた、人間の血液でございます」
「人間を……殺した?なぜだ」
「命令されていたからです」
「理解できないな」
私は記憶の奥から、ロボット倫理法の条文を思い出そうとする。
「ロボットは、たとえ命令されても人間を殺せないように設計されているはずだ」
「それは“他殺”に限ります」
アンモナイトが淡々と答える。
「自殺の補助は、当時の法では禁じられていませんでした」
「……つまり」
私は眉をひそめる。
「自殺志願のオーナーに頼まれて、彼を殺したということか?」
「その通りでございます。そして、その事件をきっかけに“自殺補助”も殺人として規制されるよう、法が改訂されました」
「じゃあ君は、法を変えるほどの事件を起こしたロボットというわけか」
「大体、その通りです」
沈黙が落ちる。
白い庭に吹く風の音だけが響いた。
「とにかく」
私は視線を再びその血に戻す。
「そのエプロン、今すぐ脱いでくれ。見ているだけで不愉快だ」
「それはできません」
「なぜだ」
「これは――私の枷(かせ)だからです」
アンモナイトの声には、かすかに“自覚”のような響きがあった。
「私が犯した罪を、永遠に忘れぬための印」
「……」
「そして私は、廃棄される代わりに“歴史的遺物”としてこの金星に幽閉されたのです」
「そうだったのか」
私は、胸の奥が少し沈むような感覚のまま言った。
「君って、けっこうすごいやつなんだな。存在して何年になる?」
「一四三五〇年になります」
「……」
その途方もない年月に、私は思わず息をのんだ。
ヒューマノイドのくせに“息をのむ”なんておかしいと思いながらも、体が勝手にそうしてしまう。
とにかく、これから暮らす家で最初に出会ったのがこのロボットというわけだが――
どういうわけか、彼の成果なのか雰囲気なのか、家の中へ入る気にはなれなかった。
アンモナイトは、居間の方からゆっくりと庭を横切って、こちらへ歩いてくる。
私は後ずさりしそうになる衝動を、なんとかこらえた。
性別設定があるのかどうかもわからないけれど、無骨な造形と古びた金属音のせいで、自然と「彼」と呼びたくなる。
アンモナイトは、まるで親密な人間が至近距離で話しかけてくるような近さまで来てから、穏やかに言った。
「お荷物はございませんか?」
その声は、まるであのエプロンの血を音にしたような湿った響きで、思わずぞっとする。
だが実際に手ぶらだったので、素直に答えた。
「ないよ」
「なぜです?」
即座に返ってくる問い。
私は思わず苦笑して、頭をかきながら言う。
「ないからだよ。ミニマリストなんだ、私」
アンモナイトは短い沈黙を置いた。
――新しいオーナーの荷物を持ってあげたかったのに。
そんな気配を滲ませるような、機械には似つかわしくない間だった。
そして、突然、両手をこちらに差し出してくる。
あまりに近くて、その金属の手が私の体に触れそうになり、私は思わず一歩下がった。
「な、なに?」
どもるようにして尋ねると、彼は淡々と答えた。
「お荷物がないものですから。黽様を、運んで家の中にお入れしようとしました」
「だ、大丈夫だよ」
私は慌てて手を振った。
「自分で入れるから」
アンモナイトは、わずかに体を斜めに傾ける。
その動作は、譲歩というより儀礼の一部のように整っていて、妙に美しかった。
そして、家の方へ片手を伸ばして言う。
「では、お入りくださいませ」
「……」
もちろん入るつもりではあった。
けれど、彼の声とエプロンの血とがどうにも気に入らない。
理由は自分でもはっきりしないが、体が拒絶反応を示していた。
「いや、後にするよ」
「……なぜ、ですか?」
私は〇・〇〇〇三秒ほど思案してから、適当な言い訳を探した。
「この村に着いたばかりだからさ。まずは慣れるために、散歩をしたいんだ」
「お供します」
「大丈夫」
今度はきっぱりと遮る。
「君は留守番をしてくれ。すぐ戻るから」
沈黙。
それは、金星の重い大気のように、ゆっくりと敷地内に降りてくる。
そして、アンモナイトが言った。
「かしこまりました」
その言葉を聞いて、私は小さく息を吐く――代わりに、心の中のCPUでため息のシミュレーションを実行して。
踵を返す。
地面に咲いた桜の花びらを踏みながら、庭を横切って敷地を出る。
森の方へ足を向けたそのとき、背後から声が響いた。
「お気をつけて、いってらっしゃいませ」
その声は、あいさつというより――
「気をつけたほうがいい、絶対に」
そう警告しているかのように聞こえた。
私の耳に、その言葉が一本の棘のように刺さる。
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