花冠の誓いは裏切りに散って ~婚約破棄された令嬢は、冷酷公爵の溺愛に絡め取られる~

nacat

文字の大きさ
1 / 4

第1話 婚約破棄は夜会のベルとともに

しおりを挟む
王都の夜会には、いつだって甘い香水の匂いと偽りの笑みが満ちている。  
その夜、リリアナ・アーデン伯爵令嬢は、絹のドレスの裾を少しだけ握りしめながら、微笑みを作っていた。  
心臓が静かに高鳴っている。これが彼の家との正式な婚約発表の夜。長年の恋が“公に”認められる、はずだった。

「リリアナ、よく来てくれたね」

声をかけてきたのは、婚約者である第一王子アルベルト。  
端整な顔立ちは相変わらず完璧で、煌びやかなシャンデリアの光を受けて、王子らしい輝きを放っている。  
だが、その瞳がどこか泳いでいるのを、リリアナは見逃さなかった。

「もちろんよ、アルベルト様。この日を楽しみにしていましたもの」

そう答えた声は震えていなかった。だが胸の奥に、言いようのない不安が巣を作る。  
何かがおかしい。彼の隣にいるべきは自分のはずなのに、その席には別の娘――  
淡い金の髪をゆるやかに巻いた侯爵令嬢セシリアの姿がある。

アルベルトは一歩前に出て、会場全体に視線を向けた。  
そして、ゆっくりと、けれどまっすぐな声で告げた。

「本日――私は、セシリア・ルーヴェンス嬢を、新たな婚約者とすることを宣言する!」

ざわめきが波のように広がる。  
視界の隅で、グラスの中のシャンパンが細かく揺れた。  
リリアナは瞬きを一つだけした。その後の記憶が、すべて霞んでいく。

「アルベルト様……今、なんと?」

訊ねた声は震えていた。  
けれど、彼は目を合わせない。まるで、彼女の存在など最初から無かったかのように。

「すまない、リリアナ。君とは……もう続けられないんだ。愛しているのは、セシリアなんだ」

悲劇の舞台は、あまりにも一方的に幕を開けた。  
彼の言葉が終わるやいなや、セシリアが涙ぐむ。  
まわりの貴族たちは、同情とも興味ともつかぬ視線を向けてくる。

リリアナはその中心で、まるで時間が止まったように立ち尽くした。  
笑わなければならない。伯爵家の令嬢として、取り乱してはならない。  
そう頭で理解しているのに、頬を伝う熱いものは止まらなかった。

「……わかりました。どうかお幸せに、殿下」

震える声でそう言って、軽く一礼した。  
それだけで、まわりの貴族たちは彼女を“惨めな女”として見下ろした。  
セシリアの小さな笑みだけが、はっきりと目に焼き付いた。

会場を出てからの記憶は曖昧だ。  
人々の視線、ざわめき、誰かの嘲笑。  
夜の冷気が肌を刺し、ドレスの裾に積もった露を感じるころ、リリアナは馬車の前で立ち止まっていた。

「お嬢様!」

従者のフリードが慌てて駆け寄る。  
その手を制して、リリアナは首を横に振った。

「少し……一人にしてくれない?」

声が掠れていた。  
彼は何か言いたげに口を開いたが、結局深く頭を下げ、背を向けた。  
馬車は去り、静寂だけが残る。

リリアナは庭園の奥に歩いていった。  
夜会場の裏手は、ほとんど人が来ない。咲き残った冬薔薇が月下に光っている。  
ふと足を止め、ぽつりと呟いた。

「何がいけなかったのかしら……私の何が、足りなかったの?」

愛の証だと思っていた指輪を外した。宝石が、月の光を受けて鈍く輝く。  
指先が震える。こんなにも軽いものだったのかと、ひどく空しくなる。

そのときだった。  
背後から、鋭くも低い声がした。

「こんな夜に令嬢がひとりで歩くとは、肝が据わっているな」

リリアナが振り返ると、そこに立っていたのは黒の礼服に身を包んだ男。  
永らく冷気を纏うような雰囲気――その名を聞けば、誰もが身をすくめる。  
アレクシス・ヴァルネスト公爵。王国軍を統べる軍務卿であり、“氷の公爵”と呼ばれる男だ。

「……お初にお目にかかります、ヴァルネスト公爵」

リリアナは立ち直るように姿勢を正した。  
しかし、アレクシスは高貴な挨拶など受ける様子もなく、ただ鋭く彼女の顔を見つめた。

「婚約破棄の噂は耳に届いている。まさか、このまま一人で帰るつもりか?」

「……ええ。それが、私に残された最も穏やかな選択ですもの」

「穏やか、か。人に笑われたまま沈黙するのが君の“穏やか”なら、随分と勿体ない」

冷たく聞こえる声なのに、どこかに微かな熱がある。  
リリアナは答えられず、ただ唇を噛みしめた。

アレクシスは少しだけ近づいて言った。

「君を拾ってもよいな。面白い駒になりそうだ」

「……拾う、とは?」

「誤解するな。哀れみではない。利用価値があるというだけの話だ」

リリアナはその言葉に、ほんの一瞬だけかすかな怒りを覚えた。  
しかしそれは、涙の底を乾かすような熱でもあった。

「私を……利用してくださるのですか、閣下」

「そうだ。その代わり、今の君が見返したいすべての者を跪かせてやる」

静まり返った夜気の中で、彼の言葉だけが確かな重みを持って響いた。  
その瞬間、リリアナは微かに息を吐く。  
燃え尽きた灰の中に、また炎が灯るのを感じた。

「でしたら、公爵。どうかその取引、受けさせてください」

「選択は早いな。後悔しないことだ」

「もう、後悔するほどのものは残っていませんもの」

アレクシスがわずかに口角を上げた。  
それが本当に笑みだったのか、皮肉だったのかはわからない。  
ただその眼差しだけが、どこまでも冷たく、そしてどこまでも深くリリアナを捉えていた。

月明かりの下、ふたりの影が寄り添うように長く伸びた。  
それは、“捨てられた令嬢”と“氷の公爵”が出会った夜。  
持たざる者と全てを持つ者――その境界で、運命が静かに回り始めた。

リリアナは心の奥底で、確かに誓った。  
二度と誰にも侮らないし、踏みにじられない。  
この手で、自分の誇りを取り戻すのだと。

(第1話 終)
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

婚約破棄された悪役令嬢は、辺境侯に拾われて過保護に愛される

nacat
恋愛
公爵令嬢エリシアは、婚約者である王太子に突然「お前とは結婚できない」と告げられる。 身に覚えのない罪を着せられ、社交界から追放されかけた彼女を救ったのは、冷徹と噂の辺境侯ゼノヴィア。 「俺の城で静かに暮らすといい」――そう言って差し伸べられた手は、思いのほか優しかった。 氷のように無表情だった彼が、次第に見せる愛情はあまりにも熱く、独占的で、息ができないほど。 そして彼女が新しい幸福を手にしたその時、かつて彼女を捨てた者たちが、後悔と嫉妬に塗れた顔で跪く――。 王道ざまぁ×激甘溺愛×救済ロマンス。苦しみの果てに手にした愛は、もう二度と離さない。

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

悪役令嬢を追放したはずの王太子殿下が、なぜか毎晩泣きついてきます

nacat
恋愛
婚約破棄の場で一方的に罪をきせられ、王都を追放された公爵令嬢リディア。 だが彼女には、誰も知らぬ“真の力”と“もう一つの顔”があった。 平穏な辺境生活を始めた矢先、元婚約者である王太子が何度も彼女のもとを訪れるようになり……? 「君なしでは眠れない」——そんな虫のいい言葉、今さら信じると思う? ざまぁ×逆転劇×溺愛の王道を詰め込んだ、恋と因果のファンタジーロマンス。

一途に愛した1周目は殺されて終わったので、2周目は王子様を嫌いたいのに、なぜか婚約者がヤンデレ化して離してくれません!

夢咲 アメ
恋愛
「君の愛が煩わしいんだ」 婚約者である王太子の冷たい言葉に、私の心は砕け散った。 それから間もなく、私は謎の襲撃者に命を奪われ死んだ――はずだった。 死の間際に見えたのは、絶望に顔を歪ませ、私の名を叫びながら駆け寄る彼の姿。 ​……けれど、次に目を覚ました時、私は18歳の自分に戻っていた。 ​「今世こそ、彼を愛するのを辞めよう」 そう決意して距離を置く私。しかし、1周目であれほど冷酷だった彼は、なぜか焦ったように私を追いかけ、甘い言葉で縛り付けようとしてきて……? ​「どこへ行くつもり? 君が愛してくれるまで、僕は君を離さないよ」 ​不器用すぎて愛を間違えたヤンデレ王子×今世こそ静かに暮らしたい令嬢。 死から始まる、執着愛の二周目が幕を開ける!

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

婚約破棄された伯爵令嬢は冷酷公爵に見初められ、今さら縋る元婚約者に“ざまぁ”を告げる

nacat
恋愛
婚約者に裏切られた伯爵令嬢リリアナ。社交界で笑い者にされ、すべてを失った彼女の前に現れたのは“冷血”と噂される若き公爵アレクシスだった。彼の求婚は復讐か、それとも真実の愛か——。 愛に絶望した令嬢が、誰もが羨むほどに溺愛される未来を掴むまでの物語。 そして、後悔する元婚約者たちに告げる言葉はひとつ——「あなたとはもう終わりです」。

不実なあなたに感謝を

黒木メイ
恋愛
王太子妃であるベアトリーチェと踊るのは最初のダンスのみ。落ち人のアンナとは望まれるまま何度も踊るのに。王太子であるマルコが誰に好意を寄せているかははたから見れば一目瞭然だ。けれど、マルコが心から愛しているのはベアトリーチェだけだった。そのことに気づいていながらも受け入れられないベアトリーチェ。そんな時、マルコとアンナがとうとう一線を越えたことを知る。――――不実なあなたを恨んだ回数は数知れず。けれど、今では感謝すらしている。愚かなあなたのおかげで『幸せ』を取り戻すことができたのだから。 ※異世界転移をしている登場人物がいますが主人公ではないためタグを外しています。 ※曖昧設定。 ※一旦完結。 ※性描写は匂わせ程度。 ※小説家になろう様、カクヨム様にも掲載予定。

悪役令嬢を断罪したくせに、今さら溺愛とか都合が良すぎますわ!

nacat
恋愛
侯爵令嬢リディアは、無実の罪で婚約者の王太子に断罪された。 冷笑を浮かべ、すべてを捨てて国外へ去った彼女が、数年後、驚くべき姿で帰ってくる。 誰もが羨む天才魔導師として──。 今さら後悔する王太子、ざまぁを噛みしめる貴族令嬢たち。 そして、リディアをひそかに守ってきた公爵の青年が、ようやく想いを告げる時が来た。 これは、不当な断罪を受けた少女が、自分の誇りと愛を取り戻す溺愛系ロマンス。 すべての「裏切られた少女」たちに捧ぐ、痛快で甘く切ない逆転劇。

処理中です...