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第27話 もう涙はいらない
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王都を覆っていた冬の灰色が、ようやく完全に消えた。
白い花々が街路を彩り、人々の笑顔が戻り始めている。
リリアナが作った「名誉保全審理会」は正式に発足し、初日から多くの相談が寄せられていた。
貴族も平民も関係なく声を上げられる場が、生まれて初めてこの国に存在したのだ。
広場では子供たちが笑い、王都全体がゆっくりと生まれ変わりつつあった。
リリアナはその様子を窓越しに見つめながら、胸の奥で静かに息を吐いた。
「平和って、こんな音がするものなのね。」
かすかに笑みを浮かべる彼女に、隣から声がかかった。
「だが同時に、退屈も連れてくる。」
低く響く声。振り向けば、セドリックが立っていた。
黒い外套を脱ぎ、普段より柔らかな服に袖を通している。
冬の間は常に鎧を纏っていた彼が、今ではまるで別人のようだった。
「退屈、ですか?」
「争いのない日々は悪くない。だが、妙に手持ち無沙汰でな。」
「それなら私と一緒に散歩に行けばいいじゃないですか。」
「……誘っているのか?」
「誘っているんです。」
彼はふっと笑った。
その笑みは、鋼のようだった瞳を一層やわらかくする。
「俺がこんなに簡単に誘いに乗ると思うか?」
「もう乗っているではありませんか。」
リリアナは軽やかに答え、彼の腕を取った。
***
城下の並木道は、春風に包まれていた。
雪解けの水が小さな流れを作り、花の香りが通りに漂う。
かつての王都の緊張が嘘のようだ。
人々は彼らの姿を見ると道を開け、誰もが笑顔で頭を下げた。
リリアナは照れくさそうに挨拶を返す。
「……まだ慣れませんね。みんながこんな風に笑ってくれるなんて。」
「笑うことで救われる。お前がそれを教えたんだ。」
「私だけじゃありません。貴方だってそうです。」
「俺も?」
「ええ。私に“もう泣かなくていい”って教えてくれたのは、貴方ですから。」
セドリックは足を止め、まっすぐにリリアナを見る。
「お前は本当に変わった。最初に出会ったときは、まるで氷の花だった。」
「そんな風に見えました?」
「ああ。触れれば壊れてしまいそうだった。」
「じゃあ今は?」
「今は――火の花だ。」
不意の言葉に頬が熱くなる。
からかう目ではなかった。その瞳には誇りと、確かな愛情の色が宿っていた。
リリアナは視線を逸らすと、そっと微笑んだ。
「そんな顔をされると困ります。」
「なぜだ。」
「心が忙しくなるから。」
その返事に、セドリックは少しだけ笑い、前を見た。
「忙しい心も悪くない。」
「そうですね。もう、静かすぎるのも退屈ですもの。」
しばらく二人は言葉を交わさず、並木道を歩いた。
その先に一面の花畑が広がる。
去年の秋に兵士たちと市民が植えた花が、春の訪れとともに咲き誇っていた。
「見事だな。」
セドリックが呟くと、リリアナは頷いた。
「あの冬の夜、雪の中にあった希望がようやく形になった気がします。」
「お前の希望か?」
「私の……そしてこの国の、ですね。」
風に長い髪が流れ、青い空が二人を包む。
その光景の中で、リリアナはふいに立ち止まった。
胸の奥から静かに言葉がこみ上げてくる。
「セドリック。」
「なんだ。」
「ありがとう。あの時――私を拾ってくれて。」
彼が驚いたように目を瞬かせる。
それから、彼女の頬に手を添えた。
「拾ったつもりはない。最初から俺の方が救われていた。」
リリアナの瞳が少し潤む。
それを見て、セドリックは静かに微笑んだ。
「泣くな。お前にはもう、涙は似合わない。」
その言葉を受けた瞬間、リリアナは笑った。
笑いながら涙を流す、それはきっと最後の涙だった。
「これは涙じゃありません、……春の雨です。」
「なら、雨が止むまで、そばにいよう。」
セドリックはそっと彼女を抱き寄せた。
風が二人を包み、花びらが舞い上がる。
***
その夜、屋敷のテラスから見える王都の灯は息を呑むほど美しかった。
リリアナは膝の上に置いた手を見つめていた。
その指を飾るのは、銀の指輪。
契約の証から始まったあの指輪は、今はただの“愛の約束”として輝いている。
「綺麗ですね。」
「何が。」
隣に立つセドリックが問い返す。
「この光も、貴方の瞳も。」
「お前はまた、詩人のようなことを言うな。」
「生きる世界が変われば、言葉も変わるんですよ。」
しばらくの沈黙。
夜風が頬を撫で、遠くで鐘が鳴る。
「これから、どこへ行きたい。」
セドリックが静かに問う。
「もう、どこでもいいです。どんな場所でも、貴方がいれば。」
「なら、この地を離れようか。王都も北の雪国も、もう過去のものだ。」
「……二人で?」
「ああ。」
「いいえ。」
リリアナは微笑んで首を振る。
「私はこの国を見届けたい。貴方が守った民たちが、笑い続ける世界になるまで。」
「……そうか。」
「でも、その時が来たら、もう旅してもいいですよ。」
「約束しよう。」
二人の小指が触れ合い、静かに絡む。
リリアナは遠い夜空を見上げた。
あの冷たい雪の夜には見えなかった満天の星が、今ははっきりと輝いている。
過去の涙も、悲しみも、その下ではただの光。
「もう涙はいらない。」
小さな声でそう言うと、セドリックが頷き、彼女の髪に口づけた。
「そうだな。お前の瞳は、もう未来しか見ていない。」
二人の影が月の光に重なる。
春の夜風が白い花を空に運び、その香りが静かに漂う。
これまでの苦しみも、哀しみも、すべてが今、穏やかに溶けていった。
もう涙はいらない。
新しい世界の始まりが、ふたりの心をそっと包み込んでいた。
続く
白い花々が街路を彩り、人々の笑顔が戻り始めている。
リリアナが作った「名誉保全審理会」は正式に発足し、初日から多くの相談が寄せられていた。
貴族も平民も関係なく声を上げられる場が、生まれて初めてこの国に存在したのだ。
広場では子供たちが笑い、王都全体がゆっくりと生まれ変わりつつあった。
リリアナはその様子を窓越しに見つめながら、胸の奥で静かに息を吐いた。
「平和って、こんな音がするものなのね。」
かすかに笑みを浮かべる彼女に、隣から声がかかった。
「だが同時に、退屈も連れてくる。」
低く響く声。振り向けば、セドリックが立っていた。
黒い外套を脱ぎ、普段より柔らかな服に袖を通している。
冬の間は常に鎧を纏っていた彼が、今ではまるで別人のようだった。
「退屈、ですか?」
「争いのない日々は悪くない。だが、妙に手持ち無沙汰でな。」
「それなら私と一緒に散歩に行けばいいじゃないですか。」
「……誘っているのか?」
「誘っているんです。」
彼はふっと笑った。
その笑みは、鋼のようだった瞳を一層やわらかくする。
「俺がこんなに簡単に誘いに乗ると思うか?」
「もう乗っているではありませんか。」
リリアナは軽やかに答え、彼の腕を取った。
***
城下の並木道は、春風に包まれていた。
雪解けの水が小さな流れを作り、花の香りが通りに漂う。
かつての王都の緊張が嘘のようだ。
人々は彼らの姿を見ると道を開け、誰もが笑顔で頭を下げた。
リリアナは照れくさそうに挨拶を返す。
「……まだ慣れませんね。みんながこんな風に笑ってくれるなんて。」
「笑うことで救われる。お前がそれを教えたんだ。」
「私だけじゃありません。貴方だってそうです。」
「俺も?」
「ええ。私に“もう泣かなくていい”って教えてくれたのは、貴方ですから。」
セドリックは足を止め、まっすぐにリリアナを見る。
「お前は本当に変わった。最初に出会ったときは、まるで氷の花だった。」
「そんな風に見えました?」
「ああ。触れれば壊れてしまいそうだった。」
「じゃあ今は?」
「今は――火の花だ。」
不意の言葉に頬が熱くなる。
からかう目ではなかった。その瞳には誇りと、確かな愛情の色が宿っていた。
リリアナは視線を逸らすと、そっと微笑んだ。
「そんな顔をされると困ります。」
「なぜだ。」
「心が忙しくなるから。」
その返事に、セドリックは少しだけ笑い、前を見た。
「忙しい心も悪くない。」
「そうですね。もう、静かすぎるのも退屈ですもの。」
しばらく二人は言葉を交わさず、並木道を歩いた。
その先に一面の花畑が広がる。
去年の秋に兵士たちと市民が植えた花が、春の訪れとともに咲き誇っていた。
「見事だな。」
セドリックが呟くと、リリアナは頷いた。
「あの冬の夜、雪の中にあった希望がようやく形になった気がします。」
「お前の希望か?」
「私の……そしてこの国の、ですね。」
風に長い髪が流れ、青い空が二人を包む。
その光景の中で、リリアナはふいに立ち止まった。
胸の奥から静かに言葉がこみ上げてくる。
「セドリック。」
「なんだ。」
「ありがとう。あの時――私を拾ってくれて。」
彼が驚いたように目を瞬かせる。
それから、彼女の頬に手を添えた。
「拾ったつもりはない。最初から俺の方が救われていた。」
リリアナの瞳が少し潤む。
それを見て、セドリックは静かに微笑んだ。
「泣くな。お前にはもう、涙は似合わない。」
その言葉を受けた瞬間、リリアナは笑った。
笑いながら涙を流す、それはきっと最後の涙だった。
「これは涙じゃありません、……春の雨です。」
「なら、雨が止むまで、そばにいよう。」
セドリックはそっと彼女を抱き寄せた。
風が二人を包み、花びらが舞い上がる。
***
その夜、屋敷のテラスから見える王都の灯は息を呑むほど美しかった。
リリアナは膝の上に置いた手を見つめていた。
その指を飾るのは、銀の指輪。
契約の証から始まったあの指輪は、今はただの“愛の約束”として輝いている。
「綺麗ですね。」
「何が。」
隣に立つセドリックが問い返す。
「この光も、貴方の瞳も。」
「お前はまた、詩人のようなことを言うな。」
「生きる世界が変われば、言葉も変わるんですよ。」
しばらくの沈黙。
夜風が頬を撫で、遠くで鐘が鳴る。
「これから、どこへ行きたい。」
セドリックが静かに問う。
「もう、どこでもいいです。どんな場所でも、貴方がいれば。」
「なら、この地を離れようか。王都も北の雪国も、もう過去のものだ。」
「……二人で?」
「ああ。」
「いいえ。」
リリアナは微笑んで首を振る。
「私はこの国を見届けたい。貴方が守った民たちが、笑い続ける世界になるまで。」
「……そうか。」
「でも、その時が来たら、もう旅してもいいですよ。」
「約束しよう。」
二人の小指が触れ合い、静かに絡む。
リリアナは遠い夜空を見上げた。
あの冷たい雪の夜には見えなかった満天の星が、今ははっきりと輝いている。
過去の涙も、悲しみも、その下ではただの光。
「もう涙はいらない。」
小さな声でそう言うと、セドリックが頷き、彼女の髪に口づけた。
「そうだな。お前の瞳は、もう未来しか見ていない。」
二人の影が月の光に重なる。
春の夜風が白い花を空に運び、その香りが静かに漂う。
これまでの苦しみも、哀しみも、すべてが今、穏やかに溶けていった。
もう涙はいらない。
新しい世界の始まりが、ふたりの心をそっと包み込んでいた。
続く
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