婚約破棄されたので公爵令嬢やめます〜私を見下した殿下と元婚約者が膝をつく頃、愛を囁くのは冷酷公爵でした〜

nacat

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第26話 ざまぁの瞬間

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春の風が王都の花を揺らしていた。  
冬の名残を感じさせる冷気もまだ薄く残るが、空は高く、地を照らす陽光は穏やかだった。  
リリアナ・アーデルハイトの名誉回復から数週間。  
王国の人々はようやく落ち着きを取り戻していたが、それでも彼女の話題は絶えることがなかった。  

「公爵領の令嬢が王都を変えた女だって!」  
「彼女が殿下より輝いて見えるなんて、皮肉な話ね。」  

市場のあちこちで、彼女を称える噂が人々の口からこぼれる。  
誰もが、かつて貴族の口から蔑まれていたリリアナという女を、今では敬意を持って語っていた。  

――その現実を、もっとも苦く感じている者がいた。  

フェリシア・ラインベルク。  
薄暗い屋敷の一室、鏡の前に座った彼女は、指先で髪を掬い、虚ろな瞳でその姿を見つめていた。  
艶やかな金茶色の髪も、瑞々しい肌も健在だ。  
だが、その輝きには何かが欠けていた。  

「……笑われているわ。」  
震える唇で呟く。  
「王太子妃になるはずだった私が、いまは“嫉妬に囚われた哀れな女”ですって。」  

そう嘲るように笑った。  
香水の瓶を乱暴に投げると、ガラスが床で砕け甘ったるい香りが広がる。  

「全部、あの女が……!」  

彼女の怒りは、自分が崩してしまった人生の反射に他ならなかった。  
誰も彼女を庇わない。  
アルベルトは王太子位の返上を申し出、すでに地方の教会へ赴任していた。  
リリアナに赦されたことで、彼は別の道を歩もうとしている。  

一方、自分には何も残らない。  
愛も名誉も、王都の華やぎも。  

取り残された女の瞳に、焦げつくような妬みが宿る。  
「このままじゃ終わらない……あの人の“完璧”を、壊さずにはいられない。」  

***

王立広場。  
その日は新設された名誉保全審理会――リリアナが設計した「真実の声を集める会」の発足式が行われていた。  
民だけでなく、多くの貴族たちもその場に集まり、リリアナの演説を待っている。  

壇上に上がった彼女の姿を見た民衆からは歓声が上がった。  
淡い青のドレスに身を包み、胸元には雪解けの花の刺繍。  
あの日、誤解で辱めを受けた会場とは違い、この場で彼女を見下ろす者は一人もいない。  

「この国には、声を奪われた人がたくさんいます。」  
彼女は穏やかな声で語り出す。  
「名もなく、力もなく、暖かい食卓を夢見るだけで罪にされる人たち。  
私はそのひとりでした。ですが、今の私は違います。  
多くの人が声を上げ、支えてくれた。だから今度は、私が誰かの声になります。」  

その言葉に人々は涙を流し、拍手が広がった。  

そのときだった。  
場の後方で、一人の女が人混みをかき分けながら進み出る。  
「美しい言葉ね、リリアナ様。」  

観衆が振り向く。  
現れたのはフェリシアだった。  
かつての華やかさを失い、蒼ざめた頬で、それでも気品を保つように微笑んでいる。  

「フェリシア・ラインベルク……!」  
会場内にざわめきが走る。  

リリアナは驚きを見せながらも、一歩前に出た。  
「フェリシア様。ここへはどのようなご用件で?」  
「あなたに言いたいことがあるの。」  
「そうですか。けれど、ここは公の場です。式が終わったあとで――」  
「いいえ、今よ!」  

彼女の声が鋭く響く。  
「あなたのその笑顔が、私をどれだけ苦しめたか分かる?  
民があなたを“聖女”と呼ぶたびに、私は鏡の中で自分が壊れていくのよ!」  

会場がざわつく。だがリリアナは動じなかった。  
「フェリシア様、あなたが壊したのは、私ではなく自分自身です。」  

その言葉は穏やかだが、誰よりも強かった。  

「……わ、私は……」  
フェリシアの手から金の刺繍の施された扇が落ちる。音が甲高く響き、沈黙が場を覆う。  

リリアナは静かに彼女に歩み寄り、囁くように言った。  
「過去に縛られるのをやめてください。  
私はあなたを憎んでいません。  
けれど、これ以上罪を重ねるのなら――民はもう、あなたに背を向けるでしょう。」  

フェリシアの唇が震える。  
「どうして……あなたはそんなに強くいられるの。」  
「私は幸せだからです。」  
リリアナは淡く微笑んだ。  
「私のそばに、過去も未来も受け入れてくれる人がいます。」  

視線の先に、壇下で彼女を見上げているセドリックの姿があった。  
冷ややかな銀の瞳ではなく、穏やかであたたかな目。  
その一瞬で全てが伝わる。  

リリアナが続けた。  
「愛とは、憐れみや支配ではなく、信じる力。  
あなたにもいつか、きっと見つけられます。」  

フェリシアはその言葉に目を伏せた。  
涙がひとすじ頬を伝う。  
彼女は何も言わず、ただ静かに会場をあとにした。  
その背中を誰も追わない。  
代わりに、拍手が雪崩のように広がった。  

「リリアナ様、万歳!」  
「エルシャルト公爵ばんざい!」  
人々の歓声が空に舞い、鐘が高らかに鳴り響く。  

ざまぁ――  
それは誰かの嘲笑ではなかった。  
正義と真心が、偽りに打ち勝った瞬間の歓喜の叫び。  
かつて彼女を傷つけて笑った人々が、いまは純粋に美しいものを称えている。  

彼女は壇上の上で深く息を吸い込み、空を仰いだ。  
青く澄んだ春の空の下で、リリアナの頬を風が撫でる。  
(もう恐れない。過去も痛みもすべて、この風が洗い流してくれる。)  

そのとき、セドリックが壇上に上がってきた。  
人々の歓声の中、彼は彼女の隣に立ち、軽く会釈する。  

「よくやった。」  
「ありがとうございます。……やっと、終わりましたね。」  
「終わりではない。始まりだ。」  

互いに目を見合わせ、ふっと笑う。  
次の瞬間、セドリックが腕を伸ばし、彼女をやわらかく抱き寄せた。  

「お前は俺の誇りだ、リリアナ。」  
囁く声に、会場の歓声がさらに高まる。  
彼女は涙をこらえながら笑顔で応える。  

「あなたがいたから、ここまで来られました。」  
「これからは――共に歩こう。」  

重なる手と手の間に風が流れ、春の光が降り注ぐ。  
その光の中で、リリアナはもう一度微笑んだ。  
それは、誰にも届かない場所から見下ろしていた彼女が、ようやく“ひとりの人”として生きることを選んだ証。  

そして、ざまぁと言われるべきは過去の自分だと思いながら、心の中でそっと呟く。  

――ありがとう。私を捨ててくれて。  
だって、あの痛みがなければ、今の私は存在し得なかったのだから。  

光が満ちる王都の空に、鐘の音が鳴り響いた。  
長く続いた贖罪と誤解の物語に、ようやく幕が下りる。  

次の瞬間、風が彼女の髪を舞い上げる。  
その瞳はまっすぐ未来を見ていた。  

続く
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