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第25話 「どうか許してくれ」
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王国裁定が開かれてから三日後、王都はようやく落ち着きを取り戻しつつあった。
街ではリリアナの名誉回復を祝う声が広がり、花売りの少女たちは雪解けの花を「アーデルの花」と呼んで売り歩いている。
それは、彼女がこの国にもたらした“清らかさの証”として語られ始めた新しい象徴だった。
しかし、王城の奥にはまだ終わらぬ影がひとつ残っていた。
王太子アルベルト――王都の中心に立ちながら、己の罪だけが取り残されている男。
彼は議会の日を境に、ほぼすべての仕事を自らの手で片づけようとしていた。
贖罪とも執念とも言えるその姿に、侍従たちは近寄ることすらためらっていた。
今、静かな書斎で、彼はあの白い手紙を手にしていた。
“王家のためではなく、人々のために剣を取ってください”――リリアナが最後に残した言葉。
「……お前の言葉は、今も俺の胸を焼く。」
呟いても、返事はない。
蝋燭の炎がわずかに揺れ、彼の影を壁に大きく揺らす。
記憶が戻る。
あの夜、彼女を公衆の前で断罪した瞬間のこと。
唇を噛みしめる彼女の瞳には、涙ではなく誇りが宿っていた。
なぜ、あのときその強さを“虚栄”だと決めつけたのだろう。
「……殿下、もうお休みくださいませ。」
扉の外から控えめな声がする。
フェリシアだった。
あの裁定の日以降、彼女は殿下の命を受けて王宮の別棟で静かに過ごしている。
民衆も彼女を責めなかった。
リリアナが公の場で一切彼女を非難しなかったからだ。
アルベルトは少し間を置いて言った。
「フェリシア、入れ。」
扉が開き、ゆっくりと一歩踏み出す音。
かつて華やかだった娘の姿は、どこか儚くなっていた。
けれどその瞳には、自分の気持ちを偽らない清らかさが戻りつつある。
「殿下、王国祭の準備が始まっております。陛下もお呼びです。」
「……行く。」
短く答えるが、その声に覇気はなかった。
フェリシアは静かに彼を見つめる。
「まだ、リリアナ様のことを思っておいでなのでしょう。」
「……人の心は、そんなに早く変わらん。」
「でも、貴方は変わろうとしていらっしゃいます。」
その言葉に、アルベルトが顔を上げた。
かつての彼女なら、そんな強い口調で話すことなどできなかっただろう。
「リリアナ様はきっと、“貴方が王として立ち直ること”を望んでいます。
彼女は、いつまでも自分のために苦しむよりも、誰かを導く人を愛したのです。」
フェリシアの声は穏やかだった。
アルベルトの目にかすかな光が宿る。
「……フェリシア。お前は強くなったな。」
「殿下がそう気づいてくださるのなら、私はそれで。」
少しの沈黙。
炎がはぜる音だけが部屋を満たす。
やがてアルベルトが椅子を押しのけるように立ち上がった。
「行かねばならない場所がある。」
「どちらへ。」
「教会だ。」
***
午後、王都の中央大聖堂。
王家の祈祷室にはアルベルトの姿があった。
ステンドグラス越しの光が彼の肩に落ち、長い祈りが静かに続く。
祭壇の前に置かれた花束は、雪解けの花。
リリアナが議場の後、王宮の庭に植えたものと同じ色だ。
白く透きとおるその花々の中に、彼は手を伸ばし、ひとつの花を掌に取った。
「花を見れば、あの日の声が蘇る。
“真実を語ることを恐れないでください”……か。」
手にした花が小さく揺れ、花弁が彼の指の間から滑り落ちる。
彼は静かに目を閉じた。
そのとき、背後から足音がした。
ゆっくりと振り返ると、そこに立っていたのは――セドリック・エルシャルト。
「来ると思っていた。」
「王に呼ばれた。」
「そうか。俺は、違う意味でここに来た。」
アルベルトは苦笑いを浮かべる。
「皮肉だな。俺の罪を告げに来た男が、俺を庇った女を今度は幸せにしているんだろう。」
「そういうことだ。」
セドリックの声は冷静だった。
だが敵意はない。
むしろ、どこか同情に似た温度があった。
「お前は変わったな、アルベルト。」
「変われねば、倒れるだけだ。」
「倒れた者の言葉にしては真っ直ぐだな。」
アルベルトは微笑し、花束の一本を彼へ手渡した。
「これを……リリアナに渡してほしい。
謝罪の形は、もう言葉では成り立たないだろう。
だが、どうしても“ありがとう”と、“すまなかった”を伝えたい。」
セドリックの眼が一瞬だけ柔らかくなる。
「……確かに渡そう。」
「彼女が笑っているなら、それでいい。」
「笑っている。お前が思っている以上にな。」
アルベルトはその答えを聞き、静かに目を細めた。
「そうか。なら、もう十分だ。」
少しの沈黙。
窓から差し込む光が彼の頬を照らす。
それはまるで懺悔を許すかのような、穏やかな光だった。
「セドリック。」
「何だ。」
「どうか、彼女を――」
言葉が詰まる。唇が震え、次の瞬間それは小さな声になった。
「どうか許してやってくれ。俺が愚かだったすべてを。」
セドリックは頷く。
その瞳には、もう怒りではなく、静かな哀しみが揺れていた。
「お前の願いが本当に真実から出たものなら、リリアナはとうの昔にお前を許している。」
アルベルトの喉が鳴る。
「そうであれば……救われる。」
二人の間に言葉が消えた。
ただ教会の鐘の音が響く。
それはまるで過去の亡霊を浄化するように、長く、穏やかな音だった。
***
数日後。
エルシャルトの屋敷に花束が届いた。
薄い手紙が一枚添えられている。
“彼女が笑顔でありますように。アルベルトより。”
リリアナはその手紙を読んで、そっと頬に当てた。
「貴方の“人”としての強さを、やっと知りました。」
風が吹き、窓辺の花が揺れる。
後ろからセドリックが静かに近づき、彼女の肩を抱いた。
「終わったな。」
「ええ。これで、本当に。」
「俺は、お前を選んだことに一片の後悔もない。」
「私もです。」
「……リリアナ。」
「はい?」
「どうか許してくれ――あの日、出会った瞬間から、お前なしでは生きられなくなった俺を。」
リリアナはその言葉に笑い、涙を零した。
「それは罪ではありませんよ。だって、私も同じですから。」
二人の手が重なり、窓の向こうで春の光が再び輝き始めた。
長い冬が、本当に終わろうとしていた。
続く
街ではリリアナの名誉回復を祝う声が広がり、花売りの少女たちは雪解けの花を「アーデルの花」と呼んで売り歩いている。
それは、彼女がこの国にもたらした“清らかさの証”として語られ始めた新しい象徴だった。
しかし、王城の奥にはまだ終わらぬ影がひとつ残っていた。
王太子アルベルト――王都の中心に立ちながら、己の罪だけが取り残されている男。
彼は議会の日を境に、ほぼすべての仕事を自らの手で片づけようとしていた。
贖罪とも執念とも言えるその姿に、侍従たちは近寄ることすらためらっていた。
今、静かな書斎で、彼はあの白い手紙を手にしていた。
“王家のためではなく、人々のために剣を取ってください”――リリアナが最後に残した言葉。
「……お前の言葉は、今も俺の胸を焼く。」
呟いても、返事はない。
蝋燭の炎がわずかに揺れ、彼の影を壁に大きく揺らす。
記憶が戻る。
あの夜、彼女を公衆の前で断罪した瞬間のこと。
唇を噛みしめる彼女の瞳には、涙ではなく誇りが宿っていた。
なぜ、あのときその強さを“虚栄”だと決めつけたのだろう。
「……殿下、もうお休みくださいませ。」
扉の外から控えめな声がする。
フェリシアだった。
あの裁定の日以降、彼女は殿下の命を受けて王宮の別棟で静かに過ごしている。
民衆も彼女を責めなかった。
リリアナが公の場で一切彼女を非難しなかったからだ。
アルベルトは少し間を置いて言った。
「フェリシア、入れ。」
扉が開き、ゆっくりと一歩踏み出す音。
かつて華やかだった娘の姿は、どこか儚くなっていた。
けれどその瞳には、自分の気持ちを偽らない清らかさが戻りつつある。
「殿下、王国祭の準備が始まっております。陛下もお呼びです。」
「……行く。」
短く答えるが、その声に覇気はなかった。
フェリシアは静かに彼を見つめる。
「まだ、リリアナ様のことを思っておいでなのでしょう。」
「……人の心は、そんなに早く変わらん。」
「でも、貴方は変わろうとしていらっしゃいます。」
その言葉に、アルベルトが顔を上げた。
かつての彼女なら、そんな強い口調で話すことなどできなかっただろう。
「リリアナ様はきっと、“貴方が王として立ち直ること”を望んでいます。
彼女は、いつまでも自分のために苦しむよりも、誰かを導く人を愛したのです。」
フェリシアの声は穏やかだった。
アルベルトの目にかすかな光が宿る。
「……フェリシア。お前は強くなったな。」
「殿下がそう気づいてくださるのなら、私はそれで。」
少しの沈黙。
炎がはぜる音だけが部屋を満たす。
やがてアルベルトが椅子を押しのけるように立ち上がった。
「行かねばならない場所がある。」
「どちらへ。」
「教会だ。」
***
午後、王都の中央大聖堂。
王家の祈祷室にはアルベルトの姿があった。
ステンドグラス越しの光が彼の肩に落ち、長い祈りが静かに続く。
祭壇の前に置かれた花束は、雪解けの花。
リリアナが議場の後、王宮の庭に植えたものと同じ色だ。
白く透きとおるその花々の中に、彼は手を伸ばし、ひとつの花を掌に取った。
「花を見れば、あの日の声が蘇る。
“真実を語ることを恐れないでください”……か。」
手にした花が小さく揺れ、花弁が彼の指の間から滑り落ちる。
彼は静かに目を閉じた。
そのとき、背後から足音がした。
ゆっくりと振り返ると、そこに立っていたのは――セドリック・エルシャルト。
「来ると思っていた。」
「王に呼ばれた。」
「そうか。俺は、違う意味でここに来た。」
アルベルトは苦笑いを浮かべる。
「皮肉だな。俺の罪を告げに来た男が、俺を庇った女を今度は幸せにしているんだろう。」
「そういうことだ。」
セドリックの声は冷静だった。
だが敵意はない。
むしろ、どこか同情に似た温度があった。
「お前は変わったな、アルベルト。」
「変われねば、倒れるだけだ。」
「倒れた者の言葉にしては真っ直ぐだな。」
アルベルトは微笑し、花束の一本を彼へ手渡した。
「これを……リリアナに渡してほしい。
謝罪の形は、もう言葉では成り立たないだろう。
だが、どうしても“ありがとう”と、“すまなかった”を伝えたい。」
セドリックの眼が一瞬だけ柔らかくなる。
「……確かに渡そう。」
「彼女が笑っているなら、それでいい。」
「笑っている。お前が思っている以上にな。」
アルベルトはその答えを聞き、静かに目を細めた。
「そうか。なら、もう十分だ。」
少しの沈黙。
窓から差し込む光が彼の頬を照らす。
それはまるで懺悔を許すかのような、穏やかな光だった。
「セドリック。」
「何だ。」
「どうか、彼女を――」
言葉が詰まる。唇が震え、次の瞬間それは小さな声になった。
「どうか許してやってくれ。俺が愚かだったすべてを。」
セドリックは頷く。
その瞳には、もう怒りではなく、静かな哀しみが揺れていた。
「お前の願いが本当に真実から出たものなら、リリアナはとうの昔にお前を許している。」
アルベルトの喉が鳴る。
「そうであれば……救われる。」
二人の間に言葉が消えた。
ただ教会の鐘の音が響く。
それはまるで過去の亡霊を浄化するように、長く、穏やかな音だった。
***
数日後。
エルシャルトの屋敷に花束が届いた。
薄い手紙が一枚添えられている。
“彼女が笑顔でありますように。アルベルトより。”
リリアナはその手紙を読んで、そっと頬に当てた。
「貴方の“人”としての強さを、やっと知りました。」
風が吹き、窓辺の花が揺れる。
後ろからセドリックが静かに近づき、彼女の肩を抱いた。
「終わったな。」
「ええ。これで、本当に。」
「俺は、お前を選んだことに一片の後悔もない。」
「私もです。」
「……リリアナ。」
「はい?」
「どうか許してくれ――あの日、出会った瞬間から、お前なしでは生きられなくなった俺を。」
リリアナはその言葉に笑い、涙を零した。
「それは罪ではありませんよ。だって、私も同じですから。」
二人の手が重なり、窓の向こうで春の光が再び輝き始めた。
長い冬が、本当に終わろうとしていた。
続く
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