婚約破棄されたので公爵令嬢やめます〜私を見下した殿下と元婚約者が膝をつく頃、愛を囁くのは冷酷公爵でした〜

nacat

文字の大きさ
25 / 28

第25話 「どうか許してくれ」

しおりを挟む
王国裁定が開かれてから三日後、王都はようやく落ち着きを取り戻しつつあった。  
街ではリリアナの名誉回復を祝う声が広がり、花売りの少女たちは雪解けの花を「アーデルの花」と呼んで売り歩いている。  
それは、彼女がこの国にもたらした“清らかさの証”として語られ始めた新しい象徴だった。  

しかし、王城の奥にはまだ終わらぬ影がひとつ残っていた。  
王太子アルベルト――王都の中心に立ちながら、己の罪だけが取り残されている男。  
彼は議会の日を境に、ほぼすべての仕事を自らの手で片づけようとしていた。  
贖罪とも執念とも言えるその姿に、侍従たちは近寄ることすらためらっていた。  

今、静かな書斎で、彼はあの白い手紙を手にしていた。  
“王家のためではなく、人々のために剣を取ってください”――リリアナが最後に残した言葉。  

「……お前の言葉は、今も俺の胸を焼く。」  
呟いても、返事はない。  
蝋燭の炎がわずかに揺れ、彼の影を壁に大きく揺らす。  

記憶が戻る。  
あの夜、彼女を公衆の前で断罪した瞬間のこと。  
唇を噛みしめる彼女の瞳には、涙ではなく誇りが宿っていた。  
なぜ、あのときその強さを“虚栄”だと決めつけたのだろう。  

「……殿下、もうお休みくださいませ。」  
扉の外から控えめな声がする。  
フェリシアだった。  
あの裁定の日以降、彼女は殿下の命を受けて王宮の別棟で静かに過ごしている。  
民衆も彼女を責めなかった。  
リリアナが公の場で一切彼女を非難しなかったからだ。  

アルベルトは少し間を置いて言った。  
「フェリシア、入れ。」  

扉が開き、ゆっくりと一歩踏み出す音。  
かつて華やかだった娘の姿は、どこか儚くなっていた。  
けれどその瞳には、自分の気持ちを偽らない清らかさが戻りつつある。  

「殿下、王国祭の準備が始まっております。陛下もお呼びです。」  
「……行く。」  
短く答えるが、その声に覇気はなかった。  

フェリシアは静かに彼を見つめる。  
「まだ、リリアナ様のことを思っておいでなのでしょう。」  
「……人の心は、そんなに早く変わらん。」  
「でも、貴方は変わろうとしていらっしゃいます。」  

その言葉に、アルベルトが顔を上げた。  
かつての彼女なら、そんな強い口調で話すことなどできなかっただろう。  

「リリアナ様はきっと、“貴方が王として立ち直ること”を望んでいます。  
彼女は、いつまでも自分のために苦しむよりも、誰かを導く人を愛したのです。」  

フェリシアの声は穏やかだった。  
アルベルトの目にかすかな光が宿る。  
「……フェリシア。お前は強くなったな。」  
「殿下がそう気づいてくださるのなら、私はそれで。」  

少しの沈黙。  
炎がはぜる音だけが部屋を満たす。  
やがてアルベルトが椅子を押しのけるように立ち上がった。  

「行かねばならない場所がある。」  
「どちらへ。」  
「教会だ。」  

***

午後、王都の中央大聖堂。  
王家の祈祷室にはアルベルトの姿があった。  
ステンドグラス越しの光が彼の肩に落ち、長い祈りが静かに続く。  

祭壇の前に置かれた花束は、雪解けの花。  
リリアナが議場の後、王宮の庭に植えたものと同じ色だ。  
白く透きとおるその花々の中に、彼は手を伸ばし、ひとつの花を掌に取った。  

「花を見れば、あの日の声が蘇る。  
“真実を語ることを恐れないでください”……か。」  

手にした花が小さく揺れ、花弁が彼の指の間から滑り落ちる。  
彼は静かに目を閉じた。  

そのとき、背後から足音がした。  
ゆっくりと振り返ると、そこに立っていたのは――セドリック・エルシャルト。  

「来ると思っていた。」  
「王に呼ばれた。」  
「そうか。俺は、違う意味でここに来た。」  

アルベルトは苦笑いを浮かべる。  
「皮肉だな。俺の罪を告げに来た男が、俺を庇った女を今度は幸せにしているんだろう。」  
「そういうことだ。」  
セドリックの声は冷静だった。  
だが敵意はない。  
むしろ、どこか同情に似た温度があった。  

「お前は変わったな、アルベルト。」  
「変われねば、倒れるだけだ。」  
「倒れた者の言葉にしては真っ直ぐだな。」  

アルベルトは微笑し、花束の一本を彼へ手渡した。  
「これを……リリアナに渡してほしい。  
謝罪の形は、もう言葉では成り立たないだろう。  
だが、どうしても“ありがとう”と、“すまなかった”を伝えたい。」  

セドリックの眼が一瞬だけ柔らかくなる。  
「……確かに渡そう。」  
「彼女が笑っているなら、それでいい。」  
「笑っている。お前が思っている以上にな。」  

アルベルトはその答えを聞き、静かに目を細めた。  
「そうか。なら、もう十分だ。」  

少しの沈黙。  
窓から差し込む光が彼の頬を照らす。  
それはまるで懺悔を許すかのような、穏やかな光だった。  

「セドリック。」  
「何だ。」  
「どうか、彼女を――」  
言葉が詰まる。唇が震え、次の瞬間それは小さな声になった。  
「どうか許してやってくれ。俺が愚かだったすべてを。」  

セドリックは頷く。  
その瞳には、もう怒りではなく、静かな哀しみが揺れていた。  
「お前の願いが本当に真実から出たものなら、リリアナはとうの昔にお前を許している。」  

アルベルトの喉が鳴る。  
「そうであれば……救われる。」  

二人の間に言葉が消えた。  
ただ教会の鐘の音が響く。  
それはまるで過去の亡霊を浄化するように、長く、穏やかな音だった。  

***

数日後。  
エルシャルトの屋敷に花束が届いた。  
薄い手紙が一枚添えられている。  
“彼女が笑顔でありますように。アルベルトより。”  

リリアナはその手紙を読んで、そっと頬に当てた。  
「貴方の“人”としての強さを、やっと知りました。」  
風が吹き、窓辺の花が揺れる。  
後ろからセドリックが静かに近づき、彼女の肩を抱いた。  

「終わったな。」  
「ええ。これで、本当に。」  

「俺は、お前を選んだことに一片の後悔もない。」  
「私もです。」  
「……リリアナ。」  
「はい?」  
「どうか許してくれ――あの日、出会った瞬間から、お前なしでは生きられなくなった俺を。」  

リリアナはその言葉に笑い、涙を零した。  
「それは罪ではありませんよ。だって、私も同じですから。」  

二人の手が重なり、窓の向こうで春の光が再び輝き始めた。  
長い冬が、本当に終わろうとしていた。  

続く
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

婚約破棄ありがとう!と笑ったら、元婚約者が泣きながら復縁を迫ってきました

ほーみ
恋愛
「――婚約を破棄する!」  大広間に響いたその宣告は、きっと誰もが予想していたことだったのだろう。  けれど、当事者である私――エリス・ローレンツの胸の内には、不思議なほどの安堵しかなかった。  王太子殿下であるレオンハルト様に、婚約を破棄される。  婚約者として彼に尽くした八年間の努力は、彼のたった一言で終わった。  だが、私の唇からこぼれたのは悲鳴でも涙でもなく――。

婚約破棄されたので、前世の知識で無双しますね?

ほーみ
恋愛
「……よって、君との婚約は破棄させてもらう!」  華やかな舞踏会の最中、婚約者である王太子アルベルト様が高らかに宣言した。  目の前には、涙ぐみながら私を見つめる金髪碧眼の美しい令嬢。確か侯爵家の三女、リリア・フォン・クラウゼルだったかしら。  ──あら、デジャヴ? 「……なるほど」

氷の令嬢は断罪を笑う 〜婚約破棄した元婚約者が泣いて縋ってももう遅い、私は本物の愛を知ったから〜

sika
恋愛
社交界で「氷の令嬢」と呼ばれた侯爵令嬢リディア。 王太子アーヴィンとの婚約を誠実に守ってきたのに、彼はリディアを「冷たい女」と断罪し、卑しい伯爵令嬢に乗り換えた。 婚約を破棄されたリディアは、静かに微笑みながら王城を去る――その強さに誰も気づかぬまま。 だが、彼女の背後には別の男の影があった。寡黙で冷徹と噂される隣国の公爵、アレン・ヴァルディール。 傷ついた令嬢と孤高の公爵、運命の出会いが新たな恋とざまぁの幕を開ける。 これは、裏切られた令嬢が真実の愛で満たされていく溺愛成長ストーリー。 そして最後に笑うのは、いつだって冷静な彼女――氷の令嬢だ。

頑張らない政略結婚

ひろか
恋愛
「これは政略結婚だ。私は君を愛することはないし、触れる気もない」 結婚式の直前、夫となるセルシオ様からの言葉です。 好きにしろと、君も愛人をつくれと。君も、もって言いましたわ。 ええ、好きにしますわ、私も愛する人を想い続けますわ! 五話完結、毎日更新

婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!

みかぼう。
恋愛
公爵令嬢クラリッサ・エインズワースは、王太子ルーファスの婚約者。 幼い日に「共に国を守ろう」と誓い合ったはずの彼は、 いま、別の令嬢マリアンヌに微笑んでいた。 そして――年末の舞踏会の夜。 「――この婚約、我らエインズワース家の名において、破棄させていただきます!」 エインズワース公爵が力強く宣言した瞬間、 王国の均衡は揺らぎ始める。 誇りを捨てず、誠実を貫く娘。 政の闇に挑む父。 陰謀を暴かんと手を伸ばす宰相の子。 そして――再び立ち上がる若き王女。 ――沈黙は逃げではなく、力の証。 公爵令嬢の誇りが、王国の未来を変える。 ――荘厳で静謐な政略ロマンス。 (本作品は小説家になろう、カクヨムにも掲載中です)

元婚約者に冷たく捨てられた伯爵令嬢、努力が実って王太子の恋人に。今さら跪かれても遅いですわ!

sika
恋愛
幼い頃から完璧な淑女として育てられたクロエは、心から想っていた婚約者に「君の努力は重い」と一言で婚約破棄を突きつけられる。 絶望の淵に立たされた彼女だったが、ある夜、偶然出会った温かな笑みの青年──実は身分を隠した王太子であるノエルと運命的な出会いを果たす。 新たな居場所で才能を咲かせ、彼の隣で花開くクロエ。だが元婚約者が後悔と嫉妬を滲ませ再び現れたとき──彼女は毅然と微笑む。 「貴方の愛を乞われるほど、私の人生は安くありませんわ」 これは、見放された令嬢が愛と誇りを手にする逆転劇。そして、誰より彼女を溺愛する王太子の物語。

『婚約もしていないのに婚約破棄ですか? 〜岩塩で殴れば目が覚めます?〜』

しおしお
恋愛
「岩を売る田舎娘と婚約?そんなもの破棄だ!」 ――そう言い放ったのは、まだ婚約すら成立していないのに“婚約破棄”を宣言した内陸王国の王太子。 塩は海から来るもの。 白く精製された粉こそ本物。 岩塩など不純物の塊に過ぎない。 そう思い込んだ彼は、ハライト公国公爵令嬢ヴィエリチカを侮辱し、交易を軽んじた。 だが―― 王都に届くその“白い粉”は、すべてハライト産の岩塩から精製されたものだった。 供給が止まった瞬間、王国は気づく。 塩は保存であり、兵站であり、治療であり、冬越しの生命線であったことを。 謝罪の席で提示された条件はただ一つ。 民への販売価格は据え置き。 だが国家は十倍で買い取ること。 誇りを守るために契約を受け入れた王太子。 守られたのは民。 削られたのは国家。 やがて赤字は膨らみ、担保は差し出され、王国は静かに編入されていく。 処刑はない。 復讐もない。 あるのは――帰結。 「塩は、穢れを流すためのものです」 笑顔で告げるヴィエリチカと、 王宮衛生管理局へ配属された元王太子。 これは、岩塩を侮った物語の、静かな終着点。 --- もしアルファポリス向けにもう少し軽くする版も欲しければ、作ります。 それとも、 ・タグもまとめる? ・もっと煽る版にする? ・文学寄りにする? どの方向で仕上げますか?

「君は完璧だから、放っておいても大丈夫」と笑った夫。~王宮から私が去ったあと「愛していた」と泣きついても、もう手遅れです~

水上
恋愛
「君は完璧だから、放っておいても大丈夫だ」 夫である王太子はそう笑い、泣き真似が得意な見習い令嬢ばかりを優先した。 王太子妃セシリアは、怒り狂うこともなく、静かに心を閉ざす。 「左様でございますか」 彼女は夫への期待というノイズを遮断し、離縁の準備を始めた。

処理中です...