悠久の放浪者

神田哲也(鉄骨)

文字の大きさ
56 / 100

第五十六話「行商のお手伝い」

しおりを挟む
 時折、春の風が強く吹きつけ、思わず目を閉じた。
 風は肌を撫で、髪を揺らし、馬車の帆をパタパタと鳴らす。
 けれど、その風は冷たくなく、むしろどこか心地よかった。
 昼の太陽がじんわりと体を温め、心まで穏やかにしてくれる。

 ふと見渡せば、遠くの山々の頂に雲がかかっていた。あの下にある村々も、こんな風に春を感じているのだろうか。そんなことを思いながら、ガタゴトと続く馬車の揺れに身を任せる。

「ケイスケ、あれがウルム村だ」

 行商人のリームさんが、手綱を軽く引きながら指をさした。視線の先には、森の中にひっそりと佇む集落が見える。
 隣では彼の妻、イテルさんが浅い眠りから目を覚ましたように、俺たちの会話に小さく笑みを浮かべた。

「もう着くのね。ミネラ村からは、やっぱり近いわ」
「ええ。出発して二日ですもんね。随分と早かった気がします」

 春の陽気と、馴染んだ馬車の揺れのおかげで、時間の流れが緩やかに感じられたのかもしれない。

 ウルム村に入ると、ミネラ村で見たような素朴な家々が並んでいた。ただ、人々の雰囲気は少し違った。挨拶しても軽く会釈される程度で、あまり親しげな感じはない。

 村の広場で馬車を停め、地面の敷き物の上に商品を並べていく。
 人の集まりはそこそこ。少なくない人たちが商品を物色していく。
 しかし、その様子を見ていて思う。

「……なんか、素っ気ない人たちですね」

 ぽつりと呟くと、リームさんが笑った。

「ああ、ケイスケ、逆だ」
「逆?」
「ミネラ村の人々が人懐っこいんだよ。ここの村人たちが普通さ」
「……なるほど」
「村長もそうだ。愛想がないのは普通。あそこは特別なんだ」

 たしかに、ウルム村の村長は終始無表情で、必要最低限の言葉しか発しなかった。愛想がないというより、感情がないのかと思うほどだった。

「特に、賄賂や贈り物でも渡さない限り、行商人への態度なんてそんなもんさ」
「そんなもんですか……」
「そういうもんだ。それに私はあまり安売りはしないから、あまり歓迎されないんだろう」

 ミネラ村が特別だっただけ。そう思えば納得できる。あの村での日々が温かすぎたのだろう。

 取引自体は単純だった。
 農具や衣類などの加工品を村に売り、逆に村からは農産物や木材などの素材を仕入れる。商品の受け渡しやお金の計算も、だいぶ慣れてきた。
 ふと、この世界の通貨について考える。

「そういえば、王国の通貨って、銅貨、銀貨、金貨の三種類なんですよね」
「そうだ。銅貨九十枚で銀貨一枚、銀貨八枚で金貨一枚になる」

 金貨一枚の価値は、大体十万円くらい。そう考えると、結構な価値だ。
 取引では主に銅貨が使われ、細かい取引には鉄貨というものがあるらしい。

 それにしても――。

「鉄貨って、鍋でもいいんですか?」

 ミネラ村ではこういった金銭のやりとりを見ていなかったというのもあるが、鍋を出してくる人がいて驚いた。

「おお、そうだな。同じ重さの鉄なら何でも。棒でも、丸でも、四角でも。形は関係ない。ただ、村ごとにレートが違うから、広域の取引には向かない。あくまでローカルなもんさ」
「へぇ……勉強になります」

 鉄鍋で支払いって……なかなかワイルドだ。

「さて、大体落ち着いたな。そろそろ店じまいしよう」

 確かについ十分ほど前に売れてから、商品を見ている人もいなくなった。
 これ以上粘ってもあまり売れることはなさそうだ。

「わかりました」

 一通りの取引を終え、俺たちはウルム村をあとにした。
 振り返ると、村の人たちはこちらにあまり関心を示さず、手を振る者もいない。

「……うん、やっぱりミネラ村って、過ごしやすかったですね」
「私もそう思うわ。あそこは、皆いい人だった」

 イテルさんが頷き、リームさんも頷く。

「私も好きな村だよ。あそこは特別だ」
「本当に……」

 馬車が揺れながら、ウルム村の村道を離れていく。春の風がまた吹いて、馬のジカが鼻を鳴らした。

「そういえば、リームさん、どれくらいの頻度で村々を回ってるんですか?」
「大体、二~三ヵ月に一度だな。ミネラ村はお得意さんだから、もう少し頻度が高いが」
「仕入れは領都でしたっけ?」
「そうだ。そして、ビサワへは春と秋、年に一度か二度行く。冬は無理さ」
「なるほど……」

 雪が積もれば、馬車なんて走れないし、凍結した道を進むのは危険だろう。

「ミネラ村は特別だが、他の村も色々だ。行商ってのは、土地の空気に慣れるのも仕事のうちさ」
「俺も少しは役に立てたらいいんですが」
「十分役立ってるさ。そういえば、ケイスケは計算が早いな」
「ええ、まあ、そこそこは」

 十進数での計算なら慣れている。繰り上がりの数字は面倒だけど、数学はともかく算数は昔から得意だった。

「商人や役人としての才能があるのかもな」
「役人って、書類が多そうですよね……。ミネラ村での書類仕事で、もうこりごりですよ」
「ハハハ、大活躍だったそうじゃないか」
「……まあ、我ながら頑張った方だと思ってます」

 その時、ふと気になっていたことを思い出した。

「この辺って、盗賊とかは出ないんですか?」
「領軍が定期的に見回ってるから、あまり出ない。まあ、『あまり』ってだけで、絶対ではないがな。強力な魔獣も滅多に出ない。安全な土地さ」
「……なるほど。ありがたいですね」

 俺は馬車の横に立ち、風を感じながら空を見上げた。どこまでも青く広がる空。

 次に向かうのは領都ハンシューク。
 ミネラ村の村長の娘のロビンが、ハンシュークは都会だと言っていたことを思い出す。

「どんな場所なんだろうな」
『楽しみだねー』

 俺の影の中に潜む光の精霊リラの声が頭の中に届く。

「うん。楽しみだ」

 俺は独り言のように、その声に応えた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

異世界翻訳者の想定外な日々 ~静かに読書生活を送る筈が何故か家がハーレム化し金持ちになったあげく黒覆面の最強怪傑となってしまった~

於田縫紀
ファンタジー
 図書館の奥である本に出合った時、俺は思い出す。『そうだ、俺はかつて日本人だった』と。  その本をつい翻訳してしまった事がきっかけで俺の人生設計は狂い始める。気がつけば美少女3人に囲まれつつ仕事に追われる毎日。そして時々俺は悩む。本当に俺はこんな暮らしをしてていいのだろうかと。ハーレム状態なのだろうか。単に便利に使われているだけなのだろうかと。

異世界へ行って帰って来た

バルサック
ファンタジー
ダンジョンの出現した日本で、じいさんの形見となった指輪で異世界へ行ってしまった。 そして帰って来た。2つの世界を往来できる力で様々な体験をする神須勇だった。

そんなに妹が好きなら死んであげます。

克全
恋愛
「アルファポリス」「カクヨム」「小説家になろう」に同時投稿しています。 『思い詰めて毒を飲んだら周りが動き出しました』 フィアル公爵家の長女オードリーは、父や母、弟や妹に苛め抜かれていた。 それどころか婚約者であるはずのジェイムズ第一王子や国王王妃にも邪魔者扱いにされていた。 そもそもオードリーはフィアル公爵家の娘ではない。 イルフランド王国を救った大恩人、大賢者ルーパスの娘だ。 異世界に逃げた大魔王を追って勇者と共にこの世界を去った大賢者ルーパス。 何の音沙汰もない勇者達が死んだと思った王達は……

パワハラで会社を辞めた俺、スキル【万能造船】で自由な船旅に出る~現代知識とチート船で水上交易してたら、いつの間にか国家予算レベルの大金を稼い

☆ほしい
ファンタジー
過労とパワハラで心身ともに限界だった俺、佐伯湊(さえきみなと)は、ある日異世界に転移してしまった。神様から与えられたのは【万能造船】というユニークスキル。それは、設計図さえあれば、どんな船でも素材を消費して作り出せるという能力だった。 「もう誰にも縛られない、自由な生活を送るんだ」 そう決意した俺は、手始めに小さな川舟を作り、水上での生活をスタートさせる。前世の知識を活かして、この世界にはない調味料や保存食、便利な日用品を自作して港町で売ってみると、これがまさかの大当たり。 スキルで船をどんどん豪華客船並みに拡張し、快適な船上生活を送りながら、行く先々の港町で特産品を仕入れては別の町で売る。そんな気ままな水上交易を続けているうちに、俺の資産はいつの間にか小国の国家予算を軽く超えていた。 これは、社畜だった俺が、チートな船でのんびりスローライフを送りながら、世界一の商人になるまでの物語。

俺の伯爵家大掃除

satomi
ファンタジー
伯爵夫人が亡くなり、後妻が連れ子を連れて伯爵家に来た。俺、コーは連れ子も可愛い弟として受け入れていた。しかし、伯爵が亡くなると後妻が大きい顔をするようになった。さらに俺も虐げられるようになったし、可愛がっていた連れ子すら大きな顔をするようになった。 弟は本当に俺と血がつながっているのだろうか?など、学園で同学年にいらっしゃる殿下に相談してみると… というお話です。

ウォーキング・オブ・ザ・ヒーロー!ウォークゲーマーの僕は今日もゲーム(スキル)の為に異世界を歩く

まったりー
ファンタジー
主人公はウォークゲームを楽しむ高校生、ある時学校の教室で異世界召喚され、クラス全員が異世界に行ってしまいます。 国王様が魔王を倒してくれと頼んできてステータスを確認しますが、主人公はウォーク人という良く分からない職業で、スキルもウォークスキルと記され国王は分からず、いらないと判定します、何が出来るのかと聞かれた主人公は、ポイントで交換できるアイテムを出そうとしますが、交換しようとしたのがパンだった為、またまた要らないと言われてしまい、今度は城からも追い出されます。 主人公は気にせず、ウォークスキルをゲームと同列だと考え異世界で旅をします。

生活魔法は万能です

浜柔
ファンタジー
 生活魔法は万能だ。何でもできる。だけど何にもできない。  それは何も特別なものではないから。人が歩いたり走ったりしても誰も不思議に思わないだろう。そんな魔法。  ――そしてそんな魔法が人より少し上手く使えるだけのぼくは今日、旅に出る。

エリクサーは不老不死の薬ではありません。~完成したエリクサーのせいで追放されましたが、隣国で色々助けてたら聖人に……ただの草使いですよ~

シロ鼬
ファンタジー
エリクサー……それは生命あるものすべてを癒し、治す薬――そう、それだけだ。 主人公、リッツはスキル『草』と持ち前の知識でついにエリクサーを完成させるが、なぜか王様に偽物と判断されてしまう。 追放され行く当てもなくなったリッツは、とりあえず大好きな草を集めていると怪我をした神獣の子に出会う。 さらには倒れた少女と出会い、疫病が発生したという隣国へ向かった。 疫病? これ飲めば治りますよ? これは自前の薬とエリクサーを使い、聖人と呼ばれてしまった男の物語。

処理中です...