悠久の放浪者

神田哲也(鉄骨)

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第七十三話「共にあるもの」

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 リームさんたちとの夕食を終えた俺は、今日の出来事を報告しつつ、決意したことを口にした。

「神学校に行こうかと考えています」

 リームさんは目を丸くし、イテルさんは驚きつつも微笑んだ。

「そうか。それはいい選択だと思う」
「そうね、神学校に行くなんて、とても誇らしいことだもの」

 二人の反応は肯定的だった。
 この国では、神学校はただの教育機関ではない。信仰の厚い社会において、選ばれた者だけが学べる場。アポロ神教はこの国だけでなく、周辺諸国でも共通の宗教であり、神学校を卒業すれば国を超えた活動が可能になる。俺のような放浪者には悪くない選択肢だ。

「その点は、素直に利点だな」

 この世界で何をすべきか、何をしたいのか——それはまだ定まっていない。
 結婚もしてなかったし、子供もいなかった。両親の記憶もぼんやりしている。
 元の世界に帰りたい気持ちは少しあるが、強い未練があるわけでもない。地球の記憶が完全に戻らないせいもあるのかもしれないが……。

「それで、今後の予定なんですが」

 話題を変えると、リームさんはうなずきながら言った。

「わかっている。ビサワへは、来月の中旬に出発する予定だ。往復で大体三ヵ月を見ている。それで秋頃に帰ってきて、ミネラ村を含む各地を回る。そのあとはこの領都で店舗の開店準備だな」
「わかりました。お供させてください」
「魔獣を倒せる実力の冒険者なんだ。頼りにさせてもらうぞ」

 リームさんは笑顔でそう言ってくれた。旅の護衛はあてにされなくとも、供としてとして俺を信頼してくれているのがわかる。それが嬉しかった。
 でも、できればちゃんと正規で護衛ができれば最高だよな……。

 夜の静けさが、俺の思考をゆるやかに包み込んでいた。窓の外には星がまたたいている。異世界の夜空は、どこか懐かしいようで、それでいて見慣れない形の星座がちらほらと浮かんでいた。
 ベッドに腰掛け、俺はふと、手のひらを見つめる。月明かりが差し込む部屋の中、静かに息を吸い込んでから、小さく呟いた。

『命の精霊たちよ、わが手に集い集いて、あるべき姿に細胞を修復せよ……レパティオ』

 詠唱の言葉とともに、俺の手が淡く発光する。温かくて、優しい光。だが、すぐにそれは消えた。俺の体には、もう傷一つ残っていない。昨夜の休息と、ティマの魔法のおかげで、体力もすでに万全だ。
 効果はない。けれど、それでも満足だった。

「回復の魔法も使えたな……」

 ベッドのふちに肘を置いて、窓の外を見上げながら呟く。魔法の力を感じるたび、自分がこの世界の一部になったような気がして、不思議な安心感を覚える。
 そしてふと、気になることが頭をよぎった。

「なあ、リラ」

 俺の影の中で、かすかに揺れる気配がある。次の瞬間、声が直接、俺の意識の中に響いた。

『なにー? ケイスケ、もう寝るの? それとも寂しくなったー?』
「ちがうよ。……回復魔法の詠唱なんだけどさ」
『うんうん』
「最初に『命の精霊たちよ』って言ってたけど、あれって……光の精霊じゃないのか?」

 部屋には俺しかいないはずなのに、まるで誰かと並んで話しているような錯覚を覚える。念話とはいえ、リラの声にはいつもどこか体温がある。

『命の精霊は、そうだね、光の精霊とは別だよー』
「やっぱりか」

 俺は小さく唸った。

「じゃあ、その命の精霊って……何なんだ?」

 少し間をおいて、リラの声が返ってくる。

『えっとねー。命の精霊は、その生き物の中にいる存在なんだよー』
「生き物の中に……?」
『うん。光の精霊とか、水の精霊とかと一緒。でも命の精霊は中にしかいないの。つまりね、命の精霊は、ケイスケの中にもいるよー』
「俺の中に……」

 思わず、自分の胸に手を当てる。鼓動が、トクン、と響いた。

『でね、命の精霊って、世界に存在する生物なら、含んでいるものなのー。人も獣も草も木も。特別じゃないけど、みんなにある。そういう精霊ー』
「じゃあ、死んだらその命の精霊はどうなる?」
『うん、いい質問! 生物が死ぬとね、命の精霊は体から放たれて、そのまま魔素になって、世界に溶けていくんだよー』
「……命は循環するってことか?」
『んーと、それはちょっと違うかもー。命っていうのはー、その生き物自身の生きようとする力とか存在そのものって感じで、命の精霊とはまた別なのー』
「じゃあ……命の精霊は、命じゃないのか?」
『うん、別。でも仲良しって感じー。命の精霊は命を支える存在。それ自体が命じゃないけど、命がある限り、いつもそばにいるって感じ? 命の精霊には、寄り添っている命の情報が刻まれているんだよー』
「なるほど……」

 わかったような、わからないような。

 俺は視線を落とし、スマホを取り出す。画面をタップし、ステータス画面を開いてみる。

「……特に変化はなさそうだな。命素って項目があるかと思ったけど……何もなしか」
『そこには出てないんだねー?』
「ああ。生物は生物であるのと同時に、精霊でもある……って考えたけど、違うんだな」
『うんうん。精霊はおまけだよー』
「おまけ……?」
『そうー。人は人、獣は獣。それぞれがちゃんと個体として完結してるのー。でも、精霊はそのそばにいる存在。だから、おまけー。でもね、私たちおまけがいるから、魔法があるんだよー』

 なんだか妙に誇らしげな声だ。影の中でリラが小さく光ったような気がした。

「じゃあ……そのおまけがいないと、魔法は成立しないのか」
『そーゆーことー。魔法は、魔素、精霊との共鳴で使えるようになるものだからねー』

 魔法という力の本質が、魔素や精霊たちとの繋がりにある。それは、どこか人と人との信頼関係にも似ている気がした。

「……命の精霊って、意思とかあるのか?」
『うーん、ない、かなー? 命の精霊はその生き物といつも共にあってそのものでもあるから、意思はないよー」

 なにそれ怖い、とも思ったが、ちょっとワクワクもした。
 俺は再び、スマホを見つめる。世界に干渉するこの道具が、命の精霊とどう関わるのかは、今の俺にはまだ分からない。けれど、この手の中にある命も、精霊も、すべてが世界の一部なのだと、改めて実感した。
 ベッドに背を預け、深く息を吐く。外の星々が、静かに輝いている。

 この世界の命に、耳を澄ませる夜だった。
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