悠久の放浪者

神田哲也(鉄骨)

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第八十一話「マデレイネ様の魔法講義 2」

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「さて、まずはティマ、回復魔法を使ってみてください」

 マデレイネ様の柔らかく澄んだ声が、室内に響いた。相変わらず上品で、でもどこかお茶目なその話し方は、重苦しさを感じさせない。そんな彼女の前で、ティマが緊張気味に頷いた。

「……はい。『命の精霊たちよ、わが手に集い集いて、あるべき姿に細胞を修復せよ……レパティオ』」

 この間も見た光景だ。ティマの手のひらがふわりと光を放ち、室内に淡い温もりのようなものを届ける。小さくて白いその手は、まるで聖女のように神々しく見えた。
 だが、怪我をしている者がいないため、やがて光は自然に消えていく。

「うん、いいですね。ちゃんと発動しています。ティマさん、お上手でした」

 マデレイネ様が微笑みながらそう言うと、ティマは少しだけ胸を張って、でも恥ずかしそうに視線を逸らした。

「今のが、生命魔法の基礎、レパティオですね」

 頷いて、俺も同じ詠唱を試してみる。

『命の精霊たちよ、わが手に集い集いて、あるべき姿に細胞を修復せよ……レパティオ』

 言葉を紡ぐと、俺の手のひらにも光が宿った。温かく、柔らかい光。

「さすがですね、ケイスケ君」

 そう言ってマデレイネ様は、じっと俺の顔を見つめる。いつものように、まるで何かを測っているような目だ。
 手のひらの光がやがて消え、見られていた緊張から解放され、俺は少しだけ息を吐いた。

「ふたりとも、問題ないみたいですね……では、少し発展して、別の魔法を教えましょうか。教えるのは、痛みを和らげる魔法です」

「痛みを?」俺が聞き返すと、ティマも小さく首をかしげた。

「そうです。生命魔法にも限界はあります。軽い怪我や風邪などの病気には今の回復魔法でも十分に対処できますが、大きな怪我――そうですね、腕や足が切断されてしまったときなどには、とても効果が追いつきません。その場合には医療的処置が必要になりますが、怪我って痛いですよね?」

「……はい」とティマが素直に頷く。まったくもってその通りだ。

「ふふふ、当たり前って顔をしていますよ、ケイスケ君」

 しまった、また表情に出ていたか。マデレイネ様の笑顔に苦笑しつつ、俺は姿勢を正した。

「ともかく、医療処置をする際などに、痛みを和らげてあげる魔法です。これも生命魔法の基礎のひとつです。助祭になったら色々なところに派遣されたりしますからね。しっかり覚えてくださいね」

 要するに麻酔のようなものか、と俺は内心で呟いた。

「わかりました」
「まずはお手本で、私が発動させますから、しっかり聞いて、見ていてください」

 マデレイネ様が両手を前に差し出し、ゆったりと息を整える。そして口を開いた。

『命の精霊たちよ、わが手に集い集いて、痛苦を緩和させよ……ポヒアン』

 次の瞬間、彼女の手のひらが再び淡い光を放った。レパティオと見た目は似ているが、詠唱は明確に違う。「痛苦を緩和させよ」……直球すぎる表現が、逆にわかりやすい。
 やがて発光は収まり、マデレイネ様は手を下ろしてこちらを見た。

「今のが鎮痛の魔法、ポヒアンです。もっと上位の、麻酔――痛みを無くす魔法もあるのですが、それはまた今度ということで」

「鎮痛と、その上位の麻酔ですか」俺が確認すると、彼女は頷く。

「ええ、もし赤ちゃんを産むのなら、ポヒアンの魔法は効果的かもしれませんね。実際に分娩の際に使用されてますから」

「……なるほど」ティマがこくりと頷いた。

「では、ケイスケ君、実践してみますか?」

「え?」突然の指名に、思わず声が上ずる。

「ものは試し、ですよ。さささ、今私が使ったポヒアンの魔法を使ってみましょう」

 おっと、押しが強い。さすがマデレイネ様……断れない雰囲気を醸し出している。

「わかりました、詠唱してみますね」
「ええ。でははじめは私に続いて詠唱してみましょうか。ティマ、あなたも一緒にね」
「……はい」

 詠唱は簡潔だけど、少しでも間違えると魔法は発動しない。そう言って、マデレイネ様は何度かゆっくりと詠唱を繰り返す。俺たちはその後に続いた。
 ちなみに詠唱の文節の間隔を極端に空けたり、途中に別の文言を挟んだりすると、魔法は発動しないようだ。
 具体的に何秒くらい空けたら発動しないのだろう? 今度詳しく調べたほうが良さそうだ。

「さあ、ではティマ、今度は一人で詠唱してみてくださいね」
「……はい。『命の精霊たちよ、わが手に集い集いて……つううをかんはさせよ……ポヒアン』」

 あ、やっちゃった。

 ティマの詠唱は、微妙に単語が違っていた。「痛苦」の部分が曖昧になっていたせいか、魔法は発動しなかった。

「ティマ、惜しかったですね。第三小節と第四小節は『痛苦を緩和させよ』ですよ」
「……はい」

 ちょっと悔しそうなティマの横顔を見ながら、俺も覚悟を決めた。

「では、次はケイスケ君、詠唱してみてください」
「わかりました」

 深く息を吸い、詠唱する。

『命の精霊たちよ、わが手に集い集いて、痛苦を緩和させよ……ポヒアン』

 すると、手のひらに光が宿る。温かく、でも治癒とはまた違う――じんわりとした穏やかな感覚。
 ティマが目を見開き、マデレイネ様はまたしてもじっと俺を観察しているような気がした。

「さすがですね。ケイスケ君」

 マデレイネ様のやわらかな声と共に、俺の魔法の成功が祝福された。
 それに続いて、「……すごい」とティマが小さく呟く。
 白銀の髪を揺らし、紅玉のような瞳がまっすぐに俺を見つめていた。その目に宿る純粋な敬意に、なんだかむず痒くなって、思わず目をそらした。
 こんなふうに見られるのは悪い気はしない。……が、なんとなく落ち着かない。

「次はですね」

 マデレイネ様はくすくすと笑いながら、次の魔法の説明に移った。  

「成長を促進する効果のある魔法を教えましょう」

 成長促進? 回復とはまた別方向の魔法か。

「この魔法にはふたつの作用があります。成長を促進する効果と、逆に育ちすぎないように成長を抑制する効果ですね」
「促進と……抑制」
「はい。特に胎児に使用する際に有効な魔法とされています」
「なるほど」
「では、実演してみますね」

 マデレイネ様は一歩前に出て、いつものように手のひらを軽く持ち上げる。

『命の精霊たちよ、わが手に集い集いて、か細き生命を生い立たせよ……フロープ』

 唱え終えた手のひらが、淡く優しい光を放つ。
 見た目は回復魔法の時と同じような光だ。だけど――。

 ……もしかして、生命魔法って全部、発光するのか?

 ふとした疑問が浮かぶ。
 光るからこそ、光魔法として分類され、適性のある者にしか扱えないとされてきた? つまり、この発光こそが回復魔法の正体を見誤らせてきた理由なのではないか――。
 自分で思いついておきながら、ちょっと浅はかな考察かとも思ったが、意外と馬鹿にはできないかもしれない。

「ケイスケ君、どうですか? 詠唱してみますか?」

 マデレイネ様の声に、思考が中断される。

「あ、はい」

 ちょっと考え事をしていたせいで、返事が遅れてしまった。だが、マデレイネ様は特に気にする様子もなく、手を差し伸べるような仕草で促してくる。

 あれ? 練習もせず、いきなり本番……?

 少しだけ不安がよぎったが、まあ、これまでの流れからすれば、たぶん大丈夫だろう。
 詠唱は日本語だから、今のも覚えている。
 ちなみにロビンやティマ、マデレイネ様もだが、詠唱を聞くとどこか外国語訛りというか、ネイティブじゃない日本語って感じだ。逆に言えば、俺の発音は『自然すぎる』のかもしれない。

 ……なんてことを思いつつ、口を開いた。

『命の精霊たちよ、わが手に集い集いて、か細き生命を生い立たせよ……フロープ』

 やはり、何の問題もなく発動した。
 手のひらに柔らかな光が灯る。その光は、あたたかく、どこか命の鼓動を思わせるものだった。

 ふと顔を上げると、マデレイネ様がにこやかな微笑を浮かべてこちらを見ている。
 しかし、言葉は出てこない。
 ティマに至っては、ぽかんと口を開けたまま固まっていた。
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