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光太郎 二
犯人捜しがあるかと少なからず気を張っていた光太郎は、常と変わらない一日に拍子抜けした。
容赦ない仕置きと解雇という、使用人に対する噂はデマだったのか。いや、あの節子の形相からするにそうとも言い切れまい。
(それにしても……)
気を抜くと、光太郎は昨夜の小夜子のことばかり考えてしまう。
圧倒される美しさというのだろうか、酷い格好をしていたはずなのに、小夜子自身が輝いているようだった。きちんと着飾ったなら、どれほどのものかと思う。
光太郎は二十一になる。興味のあることにはとことん夢中になって打ち込み、極める性質だ。ひょろりといかにも気の弱そうな外見からは想像もつかない猪突猛進タイプだった。そうやって今の仕事でもそれなりの成果を上げている。
光太郎の今までの興味といえば、勉強と仕事。それが初めて、女性に対して執着している。
かなり難易度の高い、上級者向けの初恋だった。
身分も違う、容姿も見合わない、何より小夜子はあと三週間足らずで嫁ぐ身だった。
それなのに、いけない、いけない、とわかっていながら、光太郎は離れが気になって仕方なかった。
その日は無理矢理気持ちを引き剥がし、何とか仕事をこなしたが、二日、三日と経つにつれて、抑えきれない強い情動が起こった。
(一目見たい……あの姿をまた……)
また見つかったなら、今度こそ、どんな仕置きをされるかわからない。
それでも、光太郎は我慢できなかった。小夜子を一目見るためなら、たとえ百叩きにあってもその価値があると思った。
その日、とうとう光太郎は離れの庭に向かった。四日前に忍んだ時よりも少し遅く、すでに夕闇が庭を支配している。
以前と同じ、低木が植えられた一角に潜んでしばらく離れの様子を窺うつもりだった。
自分の行動が完全に常軌を逸していると気付いている。だから光太郎は今夜に賭けた。
忍ぶのは今夜だけ。小夜子を一目見れたなら、それを一生の思い出にしよう。見れなければ、すっぱりと忘れよう。
(どちらにしろ、今夜が最後だ!)
そう覚悟を決めて、離れの庭に足を踏み入れたその時だった。
ぴったりと閉めきられた障子の向こうから、長く伸びたか細い悲鳴が聞こえた気がした。
はっとした光太郎は、辺りを慎重に窺い、誰もいないことを確かめると、思いきって部屋に近付いてみた。
あの日節子が開け放った部屋へ通じるであろう障子、ガラス戸、小さな縁側、そこからさらに数歩のところまで光太郎は迫った
悲痛な悲鳴は続いている。決して大きな声ではないが、苦痛にあえいでたまらず声が漏れているようだった。
よく聞くと、合間に何かを言っている。
「せつ……せつ…………」
どうやら節子を呼んでいるらしい。ということはこれは小夜子の声で、今節子はこの部屋にいないということだろうか。
光太郎は縁側に片足をかけた。
「せつ……痛い……せつ……」
近くなった声は、聞いているだけで胸が抉られそうだった。
たまらなくなった光太郎は、そっとガラス戸に手をかける。施錠はしていなかった。
(もうどうにでもなれ!)
光太郎は素早くガラス戸と障子を開けると、するりとその隙間から身を滑らせ、元通りに閉める。
さっと薄暗い部屋に目を走らせ、すぐにうつ伏せに倒れている小夜子を確認した。
部屋は極めて質素だった。
小さな箪笥、古い文机、そこには薬包らしき白い包みが散乱し、畳には白い粉と水がこぼれ、粗末な茶碗が転がっていた。
どうやら、薬を飲もうとしたがうまく飲めずひっくり返してしまったようだった。
「せつ……うぅ……」
苦しむ小夜子に、光太郎はとにかく薬を飲ませようと、薬包と水を準備し、苦しむ小夜子をそっと抱き起こした。
「薬を飲むんですね。この薬ですね」
光太郎が、痛みにあえぐ小夜子に念のため声をかけると、小夜子は小さく何度も頷き、口を開いた。
長襦袢姿の小夜子に、そしてその小さな唇に一瞬ギクリとしながらも、光太郎は何とか小夜子に薬を飲ませる。
お腹をすかせた子犬のように、ごくごくと水を飲み干した小夜子は、それでもしばらく光太郎の腕の中で体をかたくしていた。
光太郎もまた、小夜子を抱き起こした姿勢のまま、その細い肩を支えていた。
触れてみると、小夜子の体は思った以上に細く、小さかった。
光太郎も肉のない頼りない体だが、それでも小夜子の細さは異常に思えた。
どのくらいの時間が経っただろうか。外から床を擦る足音が聞こえた。すぐに部屋の引戸がするりと開き、器を持った節子が入ってきた。
「っ!!」
小夜子の肩を抱く光太郎を見た節子は、一瞬で鬼のような形相になり、すぐに引戸をぴったりと閉めると光太郎に迫ってきた。
「ここで何をしている」
それでも、低く抑えられた声に、大声で不審者を威嚇できない理由があるのだと知った。
「外にまで小夜子様の悲鳴が聞こえたのです。申し訳ないと思いましたが、縁側から入って薬を飲ませました」
光太郎も低く抑えた声で、簡潔に節子に説明した。光太郎が離れに忍び込んだことは明らかだったが、光太郎を問い詰めるより小夜子の方が優先だった。節子は光太郎を一睨みした後、小夜子の様子を窺った。
薬が効いてきたのか、さきほどよりも呼吸が穏やかになっている。
節子は持っていた器を文机に置くと、光太郎から小夜子を取り返そうと手を伸ばした。
「節子さん、このまま寝かせた方が負担がないでしょう。すみませんが布団を敷いてください」
「……」
節子の名を呼ぶことで、光太郎は自分が華両院家の雇われ人だと示したかった。庭師のお仕着せは脱いでしまっている。
相変わらず光太郎を睨みながら、それでも節子はすぐに床を準備し、今度こそ小夜子の肩に手をかけた。だが、「うっ……」と呻いた小夜子に、これ以上の負担をかけぬよう、仕方なく光太郎に小夜子を寝かせるように指示した。
「仰向けはいけません。横向きになるように、そっと寝かせてさしあげるように」
細くとも光太郎は若い男だ、小夜子を改めて抱き上げると、ゆっくりと布団に移動した。
布団も枕も、細やかに手入れはしてあるが、粗末な物だった。
こんな美しい人を寝かせるには、あまりにも似つかわしくない。
光太郎は細心の注意を払い、小夜子をそっと寝かせた。
小夜子が手から離れると、今度は節子に腕をぐいと引かれ、光太郎は広くない部屋の隅に追いやられた。
「お前だね、先日忍び込んだのは」
休む小夜子に配慮して声は落としているが、鬼のような気迫はそのままだ。
光太郎はおとなしく節子の詰問に従った。
「はい。自分は庭師見習いの光太郎といいます。四日前にここの庭にいたのも自分です」
「下らない好奇心で来たのか?せっかく見逃してやったものを」
「あの時も、小夜子様の悲鳴を聞いたので様子を身に来たのです」
悲鳴、という言葉にぴくりと節子が顔を歪めた。
光太郎にはどうしても訊きたいことがあった。
部屋に入った瞬間感じた独特の臭い、薬包の量、小夜子の痩せた体。誰にでもわかる真実だ。
「小夜子様は虐待を受けていますね?あの薬は強い痛み止めではないですか?」
ぐっと唇を噛む節子は、それには何も答えない。それはそうだ。底辺の雇い人にぺらぺら事情を話すわけがない。
光太郎はさらに節子の感情を煽った。
「あなたが虐待をしているのですか?」
その一言に、節子はカっと目を見開き右手を振り上げた。そのまましたたかに頬を叩かれるかと思ったが、節子はその姿勢のままブルブルと震えていた。
その悲壮な姿に、光太郎はたまらず頭を下げた。
「申し訳ありません。節子さんが小夜子様にこのようなことをなさるとは思っていません」
「……」
「節子さんを怒らせて話を引き出したかっただけです。でもこれは酷い侮辱でした。本当に申し訳ありません」
頭を下げ続ける光太郎に、ふっ、と笑い声が聞こえた。
「小夜子様!」
笑ったのは小夜子だった。節子は名を呼びながらすぐに小夜子にかけより、顔色を確かめた。
小夜子はこちらに体を向けて、横に寝そべっていた。ただそれだけなのに、光太郎には、気怠いその姿さえ一枚の絵画のように完璧な美しさに見えた。
「小夜子様、私が愚図なばかりに、申し訳ございません」
「いいのよ」
「何かお口にできますか?お薬はお飲みになれますか?」
節子が持ってきた器には、薬湯が入っていた。
それを見た小夜子は、ふと悲しそうな顔になる。
「……大変だったでしょう」
節子に支えられて薬湯を飲む小夜子の姿に、光太郎は胸が苦しくなった。
小夜子が弱っているのは明らかだった。華両院家の娘であるならば、医師や看護師を付け、細やかに看病を受けて当然なのだ。
それなのに、たかが薬湯一杯を見て「大変だった」と言うことは、つまり、母屋から薬湯を分けてもらうことがいかに大変か、普段の小夜子の生活がどんなものかが窺い知れた。
光太郎が思っていた以上に、小夜子の生活は危ういものだった。
薬湯を飲み干した小夜子は、ほっとしたようにまた寝そべった。
そして、やっと光太郎の方を見た。
先ほどの薬と薬湯で、小夜子はだいぶ楽になったようだった。
いつから聞いていたのか、小夜子は光太郎の言動を笑っていた。
「お前、せつに面白いことを言っていたね。酷い侮辱をしておきながら、すぐにぺこぺこ謝って、おかしいったら。駆け引きには向いていないね」
「小夜子様、忍び込んでいたのはこいつです。お声をかける必要などはございません」
「うん、わかってる。でも、一応助けられたからね」
小夜子がそう言うと、節子は渋々と口を結んだ。
「お前、なぜ離れにきたの?ここには近寄るなと言われただろう?」
「最初は、悲鳴を聞いて。今日は、一目でも小夜子様のお姿を見たくて」
光太郎は項垂れながらも、小夜子に真実を話した。
取り繕っても、全て見透かされるような気がしたのだ。
「ふん、そう。で、わたくしが虐待を受けているって?なぜそう思ったの?」
「この部屋を見ればわかります。それと薬。あれは強い痛み止めですね。僕の母も飲んでいました」
「そうなの。で、お前はそのことを知ってどうするの?」
「知って……」
光太郎は口ごもったが、ぐるぐると頭を駆け巡るこの考えを、どう言葉にしたらいいのか迷っていた。
でも、ここまできたのだ、自分の気持ちを伝えたい。
「知って、虐待が本当であれば、小夜子様を、た、助けてさしあげたいと思っています!」
顔を真っ赤にしながらも、はっきりと小夜子の目を見て言いきった。
光太郎としては、一世一代の愛の告白だった。
しかし、小夜子はそんな光太郎の様子を見て、あははははと笑い声をあげた。
光太郎を馬鹿にした、明らかな嘲笑だった。
「お前がわたくしを助ける?ああ面白い。お前、いくつなの?」
真剣な告白を、なぜこんなふうに笑われなければならないのか、光太郎は戸惑いながらも二十一だと答えた。
「二十一にもなって、たかが庭師見習いにしかなれないお前が、わたくしを助けるというの?」
「そ、そうです。たとえ華両院家が敵でも、小夜子様を救い出してみせます」
なおも真剣に言い募る光太郎に、小夜子は笑いを引っ込めて怒りを露わにした。
目を眇めて光太郎を睨みつけると、「いいわ」と一言呟いた。
「お前に本当のことを教えてあげよう。そしてわたくしをこの地獄から救っておくれ」
それから小夜子はおぞましい真実を話し始めた。
容赦ない仕置きと解雇という、使用人に対する噂はデマだったのか。いや、あの節子の形相からするにそうとも言い切れまい。
(それにしても……)
気を抜くと、光太郎は昨夜の小夜子のことばかり考えてしまう。
圧倒される美しさというのだろうか、酷い格好をしていたはずなのに、小夜子自身が輝いているようだった。きちんと着飾ったなら、どれほどのものかと思う。
光太郎は二十一になる。興味のあることにはとことん夢中になって打ち込み、極める性質だ。ひょろりといかにも気の弱そうな外見からは想像もつかない猪突猛進タイプだった。そうやって今の仕事でもそれなりの成果を上げている。
光太郎の今までの興味といえば、勉強と仕事。それが初めて、女性に対して執着している。
かなり難易度の高い、上級者向けの初恋だった。
身分も違う、容姿も見合わない、何より小夜子はあと三週間足らずで嫁ぐ身だった。
それなのに、いけない、いけない、とわかっていながら、光太郎は離れが気になって仕方なかった。
その日は無理矢理気持ちを引き剥がし、何とか仕事をこなしたが、二日、三日と経つにつれて、抑えきれない強い情動が起こった。
(一目見たい……あの姿をまた……)
また見つかったなら、今度こそ、どんな仕置きをされるかわからない。
それでも、光太郎は我慢できなかった。小夜子を一目見るためなら、たとえ百叩きにあってもその価値があると思った。
その日、とうとう光太郎は離れの庭に向かった。四日前に忍んだ時よりも少し遅く、すでに夕闇が庭を支配している。
以前と同じ、低木が植えられた一角に潜んでしばらく離れの様子を窺うつもりだった。
自分の行動が完全に常軌を逸していると気付いている。だから光太郎は今夜に賭けた。
忍ぶのは今夜だけ。小夜子を一目見れたなら、それを一生の思い出にしよう。見れなければ、すっぱりと忘れよう。
(どちらにしろ、今夜が最後だ!)
そう覚悟を決めて、離れの庭に足を踏み入れたその時だった。
ぴったりと閉めきられた障子の向こうから、長く伸びたか細い悲鳴が聞こえた気がした。
はっとした光太郎は、辺りを慎重に窺い、誰もいないことを確かめると、思いきって部屋に近付いてみた。
あの日節子が開け放った部屋へ通じるであろう障子、ガラス戸、小さな縁側、そこからさらに数歩のところまで光太郎は迫った
悲痛な悲鳴は続いている。決して大きな声ではないが、苦痛にあえいでたまらず声が漏れているようだった。
よく聞くと、合間に何かを言っている。
「せつ……せつ…………」
どうやら節子を呼んでいるらしい。ということはこれは小夜子の声で、今節子はこの部屋にいないということだろうか。
光太郎は縁側に片足をかけた。
「せつ……痛い……せつ……」
近くなった声は、聞いているだけで胸が抉られそうだった。
たまらなくなった光太郎は、そっとガラス戸に手をかける。施錠はしていなかった。
(もうどうにでもなれ!)
光太郎は素早くガラス戸と障子を開けると、するりとその隙間から身を滑らせ、元通りに閉める。
さっと薄暗い部屋に目を走らせ、すぐにうつ伏せに倒れている小夜子を確認した。
部屋は極めて質素だった。
小さな箪笥、古い文机、そこには薬包らしき白い包みが散乱し、畳には白い粉と水がこぼれ、粗末な茶碗が転がっていた。
どうやら、薬を飲もうとしたがうまく飲めずひっくり返してしまったようだった。
「せつ……うぅ……」
苦しむ小夜子に、光太郎はとにかく薬を飲ませようと、薬包と水を準備し、苦しむ小夜子をそっと抱き起こした。
「薬を飲むんですね。この薬ですね」
光太郎が、痛みにあえぐ小夜子に念のため声をかけると、小夜子は小さく何度も頷き、口を開いた。
長襦袢姿の小夜子に、そしてその小さな唇に一瞬ギクリとしながらも、光太郎は何とか小夜子に薬を飲ませる。
お腹をすかせた子犬のように、ごくごくと水を飲み干した小夜子は、それでもしばらく光太郎の腕の中で体をかたくしていた。
光太郎もまた、小夜子を抱き起こした姿勢のまま、その細い肩を支えていた。
触れてみると、小夜子の体は思った以上に細く、小さかった。
光太郎も肉のない頼りない体だが、それでも小夜子の細さは異常に思えた。
どのくらいの時間が経っただろうか。外から床を擦る足音が聞こえた。すぐに部屋の引戸がするりと開き、器を持った節子が入ってきた。
「っ!!」
小夜子の肩を抱く光太郎を見た節子は、一瞬で鬼のような形相になり、すぐに引戸をぴったりと閉めると光太郎に迫ってきた。
「ここで何をしている」
それでも、低く抑えられた声に、大声で不審者を威嚇できない理由があるのだと知った。
「外にまで小夜子様の悲鳴が聞こえたのです。申し訳ないと思いましたが、縁側から入って薬を飲ませました」
光太郎も低く抑えた声で、簡潔に節子に説明した。光太郎が離れに忍び込んだことは明らかだったが、光太郎を問い詰めるより小夜子の方が優先だった。節子は光太郎を一睨みした後、小夜子の様子を窺った。
薬が効いてきたのか、さきほどよりも呼吸が穏やかになっている。
節子は持っていた器を文机に置くと、光太郎から小夜子を取り返そうと手を伸ばした。
「節子さん、このまま寝かせた方が負担がないでしょう。すみませんが布団を敷いてください」
「……」
節子の名を呼ぶことで、光太郎は自分が華両院家の雇われ人だと示したかった。庭師のお仕着せは脱いでしまっている。
相変わらず光太郎を睨みながら、それでも節子はすぐに床を準備し、今度こそ小夜子の肩に手をかけた。だが、「うっ……」と呻いた小夜子に、これ以上の負担をかけぬよう、仕方なく光太郎に小夜子を寝かせるように指示した。
「仰向けはいけません。横向きになるように、そっと寝かせてさしあげるように」
細くとも光太郎は若い男だ、小夜子を改めて抱き上げると、ゆっくりと布団に移動した。
布団も枕も、細やかに手入れはしてあるが、粗末な物だった。
こんな美しい人を寝かせるには、あまりにも似つかわしくない。
光太郎は細心の注意を払い、小夜子をそっと寝かせた。
小夜子が手から離れると、今度は節子に腕をぐいと引かれ、光太郎は広くない部屋の隅に追いやられた。
「お前だね、先日忍び込んだのは」
休む小夜子に配慮して声は落としているが、鬼のような気迫はそのままだ。
光太郎はおとなしく節子の詰問に従った。
「はい。自分は庭師見習いの光太郎といいます。四日前にここの庭にいたのも自分です」
「下らない好奇心で来たのか?せっかく見逃してやったものを」
「あの時も、小夜子様の悲鳴を聞いたので様子を身に来たのです」
悲鳴、という言葉にぴくりと節子が顔を歪めた。
光太郎にはどうしても訊きたいことがあった。
部屋に入った瞬間感じた独特の臭い、薬包の量、小夜子の痩せた体。誰にでもわかる真実だ。
「小夜子様は虐待を受けていますね?あの薬は強い痛み止めではないですか?」
ぐっと唇を噛む節子は、それには何も答えない。それはそうだ。底辺の雇い人にぺらぺら事情を話すわけがない。
光太郎はさらに節子の感情を煽った。
「あなたが虐待をしているのですか?」
その一言に、節子はカっと目を見開き右手を振り上げた。そのまましたたかに頬を叩かれるかと思ったが、節子はその姿勢のままブルブルと震えていた。
その悲壮な姿に、光太郎はたまらず頭を下げた。
「申し訳ありません。節子さんが小夜子様にこのようなことをなさるとは思っていません」
「……」
「節子さんを怒らせて話を引き出したかっただけです。でもこれは酷い侮辱でした。本当に申し訳ありません」
頭を下げ続ける光太郎に、ふっ、と笑い声が聞こえた。
「小夜子様!」
笑ったのは小夜子だった。節子は名を呼びながらすぐに小夜子にかけより、顔色を確かめた。
小夜子はこちらに体を向けて、横に寝そべっていた。ただそれだけなのに、光太郎には、気怠いその姿さえ一枚の絵画のように完璧な美しさに見えた。
「小夜子様、私が愚図なばかりに、申し訳ございません」
「いいのよ」
「何かお口にできますか?お薬はお飲みになれますか?」
節子が持ってきた器には、薬湯が入っていた。
それを見た小夜子は、ふと悲しそうな顔になる。
「……大変だったでしょう」
節子に支えられて薬湯を飲む小夜子の姿に、光太郎は胸が苦しくなった。
小夜子が弱っているのは明らかだった。華両院家の娘であるならば、医師や看護師を付け、細やかに看病を受けて当然なのだ。
それなのに、たかが薬湯一杯を見て「大変だった」と言うことは、つまり、母屋から薬湯を分けてもらうことがいかに大変か、普段の小夜子の生活がどんなものかが窺い知れた。
光太郎が思っていた以上に、小夜子の生活は危ういものだった。
薬湯を飲み干した小夜子は、ほっとしたようにまた寝そべった。
そして、やっと光太郎の方を見た。
先ほどの薬と薬湯で、小夜子はだいぶ楽になったようだった。
いつから聞いていたのか、小夜子は光太郎の言動を笑っていた。
「お前、せつに面白いことを言っていたね。酷い侮辱をしておきながら、すぐにぺこぺこ謝って、おかしいったら。駆け引きには向いていないね」
「小夜子様、忍び込んでいたのはこいつです。お声をかける必要などはございません」
「うん、わかってる。でも、一応助けられたからね」
小夜子がそう言うと、節子は渋々と口を結んだ。
「お前、なぜ離れにきたの?ここには近寄るなと言われただろう?」
「最初は、悲鳴を聞いて。今日は、一目でも小夜子様のお姿を見たくて」
光太郎は項垂れながらも、小夜子に真実を話した。
取り繕っても、全て見透かされるような気がしたのだ。
「ふん、そう。で、わたくしが虐待を受けているって?なぜそう思ったの?」
「この部屋を見ればわかります。それと薬。あれは強い痛み止めですね。僕の母も飲んでいました」
「そうなの。で、お前はそのことを知ってどうするの?」
「知って……」
光太郎は口ごもったが、ぐるぐると頭を駆け巡るこの考えを、どう言葉にしたらいいのか迷っていた。
でも、ここまできたのだ、自分の気持ちを伝えたい。
「知って、虐待が本当であれば、小夜子様を、た、助けてさしあげたいと思っています!」
顔を真っ赤にしながらも、はっきりと小夜子の目を見て言いきった。
光太郎としては、一世一代の愛の告白だった。
しかし、小夜子はそんな光太郎の様子を見て、あははははと笑い声をあげた。
光太郎を馬鹿にした、明らかな嘲笑だった。
「お前がわたくしを助ける?ああ面白い。お前、いくつなの?」
真剣な告白を、なぜこんなふうに笑われなければならないのか、光太郎は戸惑いながらも二十一だと答えた。
「二十一にもなって、たかが庭師見習いにしかなれないお前が、わたくしを助けるというの?」
「そ、そうです。たとえ華両院家が敵でも、小夜子様を救い出してみせます」
なおも真剣に言い募る光太郎に、小夜子は笑いを引っ込めて怒りを露わにした。
目を眇めて光太郎を睨みつけると、「いいわ」と一言呟いた。
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