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別れた夫との暮らしが始まる
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沙羅は、久しぶりに戻った我が家を見上げた。
現実がやってきたと実感が湧き、大きなため息を吐く。
小さな庭に置かれたプランター。そこに植えられたサフィニアが、茶色く立ち枯れている。
いくら大切にしていたものでも、ダメになるのは一瞬で、枯れた花は元には戻らない。
毎日、水をやり丹精込めて育てていたのに、自分の勝手で枯らしてしまったことを後ろめたく感じた。
カーポートには車は無く、ケガをした美幸よりも早く到着した様子だ。
帰って来るまでに掃除をして出迎えてあげようと思い足を進めた。
玄関ドアにカギを差し込み、手前にドアを引くと、むわっと淀んだ空気が動き、熱気で汗が吹き出してくる。
数日留守をしただけなのに、家の中が埃っぽく、荒んだように感じられた。
家というのは、人が居て生活があってこその器だ。
スリッパに履き替え、洗面所に急ぐ。
手を洗いうがいをすると、必然的に洗面台の鏡に向かい合う。鏡の中の自分は、目が腫れ、疲れた顔をしていた。
慶太との別れが辛く、新幹線で人目もはばからず泣いてしまったからだ。
母親の顔を取り戻そうと、洗顔ソープを泡立て、顔を洗った。
楽な服に着替えるために、寝室に足を踏み入れる。遮光カーテンが閉じ部屋は薄暗い。
照明を点けて、ピッとエアコンのスイッチを押した。
ひんやりした風が吹き出し、沙羅は息をつく。
クローゼットを開け、デニムとTシャツを取り出し、ふたつ並んだベッドの手前側に置いた。
並んだベッドを見て、沙羅は複雑な気持ちになる。
政志の不倫を知ってから、同じ部屋で寝る気になれずに、このベッドには寝ていない。
この先も、1階の和室で寝起きをしたら、両親の不仲を美幸に気づかれるだろう。
離婚後の半年間の同居を提案した時は、この先の地盤を固めるための期間として名案だと思った。
けれど、今更ながら無理があり過ぎる内容だと、心が重くなる。
Tシャツとデニムに着替え終わり、大きく伸びをして気合を入れる。
「さあ、やりますか!」
エアコンを止めて、カーテンに手を掛け勢いよく左右に引くと、明るい光が差し込む。換気のために窓を開け放ち、外の音が近く聞こえる。電柱に止まった蝉が声を張り上げ鳴き始めた。
沙羅は、静かに瞼を閉じた。
思い出すのは、蝉時雨を聞きながら、慶太と抱き合った日々。
胸の奥がツキンと痛みを覚え、寂しさが押し寄せる。
この先、母親として生きていこうと決めているのに、未練が残る。
「はぁ、掃除しよう」
家中をまわり窓を開く。淀んでいた空気が入れ替わり、少し気持ちが軽くなった。
掃除機を掛け始めると、汗が浮き出してくる。
ただ、忙しくしている方が余計な事を考えなくていい。
フロアモップで仕上げをしているところで、外から車のバック音がピーッピーッと聞こえてきた。
「帰って来たのかな?」
窓から様子を窺うと、やっぱり政志が駐車場に車を停車してる。
慌てて、サンダルをつっかけ、玄関のドアを開き車の助手席に駆け寄った。
助手席に居る美幸は沙羅の姿を見つけると、ぱあっと花が咲いたような笑顔を見せ、車から降り立つ。
アームスリングで、腕を吊った姿は痛々しいが、元気そうな様子に沙羅はホッと安堵する。
「おかえりなさい」
「ただいま。お母さん、髪の毛切ったんだね。すっごく似合っているよ」
「ありがとう。それより、ケガしたって聞いて心配したのよ」
「あっ、みんなで 山菜採りに山に行ったの。それで、木の根につまづいた時にヘンな手のつき方したみたいで折れちゃって……。心配させてごめんなさい」
美幸は、すまなそうに肩をすくめた。
「その手だとしばらく不便ね。いろいろ工夫して乗り切りましょうね」
沙羅は、元気づけるように美幸の頭を撫でた。すると、横から声が掛かる。
「沙羅、美幸にケガさせてしまって悪かった」
政志の言葉に美幸が反応する。
「わたしがケガをしたのは、お父さんのせいじゃないよ。気を付けてって言われたのに、おしゃべりして足元をちゃんと見ていなかった、わたしが悪いんだもん」
いつになく必死な美幸の様子に沙羅は戸惑う。
おそらく、田舎に行く前に言い争いをしていた両親が、またケンカを始めるのではと心配しているのだろう。
「お父さんがケガをさせたなんて思っていないから大丈夫よ。お父さんは、保護者の立場としてお母さんに謝ってくれたの」
「保護者の立場って、どういう意味?」
「うーん、この場合の保護者の立場っていうのは、親として子供に降りかかる危険を教えたり、誰かを傷つけたりしないという事を教える人って、意味かな?」
と言って、矛盾を感じる。政志こそが家族を裏切り、傷つけ、悲しませる行為をしたのだ。
ちらりと政志の様子を伺うと、政志もそれに気づいたのか、罰が悪そうに視線をそらした。
「ふーん」と、美幸は小首をかしげ、説明がわかったような、納得出来ないような、複雑な表情を浮かべる。
沙羅は話題を変えるべく、美幸の背中に手を掛け家に入るように促した。
「さっ、疲れて汗かいたでしょう。シャワー浴びたら? お母さん、頭洗ってあげる」
「あー、片手だとお風呂タイヘンになるのかぁ。思ったより、いろいろめんどくさそう」
美幸はブツブツ言いながら、家へ入って行く。沙羅は、ふと振り返り政志に声をかけた。
「政志さん、洗濯するから荷物お願いね」
沙羅的には、業務連絡だ。
けれど、政志の受け止め方は違った。沙羅の普段通りの様子に自分のした事を許されたような気がしたのだ。
「わかった。……沙羅、帰って来てくれてありがとう。また、今まで通りに家族3人で仲良く暮らせるよう何でもする。もう、悲しませるようなマネはしないよ」
いまだに問題が片付いていない状態で、何を言っているのか。
と、沙羅は叫びたい衝動に駆られる。
けれど、玄関先でそんな事を言えば、美幸にもご近所にも聞かれてしまう。
「せいぜい努力すれば!」
沙羅は冷たく言い放つと、政志に背を向け、 歪な家族が住む家のドアを閉めた。
現実がやってきたと実感が湧き、大きなため息を吐く。
小さな庭に置かれたプランター。そこに植えられたサフィニアが、茶色く立ち枯れている。
いくら大切にしていたものでも、ダメになるのは一瞬で、枯れた花は元には戻らない。
毎日、水をやり丹精込めて育てていたのに、自分の勝手で枯らしてしまったことを後ろめたく感じた。
カーポートには車は無く、ケガをした美幸よりも早く到着した様子だ。
帰って来るまでに掃除をして出迎えてあげようと思い足を進めた。
玄関ドアにカギを差し込み、手前にドアを引くと、むわっと淀んだ空気が動き、熱気で汗が吹き出してくる。
数日留守をしただけなのに、家の中が埃っぽく、荒んだように感じられた。
家というのは、人が居て生活があってこその器だ。
スリッパに履き替え、洗面所に急ぐ。
手を洗いうがいをすると、必然的に洗面台の鏡に向かい合う。鏡の中の自分は、目が腫れ、疲れた顔をしていた。
慶太との別れが辛く、新幹線で人目もはばからず泣いてしまったからだ。
母親の顔を取り戻そうと、洗顔ソープを泡立て、顔を洗った。
楽な服に着替えるために、寝室に足を踏み入れる。遮光カーテンが閉じ部屋は薄暗い。
照明を点けて、ピッとエアコンのスイッチを押した。
ひんやりした風が吹き出し、沙羅は息をつく。
クローゼットを開け、デニムとTシャツを取り出し、ふたつ並んだベッドの手前側に置いた。
並んだベッドを見て、沙羅は複雑な気持ちになる。
政志の不倫を知ってから、同じ部屋で寝る気になれずに、このベッドには寝ていない。
この先も、1階の和室で寝起きをしたら、両親の不仲を美幸に気づかれるだろう。
離婚後の半年間の同居を提案した時は、この先の地盤を固めるための期間として名案だと思った。
けれど、今更ながら無理があり過ぎる内容だと、心が重くなる。
Tシャツとデニムに着替え終わり、大きく伸びをして気合を入れる。
「さあ、やりますか!」
エアコンを止めて、カーテンに手を掛け勢いよく左右に引くと、明るい光が差し込む。換気のために窓を開け放ち、外の音が近く聞こえる。電柱に止まった蝉が声を張り上げ鳴き始めた。
沙羅は、静かに瞼を閉じた。
思い出すのは、蝉時雨を聞きながら、慶太と抱き合った日々。
胸の奥がツキンと痛みを覚え、寂しさが押し寄せる。
この先、母親として生きていこうと決めているのに、未練が残る。
「はぁ、掃除しよう」
家中をまわり窓を開く。淀んでいた空気が入れ替わり、少し気持ちが軽くなった。
掃除機を掛け始めると、汗が浮き出してくる。
ただ、忙しくしている方が余計な事を考えなくていい。
フロアモップで仕上げをしているところで、外から車のバック音がピーッピーッと聞こえてきた。
「帰って来たのかな?」
窓から様子を窺うと、やっぱり政志が駐車場に車を停車してる。
慌てて、サンダルをつっかけ、玄関のドアを開き車の助手席に駆け寄った。
助手席に居る美幸は沙羅の姿を見つけると、ぱあっと花が咲いたような笑顔を見せ、車から降り立つ。
アームスリングで、腕を吊った姿は痛々しいが、元気そうな様子に沙羅はホッと安堵する。
「おかえりなさい」
「ただいま。お母さん、髪の毛切ったんだね。すっごく似合っているよ」
「ありがとう。それより、ケガしたって聞いて心配したのよ」
「あっ、みんなで 山菜採りに山に行ったの。それで、木の根につまづいた時にヘンな手のつき方したみたいで折れちゃって……。心配させてごめんなさい」
美幸は、すまなそうに肩をすくめた。
「その手だとしばらく不便ね。いろいろ工夫して乗り切りましょうね」
沙羅は、元気づけるように美幸の頭を撫でた。すると、横から声が掛かる。
「沙羅、美幸にケガさせてしまって悪かった」
政志の言葉に美幸が反応する。
「わたしがケガをしたのは、お父さんのせいじゃないよ。気を付けてって言われたのに、おしゃべりして足元をちゃんと見ていなかった、わたしが悪いんだもん」
いつになく必死な美幸の様子に沙羅は戸惑う。
おそらく、田舎に行く前に言い争いをしていた両親が、またケンカを始めるのではと心配しているのだろう。
「お父さんがケガをさせたなんて思っていないから大丈夫よ。お父さんは、保護者の立場としてお母さんに謝ってくれたの」
「保護者の立場って、どういう意味?」
「うーん、この場合の保護者の立場っていうのは、親として子供に降りかかる危険を教えたり、誰かを傷つけたりしないという事を教える人って、意味かな?」
と言って、矛盾を感じる。政志こそが家族を裏切り、傷つけ、悲しませる行為をしたのだ。
ちらりと政志の様子を伺うと、政志もそれに気づいたのか、罰が悪そうに視線をそらした。
「ふーん」と、美幸は小首をかしげ、説明がわかったような、納得出来ないような、複雑な表情を浮かべる。
沙羅は話題を変えるべく、美幸の背中に手を掛け家に入るように促した。
「さっ、疲れて汗かいたでしょう。シャワー浴びたら? お母さん、頭洗ってあげる」
「あー、片手だとお風呂タイヘンになるのかぁ。思ったより、いろいろめんどくさそう」
美幸はブツブツ言いながら、家へ入って行く。沙羅は、ふと振り返り政志に声をかけた。
「政志さん、洗濯するから荷物お願いね」
沙羅的には、業務連絡だ。
けれど、政志の受け止め方は違った。沙羅の普段通りの様子に自分のした事を許されたような気がしたのだ。
「わかった。……沙羅、帰って来てくれてありがとう。また、今まで通りに家族3人で仲良く暮らせるよう何でもする。もう、悲しませるようなマネはしないよ」
いまだに問題が片付いていない状態で、何を言っているのか。
と、沙羅は叫びたい衝動に駆られる。
けれど、玄関先でそんな事を言えば、美幸にもご近所にも聞かれてしまう。
「せいぜい努力すれば!」
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