没落令息は、元許嫁の護衛騎士に買われ所有物になりました。

桜塚あお華

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第01話 没落令息、借金取りに囲まれ、奴隷となる

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 雨漏りの音が、古びた天井からぽつり、ぽつりと響いていた。
 かつて貴族たちの宴が開かれていた応接間は今ではすっかり荒れ果てている。
 壁の絹布は色あせ、飾られていた肖像画には蜘蛛の巣が垂れ下がっていた。
 そんな廃墟のような空間で、ユリウス・グランフェルは優雅に腰かけていた。
 卓上に置かれたティーカップを何事もない顔で持ち上げる。
 香りも味もない空気を一口――中身はとっくに空だ。
 それでも彼は、まるで貴族の作法そのものを演じるかのように口元に微笑を浮かべた。

「支払い期限は昨日だ、グランフェル様」

 笑いを含んだ声が、扉の向こうから響く。
 入ってきたのは三人の男――どいつも泥臭い革靴を履き、下卑た目つきをしている。
 そのうちの一人、金歯が光る男が椅子の背もたれに片足を乗せた。

「立派な屋敷だと思ってたが……ずいぶんと寂れたもんだなあ」
「ええ、風通しが良すぎるくらいで……最近は夜風まで挨拶に来ます」

 ユリウスは穏やかな声で返す。
 皮肉のつもりだったが、男たちは笑い飛ばした。

「領地は没収、財産も差し押さえ……あと残ってるのは何だ?その顔くらいか?」
「おや、それは光栄ですね。借金取りに顔が良いと褒められるとは思いませんでした」
「ハハ、口はまだ達者だな……だが、支払いはどうする?」
「どうしようもありませんよ。差し押さえが終わった今となっては、金貨の一つも残っていません」

 静かに答えるユリウスの横で、老齢の執事――バートンが蒼ざめている。
 主の命を案じてというより、貴族としての誇りが崩れ落ちていくのを見て胸を痛めているのだろう。

「ユリウス様、もうやめてください! このままでは――」
「バートン、下がりなさい……大丈夫です、まだ死ぬほどではありません」

 穏やかに言うその声に、ほんのわずかな諦めが混じっている。
 この屋敷もあと数日で取り壊される予定である――彼が『貴族』と呼ばれるのも、今日が最後かもしれない。

 ――それでも、背筋だけは曲げたくなかった。

 金歯の男がにやりと笑い、懐から帳簿を取り出す。

「ま、金がねえなら仕方ねえよな。だが……」

 わざとらしく間を置いて、男はユリウスの頭からつま先までを眺め回す。

「――お前みたいなのなら、買い手がつくかもしれねぇ」

 バートンが青ざめて一歩前に出た。

「なんという侮辱を!この方を誰だと思っている!」
「元貴族様だろ?だからこそ落ちぶれた貴族が売れるのは珍しい。金持ちの趣味にはうってつけだ」

 男は笑いながら顎をしゃくり、後ろの部下たちに目配せする。
 粗末な縄を取り出す仕草――ユリウスはゆっくりと立ち上がり、埃の積もった絨毯を踏みしめ、静かに一歩前へ出た。

「なるほど。私の『価値』を試すつもりですか」
「試す?はは、冗談が上手いな」
「……ええ、冗談ですよ」

 淡く笑いながら、ユリウスは卓上のティーカップを指先で転がす。
 その音は、静かな部屋に乾いた余韻を残した。

「どうせなら高く売ってください。安売りは趣味じゃないもので」

 皮肉の一言に、男たちはどっと笑った。
 けれど、その笑いの中でユリウスだけは笑っていなかった。
 彼の胸の奥では、別の感情が音もなく燃えていたからである。

 ――屈辱。
 ――怒り。
 そして、それを覆い隠すための仮面の『微笑』。

(……貴族の誇りを売るくらいなら、笑ってやる。俺の負けを見せてやるものか)

 屋敷の外で、馬車の車輪の音が響く。
 乾いた土を叩くような音。
 この屋敷を訪ねてくる者など、もう誰もいないはずなのに。
 男たちも振り向く。

「……誰だ?」

 扉が開き、入ってきたのは漆黒の外套をまとった長身の男。
 剣の鞘を腰に下げ、その歩みは迷いがない。

「なんだアンタ、客人のつもりか?」

 金歯の男が吐き捨てるように言う。
 しかし、その男は一言も返さずそのまままっすぐユリウスの前まで歩み寄った。
 その目は冷たく、けれどどこか懐かしい。
 ユリウスは思わず眉をひそめる。

「……あなた、は……」

 男はゆっくりと膝を折り、ユリウスの前で頭を垂れた。

「買い取った――お前を」

 場が凍りついた。
 金歯の男が目を剥く。

「な、何を――」
「この人の借用書全額分を払った。それで契約は終わりだろう」

 淡々とした口調。
 まるで、それが当然のことのように。

「お、おい……勝手な真似を!」
「勝手?なら、お前たちの帳簿を王都の監査に出してみるか?」

 低く、鋭い声――男たちは一瞬で顔色を失い舌打ちをしながら退散していく。
 残されたのは、静まり返った空気と、呆然としたユリウスの姿だけ。
 しばらくして、ユリウスはようやく口を開いた。

「……まさか、カインなのか?」

 黒髪の男は、わずかに笑みを見せた。

「覚えていてくれて光栄だ」
「冗談でしょう。護衛騎士をしていたあなたが……そ、それに……あの頃のあなたは、もう少し地味だったはずです」
「成長したんだ。色々と。ある意味で」

 ユリウスは頭を押さえ、深く息をつく。

「……それで?どういうつもりで、こんな茶番を?」
「買い取ったと言っただろう?だから、今日からお前は俺のものだ」
「いやいやいや!金額の問題じゃないでしょう!?」

 叫び返したユリウスの声が、埃っぽい屋敷にこだまする。
 老執事バートンが胸を押さえ、ふらりと後ずさった。

「ユ、ユリウス様……これではまるで……!」
「まるで何ですか!?」

 カインは微笑を浮かべたまま、まっすぐ彼を見つめている。
 その瞳には、冗談の色など一片もない。

「俺は、お前を失いたくなかった」

 その一言に、ユリウスは言葉を失った。
 紅茶の香りも、雨の音も、すべて遠くに消えていく。
 胸の奥で、何かが小さく軋む。
 それは、長い間忘れていた心臓の音だったのかもしれない。
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