没落令息は、元許嫁の護衛騎士に買われ所有物になりました。

桜塚あお華

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第02話 購入された令息、連行される

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 屋敷を出ると、夜の風は思いのほか冷たかった。
 石畳の割れ目からは雑草が顔を出し、かつての栄華の面影はどこにもない。
 月明かりが崩れかけた壁を照らし、ユリウスの影を細く引き延ばしていた。
 門の前には、一台の馬車――漆黒のボディに銀の紋章が刻まれている。
 手綱を持つ男の姿は、どこか異様に静かだった。

 ――カイン・アルカロイド。

 嘗て自分の護衛を務めていた騎士――いまは、なぜか『買い手』になった。
 その手綱を軽く引きながら、彼は振り返る。
 風に揺れる外套が月の光を掠め、その姿は嘗て忠誠を誓った騎士というより――まるで、誘拐犯のように見えるのは気のせいだろうか。

「では、行こうか」

 低い声で、まるで何事もなかったかのように言う。

「……『行こうか』じゃないんですよ」

 ユリウスは眉をひそめ、腕を組んだ。
 笑う気力も、怒る気力もない。ただ、呆れ果てていた。

「まさか本当に私を買い取るなんて……正気ですか?」
「正気だ。むしろ、ようやく落札できた気分だ」
「オークションの比喩やめてください!そもそもまだ売られてませんから!」

 叫んでも、カインはまったく動じない。
 その瞳はまっすぐで、どこまでも穏やかだった。
 冗談を言っているように聞こえて、冗談ではない――それがわかってしまうから腹立たしい。

「……これでお前は自由だ。借金取りも、過去も、誰もお前を傷つけない」

 その一言に、胸の奥がざらりと波打った。

(――自由)

 それはもう、遠い昔に手放した言葉だ。

「……あのですね」

 ユリウスは深く息を吐き、冷えた空気を肺に入れた。

「『自由』って言葉の意味、分かってます?あなたに買われた時点で、自由じゃないんですけど」
「俺に買われたことが、束縛だと?」
「他にどう言えと!」
「では――『守られている』とは言えないか?」

 その言葉の響きが、夜気よりもやわらかく耳に残った。
 からかうような口調ではない。本気でそう思っている――そう気づいた瞬間、ユリウスは返す言葉を飲み込んだ。
 否定すれば、彼の中の何かを踏みにじってしまいそうで。
 かといって、頷くのも癪だった。

「……守られるだけってのも、癪なんですよ」

 絞り出すように言うと、カインはほんの少し笑った。
 それは笑顔というより、どこか懐かしさを滲ませた微笑だ。

「なら、守らせておけ。俺の趣味だ」
「趣味で人を買わないでください!」

 即座に反撃するが、カインはやはり表情を崩さない。
 その穏やかすぎる態度が、逆に腹立たしい。

「……本気で言ってます?」
「本気だ」
「やめてください。そんな目で言うな、冗談でも動揺するんで」
「冗談じゃないが?」
「もっとタチが悪い!」

 ユリウスは頭を抱えた。
 これでは勝負にならない。
 正面からぶつかっても、この男には通じない。
 何より、その瞳に一点の曇りもないことが――たまらなく、悔しい。

 馬の吐息が夜気に混じり、白い霧をつくる。
 カインは手を差し出した。

「乗れ。寒いだろう」
「寒いのはあなたの頭ですよ」
「……そうか」

 わずかに肩をすくめ、笑みを浮かべる。
 その微笑があまりにも優しくて、ユリウスは思わず顔を背けた。

(ああもう、どうしてこの男はこうも真面目で、こうもずるいんだ……)

 憎めないくせに、どこか放っておけない。
 そんな気がしてならなくて、ユリウスはため息を吐いた。

「……分かりましたよ。行きますけどね」

 小さく舌打ちしながら、差し出された手を取る。
 指先が触れた瞬間、夜の空気よりも温かい熱が伝わった。

「手、冷たいな」
「放っといてください」

 だが、カインはその手を離さなかった。
 ただ穏やかに、ゆっくりとユリウスを馬車へ導く。

 ――まるで、落札した宝物を運ぶように。

 扉が閉まり、車輪が軋む。
 馬車が動き出す頃には、屋敷はすでに夜霧の向こうへ沈んでいた。

 その背に、ユリウスは小さくつぶやいた。

「ちっ……誘拐犯め」

 けれど、隣の席から返ってきたのは――

「……ようやく連れ戻せた」

 あまりにも穏やかで、まっすぐな声だった。
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