没落令息は、元許嫁の護衛騎士に買われ所有物になりました。

桜塚あお華

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第04話 目覚めたら隣に魔王がいた件

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 柔らかい光が、まぶたの裏をそっと撫でていた。
 春の朝のような、心地よい温度。
 けれど、どこか現実味のない静けさだった。

 夢の中で、ユリウスは誰かと話していた。
 重たい書類の束、焦げた蝋燭の匂い――記憶の底に沈んだ、遠い日の光景。

『本当に、この借用書でよろしいのですか、ユリウス様』
『ええ。父上の名を汚すわけにはいきませんから』
『ですが、この利子では――』
『構いませんよ……誰かが責任を取らなければならないのです』

 遠ざかる声。書類に捺印する音――あの瞬間から、何かが確実に狂い始めていた。

(……そうだ……あの時、全てを『売った』んだ)

 夢の中の自分が、小さく笑う。
 『誇り』という名前の幻を抱えながら。

 ふと目を開けると、天蓋のカーテンが風に揺れていた。
 見知らぬ天井、絹のシーツに、ふかふかの枕。
 確か昨日は、カインの屋敷で眠らされて――疲れが残っているのか、体が少しだけ重い。

「……あれ?」

 上体を起こそうとした瞬間、胸元に影が落ちた。
 見上げた先にあったのは、見覚えのある顔だった。

「……え、魔王?」

 寝ぼけたまま、思わず口をついて出る。

「おはよう」
「……おはようじゃない!なんでいるんですか!?」

 カインはいつもの無表情のまま、少しだけ首を傾けた。

「様子を見に来た」
「様子!?寝込みを!?」
「いや。寝顔を」
「それもっと悪いわ!!」

 ユリウスは掛け布団を引き上げ、顔まで隠した。
 カーテン越しの朝日が、カインの黒髪を淡く照らす。
 まるで夢の中の幻影が、そのまま現実に立っているようだった。

「……で、体調は?」
「おかしいですね、確か昨日『出ていけ』って言ったはずなんですけど」
「出ていったよ。扉の外で寝た」
「もっとおかしいですよ!?」
「寒かった」
「知るか!!」

 頭を抱えたくなる。
 この男は、常識というものをどこに置き忘れてきたのか。

「……それで? わざわざ人の寝顔を覗きに来て、満足ですか?」
「最高だった」
「死ね!」

 枕を投げつけると、カインは器用に受け止めて、微笑んだ。
 その笑みに悪びれた様子はまるでない。

「冗談だ……少し、安堵しただけだ」
「安堵?」
「昨日、お前は顔色が悪かった。夢見も……悪そうだった」

 その一言に、胸の奥が一瞬だけ詰まった。
 先ほどまで見ていた夢の残滓が、まだ頭の片隅に残っている。

「……別に。昔のことを見ただけですよ」
「昔?」
「借金の契約書に、判を押した日のことです……人生の分岐点ってやつですかね」
「後悔してるのか?」
「してたら、笑ってられません」

 皮肉めいた口調でそう言いながら、シーツを整える。
 その所作さえどこか貴族然としているのがユリウスという男だった。
 カインはそんな彼を見下ろし、小さく呟く。

「……それでも、生きてる。それで十分だ」

 妙に優しい声。
 その響きに、ユリウスは返す言葉を一瞬、失う。

(……やめてください、そういう顔)

 そう言いたかったのに、喉が動かなかった。

 コンコン――扉をノックする音と共に、メイド長のサラがトレイを手に入ってくる。
 落ち着いた笑顔で、二人の様子を見比べた。

「おはようございます、旦那様。そして――ご夫婦の寝室はこちらでよろしいのですね?」
「違います!!」
「……とりあえず、未定だ、サラ」

 ユリウスの絶叫をよそに、カインは淡々と答える。
 サラは一瞬きょとんとした後、口元に柔らかな笑みを浮かべた。

「まあまあ、朝から仲睦まじくて羨ましいですこと」
「違うって言ってるでしょうが!」

 ユリウスが怒鳴ると、サラは「はいはい」と手慣れた様子で朝食をテーブルに並べ始めた。
 一方のカインは動揺する様子もなく、いつもの調子で紅茶を注いでいる。

「パンは焼きたてだ。蜂蜜も、新しいものを仕入れた」
「話をそらすな!」
「お前は甘いのが好きだろう」
「そういう問題でもない!!」

 サラは小声でくすくす笑いながら、呟く。

「やっぱり旦那様のほうが、奥様より世話焼きですわね」
「え、奥様!?」
「はい、奥様です」
「奥様じゃない!!」

 ユリウスの怒声が朝の空気を突き抜けた。
 サラはにこやかに一礼して、「朝食、冷めますよ」と優雅に退出していく。
 食堂に残されたのは、湯気を立てる紅茶と、漂うバターの香り。
 ユリウスはため息をついて呟く。

「……ほんと、どういう神経してるんですか、あなた」
「普通だ」
「どこが!」
「お前の世話をするのが、当たり前だと思ってる。それだけだ」
「……天然すぎて、逆に怖いですよ」

 ユリウスはカップを持ち上げる。
 香り高い紅茶が、舌の上でやさしく広がっていく。
 苛立ちも呆れも、少しだけ溶けた。

「……まあ、せっかく買われた身ですし……しばらくは『旦那様の家』を観察させてもらいますよ」
「それでいい」

 カインの声が静かに笑った。
 それは、まるで――この日常が永遠に続くと、信じているかのような音だった。
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