没落令息は、元許嫁の護衛騎士に買われ所有物になりました。

桜塚あお華

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第14話 不意の来訪者

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 昼下がりに大きな窓から差し込む陽光が、レースのカーテンを透かして優しく揺れていた。
 空気は穏やかで、どこか眠たくなるほど静かだ。
 応接間では、カインが書類に目を通しユリウスが向かいのソファで紅茶を口にしていた。
 昨日の騒動が嘘のように、ゆったりとした空気が漂っている。

 ――そう、表面上は。

「……こんなに穏やかでいいんでしょうか?」
「なぜだ?」
「忘れてしまいそうなんですけど、私あなたに金で買われたんですよね?」
「そうだ」
「……うーん、なんかこんな穏やかでいいのか……?」

 本来だったら違うのではないだろうかと考えながら、とりあえずユリウスは紅茶を再度、口つけた。
 そんな二人の何気ないやり取りをした後、控えめなノックが響く。

「失礼いたします」

 執事のグレアムが静かに姿を見せる。
 いつもと変わらぬ優雅な所作で一礼したあと、淡々と告げた。

「旦那様、ユリウス様、エドガー・リドフォード様と言う方がお見えです」

 その名前を聞いた瞬間、ユリウスの手がぴたりと止まった。
 紅茶のカップを支えていた指が、微かに震える。

「……今、誰と?」

 わずかに掠れた声で問い返す。

「――エドガー・リドフォード様でございます」

 グレアムが静かに繰り返すたび、胸の奥が冷たいもので満たされていく。

(……リドフォード……)

 その名前は、もう遠い過去になったはずだった。
 忘れたはずの記憶が、音もなく蘇る。

「……まさか、あのエドガー……」

 ユリウスの唇が、わずかに震えながらその名をなぞる。
 その言葉を聞いたカインが顔を上げ、静かに問いかける。

「知り合いか」
「……ああ。昔、縁談があって」

 まるで喉に棘が刺さったような、重い声だった。
 『縁談』――その言葉だけで、胸の奥がざわつく。
 それはユリウスの人生を大きく左右しかけた、もう一つの未来だったのだ。

    ▽

 扉が重く開かれ、客間のソファーに座っているのは洗練された身なりの男。
 柔らかな栗色の髪、人当たりの良さそうな微笑み。
 けれどその奥にある、鋭利な知性と計算の色は隠しきれない。

「やあ、久しいね、ユリウス」

 ――エドガー・リドフォード。

 かつてユリウスの許嫁だった少女の兄にして有力商家リドフォード家の跡取り。
 優雅な所作に滲むプライドと、静かな傲慢さ。
 その気配は、今も何一つ変わっていなかった気がしてならない。

「……どうして、あなたがここに」

 立ち上がったユリウスの声は、ほんのわずかに震えている。

「もちろんそれは、探していたんだ。君を」

 優しく微笑むその声音には、妙な湿度があった。

「君、消息を絶ってからもう半年になる……さすがに心配したよ」
「……心配、ね」

 嘲るような笑みが、ユリウスの口元に浮かぶ。

「『没落した貴族』を今さら気にかけるなんて、奇特だな」

「そんな言い方はないだろう?」

 エドガーは肩を竦める。

「僕はただ昔の『縁』が気になっただけさ」

 その視線が、ユリウスの隣に立つ男――カインへと滑った。
 空気が、一瞬にして張り詰める。
 カインは静かに椅子から立ち上がり、ユリウスの前へと一歩進み出た。
 その動きは決して派手ではない。
 だが、確実に間合いを詰める者の所作だった。

「ご用件をお伺いしましょうか、リドフォード様」

 抑えた声に、かすかな威圧が滲む。
 それでもエドガーは、飄々とした笑みを崩さない。

「そんなに構えないでくれ。今日は旧友に挨拶に来ただけだよ」
「……あなたと『友人』だった覚えはありませんが?」

 ユリウスの言葉は冷たく切り込む。

「そう言わないでくれよ。……妹は今でも君の話をしている。「あの方は、どこへ行ってしまったのかしら」ってね」

 懐かしい声が胸に刺さる。
 リリアーナ――それはかつての許嫁。
 優しくて、気丈で……そして、ユリウスが守れなかった少女。
 彼女の名前に、ユリウスはそっと視線を落とす。
 その沈黙を、カインの低い声が切り裂いた。

「――それで、その妹御の兄上が没落した貴族のもとへ『挨拶』とは……なかなか興味深いですね」

 言葉は礼儀正しい。だが、切先は鋭いままだ。

「……どういうご用件ですか、エドガー・リドフォード」

 場の空気がぴん、と緊張に張り詰める。
 エドガーは目元だけで笑い、ゆっくりと口を開く。

「そんなに怖い顔をしないでほしいな。僕はただ――君たちの『関係』を確認しに来ただけだ」
「……関係?」

 ユリウスの眉がわずかに寄る。

「街で噂になっているよ。『没落令息が、騎士に囲われてる』ってね」

 その一言に、カインの瞳が一閃、鋭く光る。

「噂など、どうでもいい」

 低く、静かに。けれど、そこには揺るがない意志があった。

「……でも、気にならないかい? 君の「家の名」がそういう形で語られているのなら――」

 わざとらしく、古い傷を抉るような言い方だ。
 ユリウスは、一瞬目を伏せる。
 かつての婚約、家の没落、自分が“競りにかけられた”夜。
 置き去りにした過去が、再び這い寄ってくる。
 エドガーは紅茶の香りを楽しむように鼻を鳴らし、再びカインへと視線を向けた。

「それにしても――この屋敷。護衛の数、調度の豪華さ。『落ちぶれた』割にはずいぶん恵まれている」
「俺の護衛対象に必要な環境を整えているだけです」

 カインの声には、一切の迷いがなかった。

「……護衛対象、ねぇ」

 エドガーが目を細める。

「それにしては、ずいぶんと『親密』だと聞いたが?」

 間違いなく長髪で、わざとだ。
 そして、本当に確認したかったのはそこだった。
 カインが一歩、前へと踏み出す。
 わずかな足音が、床を静かに鳴らす。

「――言葉を選んでください」

 それは、冷たい刃を静かに抜くような声音。
 エドガーが息を呑みかけたのを、ユリウスは見逃さなかった。
 けれど彼はすぐに笑みを戻し、肩を竦めた。

「……いや、失礼。護衛殿に叱られるとは光栄だな」

 口では柔らかく言っても、その目は獲物を値踏みするような色を宿していた。
 ユリウスの胸の奥に、重たい予感が滲む。
 カインとエドガーの間に、確かに見えない剣が交差していた。
 やがて、エドガーは立ち上がり、帽子を手に取る。

「今日は顔を見に来ただけさ。また、ゆっくり話そう――君の『過去』も含めてね」

 その言葉を残し、扉の向こうへと消えていった。

 ――扉が閉まった瞬間。

 カインの手の甲が、かすかに震えていた。

「……あの男、何を知っている」

 ユリウスの問いに、カインはほんの少しだけ目を伏せる。

「おそらく――『婚約』の本当の理由も、だ」

 その一言が、ユリウスの胸を深く揺らす。
 まるで、張り詰めた記憶が今にも音を立てて崩れそうなほどに。
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