没落令息は、元許嫁の護衛騎士に買われ所有物になりました。

桜塚あお華

文字の大きさ
13 / 48

第13話 翌朝、平常運転の地獄

しおりを挟む
 朝――カイン邸の広々とした食堂に、優しい陽光が射し込んでいた。
 白磁のティーカップ、香ばしいトースト、窓辺で揺れるカーテン――全てがまるで絵画のように美しく整っている。
 だというのに――その中心で椅子に座るユリウスは、まるで爆弾処理班のような顔をしていた。

(……なんで、あんな夜……何もなかったが、その翌朝に、あの顔がいつも通りそこにあるんだ)

 ちら、と隣を伺う。
 カインは変わらぬ所作で、トーストをナイフで静かに切り分けていた。
 まるで、昨夜――廊下で起こったあの出来事などなかったかのように。

「……紅茶、飲むか?」

 低く穏やかな声が、スッと耳に入ってくる。
 いつも通りの声音だ――けれど、今のユリウスにはその『普通』が何より落ち着かなかった。

「……ありがと」

 カップを受け取る手が、かすかに震える。
 湯気越しに見えるカインの横顔が、やけに近く感じてしまうのは気のせいではない。

(だ、だめだ……昨夜の距離を思い出すなっ……!)

 あの、壁際での『未遂』。
 触れそうで触れなかった唇と、耳に残る囁きの熱。

 その瞬間――ガタンッ。

 手元からトーストが滑り落ちた。

「……っ」

 反射的に手を伸ばそうとするよりも早く、カインがすっと拾い上げる。

「危ない」
「……パンで危険って、どんな世界観?」
「熱かっただろう」
「いや、そこまで大事故じゃないし……」
「口を開けろ」
「はい!?」

 耳が赤くなる音が聞こえた気がした。
 カインは無表情のまま、トーストの端をちぎり当然のように差し出す。

「焦げてないか確認したい」
「食べさせなくていいですから!! 自分で食べます!」

 自分でも驚くほど高く跳ね上がった声に、紅茶の表面がふるりと揺れた。

「そうか」

 カインは静かに頷き、平然と紅茶を口にする。
 その落ち着きぶりに、ユリウスの神経だけがぐったりとすり減っていく。

(……こいつ、絶対わざとやってる!)

 そんな事を考えながら拳を握りしめていたその時、扉の向こうから執事グレアムが静かに入ってきた。
 いつもながら無音の足取りで、微笑みをたたえた老紳士。

「おはようございます……昨夜も、お楽しみでしたか?」
「してないっ!!」

 立ち上がる勢いで椅子がガタンと鳴る。
 その音に驚いた紅茶が、カップの縁からほんの少し跳ねた。
 グレアムは目を細めたまま、実に穏やかに続ける。

「それはそれは……残念でございます」
「何が『残念』なんですか!?」

 ユリウスの悲鳴が再び食堂を揺らす。
 しかしその隣で――カインが、カップを置いた。

「……昨夜は、まだ途中だったからな」

 静かに告げられた言葉――時間が、止まった。
 グレアムの眉が、かすかに動く。

「……ほぅ」

 その含みを含んだ返事に、堪忍袋の緒がついに切れる。

「黙れぇぇぇぇぇっっ!!」

 ユリウスの絶叫が、窓の外にいる鳥たちを一斉に飛び立たせた。
 朝の静寂など、とうにどこかへ消え失せている。
 それでも、カインは穏やかな表情のまま、ふたたび紅茶を差し出す。

「……紅茶、もう一杯いるか」
「いらないっ!!」
「……顔が赤いな」
「赤くないっっ!!」
「熱でも?」
「黙ってろぉぉぉっ!」

 激情のままに立ち上がった拍子に、またトーストが滑り落ちる。
 グレアムはそれを無言で拾い上げ、丁寧に皿へ戻した。

「お二人とも、本日も仲睦まじくて何よりです」
「仲良くないっっ!!」

 ユリウスの声が、まるで鐘の音のように、朝の屋敷中に響き渡った。

 ──やがて、嵐が過ぎたように静けさが戻ってくる。

 騒ぎのあと、ユリウスは紅茶のカップを両手で包み込みながらそっとため息を漏らした。

(……なんで、こうなるんだ)

 頬に触れた指先が、微かな熱を伝える。
 紅茶の温度だけじゃないことは、自分でも分かっていた。

(……俺、もう逃げたい)

 でも、逃げたところで――きっとまた、ここへ戻ってくる。
 それを、自分が一番よく知っていた。
 窓の外では、朝の光が庭をやさしく照らしている。
 小鳥のさえずりと、さっきまでとは違う笑い声が遠くから届いた。
 カインの、低く柔らかな笑い声だった。
 ユリウスはそっとカップを置いて、顔を両手で覆う──でも、その唇の端には。
 ほんの、ひとひら。
 笑みのようなものが、浮かんでいた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

身代わりにされた少年は、冷徹騎士に溺愛される

秋津むぎ
BL
第13回BL大賞奨励賞頂きました! 最終17位でした!応援ありがとうございます! あらすじ 魔力がなく、義母達に疎まれながらも必死に生きる少年アシェ。 ある日、義兄が騎士団長ヴァルドの徽章を盗んだ罪をアシェに押し付け、身代わりにされてしまう。 死を覚悟した彼の姿を見て、冷徹な騎士ヴァルドは――? 傷ついた少年と騎士の、温かい溺愛物語。

人族は一人で生きられないらしい――獣人公爵に拾われ、溺愛されて家族になりました

よっちゃん
BL
人族がほとんど存在しない世界に、 前世の記憶を持ったまま転生した少年・レオン。 獣人が支配する貴族社会。 魔力こそが価値とされ、 「弱い人族」は守られるべき存在として扱われる世界で、 レオンは常識の違いに戸惑いながらも必死に生きようとする。 そんな彼を拾ったのは、 辺境を治める獣人公爵アルト。 寡黙で冷静、しかし一度守ると決めたものは決して手放さない男だった。 溺愛され、守られ、育てられる日々。 だが、レオンはただ守られるだけの存在で終わることを選ばない。 学院での出会い。 貴族社会に潜む差別と陰謀。 そして「番」という、深く重い絆。 レオンは学び、考え、 自分にしかできない魔法理論を武器に、 少しずつ“並び立つ覚悟”を身につけていく。 獣人と人族。 価値観も、立場も、すべてが違う二人が、 それでも選び合い、家族になるまでの物語。 溺愛×成長×異世界BL。 読後に残るのは、 「ここに居場所があっていい」と思える、あたたかな幸福。

竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜

レイ
BL
「死ぬ覚悟はできています。でも、その前に……お口、あーんしてください」 魔力を持たない「無能」として実家で虐げられていた薬師のエリアン。 彼に下されたのは、触れるものすべてを焼き尽くす「死の竜帝」ヴァレリウスへの、身代わりの婚姻だった。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

処刑エンドの悪役公爵、隠居したいのに溺愛されてます

ひなた翠
BL
目が覚めたら、やり込んだBLゲームの悪役公爵になっていた。 しかも手には鞭。目の前には涙を浮かべた美少年。 ——このままじゃ、王太子に処刑される。 前世は冴えない社畜サラリーマン。今世は冷徹な美貌を持つ高位貴族のアルファ。 中身と外見の落差に戸惑う暇もなく、エリオットは処刑回避のための「隠居計画」を立てる。 囚われのオメガ・レオンを王太子カイルに引き渡し、爵位も領地も全部手放して、ひっそり消える——はずだった。 ところが動くほど状況は悪化していく。 レオンを自由にしようとすれば「傍にいたい」と縋りつかれ、 カイルに会えば「お前の匂いは甘い」と迫られ、 隠居を申し出れば「逃げるな」と退路を塞がれる。 しかもなぜか、子供の頃から飲んでいた「ビタミン剤」を忘れるたび、身体がおかしくなる。 周囲のアルファたちの視線が絡みつき、カイルの目の色が変わり—— 自分でも知らなかった秘密が暴かれたとき、逃げ場はもう、どこにもなかった。 誰にも愛されなかった男が、異世界で「本当の自分」を知り、運命の番と出会う—— ギャップ萌え×じれったさ×匂いフェチ全開の、オメガバース転生BL。

【完結】逃げた弟のかわりに溺愛アルファに差し出されました。抱かれたら身代わりがばれてしまうので初夜は断固拒否します!

雪代鞠絵/15分で萌えるBL小説
BL
隣国の国王キリアン(アルファ)に嫁がされたオメガの王子リュカ。 しかし実は、結婚から逃げ出した双子の弟セラの身代わりなのです… 本当の花嫁じゃないとばれたら大変! だから何としても初夜は回避しなければと思うのですが、 だんだんキリアンに惹かれてしまい、苦しくなる…という お話です。よろしくお願いします<(_ _)>

冷徹勇猛な竜将アルファは純粋無垢な王子オメガに甘えたいのだ! ~だけど殿下は僕に、癒ししか求めてくれないのかな……~

大波小波
BL
 フェリックス・エディン・ラヴィゲールは、ネイトステフ王国の第三王子だ。  端正だが、どこか猛禽類の鋭さを思わせる面立ち。  鋭い長剣を振るう、引き締まった体。  第二性がアルファだからというだけではない、自らを鍛え抜いた武人だった。  彼は『竜将』と呼ばれる称号と共に、内戦に苦しむ隣国へと派遣されていた。  軍閥のクーデターにより内戦の起きた、テミスアーリン王国。  そこでは、国王の第二夫人が亡命の準備を急いでいた。  王は戦闘で命を落とし、彼の正妻である王妃は早々と我が子を連れて逃げている。  仮王として指揮をとる第二夫人の長男は、近隣諸国へ支援を求めて欲しいと、彼女に亡命を勧めた。  仮王の弟である、アルネ・エドゥアルド・クラルは、兄の力になれない歯がゆさを感じていた。  瑞々しい、均整の取れた体。  絹のような栗色の髪に、白い肌。  美しい面立ちだが、茶目っ気も覗くつぶらな瞳。  第二性はオメガだが、彼は利発で優しい少年だった。  そんなアルネは兄から聞いた、隣国の支援部隊を指揮する『竜将』の名を呟く。 「フェリックス・エディン・ラヴィゲール殿下……」  不思議と、勇気が湧いてくる。 「長い、お名前。まるで、呪文みたい」  その名が、恋の呪文となる日が近いことを、アルネはまだ知らなかった。

【完結】スパダリを目指していたらスパダリに食われた話

紫蘇
BL
給湯室で女の子が話していた。 理想の彼氏はスパダリよ! スパダリ、というやつになったらモテるらしいと分かった俺、安田陽向(ヒナタ)は、スパダリになるべく会社でも有名なスパダリ…長船政景(マサカゲ)課長に弟子入りするのであった。 受:安田陽向 天性の人たらしで、誰からも好かれる人間。 社会人になってからは友人と遊ぶことも減り、独り身の寂しさを噛み締めている。 社内システム開発課という変人どもの集まりの中で唯一まともに一般人と会話できる貴重な存在。 ただ、孤独を脱したいからスパダリになろうという思考はやはり変人のそれである。 攻:長船政景 35歳、大人の雰囲気を漂わせる男前。 いわゆるスパダリ、中身は拗らせ変態。 妹の美咲がモデルをしており、交友関係にキラキラしたものが垣間見える。 サブキャラ 長船美咲:27歳、長船政景の年の離れた妹。 抜群のスタイルを生かし、ランウェイで長らく活躍しているモデル。 兄の恋を応援するつもりがまさかこんなことになるとは。 高田寿也:28歳、美咲の彼氏。 そろそろ美咲と結婚したいなと思っているが、義理の兄がコレになるのかと思うと悩ましい。 義理の兄の恋愛事情に巻き込まれ、事件にだけはならないでくれと祈る日々が始まる…。

処理中です...