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第29話 屋敷中の噂と満更でもない顔
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カイン邸の朝は、いつも通りに静かで整っている――はず、だった。
朝陽がレースのカーテン越しに柔らかく射し込み、上等な紅茶と焼きたてのパンの香りが、磨き上げられた大理石の床にほんのり漂っている。
けれど、その穏やかな空気とは裏腹に、ユリウスは落ち着かない気分で朝食をつついていた。
(ん……なんか、視線が多くないか?)
食堂にいる使用人たちの目が、ちらちらとこちらに向けられては逸れていく。
中には、くすっと微笑んでいる者までいた。
(なんだろう……嫌な予感しかしない……)
不穏な空気に肩をすくめながら隣を見ると、カインは相変わらずの無表情で紅茶を注いでいた。
昨夜、あれほど淫らな、そして甘やかな時間を過ごしたというのに――この男は本当に変わらない。
因みにユリウスは腰が痛くてたまらない。
何事もないカインの姿に少し苛立ちを覚えつつ、昨夜の事を思い出したユリウスの顔面は真っ赤に染まっていた。
そして――やはり、というべきか。
爆弾は唐突に落とされた。
「お二人って、本当にお似合いですよねぇ~」
メイドの一人が、ふんわりした笑みで呟いた。
「――えっ?」
ユリウスの口から、間抜けな声が漏れる。
「だって、いつも同じパン選ばれるし、紅茶の好みもそっくりで」
「まるで長年連れ添ったご夫婦のようですよ」
「え、あ、そ、それ、それ……それは偶然だっ!」
パンを握ったまま、思わず叫ぶ。
だが、他の使用人たちも一斉に笑いながら頷き始める。
「グレアム様も、「やはり縁というものはあるのですな」と仰っておりましたよ」
「サラ様も「お似合いなお二人ですわ」と言っておられましたし」
「並んだ立ち姿がもう、絵になりますし」
「だから誰が夫婦だって!?」
赤面しながらツッコミを入れるユリウス。
そのとき、最も恐れていた存在が音もなく現れる――メイド長・サラである。
「いっそ寝室もご一緒になさっては?その方が何かと効率がよろしいでしょう」
「なっ……」
「それに、昨日はお楽しみのようでしたし……」
「ぶっ!?さ、サラっ……」
ぶわっと顔から湯気が上がるような錯覚。
机を叩いて総ツッコミを入れるユリウスの隣――湯気が出ているユリウスの姿を全く気にしないかのように。
「では、今夜からそうしよう」
カインの一言が、静かに落とされた。
ユリウスはゆっくりと、信じたくないものを見る目でカインを見上げた。
「……な、なんでお前までそんな真顔なんだ!? 冗談に聞こえないって言ってるだろ!」
「冗談ではないが?」
「タチが悪いわっ!」
「昨夜は、一緒に寝たろう?」
「――あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っっ!言うなああああああ!」
「……可愛かったのに」
「うわあああああああああっ!!」
耳まで真っ赤に染め、椅子を蹴り倒さんばかりの勢いで叫ぶユリウス。
その騒ぎを、サラは慣れた顔で微笑ましく見つめていた。
「……照れてるのも、初々しくて素敵ですわ」
「ほんと、もうご新婚みたいですねえ」
「誰が!誰と誰が新婚だって言った!?」
両手で顔を覆いたくなるような羞恥の渦に、もはや頭が真っ白。
それでも、ふと視線を横に落とせば――カインは紅茶のカップを傾けながら、唇の端をわずかに確かに緩めていた。
(……お前、まさか……それ、満更でもないって顔だろ!?)
疑念の眼差しを向けるが、カインはいつもの調子でさらりと続ける。
「落ち着く……お前が隣にいる朝は、特に」
「…………っ!」
不意を突かれた一言に、思わず心臓が跳ねた。
そのまま言葉を失い、ぐっと椅子に座り直す。
顔を背け、パンを小さく千切りながら、ぽつりと呟いた。
「……なんか、負けた気がする」
すると、すかさずグレアムが優雅に微笑んで口を開いた。
「古よりのことわざにもございます。「愛とは、戦わずして敗れるもの」と」
「聞いたことない!それっぽく言うな!」
くすくすと笑い声が広がり、食堂全体が和やかな空気に包まれる。
そして、ユリウスは気づいた。
(……ああ。こうして笑える朝が戻ってきたんだ)
少し前まで、ただ守られるばかりだった自分が、今は隣に並んで笑っている。
ほんの短い静かな時間が、胸の奥を温めていく――何よりも、彼が隣にいる。
それが、きっと『幸せ』というものなのだろう。
ユリウスは、そっとカップを持ち上げた。
白い湯気が立ちのぼる向こう側に、いつもの無表情のカインがいる。
「はぁ……ありがと」
誰にも届かないほどの小さな声で、そう呟いた。
「ん?」
カインがわずかに首を傾げる。
「……なんでもないっ!」
顔を逸らすユリウスに、再びくすくすと笑いが広がった。
今日もまた、いつもと変わらぬ朝――だが、もうこの『当たり前』がかけがえのないものになっていることを、二人はきっと知っていた。
朝陽がレースのカーテン越しに柔らかく射し込み、上等な紅茶と焼きたてのパンの香りが、磨き上げられた大理石の床にほんのり漂っている。
けれど、その穏やかな空気とは裏腹に、ユリウスは落ち着かない気分で朝食をつついていた。
(ん……なんか、視線が多くないか?)
食堂にいる使用人たちの目が、ちらちらとこちらに向けられては逸れていく。
中には、くすっと微笑んでいる者までいた。
(なんだろう……嫌な予感しかしない……)
不穏な空気に肩をすくめながら隣を見ると、カインは相変わらずの無表情で紅茶を注いでいた。
昨夜、あれほど淫らな、そして甘やかな時間を過ごしたというのに――この男は本当に変わらない。
因みにユリウスは腰が痛くてたまらない。
何事もないカインの姿に少し苛立ちを覚えつつ、昨夜の事を思い出したユリウスの顔面は真っ赤に染まっていた。
そして――やはり、というべきか。
爆弾は唐突に落とされた。
「お二人って、本当にお似合いですよねぇ~」
メイドの一人が、ふんわりした笑みで呟いた。
「――えっ?」
ユリウスの口から、間抜けな声が漏れる。
「だって、いつも同じパン選ばれるし、紅茶の好みもそっくりで」
「まるで長年連れ添ったご夫婦のようですよ」
「え、あ、そ、それ、それ……それは偶然だっ!」
パンを握ったまま、思わず叫ぶ。
だが、他の使用人たちも一斉に笑いながら頷き始める。
「グレアム様も、「やはり縁というものはあるのですな」と仰っておりましたよ」
「サラ様も「お似合いなお二人ですわ」と言っておられましたし」
「並んだ立ち姿がもう、絵になりますし」
「だから誰が夫婦だって!?」
赤面しながらツッコミを入れるユリウス。
そのとき、最も恐れていた存在が音もなく現れる――メイド長・サラである。
「いっそ寝室もご一緒になさっては?その方が何かと効率がよろしいでしょう」
「なっ……」
「それに、昨日はお楽しみのようでしたし……」
「ぶっ!?さ、サラっ……」
ぶわっと顔から湯気が上がるような錯覚。
机を叩いて総ツッコミを入れるユリウスの隣――湯気が出ているユリウスの姿を全く気にしないかのように。
「では、今夜からそうしよう」
カインの一言が、静かに落とされた。
ユリウスはゆっくりと、信じたくないものを見る目でカインを見上げた。
「……な、なんでお前までそんな真顔なんだ!? 冗談に聞こえないって言ってるだろ!」
「冗談ではないが?」
「タチが悪いわっ!」
「昨夜は、一緒に寝たろう?」
「――あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っっ!言うなああああああ!」
「……可愛かったのに」
「うわあああああああああっ!!」
耳まで真っ赤に染め、椅子を蹴り倒さんばかりの勢いで叫ぶユリウス。
その騒ぎを、サラは慣れた顔で微笑ましく見つめていた。
「……照れてるのも、初々しくて素敵ですわ」
「ほんと、もうご新婚みたいですねえ」
「誰が!誰と誰が新婚だって言った!?」
両手で顔を覆いたくなるような羞恥の渦に、もはや頭が真っ白。
それでも、ふと視線を横に落とせば――カインは紅茶のカップを傾けながら、唇の端をわずかに確かに緩めていた。
(……お前、まさか……それ、満更でもないって顔だろ!?)
疑念の眼差しを向けるが、カインはいつもの調子でさらりと続ける。
「落ち着く……お前が隣にいる朝は、特に」
「…………っ!」
不意を突かれた一言に、思わず心臓が跳ねた。
そのまま言葉を失い、ぐっと椅子に座り直す。
顔を背け、パンを小さく千切りながら、ぽつりと呟いた。
「……なんか、負けた気がする」
すると、すかさずグレアムが優雅に微笑んで口を開いた。
「古よりのことわざにもございます。「愛とは、戦わずして敗れるもの」と」
「聞いたことない!それっぽく言うな!」
くすくすと笑い声が広がり、食堂全体が和やかな空気に包まれる。
そして、ユリウスは気づいた。
(……ああ。こうして笑える朝が戻ってきたんだ)
少し前まで、ただ守られるばかりだった自分が、今は隣に並んで笑っている。
ほんの短い静かな時間が、胸の奥を温めていく――何よりも、彼が隣にいる。
それが、きっと『幸せ』というものなのだろう。
ユリウスは、そっとカップを持ち上げた。
白い湯気が立ちのぼる向こう側に、いつもの無表情のカインがいる。
「はぁ……ありがと」
誰にも届かないほどの小さな声で、そう呟いた。
「ん?」
カインがわずかに首を傾げる。
「……なんでもないっ!」
顔を逸らすユリウスに、再びくすくすと笑いが広がった。
今日もまた、いつもと変わらぬ朝――だが、もうこの『当たり前』がかけがえのないものになっていることを、二人はきっと知っていた。
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