10 / 55
第10話 旅立ちの朝
空気が冷たい――冬でもないというのに、肌を刺すような朝だった。
王都の南門へと向かう石畳の道を、私は護衛の兵に囲まれて歩いていた。
最後に袖を通したのは、簡素な濃紺のドレス。王宮で過ごした日々にふさわしい豪奢さなどそこにはない。
けれど、これでいいと思った。
もう私は、セレスティア・アルセイン【侯爵令嬢】ではないのだから。
ゆっくりと歩を進めるたび、空気が少しずつ変わっていくのがわかった。
王城を出て貴族街を抜け、庶民の暮らす街路へと入った途端――人々の視線が、私に向いた。
誰も、声はかけてこない。
ただ、じっと見ていた。遠巻きに、まるで【何か】を見るように。
(……まるで、見せ物みたいじゃない)
心の中でそう呟いた瞬間、喉がぎゅっと締まる。
まるで冷たい空気が肺に刺さるようで、何処か息をするのも少し苦しい。
あれほど民の声に耳を傾けてきたのに。
貴族たちの利権を押しのけて、税の是正に尽力したこともあった。
農民の陳情に耳を傾け、読み書きができない子どもたちに学びの場を……でも、それらは今、何一つも思い出されていないらしい。
「……信じてくれる人なんて、もう……誰も、いないのね」
ぽつりと漏れた声は自分のものとは思えないほど、か細かった。
まるで小石が水面に落ちたように、すぐに静寂の中に吸い込まれていったかのように。
ふと、遠巻きに並ぶ人々の姿が見えた。
表情は見えないが、その口元がわずかに動くたび、耳の奥に幻のような声が響く。
「……国を裏切ったんだって」
「隣国に国を売ったらしいわよ」
「王妃になれなかった、哀れな女だな」
「結局、家柄だけだったんじゃないの?」
風のせいにしたかった。幻聴だと思いたかった。でも、それはきっと――この国の【本音】なんだ。
何人かと、目が合うが、皆、すぐに視線を逸らした。
中には、こちらに背を向けて――まるで初めから私を知らなかったかのように、そっと踵を返す者もいた。
「……そうよね。私が何をしてきたかなんて、関係ないのよね。【反逆者】だって言われればそれが真実になるし……そんな国に……私は仕えていたのね」
誰に言うでもない声が、馬車の前で止まった私の足元にぽとりと落ちる。
護衛の兵が、無言のまま扉を開く。兵の顔すら、未だに見えない。
中にあるのは、小さな荷物とくたびれた毛布が一枚だけ。
「……これが、私の最後の荷物なのね」
フフっと静かに笑った時、喉が痛んだ。言葉を絞り出すたび、何かがちぎれる気がした。
それでも、私は振り返らなかった。
見送る者など、誰一人としていないのだから。
「……これでよかったのよ。私がいなくなればあの国も……少しは、落ち着くでしょう」
自分にそう言い聞かせる声は、あまりにも弱々しくて、そのまま涙に変わってしまいそうだった。
乗り込んだ馬車の扉が、音を立てて閉じられる。
小さな音なのに、心の奥底では何かが壊れる音に聞こえた。
それが、私にとっての終わりの鐘だった。
馬車が動き出す。
硬い石畳が車輪を通して足元に伝わり、音もなく遠ざかっていく王都の景色。何百回と歩いたはずのこの道も、もう二度と戻ることはないだろう。
それでも私は、顔を上げていた――涙を見せるのは、もっと先でいい。
その時だった。
市門の少し手前――道の端に、小さな影が立っていた。
その姿は少年だった。ぼろぼろの上着を着た、小さな子供。
彼は誰に促されるでもなく、手の中の花を、馬車の進行方向にそっと投げた。
白い、野花――街路に咲くような、何でもない、小さな花。
「……ありがとう、セレスティア様」
その声は、風に紛れて私の耳には届かなかった。
けれど、花が舞った気配には気づいた。
馬車の窓を開けて外を見れば――道に、一輪の花が落ちていた。
「……」
誰が置いたのか、誰が何のために投げたのか、それを確かめる術はない。
けれど、心の奥で何かがほんの少し、緩んだ。
私はそっと、顔を伏せる。
「……っ」
頬を、一筋の涙が伝っていく。
どんな言葉よりも、何よりも、あの花が――誰かがまだ私を覚えていてくれたという、それだけが、嬉しくて、悔しくて、痛かった。
もう私は、この国にはいらない。戻ってくる事もきっとないだろう。
でも、私は生きていかなければならない。あの花のように、どこかの地で静かに咲いてみせる。
ゆっくりと、静かな音を立てながら、王都が遠ざかる。
街の喧騒が背後に消え、視界には広い街道と空が広がった。
――私は、ただ前を向いた。
拳を握りしめながら、静かに前を向くのだった。
王都の南門へと向かう石畳の道を、私は護衛の兵に囲まれて歩いていた。
最後に袖を通したのは、簡素な濃紺のドレス。王宮で過ごした日々にふさわしい豪奢さなどそこにはない。
けれど、これでいいと思った。
もう私は、セレスティア・アルセイン【侯爵令嬢】ではないのだから。
ゆっくりと歩を進めるたび、空気が少しずつ変わっていくのがわかった。
王城を出て貴族街を抜け、庶民の暮らす街路へと入った途端――人々の視線が、私に向いた。
誰も、声はかけてこない。
ただ、じっと見ていた。遠巻きに、まるで【何か】を見るように。
(……まるで、見せ物みたいじゃない)
心の中でそう呟いた瞬間、喉がぎゅっと締まる。
まるで冷たい空気が肺に刺さるようで、何処か息をするのも少し苦しい。
あれほど民の声に耳を傾けてきたのに。
貴族たちの利権を押しのけて、税の是正に尽力したこともあった。
農民の陳情に耳を傾け、読み書きができない子どもたちに学びの場を……でも、それらは今、何一つも思い出されていないらしい。
「……信じてくれる人なんて、もう……誰も、いないのね」
ぽつりと漏れた声は自分のものとは思えないほど、か細かった。
まるで小石が水面に落ちたように、すぐに静寂の中に吸い込まれていったかのように。
ふと、遠巻きに並ぶ人々の姿が見えた。
表情は見えないが、その口元がわずかに動くたび、耳の奥に幻のような声が響く。
「……国を裏切ったんだって」
「隣国に国を売ったらしいわよ」
「王妃になれなかった、哀れな女だな」
「結局、家柄だけだったんじゃないの?」
風のせいにしたかった。幻聴だと思いたかった。でも、それはきっと――この国の【本音】なんだ。
何人かと、目が合うが、皆、すぐに視線を逸らした。
中には、こちらに背を向けて――まるで初めから私を知らなかったかのように、そっと踵を返す者もいた。
「……そうよね。私が何をしてきたかなんて、関係ないのよね。【反逆者】だって言われればそれが真実になるし……そんな国に……私は仕えていたのね」
誰に言うでもない声が、馬車の前で止まった私の足元にぽとりと落ちる。
護衛の兵が、無言のまま扉を開く。兵の顔すら、未だに見えない。
中にあるのは、小さな荷物とくたびれた毛布が一枚だけ。
「……これが、私の最後の荷物なのね」
フフっと静かに笑った時、喉が痛んだ。言葉を絞り出すたび、何かがちぎれる気がした。
それでも、私は振り返らなかった。
見送る者など、誰一人としていないのだから。
「……これでよかったのよ。私がいなくなればあの国も……少しは、落ち着くでしょう」
自分にそう言い聞かせる声は、あまりにも弱々しくて、そのまま涙に変わってしまいそうだった。
乗り込んだ馬車の扉が、音を立てて閉じられる。
小さな音なのに、心の奥底では何かが壊れる音に聞こえた。
それが、私にとっての終わりの鐘だった。
馬車が動き出す。
硬い石畳が車輪を通して足元に伝わり、音もなく遠ざかっていく王都の景色。何百回と歩いたはずのこの道も、もう二度と戻ることはないだろう。
それでも私は、顔を上げていた――涙を見せるのは、もっと先でいい。
その時だった。
市門の少し手前――道の端に、小さな影が立っていた。
その姿は少年だった。ぼろぼろの上着を着た、小さな子供。
彼は誰に促されるでもなく、手の中の花を、馬車の進行方向にそっと投げた。
白い、野花――街路に咲くような、何でもない、小さな花。
「……ありがとう、セレスティア様」
その声は、風に紛れて私の耳には届かなかった。
けれど、花が舞った気配には気づいた。
馬車の窓を開けて外を見れば――道に、一輪の花が落ちていた。
「……」
誰が置いたのか、誰が何のために投げたのか、それを確かめる術はない。
けれど、心の奥で何かがほんの少し、緩んだ。
私はそっと、顔を伏せる。
「……っ」
頬を、一筋の涙が伝っていく。
どんな言葉よりも、何よりも、あの花が――誰かがまだ私を覚えていてくれたという、それだけが、嬉しくて、悔しくて、痛かった。
もう私は、この国にはいらない。戻ってくる事もきっとないだろう。
でも、私は生きていかなければならない。あの花のように、どこかの地で静かに咲いてみせる。
ゆっくりと、静かな音を立てながら、王都が遠ざかる。
街の喧騒が背後に消え、視界には広い街道と空が広がった。
――私は、ただ前を向いた。
拳を握りしめながら、静かに前を向くのだった。
あなたにおすすめの小説
婚約破棄して泥を投げつけた元婚約者が「無能」と笑う中、光り輝く幼なじみの王子に掠め取られました。
ムラサメ
恋愛
「お前のような無能、我が家には不要だ。今すぐ消えろ!」
婚約者・エドワードのために身を粉にして尽くしてきたフィオナは、卒業パーティーの夜、雨の中に放り出される。
泥にまみれ、絶望に沈む彼女の前に現れたのは、かつての幼なじみであり、今や国中から愛される「黄金の王子」シリルだった。
「やっと見つけた。……ねえ、フィオナ。あんなゴミに君を傷つけさせるなんて、僕の落ち度だね」
汚れを厭わずフィオナを抱き上げたシリルは、彼女を自分の屋敷へと連れ帰る。
「自分には価値がない」と思い込むフィオナを、シリルは異常なまでの執着と甘い言葉で、とろけるように溺愛し始めて――。
一方で、フィオナを捨てたエドワードは気づいていなかった。
自分の手柄だと思っていた仕事も、領地の繁栄も、すべてはフィオナの才能によるものだったということに。
ボロボロになっていく元婚約者。美しく着飾られ、シリルの腕の中で幸せに微笑むフィオナ。
「僕の星を捨てた報い、たっぷりと受けてもらうよ?」
圧倒的な光を放つ幼なじみによる、最高に華やかな逆転劇がいま始まる!
「通訳など辞書で足りる」と追放された令嬢——三国会談で、婚約者は一言も話せなくなった
歩人
ファンタジー
宮廷通訳官エレノーラは五つの言語を操り、婚約者クラウスの外交を陰で支えてきた。
だがクラウスは言った。「通訳など辞書で足りる。お前は要らない」
追放されたエレノーラは隣国で新たな道を歩み始める。
一方、クラウスは三国会談の場で辞書片手に立ち往生。
誤訳が外交問題に発展し、窮地に陥ったその場に、隣国の通訳官として現れたのは——。
「その言葉は、もう翻訳できません」
子供のままの婚約者が子供を作ったようです
夏見颯一
恋愛
公爵令嬢であるヒルダの婚約者であるエリックは、ヒルダに嫌がらせばかりしている。
嫌がらせには悪意しか感じられないのだが、年下のヒルダの方がずっと我慢を強いられていた。
「エリックは子供だから」
成人済みのエリックに、ヒルダの両親もエリックの両親もとても甘かった。
昔からエリックのやんちゃな所が親達には微笑ましかったらしい。
でも、エリックは成人済みです。
いつまで子供扱いするつもりですか?
一方の私は嫌がらせで寒い中長時間待たされたり、ご飯を食べられなかったり……。
本当にどうしたものかと悩ませていると友人が、
「あいつはきっと何かやらかすだろうね」
その言葉を胸に、私が我慢し続けた結果。
「子供が出来たんだ」
エリックは勘違いをしていた。
自分は何でも許されていると思い込んでいたエリックは、婿入り予定でありながら別の女性と子供を作ってしまう。
それによりエリック中心だった世界は崩壊し、ヒルダは本来の公爵令嬢としての生活を取り戻していく。
ただ、エリックの過ちは仕組まれたものだった。
エリック自身とエリックを嵌めた者達を繋ぐ糸は、複雑に別のものと絡まり合いながら、ヒルダを翻弄する。
非常識な婚約者に悩まされていたヒルダが、結婚をするまでの物語。
※体調の関係もあり、更新時間がかなり時間が不定期です。
相当なクズ親が出てきます。ご注意下さい。
【完結】「不吉な黒」と捨てられた令嬢、漆黒の竜を「痛いの飛んでいけー!」で完治させてしまう
ムラサメ
恋愛
漆黒の髪と瞳。ただそれだけの理由で「不吉なゴミ」と虐げられてきた公爵令嬢ミア。
死の森に捨てられた彼女が出会ったのは、呪いに侵され、最期を待つ最強の黒竜と、その相棒である隣国の竜騎士ゼノだった。
しかし、ミアが無邪気に放った「おまじない」は、伝説の浄化魔法となって世界を塗り替える。
向こう見ずな天才騎士に拾われたミアは、隣国で「女神」として崇められ、徹底的に甘やかされることに。
一方、浄化の源を失った王国は、みるみるうちに泥沼へと沈んでいき……?
義母の企みで王子との婚約は破棄され、辺境の老貴族と結婚せよと追放されたけど、結婚したのは孫息子だし、思いっきり歌も歌えて言うことありません!
もーりんもも
恋愛
義妹の聖女の証を奪って聖女になり代わろうとした罪で、辺境の地を治める老貴族と結婚しろと王に命じられ、王都から追放されてしまったアデリーン。
ところが、結婚相手の領主アドルフ・ジャンポール侯爵は、結婚式当日に老衰で死んでしまった。
王様の命令は、「ジャンポール家の当主と結婚せよ」ということで、急遽ジャンポール家の当主となった孫息子ユリウスと結婚することに。
ユリウスの結婚の誓いの言葉は「ふん。ゲス女め」。
それでもアデリーンにとっては、緑豊かなジャンポール領は楽園だった。
誰にも遠慮することなく、美しい森の中で、大好きな歌を思いっきり歌えるから!
アデリーンの歌には不思議な力があった。その歌声は万物を癒し、ユリウスの心までをも溶かしていく……。
※AI学習禁止・無断転載禁止・無断翻訳禁止・無断朗読禁止
目覚めたら公爵夫人でしたが夫に冷遇されているようです
MIRICO
恋愛
フィオナは没落寸前のブルイエ家の長女。体調が悪く早めに眠ったら、目が覚めた時、夫のいる公爵夫人セレスティーヌになっていた。
しかし、夫のクラウディオは、妻に冷たく視線を合わせようともしない。
フィオナはセレスティーヌの体を乗っ取ったことをクラウディオに気付かれまいと会う回数を減らし、セレスティーヌの体に入ってしまった原因を探そうとするが、原因が分からぬままセレスティーヌの姉の子がやってきて世話をすることに。
クラウディオはいつもと違う様子のセレスティーヌが気になり始めて……。
ざまあ系ではありません。恋愛中心でもないです。事件中心軽く恋愛くらいです。
番外編は暗い話がありますので、苦手な方はお気を付けください。
ご感想ありがとうございます!!
誤字脱字等もお知らせくださりありがとうございます。順次修正させていただきます。
小説家になろう様に掲載済みです。
【今さら遅い】毒で声を失い公爵に捨てられた私。妹では精霊が応えず国は滅びへ。ですが隣国皇帝に溺愛される私に、今さら縋ってきても遅いです
唯崎りいち
恋愛
国一番の歌姫だった私は、妹に毒を盛られ声を失い、婚約者に捨てられた。
すべてを奪われた私を救ったのは、隣国の皇帝。
「お前の歌がなければ国は滅びる」と言われた私の歌は、精霊に届く“本物”の力を持っていて――
一方、私を追放した国は偽物の歌では加護を失い衰退。
今さら元婚約者が縋ってきても、もう遅い。
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。